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『マザーエルザの物語・終章 28』

 教室に戻ったとき、あおいは息も絶え絶えな状態で、多分にクラスメートの同情を買った。少女の真珠色に輝く額には、脂汗のようなものが滲んでいる。霧を吹きかけた高級陶器のようで、反射光の美しさがやけに目立って痛々しい。
 啓子にもそれが伝わったと見えて、心配そうに親友の顔を伺っている。
「大丈夫? 早く座ろうよ。それとも保健室に行く?」
 あおいにしか見せない顔で言葉を投げかける。事実、二人の間に流れている世界には、第三者が入り込める隙を見いだせなかった。
 だから、固唾を呑んで、周囲の児童たちは眺めるしかなかった。ある意味、それは夫婦に似ている。啓子があおいの肩を抱いて、労りながら席に着かせるその仕草は、夫が病床の妻に対して見せる魂に満ちていた。
「ウゥ・ゥ・ゥ・ゥ」
 一方、あおいは意識が細(こま)切れになるような官能に襲われながらも、絶え間ない罪悪感に苛まれていた。

――ああ、私はこんな扱いをされる価値なんてないの。
 
 小学生のあおいには、性的な感覚をその意味において理解できるほど知性が発達していない。だが、無意識の領域では、それを完全に識別し分類さえしていたのである。官能が与える麻薬的な感覚に対して、それを率直に快感と受け止める感情と羞恥と受け止める理性。ある意味、機械的な無意識は善悪の判断をしない冷静な視点で、自分を見つめていた。
 「ウウ・ウ・ウ・ウ・ウウ」
 啓子を含めた周囲に自分を合わすのも一苦労だ。時間に遅れてしまいそうな気がする。いや、既にみんなが手の届かないところに行ってしまったような気がする。もっと似つかわしいたとえを用意するならば、周回遅れのランナーというのが一番適当かもしれない。
 
 いつの間にか、みんなあおいの手のとどかないところに言ってしまった。もう、誰も彼女をまともに相手にしようとしない。自分だけが木製の人形になってしまったかのようだ。
 全身が縮んでしまいそうな羞恥心に苛まれて、知らず知らずのうちに肌がピンクに変色していた。鳥肌も立っている。
 めくるめく官能に意識を吸い取られてわずかに残った知性で、周囲に目を向けてみる。できることは眼球をわずかに動かすぐらいしかない。 
 とうぜんのことだが、気が付くと、啓子には自分の席に着いていて、自分には寄り添っていない。教壇には、担任である阿刀久美子が、何やら声を張り上げている。しかし、その意味はまったく頭に入らなかった。 
 もう、礼は済んでしまったらしい。あやふやな意識で過去をふり返ってみると、「規律、礼」という学校では何十年も恒例となった声が聞こえる。

 いっしゅんだけ、あおいは肉体を抜けていた。時間と肉体を超越して、学校という概念そのものを窓の外から眺めているような錯覚に陥った。その焦点の中心には自分がいた。哀れにも震えている少女だった。
 本来ならば、楽しくてたまらない空間だったのに、いまや自己嫌悪のタイルに床も壁も埋め尽くされている。たまため天井を眺めてみたら、目に侵入してきたのは同じタイルだった。机やクラスメートたちは、約一名を覗いて単なる記号にしかみえない。もちろん、その一名は赤木啓子である。

―――み、見ないで、啓子ちゃん・・・・・。

 あおいは、カタツムリのように意識的に自分で造った殻に閉じこもろうとしていた。しかし、親友の視線を妨げることはできなかった。それは、制服を通過して少女の秘密の部分にまで達しているように思えた。そこには、彼女が何よりも、そして、誰からも護りたい恥ずかしい秘密が隠されている。

―――教室でもこんなことされてるなんて・・・・・・。

 有希江の手で股間をむんずと摑まれているような気がする。家で姉にされていることがありありと思い出される。いや、あたかもここが教室ではなくて、自分の家のようなきがする。全裸にされて犬のようによつんばいにされたあおいは、恥ずかしいところを弄られて呻き声を上げているのだ。
 姉の笑い声がいま、そこにあるような気がする。
 気が付くと、教壇に居座っているのは、久美子でなくて有希江が弁慶のように立ち尽くしていた。
 しかし、次の瞬間には、久美子に戻っていた。ちょうど宮沢賢治の詩を板書してふり返ったところだった。
 あおいは、それを書き写しながらつくづく思う。

――――ここは、勉強するところなのに・・・・・・・・・・・・・・。

 本来ならば、授業とは休み時間をひたすらに待つ時間にすぎなかったのに、それは、本人はおろか担任をふくめたほぼクラスの成員すべてがそれを認識していた。そのあおいの元気がない。思えば、この少女はクラスの太陽だったのだ。らんらんと輝いているときは迷惑なだけだったが、アマテラスの神話のように、いちど、岩戸に籠もってしまうと、その温かさが身にしみて思いだされる。みんな、そうなってはじめて、その価値に気づくのである。

――――あおいちゃん、どうしたのかな?
 
 教師の秋波をかいくぐって、クラスメートたちは、心配そうな視線を贈ってくる。すると、啓子以外のクラスメートもただの記号ではなくなっていく。それは同時に少女の羞恥心を倍増させることにつながる。たまたまその視線のひとつと目があったりすると、顔を真っ赤にして俯くことしかできない。羞恥のためにからだを動かしたりすれば、憎らしい相手がいたずらを始める。股間に埋め込まれた異物が動き始めるのだ。
 身体は、異物を外に出そうとするが、恥ずかしい秘密の一部が作動して、それを内部に押し込めようとする。心ならずも少女じしんの努力もあって、阻まれてしまう。
 一連の動きは仮想セックスのようだが、さすがに少女はそこまで考えが付かなかった。そもそもセックスというものが想像できない。そういう単語は聞いたことがあるが、少女じしんはまだそれに触れてはいけない年齢だと思っている。有希江もそれを教え込むということはないようだ。
 加えて、このとうじのあおいにとって救いだったのは、オナニーという概念が持つ意味すら明確でなかったことだ。それは不幸中の幸いというべき事態だったが、この時の刺激が後になって、それに開眼する契機になったことも事実である。
 
 しかしながら、性器の周囲を弄るとやがて湿り気を帯びること、言うまでもなく、それは小便とは別の液体である。あおいは、全クラスメートの目の前で辱めを受けているような気がした。
 冷たい笑いが少女を襲う。それは、かつて、少女を包んだそれとは全く違う、口臭に満ちた冷たい笑いである。多分に、苦笑というスパイスが含まれていながら、それは優しい温度に満ちていた。温泉に浸かったあとで鉄砲水に流されるようなものである。
 もしも、下半身の秘密をみんなが知ったら、そのような態度に出ることは火を見るよりも明らかに思えた。ちょうど家庭で起こったことが場所を変えて起こるのだ。
 少女が何よりも怖れるのは、赤木啓子の動向である。彼女から見捨てられることは、すなわち、自分の死のように思えた。死というものは、体験したことはないが、もしも、それがあるとすれば、啓子を失うくらいに怖ろしいことだと思っている。

 膣の中に異物が入っているということは、同時に、耐えず局所が開いているということである。それは絶え間ない尿意に襲われていることと同義である。それがもたらす羞恥は、子供のときのおもらしの比ではない。
 股間から這い上がってくる巨大なムカデは、少女の理性を完全に曇らせる。だから、教師の言葉もこのように聞こえることになる。

「みなさん、榊さんには秘密があります ―――」

 教師の声に従って、クラス中がごおっとなる。それに煽られるとさらにあおいを責め立てる言葉が、彼女の口から発される。
「榊さん、立って下さい。そして、スカートを捲ってください」
 あおいは、巨大な鉈(なた)で脊椎を割られるような衝撃を受けた。この先生はいったい、何を言っているのだろう。少女は、訝ったが、同時にその発言が正鵠を射ていることを思いしらされる。なんと言っても、少女の股間は不自然な金庫によって閉じられているからだ。
 そして、教師の発言はさらに情け容赦なくなっていく。
「はい、みんなで榊さんの秘密を調べてみましょう!」
「賛成!!」
 机が、椅子が、恐怖の宣告をする。それは世界の終わりに天使が鳴らすラッパにも酷似している。
「いや!やめて!!」
 たまらなくなって泣き叫ぶあおい。しかし、次の瞬間、その声によって何かを思い出したのである。 それは別名、現実という。今まで、あおいが体験してきたのは彼女じしんが紡いだ悪夢だった。
 最初の教師の言葉はこうである。
「榊さん、黒板まで来てこの問題を解いてください」
 次は ―――。
「どうしました?」
 クラスメートのざわめきも、あおいに対する同情に満ちた温かいものだった。何もかも真逆の方向にベクトルが向かってしまった。心ならずも、誰かの声が合図となってあおいは意識を失ってしまった。その声をあおいにとっては何かの引導だったのだろうか?
「榊さん?」
「あおいちゃん!?」
 教師の声と、啓子の声、そして、クラスメートたちの声。それぞれが渦を巻いて、ぐるぐると少女を螺旋の中心へと落とし込んでいく。

―――う、失っちゃいけない。そんなことなったら、バレちゃう! ぜったいに知られてはいけない、秘密が!!

 意識をはっきりさせようと、息込んだが、いちど折れたタンポポの茎が元に戻ることは、ほとんどないだろう。
足に入れようとした力がしだいに抜けていく。ただの棒に変化していく。そして ――。

 暗転。

「朝から具合悪かったのよね、ムリするから」
「・・・・・・・・・・!?」
 無責任な保険委員を睨みつけておいて、啓子はあおいに駆け寄るなり抱き上げた。その仕草があまりに自然なので、教室中、一枚の絵を見ているような気分になった。時間が停止したのである。
教師ですら、まったく手を出すことができなかった。
 そうこうしているうちに授業のおわりを告げるチャイムが鳴った。

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『由加里 77』
「女の子なのに?」
「ウウグググ・・・ハイ」
 まるで自分自身の死をモールス信号で表すように、由加里は答えた。
「よく言っていることがわからないんだけど、あいにくと、私は、ごくノーマルな人間なのでそのヘンのことは詳しくないのよね。誰かと違って・・・・・」
 自分のことは何処かの棚に上げて、大胆に言ってのける。おそらく、その棚は、この地球上の何処にも存在しないにちがいない。近くて、太陽系の外縁くらいだろうか。
 
 一方、由加里は、まっすぐに妖女の侮辱を受けて止めていた。承けて流すことを知らないこの少女は、ここまで侮辱され唾を吐かれても、品位を下げるということを知らない。可南子は、それが気にくわない。
 彼女のような女性が一生かかっても、それこそ、地球の北から南まで駆け回ったとしても、由加里が持ち合わせているような品位を得ることはできないだろう。何の努力もせずに西宮由加里という肉体に生まれ落ちたというだけで、この少女はこんな高級な真珠を持っている。それが許せなかった。

「きっと、生まれつきインランで、薄汚い由加里チャンなら知ってるのよね。もっと詳しく教えてくれない?」
「ウウ・ウ・ウ・ウウ・・、コ、コミックで、きっと、架空の・・・・・ウウ・ウ・・ウウ」
 賀茂真淵や、本居宣長が聞いたら、きっと呆れるどころではなく悪霊となって取り憑くぐらいのことはするにちがいない。完全にただしい日本語というものを無視している。
 少女は、自分の中に競合する感情たち、例えば、羞恥心や悲しみ、そして、絶望感や無力感、それらマイナスのエネルギーの対応に苦慮していた。そのために、それを言語化するプログラムが上手く作動していないのである。
 しかし、可南子の方はそうはいかない。もともと、ものを深く考えるということを若いころからしてこなかったこの女は、自分と違う思考タイプが存在することを想定できない。だから、由加里のような自分よりもはるかに知的に優れている存在に、意識的にせよ、無意識的にせよ、そねむことになる。
 しかし、そんな内心などオクビにも出さずに、由加里をいびり続ける。
「そんなコミックがあるの? でもあるとすれば18禁よね。ところで、由加里チャンっていくつだっけ?」
「ウウ・・じゅ、十四歳です・・・ウグ!!?」

 言い終わるまえに、失禁状態の性器に指がエイリアンのように侵入していた。あやうく処女膜を破ってしまうところだった。
「危ない、危ない、それは本番でやることだったわ。ねえ、由加里チャン、14歳なのに、そんなもの読んでもいいの?」
「ウウ・ウ・・ウ・・ウウ、い、いけません・・・・ウウ・ウ・ウ・ウ」
 成績という一面だけでなくて、生活態度や教師への心証といった点に置いても、黄金の内申書を誇っている由加里である。それは実質的なドキュメントに留まらない。小さい頃から大人にいたるまで、年上に対する心証は同年齢のそれをはるかに凌駕して好印象だった。
 内申書には数字で表現されるものとされないものがある。由加里は、両者において常に満点を誇っていたのである。
 まさに可南子の反対側を歩いてきた由加里である。そのふたりが、二人は奇縁によって交差しようとしている。
 メスの大蛇が小蛇に絡みついている。後者の頭に輝く真珠を狙っているのだ。
 それは彼女じしんの境遇に対する不満からくる復讐心なのか。そもそも、ものを考えない性質の彼女だから、考えるまえに手が出てしまう。
 しかし、邪悪な妖女がいくら少しくらい美しいものを食べたとしても、鱗のひとつが輝くにすぎない。これまで、重ねてきた悪業のどれをとっても償われることはないのだ。どうじに、彼女の品位がすこしでも上がる等と言うこともない。

「本当に悪い子ね、罰が必要だわ!」
「ひぃ!痛い!!」
 可南子は、由加里のクリトリスを捻り潰さんばかりに抓った。
 睫から眼球に至るまで、ものを見るためのすべての器官が涙によって溶かされてしまうのではないかと思った。
 写真を印象画風にぼかすコンピューターソフトが存在するが、ちょうどそのように視界が歪んでいた。ミレーやルノワールと言った印象派の巨匠と呼ばれる画家たちの作品の高尚さとはまったく違う次元の、浅薄で短絡的な技がそこに存在している。
 ―――私なんて、このていどの人間なんだわ。誰にも愛される資格なんてない。
 そう思った同時に、家族や友人たちの顔が浮かんでは消えた。いや、消えるだけならいいが、かつては、自分に向けられていたまぶしいばかりの笑顔が軽蔑と憎悪の入り交じった顔に変わるときには、全身の毛穴が萎む。
 めざとい可南子は、そんな由加里の変容に何処までも追いついていく。まるで、ストーカーのようだ。
「寒いの? もう夏なのよ。あたしが温めてあげる!」
「ウギィイ!?」
 可南子は、由加里が負った重傷のことも忘れて力の限り抱き締める。ギリギリと全身の骨が軋むような気がする。このまま抱かれていたら、折れてしまうのではないか。由加里は怖れた。
 「今日はねえ、可哀想な由加里チャンのために最高のプレゼントを用意したんだよ」
 妖女は、可哀想なという形容動詞が少女のプライドを丸裸にするために、最適な言葉だと意識ではなく、無意識のレベルで知っていた。
 大蛇は、まさに小蛇を取って喰おうとしていた。


 ちょうど、その時テニスコートでは、黄金が煌めいていた。それを嫉妬たっぷりの視線で見つめる美少女がいる。


「私はねえ、はるかのヤツがむかつくのよ ――――」
「え?」
 鈴木ゆららは、年長の女性を見上げるように、照美の綺麗な顔を見つめた。
 はるかとの試合を終えた照美は、汗を拭きながらスポーツドリンクに口を付けている。その姿がやけに絵になる。美の女神のようなその姿に気を取られていて、肝腎のご神託、そのものは耳に入っていなかった。
  しかし、照美は話を続ける。
「 ――――あんなに夢中になるものがあってさ」
「・・・・・・・・」
 この時になって始めて、ゆららは、「むかつく」という言葉が「羨ましい」と同義であることを知ったのである。
 そして、本来ならばぞんざいな言葉遣いをしない才媛が、自分に対してそのような言い方をすることじたいが、栄冠のように思えた。まるで疑似家族に叙せられたような気がした。そのことじたいが誇らしかった。人間として自分を扱ってくれるだけでなく、このような特別な扱いをしてくれる。それは、自分のような汚らわしい存在には晴れがましい衣装だった。
 うまく、言葉を使って自分の気持ちを表現できない。しかし、そんなことは構わずに照美は言葉を紡ぎ続ける。

「何をやっても、私は、おもしろくないのよ」
「でも、私は何をやっても、満足にできない ――――」
  ゆららが失禁するように言葉を吐き出すようすを見て、照美は自分の失態を呪った。今度は、照美が話を聞く番だった。
 はるかが言った能力と運命のことを思い出しながらも、意識の届かないところで舌を動かすことを余儀なくされる。
「私は、照美さんが羨ましい ――――」
「・・・・・・・・・・・」
 目の前で一級の試合が行われているというのに、照美とゆららは、そちらの方を見ていない。しかしながら、そんなことを気にするあゆみではなかった上に、はるかにしても、目の前の球を拾うことに夢中で、余裕はまったくなかった。
 病み上がりとはいえ、西沢あゆみは西沢あゆみだったのである。いや、当時のレベルにおいては、彼女の力量を理解できる立場になかったのだろう。同年齢の選手の中でずば抜けた力量を認められているとはいえ、やはり中学生。相手は世界的なプロである。大人と子供が相撲を取っているようなものだ。
 照美とゆららの方でも、そちらを忖度する余裕はなかった。前者は後者に心を砕き、後者は狭窄した視野のなかで閉じこめられてラケットがボールを叩く音すら聞こえていない状態だった。

「ゆららちゃん・・・・・・・」
「ウウ・ウ・ウウウ」
 照美は言葉をゆららを正当に遇する言葉を知らなかった。だから、こうするしかなかった。ゆららの華奢な、いや、華奢すぎる肩に手を回した。
「・・・・・・・!?」
 照美は驚いた。服の下に肉体が本当に存在するのか疑うほど、実在感が透明だったからだ。しかし、仄かな温かさは照美に、マッチの明かりを感じさせた。この少女の中に灯った小さな明かりを消すまいと、両手をかざして風を防ごうと心がけた。
 それだけが、唯一、照美にできることだった。
 ささやかなこの空間の外では、極大の嵐が起きているというのに内では消え入りそうな炎が煤を出しながら消えようとしている。
 照美の目には、それがいまわの際、寸前の呼吸に見えた。それがあまりに痛々しくて、照美は、自然に自分の内から優しい心が流れてくるのを感じた。その微風に気づかないほどに、知らず知らずに優しい顔をしていたのである。それがゆららにいい影響を与えないはずはなかった。
 しかし、同時に罪悪感をも与えていたのである。自分が他人に迷惑をかけているのではないかという感覚。それは、少女がこの世に生を受けて以来、慢性的に思ってきたことである。

 はるかは、苛立っていた。照美たちが試合を見ていないことに腹を立てたのである。
―――あの二人!! いったい、何をしているのよ!
しかしながら、大型の台風を相手にしているときに、注意を反らすことは致命的なミスを犯す伏線となる。西沢あゆみと剣を交えるとは、はるかにとってそういうことなのだ。
「う?!」
 あゆみがラケットにボールを当てようとした、次の瞬間、それははるかの目の前に存在していた。それだけではない。それは、バスケットボールほどの大きさに膨らんでいた。
「ひ!?」
 表現するのも哀れな声を上げて、はるかは地面に転がっていた。ボールは、ふいに避けようとしたために、中空に棒立ちになったラケットの先に当たって、あさっての方向に消え去った。そして、はるかは、ボールの衝撃というよりは、自分自身が起こした運動を制御できずに転んだのである。
「ウウ・ウ・ウ・・!!」
 立ち上がってもまだ腕がビリビリと言っている。まだ帯電しているようだ。それほどまでにあゆみが放ったボールはその衝撃を保っていたのである。
「はるか、何をやってる!? なんてブザマな姿だ。ボールにぶつかっていくならともかく、避けようとして転ぶなんて、見ていられん!!」
 尺骨と橈骨 身の間に帯電する痛みよりもさらに強烈な声が、はるかを襲う。
――――あいつ、何をしてるんだ?
 すぐに照美のいやらしい笑いが聞こえてくると思ったはるかは、拍子抜けしてそちらに視線を向けた。あゆみの叱責よりもそちらが気がかりだったのだ。
照美はゆららを抱き締めていた。
 その姿は母と娘を彷彿とさせる。何やら温かい雰囲気を醸し出していた。あゆみもその影響を受けたのか、はるかを叱責することを止めて、夕日を見つめるように二人の様を見つめ続けていた。

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新釈『氷点 2009』1
 青年がエンジンを踏むと、黒塗りの国産車はうなり声を上げた。それは生命の呼吸を思わせる。
 背後で扉が締まると意志の強さを感じさせる女の声が聞こえる。
「谷崎君、啓三のところね」
「え? もしかして、辻口 ――――さんとお知り合いなんてすか?」
 突然のことなので、敬称をつけることを忘れるぐらいだった。国選弁護人としてこの事件に係わろうとしていた矢先のことだ。そのために秘書兼、運転手である谷崎は、ある程度の情報を得ていたのである。
「啓三と彼の奥さんとは、幼馴染みよ」
「ということは、親友の娘を殺した犯人を弁護しようとしていたんですか?」
 悪魔の笑みを浮かべて口を開く。

「ベンゴを不必要にさぼって、死刑になるように細工をするとでも行っておけば納得すると思ったのよ」
――――怖ろしい人だ。
 谷崎は今更ながらに思った。いったい、何を考えているのかわからない。辣腕弁護士であることは痛いほどにわかっているが、その信条がどのベクトルに進んでいるのかわからない。そもそも彼女を動かす信念などと言うものは、存在しないのかも知れない。
 
 車は、しなやかに地下車庫から吐き出されていく。そのエンジン音はほぼ無音で、これが一般サラリーマンの年収ではとうてい購入できない代物であることを想像させる。
 しかし、外見では、それが高級車であることは伺えない。財前春実はそういうことを露出することを好まない。だから、谷崎に言って、それらの条件を満足させるような車を用意させたのである。
 春実は25歳。この若さでひとつの弁護士事務所をかまえている。父親が元弁護士でありそれを受け継いだということもあるが、それだけは、事務所を発展させることはおろか、維持することすら難しいだろう。
 それどころか、春実は、新進気鋭の弁護士として法曹界に飛び込んだ彼女は、まさに紳士の外見を纏った獣どもが獲物にヨダレを流すこの世界へと切り込んでいる最中である。
 父親の人脈がものを言ったこともたしかに真実だった。

「お父様は、あの若さで引退なさったそうですな、お嬢様はその若さで城持ちとは。財前さんにはお世話になりましたから、ごひいきにさせてもらいますよ」
 口では、白くなった髭をむやみに動かしていた老人たちだったが、その実、「小娘め」と完全に見くびっていることはあきらかだった。。彼の視線は、娘を通り過ぎて彼女の父親である元重鎮に注がれていたのである。
 しかし、彼女はただの小娘ではなかった。
 新進政治家の政治資金流用疑惑を見事解決したのである。それは彼女の華やかなデビュー作だったが、クライアントは春実と同じような立場だった。
 すなわち、父親の地盤と看板を承け付いて、見事というか当たり前のように議員の席を得たのである。
 ところが、それが初っぱなから躓いてしまった。政治資金流用の疑惑を掛けられたのである。当然のように離党、離職の憂き目にあった。当然のように起訴にまで至ってしまった。
 父親や支持基盤から見捨てられそうになった彼に、手を差し伸べたのは春実だった。
 彼女は自分の、というか元父親のものだった、人脈を利用して、事態を丸め込んだあげく、見事、無罪を勝ち取ることに成功した。言うまでもなく灰色の解決であり、見る人にはその内実が明かだったが、むしろ、それだけに法曹界における彼女の地位を保証したのである。そればかりか、政界の歓心をも得ることになった。
 たがが、20代そこそこの弁護士が、である。
 この時、北の大地、九州にあってたしかな第一歩を踏み出したのだった。いささか、灰色の翼を隠し持っての ―――ことではあるが。

 黒い車は、白亜の城に接近しようとしていた。
 街の中心に位置する辻口医院は長崎一円の中心的な医療を担っている。季節が季節ならば流氷が見える高台に、その建物が建っている。
 地方都市のために、他に高い建築物を見つけることが難しい。そのために見方によると長崎城にも見えないこともない。町民は半ば、尊敬、半ば、囃し立てる意味で、歴代病院長を『長崎城主』と呼んできた。
 現在の院長は、辻口建造がその身分を担っているが、病気のために息子に継がせる日も遠くないとみんなが噂している。病院関係者だけでなく、町の人たちにとってみても公然の秘密である。 
 その息子というのは啓三と言って、まだ27歳の若さだが、九大では、未来を嘱望され、教授連中がなんとしても大学に残そうと運動したが、昨年、故郷に帰還した。目下の噂では、結婚してまもない奥さんのことが心配だとか。しかし、彼女じしんのことよりも彼女の不貞が心配だったらしいとの噂も立っている。
 妻である辻口夏枝は大変な才媛ということで有名である。

「でも、アポしなくていいですか、先生」
 谷崎は病院の駐車場に車を入れながら言った。
「私と啓三の仲よ」
「でも手術してるかもしれませんよ」
「手術室に闖入してやるわ」
「せ、先生・・・・・」
 ―――血迷ったりすればそのぐらいのことをやりかねない。
 頭では、冗談だとわかっていながらも、谷崎はそう危惧する。今まで、さんざん見せつけられた行動力を考えればしぜんな考えだった。それがプラスのベクトルに向けば、効果は倍増だが、一旦マイナスに向けば事態はとんでもないことになる。
――――同時に外科の先生なのだな。
 しかし、同時にそのようにも考えた。
 ヘンに冷静な観察眼を併せ持っている運転手である。
 
 車のキーを捻るときには、もうずかすかと玄関を潜るところだった。まるで自分の病院のような勢いである。
「せ、先生!」
 まるで荒ぶる神を修める神官のような心持ちで、雇い主の後を追う。
 エレベーターに到着したときには、谷崎はふらふらになっていた。ハンケチで額の汗を拭う。
「運動不足ね、男のくせに ――――」
 すこし走っただけで息も絶え絶えになっている部下に文句のひとつでもぶつけようとしたところで、エレベーターのドアが開いた。
 中から出てきたのは、杖を携えた老人である。春実は親しげに声をかけた、

「ああ、びっこ先生」
「え? 春実ちゃんじゃないか。何処か悪いのかね? 君が?」
 まるで可愛い孫を見るような目つきである。それをうける春実はまさに孫に見える。
 このような春実の一面を、谷崎は始めて見せられた。感慨もひとしおである。
 まるで杖が頼られているのではなくて、杖に老人が付属しているようにすら見える。
「啓三君に用があるのよ」
 街の尊敬を一身に集めているこの老人に敬語を使わないのを興味深い目で見る。

「ああそうかい、副院長室におるよ」
「わかったわ」
 短く答えるとエレベーターのボタンを押した。
 老人がいなくなったところで、疑問に思ったことを雇い主にぶつけてみる。
「先生とびっこ先生は、ご懇意にされているのですか?」
「啓三たちとはきょうだいみたいにして育ったからね」
 春実は遠い目をした。
 この人にも少女時代があったのだなと当たり前のような感想を漏らした。
「どうしたのよ、不思議かしら? 私にも子供時代はあったんだからね。この大きさじゃ子宮を破っちゃうでしょう?」
―――なんて鋭い!
 谷崎は心臓を剣で貫かれたような気がした。話題を元に戻して逃げることにする。
「びっこ先生って昔からのあだ名なんでしょうか?」
「あれはねえ、若いころからそうだって話よ。なんでも戦傷らしいわ。南方らしいわ。でもそのおかげで帰還できたって哀しげに言っていたわ」
「哀しげに?」
「自分だけが助かったって、いつも陽気な先生が泣いてたっけ。お酒を呑んだときにはね」
 
 浅瀬からいくらばかりか、深い海を臨んだような気がする。自分は、財前春実という人間について何も知らないと思いしらされた。
 しかし、もっと不思議だったのは、殺された孫の話に言及しなかったことだ。それほどまでに深い間柄ならば、いや、他人どうしであっても定番の挨拶ぐらいあってもおかしくはない。
 いや、深い間柄なればこそ、ということもありえるかもしれぬ。

 そんなことを考えているうちに副院長室に到着した。春実は、ノックもせずに部屋に入っていく。

「誰だ!?ノックもせずに ―――うん、春実か?」
 始めてみる次期『領主』は、かなりの美男だと谷崎は思った。ハンサムという言葉から連想される語感ほどに冷たい印象はない。むしろ、美男という古くさい言葉の方が、この男性には等しいと思われた。その証拠に、論文を眺める難しそうな顔からも、仄かな優しさが漂ってくる。
 春実は、それをさらに和らげるように、机の上に腰を掛けた。二人が相当に懇意であることがわかる。
 難しい顔が春実を見つけると一変する。しかし、すこしばかり顔を赤らめると。わざと機嫌の悪さを演出する。

「何のようだ」
「ヤボ用よ、谷崎君、悪いけど席を ―――」
「わかりました」
「おい、悪いだろう、お前の従僕じゃあるまいし ――お茶でも」
「秘書よ」
 春実はまったく悪びれない。
「私はいいですよ」
「よくないって、安斎くん」
「はい」
 入室してきたのは和服が似合いそうな若い女性だった。清楚な仕草が谷崎の嗅覚を刺激する。
 谷崎は、その女性に連れられて隣室へと消えていった。

 彼を見送ると、春実は態度を一変させた。
「啓三、私は、許せないのよ、あの夏枝を!」
 まるで英語のシンタックスを日本文に移し替えたような言い方は、春実のどんな内面を暗示しているのか、啓三は計りかねた。
「今、思いだしても腹が立つ!」
 夏枝主催のパーティで発見してしまったのだ、こともあろうに、彼女と学校を出たばかりの若い医師が逢瀬をしているのを。
 いくら春実を信頼している啓三であっても、彼女からの伝聞だったら俄には信じなかったかもしれない。しかしながら、その現場に彼じしんが居合わせたとしたら。

「なあ、もしもオレがそこにいなかったとしたら、伝えたか」
「当たり前でしょう?」
「・・・・・・・・・・」
 啓三は、すぐには返答しかねた。
「お前が怒っても仕方ないだろう」
「そんなことはないわよ、私は一番の親友に裏切られたのよ、私は!!」
「お前、まさか ―――」
 気が付いたときには、親友の美貌が目の前にあった。こんなに間近に見るのは幼少期いらいである。当時は3人で一緒に寝たものだ。夏枝のそそのかしによって、啓三の寝顔にキスしたこともある。
 それから、しばらくそのことで脅迫されつづけたものだ。
 後で、建造にばれて、こっぴどく叱られたものだった。悪の計画は潰えたというわけである。
 思えば、あの老人が怒った姿を見たのはその場面が最後だった。
 しかし、今の春実にはそのようなノスタルジーに満ちた子供時代などは、思い返す気にもならない。
 
 愛おしい人に唇を重ねようとして、身体を寄せたが、意を決したように背中を彼に向けた。
「・・・・・・・・・・」
啓三はその続きを音声にすることができなかった。何よりも、彼女のプライドを護ろうとしたのである。 もう過去は戻らない。
「啓三、何も言わずに私の計画にうんと言ってちょうだい」
「計画? 何のための!?」
「夏枝に復讐するためよ!!」
「・・・・・・・・!?」
「これを見てちょうだい、国選弁護人として、私は選出されたの」
「君が、国選かい?え?!」
 啓三は、心底驚いた。胃の底が抜けるかと思った。それな何あろう、左石陽蔵の弁護依頼の書類だったのである。
「お前、これを承けるつもりだったのか?」
「まさか」
 春実は息をついて、再び口を開いた。
「下の書類を見て」
「何? あいつに娘がいたのか、三歳?」
「そこの愛児院にいるわ。その名前に憶えはない? それで、私は弁護士なのよね」
 
 二つの文章はまるで関連性がないと思われた。しかし、啓三と春実の身分を知っている人間ならばその隠された意味を推測できるはずである。
「夏枝は、娘が欲しいって泣き叫んでいたわね。もう自分は子供が産めないからって、もうひとり娘が欲しいって ――――忘れないでね、私は弁護士なのよ」
 春実は、悪魔的な微笑を浮かべた。この時、彼女は、これから自分が行うはかりごとによって、どれほどの重荷を背負うのか、激しい憎しみのために未来を想像すらできない状況に陥っていた、この人並み外れて知的な女性が。







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『マザーエルザの物語・終章 27』
 ちょうどそのころ、5年B組の教室では赤木啓子が入室したところだった。教師に命じられた書類運びという任務を果たし終えようとしていたところである。それを重々しそうな動作で教壇に置いたところ、友人が話しかけてきた。

「赤木さん、あおいのお姉さんが来てたわよ」
「え? 有希江姉さんが!?」

 その驚きと喜びが微妙にブレンドされた表情を見ることは、あおいと言えどなかなか見られる代物ではない。
 かつてよりもクラスに溶け込み始めた啓子だが、そのプライドの高さと高踏ぶりは、彼女を畏れさせるのに十分だった。あおいがいなくては、やはり、双方ともに何処か気まずい想いを否定できるにいるのだった。
 友人に、その表情を見て取ったのか、笑顔を継続しようとしたが、無理に笑顔を作ったために、余計に畏れさせただけだった。
―――――あおいがいなくては、だめなのかしら。

「赤木さん?」
「・・・・・」
 クラスメート同士において、ファーストネームで呼ばないのは、啓子だけである。あおいは当然のようにそのように呼ぶが、他の子たちはやはり敷居が高いと感じるらしい。
「ああ、そうだ。有希江姉さんが来てたのね? そうだ。」
 何時にない落ち着かない足の運びで教室を飛び出すと、何時ものところへと脱兎のごとく走り出した。
「こら、教室では走らない!」とある教師は怒鳴り掛けて、その対象が普段は大人っぽい啓子であることを報されて驚きを隠さなかった。

――――きっと、あおいったら有希江姉ざんに叱られているんだわ。現場を押さえてとっちめてやる!
 まるで3人目の姉になったつもりだった。上履きのゴムが床に突き刺さりそうな勢いで目標まで駈け抜けた。

「あら、啓子ちゃん ――――」
「有希江姉さん ――――」
 角を曲がったところで長い廊下を介して、ふたりは互いを確認し終えた。
「よう」
「また、啓子が何か、しでかしたの?」
 二人の間に通わされる空気は、一種特有のものがある。それはかつてのあおいさえ入れそうにないくらいに壁が厚い空間だった。

「ああ、忘れ物さ、それもこの子が忘れそうにないものなのよ。驚きよね」
 有希江は、あおいの肩に手を回した。思わず身体を硬くするが、それは啓子には伝わらない。今、彼女はそれどころではないのである。
「何を忘れたの?」
 その口調は、とうてい年上に対して行われるニュアンスではない。何か、同胞に対するような、もっと違った見方をすれば年下に対する態度にも見られかねない。
 もしも、この学校で彼女にそのような態度をする学園生がいたならば、よほどの勇気の持ち主である。きっと一睨みされて、退散してしまうのが関の山だろう。
 一方、有希江にしても、不思議な感覚をこの少女から受け取っていた。「姉さん」と呼ばれても、何故か妹のように感じない。
 じっさいに妹ではないのだから、当然だと思われるかもしれない。だが、それは違う。姉妹のような深い親愛の関係を保ちながら、さいしょから、それは上下の関係ではなかった。目と目が合った瞬間から、深い信頼の情を感じ取った。まるで、すべてを受け止めてくれる大海のような錯覚を有希江は見たのである。当時は、さすがにプライドの高い有希江のこと、混乱したことは言うまでもない。それは、今でも継続中である。
 
 それを追い払うように、有希江は口を開いた。
「この子、コレを忘れたのよ、こともあろうにね」
「ァ」
 小さく叫び声を上げたあおいから弁当箱を奪い取ると、あおいの頭を軽く叩いたのである。
 いたずらっ子ぽく笑う姉の顔は、少女に衝撃を与えた。
―――私よりも、好きなの?
 どうして、「かわいい」と思わなかったのだろうか? その答えはこの世界の誰も出すことができないだろう。本人ですら、この時点では解答の伏線すら得ていない。
 「好き」と「かわいい」ではニュアンスという点において重要な相違が存在するのだ。両者には大海が横たわっていると言って良い。地図的な立場から睥睨すれば、海峡程度の差異しかないように見えるが、いちど、着水してみればその広さが確認できるはずだ。
 英仏海峡を思いだしてほしい。地図上からすれば今にも互いに触れてしまいそうな距離にあるが、じっさいに泳ぐとなれば話は別になるだろう。
 さて、小学生と高校生。たがが4,5年の違いになるが、30歳と35歳の違いとは、自ずから性格が異なる。その両者に間に横たわる海峡には、英仏海峡ほどの差異もないとすら見受けられる。すこしでも、手を伸ばせば触れてしまうほどに近い。あおいは、そんな両者に嫉妬した。啓子だけにではない。有希江に、もである。
「あおい、何を狐に摘まれたような顔をしているのよ、初等部には狐なんていたっけ、姉ちゃんがいたころにはいなかったわ」
 かつてと変わらない表情を見せる有希江。あおいは、どうやって返したらわからずに、いっしゅんだけ戸惑ったが、すぐに、過去のテープを巻き戻してみた。

「・・・・・・・・・・・それって何十年まえ・・・です、じゃない?」
 カカと笑った姉は、小憎い冗談を言った妹に親愛の情を示した。要するに、妹にガバっと抱きついたのである。端からみれば、仲の良い姉妹それ以外には見えない。しかしながら、啓子はそうは見なかった。あおいの受け答えに何やらふしんなものを見て取ったのである。

―――――あおいちゃん?
 啓子は、とつぜん鳴り始めたチャイムの音に、巨大なダムの門が閉じる光景を思い浮かべた。それが、ギロチンの刃が落ちる映像にも見えたのはどういうわけだろうか。
「有希江姉さん ――」
「何?」
 有希江の笑顔に、啓子は危ういものを感じた。しかし、その具体的な内容を摑むことはできない。その面はゆい思いは、しぜんに少女の顔を曇らせた。
 しかし、その曇りを押し払うように、掌を向けた。まるでその白い輝きがいっきょに天候を好転させるかのように。

「じゃあ、また」
「オッケー」
 有希江は、にこやかに啓子に視線を返した。一方、あおいは、複雑な気持ちをさらなる迷宮へと追い込むだけだった。本来ならば自分に与えられるはずの笑顔が、自分を通り越して啓子へと向かっている。
 ここは本当に、自分が生まれて育った世界なのだろうか。何かの弾みで別の世界へと足を踏み入れてしまったのではないだろうか。あるいは、自分はここにいない人間なのかもしれない。単なる造物主の錯覚か思い違いにすぎないのかもしれない。
 もしも、かれが正気を取り戻した暁には、正真正銘消え失せることになる。みんなの記憶からも消え去っていくことだろう。榊あおいなどという人間は、最初からいなかったことになるのだ。
 となれば、いじめられている今の状況は、まだしも幸福だと言えるのかもしれない。あおいは、神さまが正気を取り戻すことを怖れた。いや、もっと言うならば、意識を失ってほしかった。そうすれば、元の世界に戻れるかもしれない。あの幸せな日々に居を戻せるかもしれない。
 
 股間の中に残された異物のことも忘れて、あおいは夢想の世界へと翼をはためかせていた。それを現実の世界へと引き戻したのは、啓子の一撃だった。
肩を軽く叩いただけである。
「ほら、何してるのよ、もうすぐ授業だよ」
「ぁひい・・・・」
「あおい?」
 啓子は、もちろん、元気のないあおいに喝を与えるために行ったのだ。
 しかし、それはあおいの身体に埋め込まれたバイブレータのスイッチをオンにするだけだった。もちろん、じっさいにそのおぞましい機械が仕込まれているわけではない。有希江は望むだろうが、少女の肩にそのボタンが設置されているわけでもない。身体に与える微弱な刺激があおいの股間を直撃し、内部のものを密かに、攪拌したのである。

「ぁあああう・・・・・・・」
 ほんらいならば、存在しない神経に少女は困惑させられた。ここには、啓子がいる。そして、教師や学園生が廊下を歩いている。
 ここは公的なばしょであり、着用している制服は彼らにそれを暗に命じている。それは当然のことながら、自分にも当てはまるはずだ。それなのに、厳粛であるべき学校で、自分はこんなハレンチな感覚に呻いている。あおいは消えたくなった。さきほどの思いを否定するような結論。自分はどんなにいじめられることになっても、存在していたい、生きていたいと希ったわけではなかったか。
 
 足をふらつかせながら、教室へと向かう。その間、啓子と何を話したのかよく憶えていない。彼女が弁当を忘れて、有希江に持ってこさせたことを、啓子に笑われていたらしい。彼女の罪のない笑声が耳にこびりついている。
 これまで、なんども振りかけられた友情と諧謔に満ちた耳に心地よい声であった。 
 しかし、今となっては股間の異物を震わせる声や足音たちと変わらない。けたたましい児童たちの笑顔や声、それに足音は、あおいを脅かす。それらは、束となって少女の幼い官能を刺激する。
 そして、そのひとつひとつにいちいち反応してはビクつく。啓子は、その様子を訝しげに見ながらも何も出来ずに自分の無力さを実感させられるのだった。それを打ち消すために、少女が行ったことは、あおいにイライラをぶつけることだった。親友がどんなにヒドイ目にあっているのか知らない少女は、容赦なく振り上げた木刀を打ち据えるのだった。

「いい加減にしなさいよ! 聞いているの?!」
「うるさいなあ、具合が悪いの! 見ててわからないの!」
 あおいは、残されたエネルギーを駆使して、かつて持っていた元気を見せつけようとした。啓子は、それを見抜けずにかまえて承けようとする。
「じゃあ、コレは要らないよね、私が食べてあげる!」
「ぁ、何を!?」
 あらよあらよと、言ううちにあおいが持っていた弁当を、啓子は奪ってしまった。あおいは必死に手を伸ばすが、取られまいと弁当を振るので摑めない。掌の珠を奪われた怒りを爆発させて奪い返そうとするが、その動きが自らの股間を直撃した。

「ッゥアアア・・・・あう」
「あおいちゃん?」
 人の痛みを知るというのは、本質的には不可能である。しかし、それをしたいと思うのは、心ある人間の悲しい性質である。我に帰ってた啓子は、卵を割らずに黄身を手に取ろうとしていた。もどかしい思いに苛立ち、その持って行きようのないエネルギーを、啓子もまた、あおいの官能に似た振動に身を悶えさせるのだった。

 

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『由加里 76』
「はあ、はあ、はあ」
 由加里は、淡い呻き声を上げた。別の言い方をすれば、深い森に燦然と突き刺さる木漏れ日のように見えたと表現すべきかもしれない。しかし、それは加害者にしか通用しない。  
 暗室の中で、外から侵入してくる外灯によって辛うじて照らし出されている少女の姿は、囚われの女神を思わせた。古代ギリシア人は、有名な女神デメテールの娘、ペルセフォネにその原型を見ていたのだろうか。きっと敵方に囚われたお姫様のような存在があったにちがいない。それを神話の人物に重ね合わせたにちがいないのだ。

 冥界の王であるハデスに囚われた女神は、拉致された挙げ句、彼の妻に成りはてた。古代ギリシアは完全な男性優位の世界である。妻は夫の完全支配下にある。女性の立場から、婚姻を言い換えれば、奴隷―――ということである。   
 すると、由加里も永久に、この迷宮にも似た巨大病院に閉じこめられて、この可南子の所有物にされてしまうのだろうか。
 可南子は、自分の爪に悪魔的に美しい弧を描かかせると、由加里の頬を軽く抓らせた。そして、教室のいじめっこよろしく、低俗な声帯を震わせる。
「知ってる? 由加里ちゃん、ここは公的な場所なのよ」
「・・・・・・・ウウ」
 由加里は、羞恥心のせいで顔が腫れ上がっているにもかかわらず、それを外部から保護できないもどかしさに身をよじった。唯一自由な右手は、彼女じしんによって抽出された愛液によって濡れている上に、可南子によって囚われている。
 可南子の言葉を理解するどころではない。しかし、押し黙っている由加里に、安住の地を与えるほどに、可南子は人間ができているわけではない。

「こんなところで、オナニーができるなんて、なんて恥知らずな女の子かしら?」
 いままで、自分がしてきたことを棚に上げて、可南子は傲然と言い放つ。言葉の持つ残酷な暴力によって、少女の心をも支配し、絡め取ろうとする。
「ウウ・ウ・・ウ・、もう、もう、ユルシテください」
 自分でも気づかないうちに、摩天楼のように高いプライドを育んでいる由加里である。意識されない感情ほどに始末のおけないものはない。それは洗練されないままに、少女の心の周辺にて、密かに勢力を拡大させていた。
 ユングが言うように、洗練の反対語は原始だが、原始的であればあるほどに、そのエネルギーは甚大であり、爆発したときの被害は想像を越えるものがある。
 可南子は、今にも壊れそうな美少女に一刻の猶予も与えない。まるで自分のコーヒーカップを手に取るような仕草で、少女の股間を摑んだのである。それがあたかも当たり前のように起こったので、少女は身構えることもできなかった。

「あ、アァウゥ・・・・・ヒイ」
 情け容赦のない指によって、女性の大事な部分を人質に取られると、由加里は、まさに冥界へと引きずられていった。ちょうど、ハデスに囚われたペルセフォネのように・・・・・・・・・・・。
 未成熟な秘肉は、無理矢理に成熟させられる。ちょうど早生の果実に成長ホルモンを注射するようなものだ。暴力的に少女の性と自尊心とを同時に鷲摑みにされる。
 いつの間にか、少女は可南子の膝の上に乗せられていた。まるで、赤ん坊のように大腿をあられもない格好で広げた格好で固定され、陵辱される。
 自由になるのが右手だけという重傷を負っている上に、自分よりもはるかに目方が大きな可南子に身体を支配されているのだ。
 そもそも看護婦という仕事は重労働である。それを乗り越えてきた可南子に、健康な由加里であっても、簡単に与し抱かれてしまうだろう。
 それが、包帯だらけの少女に為す術などあろうはずがない。

「いくら、気持ちよくっても、ここは病院でしかも夜なのよ、今は。忘れてた?」
 まるで、小さな娘をあやすような口ぶりと手つきで、とてつもなく残酷な行為が行われた。
「あぐう・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 手近にあったスリッパが由加里の小さな口に突っ込まれたのである。食用ではない塩の味が口の中に広がる。それは食用油の代わりにベンジンを使って作った料理を無理矢理に、食べさせられるようなものである。
 少女にとってみれば、挿入されたというよりも、逆に、口をもぎとられてしまったと表現するほうがしっくりくる。
「むぐ、むむ、むぐ・・・ぐぐ」
 ちょうど、それは猿轡のようになって少女から言語の自由を奪う。
「あなたなんて、ほとんど動物みたいなものだから、声なんていらないよね、外科の先生に頼んで声帯とか切除してもらおうか?」
「うむ、むぐ、ぎう・・・・ぐ・・ぐ・・・ウググむぐ!?」
 
 可南子の発言はあまりにも非現実的なのに、股間を襲う刺激と相まって、この暗い病室と悪魔的な看護婦というシチュエーションは、由加里の現実感覚を激しく失わせていた。今にも、手術されてしまいそうな錯覚に襲われたのである。その恐怖は、口の端からこぼれる夥しい唾液からも推量できる。

「あらま、ヨダレ? 本当に犬以下ね、由加里チャンは? ふふふ」
「むぐ・・・・・むぐ・・ぐぐぐぐう・・・むぐむぐ」
 可南子は、しかし、由加里の瞳から零れる涙には意識をフォーカスさせなかった。それは何よりも、少女が人並み以上の羞恥心とプライドを兼ねそろえていることの証拠ではなかったか。
 長い睫を涙で濡れそぼらせて、水晶の輝きで、可南子にせめてもの抵抗をみせているのに ―――由加里としてはつもりだったが、精神がナイロンザイルで構成されている可南子に通じるはずがなかった。
「今日はねえ、いやらしい由加里チャンために特別なものを用意したのよ、触れてゴラン」
 年甲斐もなく子供のような仕草で、少女を揶揄する。しかし、当の由加里にはそれを指摘する余裕などあるあわけがない。しかも、次の瞬間に触れさせられたものに、少女は心の奥底から驚愕した。
 可南子は、自らの股間を触れさせたのである。

「・・・・・・・!?」
 由加里は掌の神経が受け取った情報をそのままでは、とうてい受け取ることが出来なかった。彼女の想像を絶するものがそこにあったのである。

 そこには何か硬い物が佇立していた。
 
 しかし、もっと言えば、少女の内面に十分関係することだったのである。

 Is she a man?

 中一でも理解できそうな英語が少女の脳を駆けめぐる。ここで、男のものという発想が一番に浮かんだのは、鋳崎はるかの功績だろう。小説家訓練という名の調教によって、少女は自らが想像する以上に、官能的な概念に反応するようになっていたのである。可南子としてはこづかいの一銭ぐらい、喜んではずむべきであろう。
 由加里は、その情報を自分の精神になじませるのにそうとうな時間を必要とした。

 可南子としては、出会ったこともない娘のクラスメートのことなど、とうぜんのことながら髪の毛の先ほども考えなかった。ただ、目の前のエモノを手に入れるだけである。

 由加里はとつぜん顔面に起こった衝撃に顔を顰めた。

「え?」
「ふふ、なんてカオするの? いったい、何を想像していたのかしら?」
 可南子は、今の今まで股間に仕込んでいたものを由加里の鼻先に押し当てていた。上品にまっすぐ通った鼻筋が無惨に歪む。硬質ゴムのねっとりとした感触は、少女の神経を多いに逆撫でる。
「・・・・・・・・・・・・・・!?」
 由加里は、かつて、それを見たことがあった。はるかに読まされた成人コミックの中に、似た描写を思いだしたのである。
 それは女性同士の性行為を助ける器具だった。まるで双頭の蛇のようにおぞましい亀の頭がニョキっと顔を除かせている。そして、腰に装着するためのベルトは生物の手足を思い起こさせて、少女の神経をさらに逆撫でるのだった。

「うぐぐ・・・」
由加里の小さな口から、スリッパが引きずり出される。エイリアンの開口を彷彿とさせた。まさに、汗とヨダレの狂演である。
「何を、想像していたの?」
 可南子のこえは静かの海のように穏やかだったが、同時に由加里の心の奥底まで見透かしたような凄みを潜ませていた。
「な、なんでもないです・・・・・・・・・・ウグウググ!?」
 不意に襲ってきた股間の衝撃に、不自由な身体をよじらせる。そのようすは、赤子の蛇が卵の殻を破って出てくるさまに見えた。その初々しさに思わずゆがんだ性欲に身を焦がす可南子だった。
「もう、予習済みってわけね。本当にどうしようもないインラン娘だこと!ゲンメツだわ!」
 可南子の方ではそのように言っておきながら、その実、飢餓寸前のライオンのように食欲の満ちたヨダレを垂れ流しているのである。何匹もの草食動物を裂いたと思われる汚れた牙は、すこしでも触れたならば、得体の知れない病原菌に感染するようなおぞましさを有していた。

「もういちど、聞くわ。何を想像していたの?」
―――フタナリ。
 それは口の端にのぼせるのも憚られた。記憶の検索の結果、何の因果か導きだされた単語に、由加里としては吐き気を止めることが出来なかった。できることならば、永遠に忘却の河に流してやりたいくらいだ。
 しかし、それが杞憂であることは後になってわかる。なぜならば、可南子はその単語を知らなかったのである。もしも知っていたら、これ以上、痛い目にあわずに済んだかもしれない。

「私は、訊いているのよ!」
「ヒグウ!? 痛い!!」
 爪を伸ばした指が由加里のハマグリをひねリ潰したのである。悲鳴と同時に、急流のような涙が飛び出た。
 由加里は、ほうぼうのていでやっと口を開いた。
「ふ、ふたなりです、ウウウ・・・ウ・ウ・・ウ・・ウウ!?」
 自分が口走ってしまったおぞましい言葉に、自己嫌悪の沼に沈んでいく由加里。少女の白い足が囚われていく。底なし沼はたおやかな足首をかみ砕こうと頭を擡げていた。
 しかし、足は、意外と硬い底に驚いていた。
「ふたなり? それ何のこと?」
 可南子はきょととんとした顔をした。意外だった。この人でもこんな顔をすることがあるんだと、由加里は思った。悪魔のような可南子でも、ふと気を抜いた瞬間に優しげな表情を見せる。人間とはなんだろうと思ったりもする。それは照美やはるかに対する篤い想いとはまたちがう感覚に身を焦がすのだった。そのために、すぐに悪魔が擡げ始めたことに気づいていなかった。

「ぐたいてきに、教えてくれないかなあ?」
「・・・・・・・・」
 完全に素人女優の演技にしか見えなかった。やさしさを装った、あまりにも見え透いた、あえて言うならば悪意が剥き出しの天使以外の何ものにも見えない。
「到らぬ身なので、わからないな、お姉さんにわかるように説明してくれないかな」
「ァ・・・・あ・・・。」
 激しく叱責されるよりも何倍もの恐怖を憶えた。だから、それが運動神経のはたらきを阻害していたのである。それを見抜いていた可南子は別の作戦に出ることにした。
「由加里ちゃんが、フタナリって好きなの?」
「す、好きというよりも・・・・・」
「好きというよりも?」
 まるで往年の刑事ドラマの主人公のように、鸚鵡替えしにする。海中にあるトイレットペパーを摑みとるような注意力をもって、由加里を包み込む。
「・・・怖い」
「怖いというより?」
 可南子は、少女の脳裏をほぼ読み取っていた。倍以上の年齢差とは埋められないものだろうか。
「おもしろいと・・・・おもいました」
 思わずホンネが出てしまった。妖女の罠に捕まってしまったのだ。巨大な女郎蜘蛛が目の前で糸を吐き出している。
「それがあまりにおもしろかったのね?」
 それとは性的な何かを暗示していることは確かだった。だから、ここぞと責め立てているのである。自分の好奇心の命ずるままに、108センチの舌をゆらゆらと空中を這わせ、尻から銀色にぬらめく糸を吐き出す。

「ところで、それって何かしら?由加里ちゃんが大好きなそれって?」
 いつの間にか「大好き」に変わってしまっている。しかし、少女はそれには気づかない。
「はい・・・・」
「そう、大好きなのね」
 もはや、遅い。既に、可南子の手練手管に囚われてしまっているのだ。
「そ、そんな・・・・」
「それって何なの?! 答えなさいよ!!」
「ハアアグウ・・・・ヒイ!?」
 植木バサミが少女の性器に突っ込まれた。柔の次には剛である。完全に、可南子は少女を翻弄していた。彼女がそのことに気づかないぐらいに。
「お、女の子なのに、お・・・・・がついている・・・・ウグ・・!?」
「何がついているの?!」
 ハサミの柄に幾らか圧力を加えた。
「お、おちんちんです!!」
 ついに、自分の中の蓋を開けてしまった。パンドラの箱を。
 
 しかし、その箱は下向きに開いていた、なぜか・・・・・・・・・・・。

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『マザーエルザの物語・終章 26』
 ここは、5年B組の教室。依然としてあおいの行動が波紋を呼んでいる。啓子は、親友の変容にどうやって対応したらいいのか、戸惑っていた。そして、クラスメートは二人を嵐の中心として、ただそれが過ぎ去るのを見守ることしかできない。
 ここにいる誰しもが時間の停止を確信した。空気の分子の運動にいたるまですべてが静止し、何時になろうとも昼休みはおろか夜のとばりさえ降りないとさえ思われた。

  しかし、嵐を止める魔法の杖を持っている魔女はいきなりやってきた。

「ごきげんよう、私は榊あおいの姉だけど、妹はいるかしら?」
 有希江の挨拶は別に奇をてらったところは見受けられず、用件をそのまま言葉に表現しただけのことだった。しかし、その言葉はあおいに相当の衝撃を与えるだけの力を持っていたことは事実である。
 もちろん、そのことは彼女だけに通じることで、クラスメートたちにとってみれば、用件以上の意味があるわけではない。それは当然のことであろう。だが、あおいは、それに必要以上に怯えているのだ。
 しかし、一方で、前もってこの事態を覚悟しているようにも見えた。

 唯々諾々と従うその姿は、けっして青天の霹靂というわけではなかった。
 クラスメートは、しかし、過去の歴史から、それをよくあることだと受け止めていたのである。なぜならば、悪さをしたらしいあおいが姉に首根っこを摑まれ、連行される場面を何度も目撃してきたのである。その時も、もちろん家族であるという理由と、彼女個人に対する普遍的な信用から、通行証を貰っていたのである。
 だから、今回もいつものことだと高をくくっていたのだ。

「あおいちゃん、顔色が悪いようだけど?」
「・・・・・・・・・・・」
 廊下を歩きながら、姉を見上げるあおい。自分の足で歩きながら自分の足で歩いているような気がしない。まるでベルトコンベアに乗っているかのようだ。ちなみにその末路は言うまでもなく地獄のことだ。
「おかしいわね、どうしちゃったの?」
「・・・・・」
 すべての事実を知りながら、有希江は、言葉の鞭をふるい続ける。それに対応できるたけの鎧を用意していない。下半身に起こっている出来事がそれを阻害しているのだ。
―――ああ、もうだめ・・・・・。 
 あおいは、登頂寸前のアルピニストのように息も絶え絶えの状態に陥っていた。姉の歩みに付いていくのが相当にきつい。別に彼女は早歩きをしているわけではない。

「さっさとしなさいね」
「お、おじょうさま・・・!?」
 急に睨みつけられたあおいは、太陽を背にして大鷲にロックオンされた野鼠のように怯えた。逆光のために、大きな翼を広げたその姿は悪魔の影にしか見えないが、ただ怖ろしい目だけが爛々と光っている。
「学校では、姉さんでいいわよ。私のことは有希江姉さんって呼ぶのよ」
「・・・・・・・・・・・」
 有希江は、哀しそうに俯く妹の横顔を見つめた。まさに、肉食獣の獲物を見る目である。その鋭い目つきにはたしかに強い意志が感じられた。何の意思か?一言で表現するならば、所有欲である。目の前のものをしっかりと摑み、我がものとし、絶対に離さないという確信に近い意思のことである。

――――あおいは、いったい、みんなにとって何なの?
 下半身に突き刺さる辛いナイフに苛まれながらも、あおいは、有希江に引きずられるように歩いた。馴染みであるはずの廊下が、まるで刑務所のそれのように見える。
 親しい友人たちや同級生たちが、自分をあらぬ罪で閉じこめ拷問を加える獄吏としか見えなくなった。
 もちろん、啓子だけはそのような範疇から外れるが、その他の者たちは、みんな少女を苛むことを職業にする集団にしか見えなくなっていた。
 ここで職業と表現したのは、個々、個人の意思によってではなく、何やら集団的な思想によって自分を追い込んでいるように思えたからである。
 もちろん、当時のあおいにそれを言語化はおろか、しっかりとした概念にまで組み立てる能力があったとは思えない。だからすべては少女の無意識に描き込まれた断片にすぎない。
 ただ、下半身の秘密を啓子だけには知られたくないと思った。よもや、そういうことで、有希江が脅迫してくるのではないかと考えると、今すぐにでも焼却炉に身を投げ出すような衝動に駆られるのだった。大切な友人たちの目の前で、恥ずかしい姿を晒すのである。想像するだけで身の毛がよだつ。
 少女の肌は鳥肌が立っていた。それを見逃さない有希江ではなかった。

「あおい、本当にどうしたの?」
「・・・・・・・・・!?」
 あおいは、有希江の態度が不思議でたまらなかった。衆人の目があるからかもしれないが、自分が熟知していることを、わざわざ聞いてくるのだ。
――――有希江姉さんがやったことじゃない!?
 有希江に知られないように睨みつけた。その時、彼女の視線は別の処にあったのだ。人間の目は、本人すら気づかないうちにコロコロと何処までも転がっていく。あおいはそれに怯えながら、いちいち気を揉んでいなければならない。本当に、奴隷でしかない自分を再発見して哀しくなった。彼女が何処にいても、首輪と鎖は常に自由を奪い、少女を果てしない煉獄に繋ぐのだった。

―――――こんなことなら、少年院にでも閉じこめられていたほうがましだわ。
 あおいは知らなかったが、10歳という年齢では、かつては教護院と言われていた児童自立視線施設送りになるのが関の山である。
 歯医者だったか、何処かで読んだライトノベルズで読んだ狭い知識だ。
 そのような内容に意識が向かったのは、これからあおいが受ける陵辱から少しでも意識を避ける ――――意識が持つ自己防衛機構が働いたのかもしれぬ。だが、二人の目的地である『相談室』はもうすぐそこである。あの廊下を右に曲がれば ――――、リノリウムの廊下は何処までも白く、壁もそれに負けまいと白を誇っている。あおいは、何故か海の匂いを嗅ぎ取った。家族旅行で行ったハワイのさざなみを聞いた。これもまた防衛機構の作用だろうか。
 その時、あわや溺れようとするあおいを必死の形相で救ってくれたのが、有希江だった。その後、妹を危険な目を合わせた咎によって、母親にビンタを喰らった姉を、涙を流しながら庇ったものだった。母親の機嫌も元に戻って、みんなが事態の深刻さを忘れても、泣いていた。自分の出した涙で溺れそうになったところで、有希江が優しく言った。

「大丈夫だよ、あおいは何も悪くないよ、悪いのは私なんだから ――――」
 恐縮して居所を失った有希江が泣いていた。滅多に泣かない彼女の涙は、本当に美しかった。もしも舐めたら甘い味がするのではないかと、想像した。
 今、有希江の目を見てもそんな涙を発見することはできない。狐のように吊り上がった目にはドライアイを疑ってもいいぐらい表面を潤す分の涙すら見受けられない。
 いつの間にか、あおいは『相談室』に足を踏み入れていた。ドアを潜った記憶がない。

「はやく、ドアを閉めなさい」
「ぁ・・・・・はい」
 静かに命令する有希江に、あおいは従う。そのとき、自らの手で地獄の門を閉めたことに気づいていたであろうか。意識的にはそれを考えるまいとしたにちがいない。しかし、彼女の理性と手を繋いだ無意識は、明かにそれに気づいていた。これから始まるのだ。始まってしまうのだ。
 しかし、せめてもの抵抗、いや、許しを懇願してみた。
「ぁ、お、お願いですから、学校では・・・・・・」
「学校では?」
 わざと微笑を造って薔薇の花を咲かせてみる。それは妹の心をたぶらかすことができるだろうか。いや、そんなことは考えているわけがない。この質素な部屋をすこしばかり飾ってみたくなったのだろう、自分の顔を使って。
「それで、言いつけは護ったのかしら?」
「ハイ・・・・・・・ウ・ウウ・ウ」
 小さく肯いた後、すすり泣きをはじめた妹に、さきほどまで咲かせた花を萎ませた。
「・・・・・・・・・・!?」
 あからさまに不快な顔を見せた有希江に、怯えるあおい。
「じゃあ、おかしいじゃない。学校ではやらない約束ってどうなるのかしら? あなたが進んで ――

――してきたんでしょう?」
「そ、そんな?! 有希江、お姉さ、お嬢様に・・・・命令され・・・ヒ?!」
 言い終わる前に、部屋に乾いた音が響いた。有希江の平手打ちがあおいを襲ったのである。あおいは、あたかも流れる血を押さえるように打たれた頬を押さえる。

 ここは応接室という風に、一般的に言えば通じる部屋である。6畳あまりの部屋に設えられた、それなりのカーペットにそれなりのソファ。いずれも一般的な人間の目から見れば、高級品にちがいはない。ただし、榊家の人間からすれば「質素な」部屋にすぎないのである。有希江は、表面だけ「高級色」を塗りたくった女性の彫刻を睨みつけるとさらに畳み掛けた。
「口答えは許さないわ、ほら、見せてごらんなさいよ」
「ハイ・・・・・ウウ・ウ・ウ・ウ・ウ・ウ!!」
 氷雨と書いて、詩の言葉になるが、氷涙ではどうだろう。
 その冷たさで世界が氷ってしまうのではないかと思われた。あおいは泣きながら、スカートを捲った。
「あーれ? 何でこんな風になっているのかしら?」
 有希江が指摘するまでもなく、あおいの下着は濡れそぼっていた、まるで ―――をしたように。
「おもらしさんでもしちゃったのカナ? あおい赤チャンは?」
「ウウ・ウ・ウ・ウ・ウウウウ・・・ち、ちがいます・・・・ウウ・ウ・ウウ!」
 やっきになって、否定するあおいだったが、その言葉には何処か説得力がない。それもそのはず、自分で信じていないことを人に訴えるのはナンセンスというものである。
「何度、拭ったの?あなたのいやらしくって臭い液を?」
「・・・・・ア・・あ、3回です・・・ウウ・ウ・・・ウ」
 トイレの個室で、そのおぞましい液を拭うのが日常だった。
 
 ここは密室とはいえ、部屋の外には他人がいる。だから、自然と声は低くそして、耳の側で囁くかたちになる。あおいの耳に地獄から響くような声が聞こえる。
「そう、そんなに拭ったの?」
 有希江の息づかいや体温までが、耳を通して伝わってくるようだ。
「もう、許してください、学校では・・・・・・・・・」
「いやだったら、従う必要ないじゃない。こういうのが好きだから従ったんでしょう?」
 泣き続けるあおいの目に、有希江は、視界に入っていない。
 それにも係わらず、姉の顔や表情の細かなところまで手に取るようにわかる。今、いったいどんな顔で自分を責め立てているのか、その時、どのように目が開かれているのか、口がどのように歪んでいるのか、それらすべてがあおいに引き寄せられてくる。いや、それぞれ独自に手がついていて、あおいに摑みかかってくるようだ。

「ほら、誰がスカートを降ろして良いって許可したの?」
「ぁっつ!?痛い?!」
情け容赦なく大腿のもっとも柔らかい部分に有希江の爪が食い込む。あおいは強烈な痛みのために、禁を破って大声を出すところだった。それをすんでの所で防いだのは、このような場面を他人に視られることはとうてい耐えられないことだからである。
 想像を絶する恥ずかしさのために、あおいの顔は林檎になっている。果実ならば赤ければ赤いほどに甘くて上等なのかもしれないが、それが人間の頬ならば、恥辱と屈辱を同時に表していることになる。
 有希江はその林檎をすぐにでももぎ取って食べたくなった。しかし、ここは少しでも様子を見て、言葉で攻めることした。

「これはお漏らしね、あおいちゃん?」
「ち、ちがいます・・・・」
 有希江はほくそ笑んだ。次ぎに言うべきことは決まっている。
「じゃあ、何でこんなことになっているのかな? わかりやすく説明してくれない?」
 少しおどけた風に言ってみた。それは有希江だからこそ恐怖が倍増しになった。これが普段から冗談で生きているような人間では、何処からが本気でそうでないのかわからなくなって、しまいには誰にも相手にされなくなる。
 姉の本性を知っているだけに、あおいは、余計に背筋が寒くなるのだった。
「さあ?」
「・・・・・・・あ、愛液で、濡れています」
 あおいは、かつて有希江に教えられた言葉を鸚鵡替えしにした。何となくそれが恥ずかしい単語だということは推測できたが、それにまつわる具体的なイメージはと聞かれると、ピンと来ないのだった。だからこそ、簡単に言葉があの可愛らしい唇から零れてきたのだ。
「そう? 愛液って何?」
「・・・・・・・・・」
 わかっていることをわざと聞く。これが有希江の攻め方の常套手段である。それを洞察できるあおいだからこそ、そのいやらしさも十分に理解できた。
「お、女の子の、おち、おちんち・・・んを・・・・ウ・・ウウ・ウウをい、弄ると出てくる、え、液です。いやらしいと、た、たくさんでてきます・・・・ウウ・ウ・・・ウウ」
 だからこそ、有希江はこのような言い方も教えたのである。10歳の少女であっても口の出すのが憚られる言葉はそれしか、有希江には思い付かなかった。
「そうなの、あおいちゃんはそんなにいやらしい女の子だから、そんなになっているのね、恥ずかしいコ!? ふふふ」
「ウウ・・ウウウウ・ウ・・・」
 有希江は、自分の言葉にいちいち反応している妹に、いかにも満足そうな笑顔を浮かべた。

「ふふ、そろそろ時間ね ――」
―――え?
あおいはきょとんとした顔で姉を見上げた。
「あれ? 拍子抜けかしら? もっと可愛がってほしかった?」
「そ、そんな、ちがう!?」
 あおいは、赤い顔をさらに火照らせて抗議する。かつての彼女の姿をかいま見ることができて、有希江は頬笑ましい気分になった。どうして、ここで不敬の罪を着せて、罰を与えなかったのか、自分でも説明できない。矛盾する思いに不思議な気分になった。
 目の前の子犬のような存在を本当に恨んでいるのだろうか。それは、おいおい泣きながら床を見つめている。そんな彼女を見ていると、かって当然のように抱いていた感情に持て余すのだった。
 黙って部屋を後にしようとすると ―――――。
「あの、ゆ、有希江おじょうさま・・・・・、まさか、学校終わるまでこのまま」
「そうだ、忘れていたわ、コレ」
 有希江は、あおいの意思を無視して、まったく関係ないことを言った。あおいは頭に軽くぶつけられたものを見て驚いた。本来ならば見慣れているはずのその物体は、数学で言う直方体だった。そして、微かに美味しそうな匂いが漂ってきた。

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『由加里 75』
 しかし、すぐにゆららの視線に気づくとあゆみは、何か重大なことを気づかされたような顔をした。あたかも、出陣寸前の騎士が戦いを前に矛を収めるように、それは重大な決意に見受けられる。戦闘までに、人は相当な精神の高ぶりが必要だろうが、いちど完成形にまで準備できた精神の高揚を鎮めるのは、端で見るよりも大変だろう。ゆららは、その真意を測りかねるようにあゆみの顔をさりげなく見遣った。

「そ、それにしても、はるかったら本当に大人げないわね ――――」
「え?」
 いきなり直球を繰り出されて、ゆららは即座に反応できなかった。
目の前では、死闘が繰り返されている。ただし、それは片方だけに言えることだった。
「ほら、照美、何してるのよ!!」
 怒声がコートに響き渡る。
 はるかの怖ろしい一打を打ちそこねた照美は、珠のような汗を周囲に煌めかせて、天を仰いだ。ここにいるものは、みな、その女神を思わせる美しさに息を呑んだ。しかし、はるかは、自分を奮い立たせて魂を奪われるのを防いだ。
 それは、あたかも己が剣を足に突き刺してまやかしから自分を解放する故事に似ている。

「やる気あるの!?」
 声量豊かに、さらなる怒りをコートに爆発させる。
 まるでホテルにまで聞こえるのではないかと思わせる。発声者からすれば、その声は別に、怒りを表しているわけではない。アスリートの本能がそうさせているだけである。
 しかし、テニスを本気にやっていない身からすれば、それは狂気に身を躍らせた犯罪者にしか見えないである。ちょうど、今、照美の優雅に回転する腰を掠めたボールなどは、とうてい素人が対応できる代物ではない。それでも、どうにか目標に向かって身体を動かすことができたのは、彼女の高い身体能力を裏付ける証拠だとしか言えないだろう。
 しかし、はるかにすればそれは許し難いテニスへの侮辱なのである。そのような才能を持っていながら、遊びでテニスに取り組むのが許せない。だが、そもそもはるかが無理矢理引っ張り出したはずであるが、もはや、少女の記憶の庭に、そのような樹木は植えられていない、当に、伐採されたはずだ。いや、そもそも植えていたことさえ憶えていないかもしれない。

「とりゃあ!!」
「はるか! もう止めなさい!!いい加減になさい!!」
 まるで少女とは思えない雄叫びを上げた瞬間に、あゆみの鶴の一声が、コート獣に編み目模様の闇を作り出した。
 そのとたんに、照美は膝を地面に着地させた。
「はあ、はあ、はあ・・・・・・」
 非常に珍しい光景に、ゆららは目を丸くしていた。

―――あの海崎さんが膝をつくなんて・・・・・・。

 その表現は、暗喩であってもじっさいであっても、この才色兼備の女神には似つかわしくない表現だった。その照美が、膝をコートにつき、肩で息をしている。しかしながら、真珠の汗を、美貌いっぱいに埋める照美の顔は、敗者であっても煌々と輝いていた。

―――同じ、人間なのにこんなにちがうなんて・・・・・・・。

 高田たちにプライドを人間以下の存在にまで貶められ、辱めを受けても、いじめられているという自覚まで忘れて、笑っていた。そんな自分とは天と地の差がある。

 しかし ――――――――――。
 同じ敗北の汗にまみれていても、ゆららよりももっと惨めな状態に置かれている少女が、このとき、同じ時間平面上に ―――――いた。

 言うまでもない西宮由加里である。
 
 ノートパソコンに伏して自分の髪の匂いに鼻腔を犯されながら、夢の世界へと逃げ込んでいた。
 はるかに命じられた小説を書くために、過去の記憶を編み直しているうちに、とつぜんの眠気に襲われたのである。破損した骨や筋肉がその組織を回復するために、脳に眠りの申請を行ったのだろうか。
 由加里は、中学生にしては大人びた外見ながら、その中に多分に幼い部分が人よりも生き残っている。両者のせめぎ合いは、このぐらいの年齢の少年少女にとってみれば日常茶飯事だろうが、この少女を精神を不安定にし、危うくさせているのだった。普通の少年少女よりも両者に揺れる振動の幅が半端ではないのである。
 
 ――――ふふ、可愛らしい。
 
 ひとりの看護婦が薄闇に意味ありげな笑みを浮かべていた。
 似鳥可南子、この病院の看護婦である。
 一主任でありながら、この大病院の看護婦だけでなく、医者連中にまで権力の触手を伸ばしている。それは、彼女が院長の血縁だからである。表向きは、そのような権勢家じみた振る舞いにうつつを抜かすことはないとはいえ、裏では、この病院をこの手アノ手で、操っている。そのことは、この病院に所属する者にとってみれば、言わば、公然の秘密なのである。
 さて、この何処にでもいそうなジャガイモを彷彿とさせる女性は、薄闇が支配する病室にあっては、悪魔的なヴィジョンをオプションとしてタブらせている。もしも、由加里がその気配に感づいてその姿を仰ぎ見ることができたならば ―――――きっと、彼女を悪魔と呼んだことは想像に難くない。
 
 さて、可南子は、物音を立てないように細心の注意を払って由加里に近づいた。
「ウウ・ウ・ウ・ウウ? 」
「?」
 それほど広いとはいえない病室ぜんたいにも、それは響き渡らない音の小ささだった。

―――どんな夢を見ているのかしら?

 可南子は、透明なエナメルの鈍く光る爪で傷をつけないように、少女の額を優しく撫でた。少しでも力を余計に入れたならば、まるでヴェネティアングラスのように、容易に罅がはいってしまいそうだ。

―――可愛らしい。

 きっと、あまりに怖ろしい夢のために、肌が上気しているのだろう。真珠と言うよりは、水晶を液体化したような汗が、少女の肌を潤していた。
 可南子には、3人の娘がいるがその3人全員とひき替えに由加里を貰い受けたくなった。
 それは金貨と銅貨に横たわる価値の差に似ていた。それは、洋の東西を問わずに、何処の地域の何処の歴史時代においても、金貨一枚と銅貨三枚では等価値と見なされたことはないだろう。可南子にとって、そのくらいに、由加里は貴重な存在なのである。

――――ぜひとも手に入れたい!

 可南子は、冷たい肌の下に熱を放出しない炎を燻らせて、邪悪な唄を歌い始めていた。とうぜんのことながら、その唄はメロディラインも歌詞も存在しない。ただ、可南子と彼女を怖れる心だけにしか聞こえない心の唄なのである。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・?!」
 由加里は、氷の鞭を受けて飛び起きた。見上げると、似鳥可南子がにこやかに笑っていた。薄闇の中で、外灯に照らし出された看護婦の顔は、幽霊のように温度がないように見えた。そのあまりの怖ろしさのせいで、全身の血が蒸発してしまった。立ちのぼる生臭い臭気ごしに視る可南子の顔は、さらにすごみをまして、由加里を睨め付けていた。
「どうしたの? 右手を何処に入れているの?」
「・・・・・・・・・?!」
 由加里は、全身の血管に線虫の侵入を許したような気分になった。その醜く蠢く白い虫は、少女のシルクの肌を無惨に食い破り、彼女の魂ごと血管に侵入するのだ。その虫は、可南子の身体から這い出てくるではないか。

「どうしたの? 日本語を忘れたの?」
「え?・・・・・・ぁ?」
 畳み掛けるように言葉の槍を繰り出してくる可南子に、由加里は返答せざるをえなくなってしまった。右手を捜す。しかし、それはすぐには見付からなかった。
「どうしたの? 由加里ちゃん」
「・・・・・・・・・・!?」
 その声は100メートル近く離れた学校から響く輪唱のように聞こえた。子供は天使だと一般に信じられている。それは正義の別名だ。だから、遠くから聞こえるその歌は、正義を代弁しているのだ。それは由加里を告発している。
「・・・・・・・!?」
 ここで、はじめて由加里は自己を取り戻した。彼女に馴染みの世界を取り戻したわけだ。しかしながら、その代償は空前絶後の絶望だったのである。

 手が濡れている。どうしてだろう。重ねて、どうして右手を下着に忍び込ませているのだろう。それらの問いは、少女が誰よりも知っているはずの疑問だった。
「何をしているの? 由加里ちゃん?」
 可南子は、なおも氷の槍を突き刺してくる。それは、唯一健在な右手をめちゃくちゃにしてしまうかもしれない。きっと、それで隠しているはずだ ――――由加里はそう思いたくなった、しかし、彼女が来る前にそれは行われていたのだ。だから、それは自ずから矛盾する。そんなことを由加里が理解できないはずはない。じっとりと濡れる右手は、そのような浅はかな思想をいとも簡単に破砕してしまうのだ。

――――そうだ、私は、やっていたのだ、オナニーを!

「もう、いっかい、聞くわ。何をしていたの? 由加里ちゃんは?」
「お、オナニーです・・・・・・・・・・・・・・・」
 あまりにもあっさりと解答されたので、思わず拍子抜けの気分を味合わされた可南子であるが、ノドから欲しかったものがいきなり目の前に提示された時と同じで、思わず立ち止まっただけである。
 これからは攻勢のみ。別に、開戦の雄叫びを上げるわけではないが、可南子は目の前に横たわるほぼ無抵抗の可憐な少女を自由にできる悦びに、今更ながら身の幸せを噛みしめるのだった。
 しかし、可南子は作家やその志望者たちとちがって、自分の行為を常に達観することができるほどに、知性的あるいは醒めきっているわけではない。まるで青春時代の思いを再びといった風に息込んだ次第である。

「そう、オナニーね?」
「ウウ・・ウ・ウウ?!」
 告白してしまって、後悔しても遅い。たとえ、その追求が非合法でやりすぎだったとしても、いちど供述してしまっては元も子もない。これから生涯、犯罪者扱いされるのである。
 たとえ、後の裁判にて無罪が決定されたとしても、そのレッテルを引き裂かれることはない。一回でも、肌にはり付けらてしまったシールは、その模様を江戸時代の刑罰としての刺繍のように告白者の身体に未来永劫、刻みつけてしまうものである。

 由加里は臍を噬んだ。

 俯いた少女の顔は、まさに死刑執行を宣告された囚人のように青ざめている。しかし、そんな彼女に同情の念を示すほどに、可南子はあまくない、さらに畳み掛けてくる。
「じゃあ、その右手を見せてごらんなさい、是非とも拝みたいわ」
「ウウ・ウ・ウ・ウ・ウウウ?!」
 まるで猫にいたぶられる瀕死の鼠のように、縮こまる由加里。その華奢な身体で、か細い心を守れると本気で思っているのだろうか。ひっしに右腕を硬直させて汚れた手を見せまいとする。

「いいかげんにしなさいね、由加里チャン?」
「・・・・・・・・?!」
 泣きぐずる由加里に業を煮やしたのか、可南子は強引に少女の脇に腕を回した。
「ひっ、痛い!?」
 半身を襲う激痛に思わず、典雅な細面を歪ませる由加里。
「看護婦らしくないことをさせないでくれる?」
「・・・・ウウ?」
 可南子は、身勝手な理屈を少女の整った鼻がしらに突きつける。しかる後に、無理矢理に腕を下着から引きはがす。
「ぁぁ」
 飛び去っていく幸福の天使に追いすがるような目と手で、由加里は、可南子を見た。その顔は一種の壁を形成している。頑としてはねのけるような容赦ないものをそこから感じ取れた。だが、次の瞬間、少女の目の前に展示されたものはそれとはちがう壁だった。可南子は外部に逃げ出すことを禁ずる壁だったが、それは内部への逃亡を禁ずるそれだった。

 由加里の濡れた手。それはぬちゃぬちゃする粘液が糸を引いていた。

 それは、ある意味、鏡だとしか言いようがない。いやらしい由加里の恥ずかしい姿があられもなく目の前に迫っていた。
「ウウ・・ウ・ウウ?」
由加里はこれから受ける陵辱は、これまでとちがうものになることを、無意識のうちに直感していた。

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『マザーエルザの物語・終章 25』
 再び、あおいと啓子がニフィルティラピアという地名を耳にするのは、もうまもなくのことである。しかし、マザーエルザという固有名詞を聞いたのは2度目のことだった。その授業はマザーと呼ばれる修道女の手によって行われる宗教の時間に行われている。
 しかしながら、宗教とは言ってもことさら戒律じみたことを強制するわけでもないし、学校が奉ずるキリスト教アリウス派の信仰を強いるわけでもない。ただ、聖書を通じた物語を通じて、物の道理を教えるだけである。
 言いようによっては、もっと、意地の悪い表現も可能だ。薄い毒を飲まされているということである。精神の発育に準じて、キリスト教精神をやんわりと教え込まされるのだから、そのやり方は頭の良いやり方だと言えるだろう。
 事実、卒業してから改めて洗礼を受ける生徒もいるのである。その割合は、日本のキリスト教信者の割合を考えると、突出した数字なのだ。
 この段階において、あおいと啓子がどれほどキリスト教に毒されているのか、本人ですらわからないだろう。ただ、ふたりの言動からあるいていど、その影響を受けていることは確かだったと思われる。
 ただし、この授業がどれほど与していたのか、やはり、はっきりとしないが・・・・。

「はい、今日は宿題の発表会を行いましょう。そうでしたね、マザーエルザについて調べてくるはずでしたね ――――榊さん」
 浅黒い顔をくしゃくしゃにして、シスターテオドラは定型句を言った。そのとたんに、教室中に罪の薄い笑いが木霊する。そう、その定型句は枕詞のようなもので、その次ぎに榊あおいという固有名詞が並ぶのだ。それはこのクラスの決まり事だった。
 しかし、シスターもクラスメートもいつにないあおいの様子に訝しく思っていた。

「どうしたの? 具合が悪いの?」
「ほら、百合河さん、私の言いたいことはわかりますね」
「はい、私語は禁止です」
「よくできました」
 名指しされた少女は恐縮して答えた。しかし、心配そうな視線を送ることは止めなかった。あおいの足を見ると小刻みに動いている。その証拠にコトコトを音が鳴っている。椅子が唄っているのだ。

――――きっと、熱があるんだよ。

 次ぎに、あおいの第一の親友だと目される啓子に視線を走らせる。彼女はあおいよりも前に座っているために、異常に気づかないようだ。いや気づかないはずはない。敏感な啓子のこと、この教室に漂う微妙な空気を察知しないはずはない。
 この教室に、1デシリットルでもレモンの果樹液を垂らしたら、間髪入れずにその正体を明らかにしてしまいそう。それほどまでに敏感で神経質だと知られていた。あおいが彼女と仲よくなる前は、みんな、怖くて話しかけるのも憚られるほどだった。

―――具合悪そう。
 さらに、あおいを気遣う少女。いや、彼女以外のだれもが心配していた。太陽に比べられるほどに明るかったあおいがどうしたと言うのだろう。大袈裟でなくて何事か恐るべき事が起こるのではないかと、みんな本気で心を砕いたのである。
 だが、そんなことを察知できないシスターテオドラではなかった。
 ただ、規律を信望するあまり、クラスメートの指摘を注意したのである。内心では、それを喜ばないはずはなかった。友愛は、彼女が奉ずる宗教が第一にあげる思想だった。だから、友人への気遣いを喜ばないはずがあろうか。

「榊さんどうしましたか?」
「い、いえ、なんでもないです・・・・・」
 何でもないという顔ではなかった。いつもならほんのりと赤みを帯びた頬は青ざめ、心なしか頬が痩けているとさえ表現できそうだ。あんなにピチピチと生気に満ちていた少女の肌は、病人のそれのように温度を感じさせない。まるで発泡スチロールのようだ。
 しかし、滑らかなその肌は一方で、亀の甲のような美しさを漂わせていた。鼈甲が醸し出す大人の雰囲気は当然のことながら、小学生の子供が出せる空気ではない。シスターは、訝しげに少女の顔を伺うと言った。
「保健室に連れていってもらいなさい、保険委員は誰でしたっけ?」
「はい、私です」
「あ、私が」
「駄目です、赤木さん ――――」

 シスターは啓子を制するように言った。規律をこよなく愛する身として面目躍如の説諭を行ったわけである。親しい友人である啓子が連れて行きたいと思うのは人情であるが、ここは保険委員にまかせるべきだと。その言い分は理路整然としていたので、啓子が口を挟む余白はなかった。
「大丈夫?」
「うん・・・・・」
 伊東俊子は、あおいの言うことを額面通りに受け取るわけにはいかなかった。青白い汗を額に滲ませたその姿は、どうみても正常には見えなかったからだ。しかし、たしかに普通ではなかったが、病気では ――なかったのである。

「ウウ・ウ・、いえ、大丈夫です、先生・・・じゅ、授業を受けさせてください」
 あおいは懇願した。ここで保険医に診察されることだけは何とか避けたかった。幼い少女の自我は、秘密が露見してしまうと思ったのである。 ―――下半身の秘密が・・・・・。テオドラが大人の女性の直感によって、それを見抜いていたのは、大人の女性としてとうぜんの成り行きだった。官能を憶えているとき、女性は変わるものである。
 しかし、それがたった10歳の少女に、それが訪れるとは夢にも思わなかったのである。洞察できなくて当然だ。しかしながら、あるひとつの可能性があった。それならば、納得がいく。さいきんの子は早いと聞く。テオドラはその可能性を見た。

「あおいさん、あなた ――――。ここはたしかに保健室に行ってもらわないといけません」
 ただでさえ、峻厳なシスターの表情がよりいっそう厳しいものになった。あおいには、それが鋼鉄の壁に思えてならない。しかし ――――。
「うううっ!?」
 シスターの手があおいの首に絡まるとカラーごと、身体にめり込んだ。それは少女の主観である。  恐怖に基づいた主観は、ただしい見方を誤らせるものだ。

―――――このことを知られたら終わりだ。学校にいられなくなる!!もう、たいせつなものを失いたくないわ。
 
 あおいは、絶望の空の下で呻いた。もはや舌は味を感じる器官ではなくて、単なる口腔内の異物にしか思えなかった。プラスティックかゴムを咬んでいるいやな感覚が口中に広がる。そして、俄に苦い味も同時に感じた。
 もちろん、それは異物そのものの味ではなくて、自らの唾液そのものが催す味にすぎない。言い換えれば、じぶんじしんを憎悪しているということになる。もちろん、小学生にすぎないあおいに直截的に得た事実を論理的に説明させることはほとんど不可能である。
 ただ、単純に気持ち悪いとしか答えられないだろう。

「せ、せんせい、お、お願いですから・・・・」
「あおい、駄目だよ、先生の言うとおりにしないと ―――」
 いきなり啓子が立ちあがって親友の元に近づいた。両手を握ってみる。なんという手の冷たさだろうか。
 彼女の言いようといい、あおいをいたわる視線といい、絶対に彼女に対する以外では見ることができない表情だった。
 その時である、啓子を驚かせる事件が起こったのは。
「触らないで!」
 
 空気を劈くような声は、すくなくとも、声変わり前の少女のそれではなかった。あるいは過去から響いてくるような声だった。
 その声とともに、あおいの右手が動いたのである。啓子のぬくもりを感じたとたんに、それは動いた。そして、啓子の頬を平手打ちにしていた。

「・・・・・・・・・・け、啓子?!」
 実は殴られた啓子よりもあおいの方が心を乱していた。クラスメートたちは驚いた。あおいの表情は、かつて見たことのある顔でなかった。幽霊のように青ざめた顔に、一筋の涙ができている。その表情はとうてい自分たちを同じ年齢の少女には見えなかった。あきらかい大人の女性がそこにいたのである。
「ぁ、ご、ごめん、啓子ちゃん」

 まるで親友の名を確かめるように言い直す。ふたりの間に悠久の歴史が控えているように見えた。永遠の宇宙が背景になっているように見えた。そこはふたりだけのために神が用意した特別な空間なのか。
「ご、ごめんなさい、大丈夫です・・・・・」
「榊さん ――――」
 シスターが畳み掛けようとしたときに、都合良くチャイムが鳴った。しかしながら、誰にとって都合がいいのか、あおいにとってか?
 少女は、ある人物を思い浮かべて、勝手に怯えていた。それは榊有希江その人である。聖ヘレナ学院、高等部一年生に所属している。
「榊さん、お昼の後でも具合が悪かったら保健室に行くのですよ」 
 半ば投げやりに、言葉の数珠を壊してやや控えめに、教室にばらまいてシスターは教室を後にした。残されたのは、大魚を逃した釣り師のような児童たちだった。
 
 シスターテオドラの足音は時計の秒針に似ていると言う。たしかに、正確無比な音は彼女の性格を暗示している。まるでウォーキングの模範のように前を向いて颯爽と足を運ぶその姿は学園の時計と言われるだけはあった。
 そのシスターがかつての教え子を見つけたのは、螺旋階段に足を踏み込もうとしたときだ。有希江の秀麗な顔が上がってくるところだった。教え子と書いたが、この学園の教諭に名を連ねているかぎり、ほぼ全員が教え子のはずである。
 ただし、有希江は、いや、彼女に限らず榊姉妹は、四人とも何かしらの理由でシスターの脳細胞に刻まれている。どの子もいちど顔を見たら忘れられない。
 長女の徳子は、型どおりの優等生であるが、その型に支配されずに、自らが型になり変わってしまうほどの力量を備えていた。一方、次女の有希江は型破りであるが、型を卒業しているだけの自身を兼ね備えていた。
 シスターが、まず声をかけたわけだが、第一声はまさに彼女らしい言葉だった。「あら、榊さん、ここは初等部ですよ」
 有希江は、形の良い唇を上品に開けると、懐かしげといった風に返事を繰り出した。

「先生、許可はもう取ってあります。家族の話がありますので、母の言付けです」
 シスターは教え子が差し出したものを見て思わず噴き出してしまった。それがあまりにあおいらしかったからである
「あら、あら、榊さんがこの世でもっとも愛するものじゃない。天変地異でも起こりそうね」
――――もう一回、処女懐妊が起こるかもしれませんよ、明日ぐらいに、私のところに告知天使が来られるかもしれません。
 有希江は、冗談を言う相手を心得ている。だからその言葉を呑みこんだ。同じ言葉を彼女が所属するクラブの顧問に漏らしたところ。
「お前、よくこの学園でそんなことが言えるな、時と場所をわきまえろよ」と峻厳な顔で言われたものだ。もっとも、その後押し殺したような笑いに部室が充満したのだが。

「あ、そうだ榊さん ――――」
 有希江が立ち去ろうとしたとき、シスターは彼女の耳に何か囁いた。
「そうですか? いちおう聞いてみますね。そういうことならば、応対室を利用していいですか?父兄ってことで」
「初等部の? わかったわ。担任に言っておくわ」

―――――さすが、オトナの女ね。でもまさかってことがあるから・・・・・・・・・。
 有希江はほくそ笑んだ。昨日の昨日まで、妹の局所を弄んでいたのだ。それが起こったか、起こらなかったのか、知らないはずはない。もっとも、今のこの瞬間に起こるということもじっさい、あり得ない話しではない。
――――ふふふ、告知天使があの子の元にやってきたのかしら?
 まるで、ライトノベルズの題材になりそうなストーリーをフライパンで料理しながら、有希江は、彼女の子供の部分にダンスを踊らせた。
 もうそろそろあおいの教室だ。小学生たちは有希江を見つけると、誰も感嘆の声をあげる。彼女に振り向かない人間は、教師をふくめて誰もいない。
 それに加えて、誰も彼女を単なる学園生としてみなさない。高等部の生徒が初等部に侵入するのは、校則違反のはずなのに、教師の中で、それを指摘するのはシスター以外にいなかった。
 それだけではない、この学園の制服である、古くさいブレザーには、ひときわ大きい十字架がデザインの常識を越えて生地を席巻している。
 それは単なる制服ではない。鎧だ。心と体の内外から、清い心を護るための防具なのである。
一見、制服は、この学校の校風を暗示するように厳格な鎧を纏っている。
 しかし、それだからこそ、この傑出した少女を閉じこめておくには、それは狭すぎるのだ。精神的にも身体的にも十二分に、鎧を突き破るだけのポテンシャルを誇っているのではないか。
 高等部卒業まで二年余り、この段階で見る人にそのような衝撃を与えるだけのものを確かに持っている。有希江はそれだけの少女だった。
 
 ある人物以外にとってみれば、彼女の到着は歓迎すべき事態のはずだった。
 ごく一名を除いて・・・・・・・・・・。
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『由加里 74』
 神崎祐介は物陰で震えていた。事もあろうに、この豪毅な男が由加里の泣き声を聞いて股間を縮み上がらせていたのである。
 はじめ、祐介はいつものように威勢を轟かせるはずだった。誠二と太一郎などという小物は、祐介が一睨みするだけで世界の塵と化すはずだった。しかしながら、ふたりに責め立てられて許しを懇願する少女の声を聞いたとたんに、気を萎えさせてしまったのである。   
 もはや、かつての祐介の勇名は地に落ちたと言ってもいい。ただし、この場に誰もいないのでことさら風潮されることもないが、いちばんそれを許さないのは、祐介自身のプライドなのである。かと言って、いちど縮んでしまったものは簡単なことで復活するものではない。
 まさに、狼は無害な子犬に成りはててしまったということだろうか。
 見えない悪魔に羽交い締めにされているような状態に置かれているわけだが、そんな間にも旧部室内からは、少女のあられもない声が響いてくる。

「ヒィ・・・・・いやぁぁぁァァ」
 まるで、破られる作りたてのシュークリームのように、由加里は、無防備な状態に置かれている。誠二と太一郎のふたりはその柔らかな感触を十二分に楽しんでいる。今、自分たちの行為が歴とした犯罪であることは、もはや、現実認識の何処にも存在しない。ただ、与えられた本能に従って身体を動かしているだけなのだ。
 一方、由加里の視力が捕らえているものは、誠二と太一郎ではなかった。おびただしい涙のせいで著しく妨げられているが、確かに高田と金江とその背後にいる女子の影がはっきりと見えている。いや、それだけではない。

「アハハハ、いやらしい由加里チャンの大好きな男よ」
「男に、こういうことされるのが夢だったんでしょう!? このヘンタイ!!」
 ふたりの少女の声が高々に、由加里がヘンタイであることを宣言する。そして、ふたりの背後にいる女子たちもそれに諸手をあげて賛成する。

 だが、ここにひとつの疑問が生じる。ならばどうして照美とはるかではないのか。
 
 性的ないじめと言えば、ふたりの専売特許だったはずである。ちなみに原崎有紀と似鳥ぴあのはオプションにすぎない。言うなれば付属品ということだ。
 もしかしたら、高田と金江が由加里の性的な部分に手を出してくることは、少女の予想の範囲内だったのかもしれない。彼女らは、少女が嫌がることなら何でも嗅ぎ出すし、そこを容赦なく攻撃してくる。今、少女が何を嫌がっているか、ふたりなら摑んでいるだろう。
 
 それは、照美とはるかの行為とは一線を画するのである。ふたりの中には残酷ないじめの中にも、何か言葉にできない何かが隠されていた。それは単に浅薄な好奇心や嗜虐心から、少女を苛む高田や金江たちとは全く別の世界を形成しているのである。
 それには、サドとマゾの間に発生する特殊な『愛』と称されるものが関係しているのかもしれない。 それは、はるかにさんざん読まされた官能書籍から学ばされたことである。もしかしたら、こういう思いそのものがはるかによる洗脳かもしれない。

――――だけど、照美さんとはるかさんが恋しい!
 由加里は、限界を超える地獄に放り込まれながら思った。半分は彼女が捏造した世界である。

 ここは、2年3組の教室。

 そこは、かつて由加里が夢見た上級生の世界。新しい友人を含めて、新しい国を創造するはずだった。そこには今まで親しかった香奈見たちも当然加わっている。
 しかし、それは次の瞬間、音も立てずに崩れ落ちる。そして、クラスメート、由加里が、将来友人にしようと目論んでいた子たちのことだ、彼女らは手を繋ぐ代わりに笛や黒板消しを持って襲い掛かってくる。手、手、手。彼女らは、由加里を打ち据えるために使っているのだ。それは、あくまで少女と友情を紡ぐための道具だと思っていたのに・・・・・。
 かくて、少女の夢想はシャボン玉のように消え去り、そのかわりに、悪夢のような現実が幕を上げることになった。
 それが、由加里が今、立たされている舞台である。

 この部室は、それが出張でもしているのであろうか。それとも何処であっても由加里をいじめるために天が舞台として提供しようというのか。ならば、時間と時を選ばずに、いじめっ子たちは由加里を苛むことになる。
――――そうだわ、幼稚園でも辱めを受けたのだわ。それもあんな小さな子たちまで使って・・・・・・・・・・。
 あのときは照美でさえ唖然としていた。
 よりによって、彼女を愛しているなどという錯覚に陥ったのだ。
 確かに高田や金江のような連中に比べたら、照美とはるかは、人間として根本的につくりがちがうだろう。しかし、それが何だというのだ。今まで彼女たちにされたことと言えば、・・・・・。
いや、今、彼女が体面しなくてはならないのは、別のことだ。

 塚本誠二と南斗太一郎。
 
 たとえ、ふたりが誰かの操り人形にすぎないとしても、由加里が相手にしなくてはならないのは、この顔のない男子なのである。
 そう思うと自ずからやるべきことはわかってくる。
「イヤ! 離して!!」
「・・・・・・・・・・・!?」
「・・・・・・・・?!」
 由加里が発したエネルギーの発露に、ふたりは戦いた。今の今まで従順な奴隷にすぎなかった少女が反撃をはじめたのである。それは物理的な力によるものではなかったが、ふたりの少年に痛みの錯覚を感じさせるほどに怒気が含まれていたのである。
 だから、彼らは反射的に手を離した。その仕草が何を意味するのかわからなかった。しかしながら、時間を置くとそれが自分たちが元々持っている罪悪感であることに気づいた。思わず我に帰った。そのときに見えたのはそれぞれの母親か父親の肖像だったかもしれない。
「う!?」
「うう?」
 しかし、その像の中心にらんらんと光っていたのは、由加里の瞳だった。
 普段、可愛らしく優しげに光を湛えている目には、あきらかに意思の光が見て取れる。完全に無力なはずの少女にそれが力を与えているのか。涙がその輝きに彩りを添えている。
 本来ならばそれは本人の無力さを象徴するはずなのに、かえって美しさと強さを増す働きを為すとはどういうことだろう。
 誠二と太一郎は、しかし、それを理解するために反芻する余裕すら与えられなかった。背後のドアがものすごい勢いで蹴倒されたのである。年代物とあって、壊れ方は凄まじかった。たいした力が与えられなくても、簡単に壊れたはずだ。
 そんな半壊品を完全に破壊したのが、相当な猛者だったからこそ、その過程は見る人にただならぬ恐怖を与えたのである。

「うぎ!?」
「ぃぐぅあ?」
 少年たちが、何語を使っていようとも、それが意味するところは明らかだった。本能的に身の危険を感じたのである。しかし、それは扉の破壊力の如何に直接関係ない。扉の破壊とほぼ同時に視覚と聴覚によって、得られた情報がこの世で最も恐るべき相手を指し示していたからだ。
 
 神崎祐介。

 子犬は狼に戻ったのである。
 その後、何が起こったのか描写するまでもあるまい。
しかし、特筆しておきたいことがある。それは、いったい何がキーとなってそれが引き起こされたのか。その理由についてである。
 実は由加里の怒気がキーとなって、祐介は本来の自分を取り戻したのだった。
この華奢な少女に何が秘められているのか、それはその場にいた3人には最後まで理解できないことだった。
 だが、もっともそれを理解していないのは西宮由加里そのひとであろう。少女は、自分のことをとるに足らない人間だと思っている。それどころか、この世でもっとも汚らわしい存在とさえ思っている。そして、それが度重なるいじめによって引き起こされた ―――ということに対してさえ、思いが向かわない。
 すべて自分のせいにしているのだ。自分の躰からこの世のものとは思えない悪臭が放たれている。それは、自分の精神が腐っているからであり、本当にどうしようもない人間だからである。そのことは、少女が誰にも愛される資格がないことを同時に表している。

 困ったことに、少女は目の前に提示された方程式を鵜呑みにしてしまったことである。まったく疑義を持たなかった。
 もちろん、方程式を示したのはいじめっ子たちである。
 その瞬間、少女は彼女らの意のままになる奴隷に身を落としたのだった。

 ―――――――消灯?
 由加里は、ノートパソコンの電源を落とすと、窓の外を見遣った。巨大病院を囲うように立ち木が並んでいる。それらは薄闇の中ではどのような樹木なのか、はっきりとしない。ただ、古代の巨大恐竜のような像を晒しているだけである。
 長い首の部分が男子の陰茎を思い起こさせる。それは石膏像のノッペリとした様子を彷彿とさせた。少女の目には、それが彼女じしんの自画像に見えた。何もない、のっぺらぼうな彼女じしん。それはまさに由加里そのものだった。
 そして、明るい方に視線を落とすと、そこにはおあつらえ向きに設置された外灯が一組のカップルを照らし出していた。まるで映画の1シーンのような光景に、少女は理由のない怒りを憶えた。その情景が美しければ美しいほどに灰皿でも投げつけたい気持になっていくのだった。あいにくとここは病院なので、手短に灰皿があるわけでもなく、またそのカップルまでの距離を考えても、少女の筋力によってそれが成功するとはとうてい思えなかった。

―――――いったい、どういう人たちかしら?こんな時間に、門も閉まっているのに・・・・病院関係者かしら? 例えば、医者と看護婦とか・・・・・。
そこまで考えて思わず噴き出してしまった。何て、陳腐な考えなのだろう。少女は。自嘲できる余裕を取り戻したところで、就寝することにした。
 ベッドに仰向けになって目を閉じる。その当たり前の行為がそこはかとない恐怖を帯びていることに気づいた。

――――もしかしたら、明日の朝日が見られないかもしれない・・・・・・ま、それでもいいわ。
 少女は、闇の中に戻っていく。人間は、闇から生まれたのである。だから、寝ることともうひとつの意味は、闇に戻っていくことである。
 ちなみに、それは別名、死とも呼ばれる。
 
 少女は、彼女が心から欲して止まない死にたいして、接吻しながら目を閉じた。


 そのころ、時間的には、いささか、そして空間的にはかなり離れたところで2対のテニスラケットが軽快な音を立てていた。もしも、それを握りしめていれば、幸せを摑めると思っていたのは由加里である。
 その由加里は、その手触りも忘れて死出の旅に発っている。いったいどんな夢を見ているのだろう。ここにいるテニスプレイヤーに知るよしはない。
 鋳崎はるかと鈴木ゆららのふたりが、この一面を独占しているカップルである。言うまでもなくふたりとも同年齢なわけだが、見る人のほとんど、いや、ほぼ全員がそれを言い当てることはないだろう。 はるかは、170センチを優に超えているわけだから、互いの間に横たわる身長差はさることながら、ちょっとした仕草などを見比べてみても、同年齢とはとても見えない。どちらが大人に見えるかは、言及するまでもないだろう。
―――――――。
 力量もあえて言う必要はないだろう。はるかのそれに比べたら、ゆららなどは児戯以下だ。しかし、何とはなしにテニスを楽しんでいることは確かだった。何度も失敗しながら、はるかは声を荒げることもなく、顔を顰めることもない。

「意外ね、あの子に教師の天分があるとは思わなかった」
 ふいに、観客のひとりが声帯を震わせた。そして ――――。
「い、今だけですよ ―――」
 もうひとりの観客の声は、いささか震えている。
―――あいつ、この一ヶ月のストレスを全部、私にぶつけるつもりだわ・・・・・。
 照美は声にならない声で、嘆きの台詞を夜に向かって聞かせた。しかし、いつわりの満月をはじめ、誰も彼女に同情しようとしない。それどころか、誘蛾灯などはコトコトと笑っているように見えた。それは虫たちの死のダンスだったのだが、今の照美にとってはどうでもいいことだった。
並んで座っている観客は2名。
 前者は、西沢あゆみであり、もう片方は海崎照美である。両者の間には10歳ほどの年齢差がある。
 「照美さんは、 ――――」
「あ、ゆららちゃん!」
 あゆみは自分の言葉が切断されたことに腹を立てた風でもなかった。視界に、照美の尻が見えた。その筋肉の付き方は、アスリートのそれとはちがっていたが、たしかにある程度鍛えているのが見て取れた。それに ―――似ている。
 
 あゆみが小さい頃からいつも追いかけていた誰かに酷似しているのだ。
――――――――。
 ふいに襲ってきた夢想から醒めてみると、倒れてしまったゆららを解放しているはるかと照美の姿が見えた。まるで重病人のように苦しい息の下で虫の声を出しているようすだが、べつに病気というわけもでもないらしい。単に、馴れない運動を急にやったために息を切らしてしまった ―――――ということにすぎないだろう。しかし、水分補給は重要だ。夜ということで、昼に比べれば気温は低いが、かならずしもそれが熱中症の必要条件というわけではない。

「水分補給よ ――――」
 あゆみはすくっと立ち上がると、持っていたスポーツドリンクを差し出した。
「さてと、見せてもらいましょうか?」
 それはあゆみの台詞だったことは、照美を驚かせた。
「へ?」
 ゆららを介抱していた照美は、魂を奪われたような顔をした。じっさいに何処かの宇宙に漂っていたい気持になったが、現実世界は彼女を手放そうとはしなかった。

「さ、やるか、あゆみさん、彼女をお願い。ほら、照美、ラケットを早くもってこいよ」
 はるかはこともなげに言う。彼女は、まったく息をしていないようにすら見える。ゆららが相手ならば、はるかにとってみればウオーミングアップにすらならないと見える。これ見よがしに準備運動を始めたのである。
 ゆららは、水分補給を終えると、椅子の上に猫のようにぐちゃとなっていた。しかし、あゆみを認めるとすぐに姿勢を正した。
「あら、いいのよ」
「いえ、いいです」

 可愛らしく会釈を返すゆららを見ながら思った。照美とはるかが普通でない ――――のだと、中2としてはこちらの方が平均に近いのかもしれない。だが、彼女がひときわ幼く見えることは確かだったが、だからこそふたりと比べると失礼ながら小学生に見まごうということもあり得たのである。
「鋳崎さんさすがですね、さっきまでやってたのに」
――――――あいつなら準備運動にもならなかったさ。
 そうは言わなかったが、見えないようにして表情を崩した。
「照美 ――の腕とやらを見せてもらおうか ――」
 ぬかったと思った。ゆららが不思議そうに見ていたからだ。思わず口走ってしまったミスを押し隠すように言葉を続けた。
「ほら、始まる。確かに素人だな、無駄がありすぎる ――――」
 ゆららは、驚いた。照美のサーヴィスは、まるですべての動きが計算され尽くしたかのように美しかったからだ。それにボールが奏でる音は空気を裂くように強烈だったのだ。
―――プロの目にはそう見えるのね。
 少女の胸を涌かせたのは、照美の動き以上にはるかのそれが人間業に見えなかったからだ。もちろん、テレビで世界レベルの選手のプレイを視たことはあるが、それを本当の視力で捕らえるのでは 雲泥の差がある。空気の振動は直接伝わる。それは肌と肌で会話をしているようなものだ。電波を通じて手触りや肌触りまで伝達することはできないだろう。
 まさに感嘆の一言だが、それ以上に少女の胸を突き刺したものがある。それは、西沢あゆみそのものだった。
 彼女が醸し出す空気そのものが常軌を逸していた。その視線は膠着し、手指は心なしか小刻みに震えているではないか。
 

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『マザーエルザの物語・終章 24』
 絵画と人間のやりとりとは真剣な行為である。両者の間に火花が散る。すこしでも気を抜けばとたんに心を奪われてしまう。
 それは、単なる絵の具の塊などではない。もしも真性の絵画ならば心を持っている。それゆえに、人間との関わり合いには自然と心のふれあいをもたらす。それは肉体を持つ人間との、いや、それ以上に真剣な心の鞘当てを必要とされる。
 だから、単に絵画が目の前にあるだけでは体面を意味しない。

 あおいと啓子が、再び井上順の絵画と本質的ないみにおいて体面するのは、かなり先のことである。
 仄かに蘇った記憶も単なる気のせいとして処理された。まだデジャブーという言葉すら知らなかった
ために、記憶にラベルが貼られることすらなかった。未処理というマークを付けられて段ボールの箱に混紡されて、記憶の奥底に放り込まれてしまった。
 やがて、冬休みが終わって三学期が始まると、日常の出来事に悩殺されてさらなる忘却の彼方へと押しやられてしまった。
 啓子の場合はともかく、謂われのない虐待を受けているあおいなぞは、何時か見た名前も知らぬ画家のことを憶えている余裕はなかった。

 しかし、啓子は、いつしか絵画への興味を憶えていた。その画家のことはタンスの上にでも押しやっていたのであるが、教科書の端に落書きをするていどのことははじめていた。いままで完全に美術に興味を持たなかった彼女のことだから、それは革命的な変化であった。
 しかしながら、その変化は美術以外の授業においては歓迎されなかった。
 だから、机上にて、弧を描いてダンスを踊る鉛筆の軌道。
 それが教師から認められないのは当然のことである。

―――――残念ながら、その女教師はそうとうにめざとい視力を持っていたのでした。
 教師は、啓子の机を見とおしながら思った。自分の行為を客観視したのである。一般に言って、作家と言われる人種から趣味で小説を書く人間まで、それは、幅広く見受けれることである。
 阿刀久美子は、聖ヘレナ学院5年B組の担任である。
 久美子は上品な容貌を意地悪そうに歪めて、笑った。とある理由があって、美貌を隠している。何ていうことはない。女性ならば化粧の技術しだいで、そのようなことは、造作もないのだ。
 しかし、子供たちは大人の予想を超えてめざといものである。ちょっとした瞬間の気のゆるみから、見せた横顔の美しさと陽光のフォーメーション。
 それは、100メートル先に飛ぶ蚊を矢で射るような確率で子供たちの目の前に現出した。それは、黄金食の絵画だった。
 
 久美子がそれを見つけたのは、教室の背後から教卓に向かって歩いているときだった。そのとき、算数の小テストの最中だった。久美子は、ある児童の席に視線を走らせた。その子は、テストはすでに終わってしまったらしく。手持ち無沙汰な様子で鼻歌を歌うマネをしていた。
 しかし、それもすぐに飽きたのか、鉛筆に弧を描かせていた。
興味深げに久美子が観察を継続していると、やがて、ある人物のポートレイトができあがっていくのがわかった。

 啓子はテストの隅に絵を描いていたのである。

 久美子は、ある瞬間を捕らえて、少女の肩にエナメルの爪を食い込ませた。もちろん、白いブラウスにかすかな食い込みを造るだけだったが、彼女にとってみれば肩ごと筋肉を食い破られるくらいの衝撃を受けたのかもしれない。
「赤木さん、何を書いているの? おもしろい解答ね」
 もしも、久美子以外の人物がその台詞を吐いたならば、単なる嫌みにしか聞こえないだろう。ただし、彼女が言ったならば凛とした核をその言葉に感じさせるのである。
「・・・・・・・・・・・・・?」
 しかし、この時はそのような色は完全にこの少女から褪せてしまっていた。ただ、驚愕と言いようのない不安だけが彼女を覆っている。
「残念だけど、どちらが解答なのかわからないわよ、だから0点ね、画家さん」
「ぁ」
 少女と好対照の態度が醸し出す空気は、冷静そのものだった。この劇場の客たちは、自分たちが完遂すべきテストのことなど忘れ去ってしまって、一種の寸劇に見入っている。
 
 巻き貝をモティーフにした内装は、一見して、修道院の峻厳さを思い起こさせる。それが私立だとはいえ、とても小学校の一教室とはいえない雰囲気を醸し出している。そんな大道具たちは、ふたりの寸劇にある色合いを提供していた。
「ぁ、じゃないわよ、どちらが解答なの? 0点になりたくなかったら、解答じゃないほうを消して起きなさいね」
「はい・・・・・」
 微かに漂う香水の匂い。少女の知識ではその種類を類推するのでさえ困難だった。
 啓子が、次ぎに見えたのは久美子の後ろ姿だった。少女が自分を見失っている間に、教師の眼中から消え失せていたのである。少なくとも、少女はそう受け取っていた。
 しかし、久美子の脳裏には少女が描いた絵が刻み込まれていた。その絵が少女たちのよく描くアニメ絵でないことは、印象に残った原因のひとつかもしれない。美術は素人の久美子の目からみても、技術的には物足りないものがあったが、たしかに人の顔を人の顔として受け止めていた。

 その絵には、そういう姿勢がよく見て取れた。

―――あの絵は、榊さんじゃなったわよね?!
 たしかに第一印象はあおいそのものだった。しかし、よく見ていると全く違うことがわかった。天に向かって尖った鼻、鋭い目つきはあきらかにどちらとも、あおいのそれではない。だが、久美子に錯覚させる何かをその絵は持っていたのである。
 しかし、そんな素振りも見せずに、ただ一介の教師としてここにいる。それを自分に厳守させることにした。無意識が自分に何をさせようとしているのか、ただ、それを楽しもうとしているだけだ。ちょうどテレビや映画のドラマを楽しむように。
 どのような配慮によって、啓子が存在し、あおいが存在し、そして自分がこの場に立っているのか。それはこの段階の彼女にとって永遠の謎だった。いや、謎ですらなかった。そもそも問題提起すら為されていないのである。
 今はただそれらのことを受け流すことしかできない。

 一方、あおいは、どのようにこの教室に根を生やし芽吹いていたのだろう。
 少女は未だかってない気分を味わっていた。手がすらすらと動くのである。鉛筆が正しい答えを紙の上に記していく。こんなことはあまりなかった。学業などは啓子に頼り切っていたので、ほとんど準備をせずに試験に向かうことしきりだったからだ。しかしながら、今回は違う。
 我ながら不思議だった。これまでの100分の1も自由時間を与えられていないのに、なぜか、あおいの心は学業に向かっていたのだ。そして、元々頭が悪いわけではないぶん、スムーズにその能力が開花しはじめたというわけだ。しかし、そのからくりを当時の少女が知悉していたわけではない。
 ただ、目の前ですらすら動く筆記用具に、驚きを隠せないだけだ。

―――今までとちがう。
 自動的に動く鉛筆を眺めながら、あおいは思った。この教室で無邪気に翼をはためかせていた自分は何処に行ってしまったのだろう。
 いや、翼のありかに気づいたときは、すでに鳥は翼を失っている。当時、少女は自分が翼を持っているなどとは露ほどにも思わなかった。みんなが持たぬ黄金の翼を煌めかせているなどとは、考えもしなかった。しかし、それを失ってみてはじめて、自分が大変に貴重なものを備えていたことを知ったのだ。
 もう飛べない。そう思っただけで不安になる。自分がこのクラスにいるべきではないと思える。まるではじめてこのクラスに入ったかのようだ。寄る辺がいっさいないとはこれほどまでに不安なものか。
 いや、ちがう。ひとりだけあおいが寄る辺だと認識できる人間がいた。

 赤木啓子。

 たしかに、かつてのように無邪気に頼り切れるわけではないが、彼女とは深い絆で結ばれていることがわかる。直截的にその事実を認識できる。しかし、なんだろう、この罪悪感は。
 それまであおいは罪の意識について考えたことはなかった。ただ、親や教師という彼女を圧倒し支配する存在に保護される代償として、彼らの言いつけを護る。もしも、それを破ったときに感じる。それが子供にとっての罪悪感の源である。彼女から積極的にそれを求めることはなかったのである。大人は常に少女の法律の裏付けだった。
 しかし、いま、積極的にそれを感じるのだ。それも啓子に対してだけ。自分がどれほど悪いことを彼女にしたのだろう。
 少女は、大腿をよじった。その制服のよじれは下半身から上半身へとすなおに伝わる。ちなみにこの学校の制服は上から下まで統一されたブレザーである。初等部おいては、デザイン的に早すぎるという意見もあるが伝統の一言で一刀両断されてしまう。まさに伝家の宝刀だ。

 視線は啓子に向かっていた。彼女はいつものようにテストを早めに切り上げてしまったらしく、絵を描いていた。それはあおいの席からも見て取れた。新学期を迎えて、席順が変わったものの、ふたりの間には見えない引力のようなものが働いているのか、そう離れ離れになることはなかった。
啓子などは、冗談めかして言ったものである。
「まさに腐れ縁だね ――――」
 その言葉遣いは、小学5年生にしては大人じみていたので、あおいの耳にはストレートに浸みてこなかった。しかし、啓子の口調や表情から、それが良い意味ではないことぐらいはわかったので、複雑そうな顔をして親友を睨んだのである。

 啓子は、久美子に叱られてケシゴムに手を伸ばしたところだった。あおいが注視していると自ら描いた絵を消そうとしていた。その顔からはいかにも憮然とした表情が見て取れる。
 その時、ケシゴムが転がった。
啓子とあおいの視線がぶつかり合った。前者はばつが悪そうに、そして、後者は驚いて解答用紙を床に落としてしまった。
 突然、辺りが暗くなった。急に夜が来たのかと思った。
 よく見てみると目の前に黒い人々の行列が出来ている。逆光かと思ったがそうではない。夜と昼が逆転したかと思ったがそうではない。頭の上には凶暴な太陽が吠えている。
――――私、こんなところに来ちゃった・・・・・本当によかったのかしら?
 思考が自由にならない。あたかも頭の中にテープがあって、自動再生をしているかのように、考えが流れてくる。
―――――啓子?
 脳裏に映ったのは確かに彼女だった。しかし、口が開かれて発せられた声は、野太い大人の男性のそれだった。
 彼?は激しく罵っていたがあおいはそれを聞き取ることはできなかった。

 少女を現実に戻したのは懐かしい声だった。
「何をしているのかしら? 榊さん?」
―――テストは済んだのかしら? 相当に良い成績を期待していいんでしょうね?
 言葉にならなかった部分は、久美子なりの配慮である。常ならぬ少女の態度が彼女にそうさせたのかもしれない。教室の空気が確かに感染していた。

――私、どうしたのかしら?
 ものすごく短い時間の間に、自分が10年も年をとったような気がした。大人になったような気がした。身体も心も強くたくましくなったような気がしたのである。しかし、久美子の声がした瞬間に10歳の少女に戻ってしまった。
 久美子に促されて、啓子は何事か話していたが、それは確かに少女の声だった。たしかにその年齢に比較すれば大人びた声であったが、いつもの彼女のそれだったことは疑いようもない。



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『由加里 73』
「どうしたの?」
 由加里の剣幕に「お姉さん」は首を窄めた。まるで思いもよらずに熱いやかんに触れたときのように、手を引っ込める。
 少女は泣き続けている。そのようすは梅雨時の鬱陶しい雨音のようだ。
「お姉さん」は困ったような顔をした。
 甘酸っぱい匂いのするこの少女に何の秘密があるというのだろう。
 
 局所を隠そうとするその姿は、たいへん可愛らしく仄かな意地らしささえ見て取れた。白一色だけが支配する殺風景な病院にあって、一輪咲いた可憐な花だった。
 しかし、花びらは溜まった雨水のためにうつむき加減だ。そのために零れた水滴の美しさは、予想外の皮肉というヤツだろう。
 花は、必死に何かを隠している、花弁の奥に眠る秘所を。
 「お姉さん」は同性ならではのカンを働かせた。その瞳には光るものがあった。何事かと見抜いたというかすかな自信が宿っていた。「お姉さん」の見るところ、それは大事なものを護る姿勢ではなかった。何か恥ずかしいものを人の目から避けるような仕草だった。
 「お姉さん」は自分がそれ以上立ち入ってはならない禁猟区に足を踏み入れそうになっていた。そのことに俄に気づいたのである。ふいに優しい気持ちに心が満ちあふれてくるのを感じた。
 しかし、それを表現するためには唯一の方法しかないことにも気づいていた。一言で現ると何もしないこと。それしかなかった。目の前で打ち拉がれてすすり泣く少女にそれができる唯一のたまむけだった。
 ―――私は何も気づいていない。
 そう自分に言い聞かせながら、ナース室へと歩みを早める。
 
 一方、由加里は、掌が火傷しそうになっていた。少女の恥ずかしいトコロは限りなく熱で満たされていた。これ以上触れていたら、火傷で水ぶくれができそうだ。

―――私、照美さんたちに言われるように、本当にいやらしい女の子なんだわ・・・・・・。まったく救いのない反芻に身を委ねながら、自らの掌を見た。そこには納豆のように糸をひく粘液が染みついていた。それから目を背けるために、再び股間に手を這わせる。あたかも少女が直面している現実が、サンタが実在するといった荒唐無稽な嘘だとでも言い張るように。
「イヤ!!」
 小さく脊椎を波打たせると、虐待された鶏のそれに似た声を上げた。
 それは滅びそうな理性へのせめてもの歯止めだった。少なくとも少女にとってみればそのつもりだったのである。
―――だめ、これ以上手を動かしたら、照美さんたちの言うとおりになっちゃう。由加里は普通の女の子だもん。淫乱なんかじゃない!
 しかし、目の前に起こっていることを垣間見ただけで、その思惟に説得力が備わっていないことはあきらかだった。
 少女は、最後の抵抗を試みた。手の筋肉に命じて緊張させることにしたのだ。総指伸筋は、しかし、主人の意思とは正反対の行動に出た。あるいは、主人の意思に素直に従っただけなのかもしれない。それは本人にも永遠に理解できない永遠にあきらかにされない真実である。
 
 神のみぞ知る。

 少女は、自らの性器に指を走らせていた。
―――イヤ! 違う! そんな私はそんな淫乱じゃない!?
 自己矛盾にともなく不快感。そして、快感。
 それは全身の肌を剥ぎ取りたい衝動を伴う。それを防ぐために、あるいは逃亡するためになおさら、 ――――の快感を追う。
怨むならば女性に産まれたことをこそ忌むべきだった。
 しかし、それに気づかずに自分の肩だけに背負わせたのである。その性が本質的に併せ持つ官能への執着は、女性、個人の意思でどうしようもなるものではない。

「ァふう・・・・・ァ・・・いやぁァ」
 風船にマヨネーズを注入したような音が病室中に充満する。
 このとき、由加里の心の中でひとつの葛藤が生じている。責める側と責められる側が同居しているのだ。
 いじめっ子といじめられっ子というわけだ。
 それはいつもの自慰にすぎなかった。ただ、行われる場所が彼女が親しみ育った自室ではなく、囚人のように放り込まれた病室 ―――というだけのことだ。
 この部屋に塗り込まれた白に、少女は裁かれているような錯覚を憶えた。自分の醜い心が刻まれて精査される。細胞のひとつひとつまで、悪の色が逃げ込んでいないか、それこそ、裁判官の目は皿となって、厳格に調べる。
 DNAには、ほとんど使われていない場所がある。そこには、一人の人間の行為すべてが記録されているという。すると、それを開けば、由加里の恥ずかしい行いもすべからく見ることができるというわけだ。

 自慰。

 由加里が逃げ込んだ合法的な麻薬の別名である。
 それは、虐げられた由加里の心が救われるためには、必要最低限の行為なのである。
 その結果、カタルシスを迎えられるわけではない。しかし、溺れると分かっていても手足をバタつかせずにはいられないように、心の平和を求めて虚しい自涜行為に身を委ねなければならない。
 女性の哀しい性だ。
 自分の汗と愛液に溺れながら、由加里は悲しい記憶に心を浸していた。


 ここは、柔道部の旧部室。近いうちに取り壊しが決定されている。かつて、何人の柔道部員が清い汗を流したことだろう。その営々と受け継がれてきた歴史に泥を投げつけている部員がいる。

 約2名。

「な、南斗くん、助けて、お願い」
 由加里は、咄嗟の判断で叫んでいた。仲間割れした片方に手をさしのべる。戦略の基本だが、そんなことは少女の頭の片隅にも存在しない。ただ、女性的な本能にしたがって。救いを求めただけである。
 太一郎は、誠二の行動についていけなくなっていた。良心の呵責に吠えつかれたというよりは、脳下垂体に棲む母親に叱りつけられたのである。
 そう言った方が適当だろう。
 この少年はまだ母親の乳首が恋しいようだ。もしも、彼女が人を殺せと言えば即座に殺すにちがいない。少年の理性とはそれほどまでにひ弱なものだ。母親か父親か知らないが、彼を圧倒する身近な大人によって作用されるのである。すなわち、子供とは側にいる大人によってその行動が支配されるということ。
 それが、太一郎と誠二が置かれている環境のちがいだった。しかし、このとき太一郎は、凄まじい葛藤の力によって身体を引き裂かれようとしていた。

「ォ、オネガイ・・・・ウウ・・ウ・・ウ・ウ」
 泣きながら救いを懇願する少女。
 しかし、太一郎の視線が向かっている先は、その涙に濡れる頬ではなかった。少女の芽乳房によってかろうじて盛り上がったブラウス。客観的に見れば、それは単なる白い布にすぎない。
 何故か、そこだけ余計な温もりを感じた。もしも、赤外線サーモグラフィを通して、由加里を観察したらならばその部分だけ赤く見えるにちがいない。

このとき、少年の目には、由加里ぜんたいが輝いて見えた。まるで黄金の塊だ。煌びやかなその身体は、少年を呼んでいる。少なくとも、彼はそう考えた。 
 白いブラウスの温度も体温によって温められているにすぎない。しかしながら、何も、少年の母親が醸し出す温もりによって、誘い出しているわけではない。

 男が女を本能的に求めるのは、かつての母親を求めているのだろうか。多くの男性が大きな胸を愛するのは、授乳が忘れられないのか。
 太一郎は唾を呑んだ。
 今にも死んでしまいそうな由加里。すすり泣いて彼に助けを求めるその姿は、全身の毛を刈られたマルチーズよりも哀れだ。
きっと、それは少年に理性に訴えかけているのだろう。
そ して、少女の白いブラウスは、少年のリビドーに訴えかけている。皮肉なことに、彼のばあい、どっちに転んでも母親だ。両方とも、夕食のしたくをしながら彼を待っている、コトコトと音がする煮物は、少年を喜んで迎え入れるだろう。

「・・・・・・・・・・」
 少年は無言で歩み寄ってきた。
「そうだよ、太一郎、お前も男だろう? 覚悟を決めろよな」
誠二は、勝手なことを言いながら、少女を抱き寄せる。ペチコートのような柔らかい感触が少年のがさつな身体を宥める。少女の身体の柔らかさは、極上だった。このまま剥製にして持ち帰って、ソファの代わりにしたいぐらいだ。
しかし、ソファの方では自分の運命を喜んでいないようだ。
「ィイヤア・・・・ぁあぁっ!?」
萎んだ風船を踏んづけたような声が、辺りに立ちこめる。それが太一郎の意思を決定づけた。
「そうだね ―――」
「ヒイ!?」
巨大な影によって少女は呑みこまれた。
 その瞬間、由加里は自分の立てた戦略が無惨に崩れ落ちるのを見た。あたかも敗軍が運命づけられた提督のように、自艦隊が壊滅しているのをただ立ち尽くしながら眺めている。何も出来ずに、大切なものが失われていく。
 ほろ苦い敗北感とともに、しかし、何か違う感覚を覚えるようになった。それは自分が置かれている状況とはうらはらに、仄かな安心感だった。
 それは相手が照美や高田と言った同性ではなく、異性である男性だったからであろうか。同性にいじめ苛まれ続けた由加里は、いつしか精神を奇形化することによってようやくバランスをとっていたのかもしれない。
 その異性は、由加里を取り囲んでいた。芽生えはじめた異性へ熱情は、劣情へと著しく変質し、異界の化け物のように少女を蝕もうとしていたのである。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ヒ?!」
 太一郎は、無言で由加里にぶつかっていった。それは誠二の行動よりもはるかに自制が効いていなかった。溜まりに溜まった欲情が抜け穴を探して、その身体を右往左往していただけに、出口を見つけたときの爆発力は筆舌に尽くしがたいものがあった。
「おい、太一郎!?」
「・・・・・・・・・・」
 誠二でさえ驚きの声を上げるくらいに、太一郎の変容は突然であり、情け容赦がなかった。それは、少年の気まぐれないたずらをはるかに超えて、暴行という言葉でしか表現できない境地に達していたのである。

―――――シュークリームを潰す感覚に、少年は打ち震えていた。それは、はじめて母親を凌駕する行為だったのかもしれない。てのひらいっぱいに広がるクリーム。あたかも、手の神経に甘みを感じる受容器が発生したかのように、少年は由加里の身体によって甘みを感じていたのである。
甘酸っぱい味を堪能していた少年であったが、由加里にしてみればそれは無理侵入してきた闖入者
であり、インベイダーにすぎなかった。

「イヤ!イヤァァァァ!?あああ!!」
 泣きわめいて抵抗しようとする由加里だったが、同い年の少年ふたりに摑みかかれては、もう抵抗のしようがない。このとき、少女は、はじめて異性の怖ろしさと力強さを同時に感じた。それを敵にしたと味方にしたときでは雲泥の差があることを悟ったのである。もちろん、目の前で蠢く男どもが自己の味方になるとは露ほどにも思わなかった。

 はたしてこのとき ―――――――。
 あの男はどうしていたのだろう ――――――?
―――――――――――。
 誰だったろう?
 言うまでもないだろう。
 そう、神崎祐介、柔道部、部長のことだ。

 狭い世界に生息する中学生としてはこの世でもっとも怖れる人物である。親よりも教師よりも彼は、この男を怖れている。
 鋳崎はるかは、彼女が望む結果のために、祐介という誘導式時限爆弾をセットしておいたのである。さて、そのとおりになったのだろうか。
 しかし、たしかに誘導はうまくいったのだが、不発弾とは言わないまでも、爆弾は時間通りに動かなかった。
 どうしてだろうか? 誠二と太一郎のふたりなど、祐介にとってみればアリほどの存在感もないだろう。アリには咬むという抵抗する手段があるが、このふたりにはそれさえない。ほとんど赤子の手を捻るように、握りつぶせるはずだった。
 それなのに、この男は物陰に潜んで何をしていたのであろう。室内で行われていることを伺っておきながら ――である。

「もう、もう、やめて、やぁめてくださいぃ・・・・・・・ウウ!!」
 鼻にかかった声は、粉塵を上げて室外まで及んでいたはずである。それなのに ――。
 この男は、いったいなにをしていたのだろう。
 自分の後輩が少女を陵辱している。こともあろうに、練習中に ――――である。そもそも、部の領袖がさぼっているのは、どう説明するのだろう ――――ということは、とりあえず抜きにして、祐介が爆弾として機能するのは当然の帰結だと思われたのである。


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『マザーエルザの物語・終章 23』
 赤木祥子は長いすに座っていた。展覧物はあらかた回ったので、一休みしようと思ったのだ。すぐにでも帰ろうとも思ったが、思いの外、あおいが夢中になっているので、少しばかり待っていようと思ったのである。
 もっとも、啓子のほうはかなり迷惑そうだったが、それは意識からあえて除外することにした。

  当然のように煙草は吸えないので、たいへん、手持ち無沙汰だった。それに口が淋しい。レストランでも車の中でも、子供たちがいたので、ニコチンを摂取するわけにはいかなかった。その代わりと言ってなんだが2500円もする画集を開いている。
 そこには、啓子が今の今まで座っていたが、あおいにせかされて、あたかも獄舎に連行される囚人のように展示のある方向へと歩いていった。

――――そんなに不快なのかしら? この絵が?
 生まれて始めて自費で買った画集をパラパラやりながら、祥子は思った。彼女の祖父は相当な絵好きであり、彼の家に行くと画集や展覧会のパンフレットが所せましと部屋を占領していたものだ。

――――おじいちゃんの所にこの画家のってあったけ。
 幾ら自分の記憶を辿っても井上順の画業と挨拶をすることはできなかった。彼の絵は見れば見るほどに独特なことがわかる。たった一人の女性というモティーフだけで、独自の世界を建築できたとすれば、かなり希有な画家ということになるだろう。これは、画集の編集者の言であるが、素人にすぎない祥子にすればその成否を云々することはできない。ただ、絵と見つめあうことだけしかできないのである。

「さて、そろそろ帰るか」
 祥子は、ふたりの子供を回収するために絵の方向へと歩み寄った。
 はたして、ふたりはある絵の前に立ち止まっていた。
 それは、例の女性が民族衣装に身を包んでいる姿を描いた絵だった。説明書きには、結婚式の衣装とあったが、何故か、祥子は視なくてもわかっていた。それは一種の既視感にも似たような感覚だった。
 その衣装は、一般的に言う結婚式用のそれとは、完全に一線を画しているにもかかわらず、祥子は視た瞬間に、すべてを悟っていた。
 凛として前を見据えた蒼い瞳は、確として少女の性格を暗示している。そして透けるような白い肌は、清らかな彼女の属性を語っていよう。整った鼻梁はいささか天を向けて尖っている。それは王侯貴族のように誇り高いこと高らかに宣言しているのだろう。

 しかし、少女の煌びやかさに比して、衣装の色調の暗さはどうだろう。黒を基調とした衣装はたしかに貴族の誇りを感じさせるが、どう見ても葬式用の衣装としか思えない。それがこの国の文化というヤツだろうか。所変われば文化も変わる。
 しかし、洋の東西を問わずに典礼用の衣装などというものは共通した性格を持つものだ。
結婚式は派手やかで、葬式はその逆。
 そのイメージに対して真っ正面から挑戦するような衣装がそこにあった。美しい真珠のような少女を包んでいた。
 啓子とあおいは恋人のように手を繋ぎ合って、その少女に魅入っている。まるで時間の神さまから忘れ去られてしまったかのように、ふたりはたじろぎもせずに絵を見つめている。しかし、ふたりの視線は微妙に違うように見受けられる。しかし、具体的なことは何も分からなかった。

「早く、帰ろうか。夕飯の用意もしないといけないし ――――」
 その言葉は意外と、現実回帰のために役に立った。
 祥子の言葉はしたたかに影響を与えていた。ふたりは、将来の空腹に思いを馳せていたのである。
 今まで夢を見ていたかのように、起こったことを押し入れの奥に片づけていた。
 さきほどまで見せていた表情は、いったい何処にいってしまったのだろう。あの時、たしかにふたりの顔が違って見えた。
 年齢を超越したようなその顔は、あきらかに日本人が見せる表情ではなかった。とても乾いた大気。それは祥子が生まれ育った環境とはあきらかに違う、完全に異界だった。地平線が見える。視力が蘇ったのかはるか遠くの樹木がはっきりとみえる。葉脈のひとつひとつから、それにまとわりつくトンボの触角までが手に取るようにわかるようだ。

「ねえ、ママどうしたの? 早く帰ろうよ」
「ァ?うん」
 娘に肘を引っ張られて、祥子は、現実に回帰した。
 啓子とあおいが不思議そうな顔で自分を見つめている。ここは何ていう星なのだろう。意味不明なことが意識に昇る。
 ちょっとした酩酊状態に陥っていたようだ。まったく恥ずかしい限りである。何とかしないと。また啓子に何を言われるのかわからない。かつての久子にされた時のように、この娘にいいように言われるのだ。自分がずぼらなことは棚の上に押し込んでおいて、文句を言い続ける。

「そうだね、絵はどうだった?」
 すっかり普段のふたりにもどっている。祥子は、安心して語りかけた。

「少し、疲れたかな」
「でも、おもしろい絵だったね」

 当たり障りのない返事をするふたり。しかしながら、次ぎの啓子の言葉は祥子の中の何かを動かす力を持っていた。
「ねえ、ママ、私、絵を描こうかな?」
 あれほど絵に悪印象を抱いていた啓子が、態度を豹変させていた。再び、大人びた色が少女の凛とした顔に芽吹いていた。
 不思議な感覚が祥子の胸に浮かんできた。子供が大人になる瞬間というのはこういうものだろうか。
 昨日、子供にすぎなかった子供が、次の朝には急に大人びている。親は、そういうとき、心強さとともにそこはかとない淋しさを感じるという。今、まさに祥子はそれを感じているのだろうか。
 語るべき言葉を祥子は持たなかった。しかし、友人とじゃれ合う啓子を見ていると何故か安心できた。
 傾き欠けた太陽が何事か語りかけてきている。オレンジ色に伸びた陽光に、祥子は返すべき言葉も見いだせない。SFアニメの中に登場するスペースコロニーのような美術館を見上げる。

「どうしたの? はやくしようよ、お腹空いたよ」
「そうだね、お腹すいたね」
 欠食児童たちを率いる鬱陶しさを煙に巻きながら、祥子は、改めて美術館を見直してみた。
 確かにコロニーは回転を開始していた。確かにあの場所は特殊な重力場を構成していたのだ。相対性理論によれば重力は時間と空間を支配するらしい。あの空間はたしかにかぎりない懐かしさと哀しみを祥子にもたらしてくれた。

「わかったわよ、はやくスーパーに行こうよ」
「え? デパートがいいな」
 娘の小ずるい注文に財布を振ってみる祥子だった。


 その夜、あくどい方法で祥子に高級食材を買わせた少女たちは、たらふくごちそうを平らげた上に、赤木家の子女たちの感謝までもらったのである。
 もっとも、それはあおいに集中したわけである。赤木家の末っ子である啓子には、十字勲章モノの武勲を立てたにもかかわらず、一片の祝福も与えられなかった。
 しかし、内心姉たちは、妹の変心ぶりが嬉しかった。ただし、ここまでうち解けてくれたのは、あおいのおかげだと、結果的にこの少女に感謝が与えられたわけではあるが。
 あおいと親密になるたびに変わっていく啓子に成長を、姉たちは見ていた。あまり外部の人間と人間関係を造ろうとしない妹に、姉たちは気を揉んでいたのである。それがここにきて、もうほとんど普通の娘と変わらない。そこいらではしゃぎ回っているランドセルたちとそう変わりはない。
ただし、あおい以外が対象のばあい、はたして同じように係わっているのかという命題に関しては、あまり深入りしないことにしていた。

「あの子、変わったわよね」
「そう ――――?」
 長女の物言いに、祥子は気のない返事を返した。彼女は、特に気にしていなかったのである。

 
 そのころ、ふたりは啓子の部屋にいた。
 あおいが、あれほど固執していた井上順という画家。もはや、彼に対する興味は急速に失せてしまったようだ。その証拠に、せっかく買ってもらった画集はあさっての方向をむいて頓挫ましましている。 
 部屋の隅で悲しく蜷局を巻いている。

 画家は、おのれの魂を絵の具によってキャンバスに埋め込むという。それならば、複製にすぎない画集の絵にも万分の一くらいは残存しているのだろうか。その思惟の片鱗くらいは見いだすことができるだろうか。
 もしも、そうだとするならば、どういう気持でここにいるのだろう?娘たちにうち捨てられた今となっては、完全に聖なる力を失い、虚空に思いを馳せるだけだ。
「ねえ、啓子」
「何よ」
 啓子は、組み立てテーブルを机の下から取り出すところだった。
「そんなもの何するの?」
「あんた、本当にわからないの?」
 おもむろに燃え上がってきた怒りを辛うじて、啓子は口を動かす。少しでも気を緩めたら口から火を噴いてしまいそうだ。
「オセロでもするの?」
「ほら、手伝いなさいよ! あんたのためにやってるんでしょう!? 宿題よ! しゅくだい!!」

 ついに啓子は火炎を吹いてしまった。その先にあおいはいなかったが、背後にあるベッドに座ってマンガでも読んでいるだろうと思われる ―――その友人に本の一冊でもぶつけてやろうと摑みとった。
 その本の表紙を認めると、啓子は時間を止めた。

『井上順 画集』

 素っ気ない表題。挿絵などいっさい挿入されていない。ただでかでかと銀色の文字が、黒字に書かれているだけだ。見方によっては、なんと豪家な装填なのだろう ――――ということになるだろう。
黒い色は硬いイメージを見る人に与える。
 それに啓子は何か心を打たれたような気がした。何かを語りかけているように思えたのだ。しばらくその文字を見つめていたが、やがて意を決したように舌を動かしはじめた。
「はやくしよう、もうこんな時間だよ」
「うん ―――」
 何故か、素直に啓子の言うことを聞くあおい。あたかも、それが当たり前のように、啓子は用意をするために背中を向けた ――――その時である。
 啓子にとってみれば、不意の出来事が起こった。
「・・・・・・・・!」
 聞いたこともない言葉が、あおいの口から漏れたかと思うと、背中と肩に熱と重量を感じた。
「あ、あおい!?」
 親友の手が身体に絡みついてくる。その手はあまりにか細く冷たかった。まるで何キロも冬山を歩き続けてきたかのように、凍えていたのである。
 いっしゅんだけ、ひるんだ啓子だったが、やがて、それが当たり前のように右手を使うと、あおいの 頭を抱いた。手を通して伝わってくる髪の脂はつげの櫛の櫛を美しくするように、ふんわりとした温かみと輝きを与えてくれた。

―――手が温かい。
 啓子はなおも強く握った
 抱き合うふたり。それは、お互いの鼓動を通して、言葉に因らないコミュニケーションを行っているように思えた。
 ふたりは時間と空間をはるかに超えた逢瀬を行っていた。
 
 しかし、それを楽しむ知識をまったく持ち合わせず、ただ、胎内から産まれた衝動に駆られているだけだった。
 まだそれを理解するほどには、ふたりの身体は小さく、精神はひ弱だったのである。だから、理性はまったく機能せず、感情においても原始的なレベルに留まっていた。
 それは新しく生まれ落ちた赤ん坊が、無意識のうちに母親を求めて泣くのに似ているだろう。赤ん坊の目はまだ未発達なので、母親の顔を正しく認識できない。しかし、それでもなお母親を認識している。

 かつて母親と出会ったことがあるからだ。

 衝動は限りなくそれに酷似していた。
 啓子とあおいは、ただ、わけのわからない衝動に駆られて、過去の命令に従い続けていた。

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『由加里 72』
「ぃイやぁぁァ!」
 くぐもった声が薄暗い部屋に充満する。それはこの部屋の主である埃と婚姻して、不実な夫婦を形作っている。
 南斗太一郎と西宮由加里もそれに習っていた。
 擬装の恋人。もちろん、少女が望んだことではない。
 そもそも、この太一郎という少年は、由加里にとって真冬の小虫ほどにも印象に残っていない。小虫ならば、それでも不快という感情は残るだろう。
 しかしながら、彼には印象らしい印象を感じることがなかった。言うなれば、透明人間と同じである。それは塚本誠二も同様だ。
 今、由加里はそのふたりから陵辱を受けようとしている。ただし、加害者にその意識があるのか、はたして疑わしい。ただ、異性に触れていたい。そのような本能に従っているだけであろう。そして、それに気づいていないほどまでに幼いのだ。
 そんなふたりがどうして由加里の目の前に悪魔の姿を晒したのだろう。これには何か裏があるのではないか。

――――まさか高田さんたちが!?

 自分をせせら笑う悪鬼が由加里の想像の中に侵入してきた。もしかして、一連の出来事はすべて彼女が仕組んだことではないのか。少年ふたりを使って自分を辱めるために!
「ァ・・・・いやぁあっぁ!!?」
 いつのまにか、少年たちの手は由加里の頭と顔を捕らえていた。残酷なロボットの手が摑みかかってくる。それは鉄製のくせにアポクリン臭い汗まで漂わせている。印象に残らないくせに臭い息までする。先祖からの本能に裏付けられた息は、プロトファスマの触角を思い起こさせる。

―――どうして、ここまでして私をいじめるの? そんなに恨まれるようなことをしたの?私は?
 古今東西に関係なく、被虐のヒロインが叫ぶ台詞をまた、由加里も叫んだ。
 しかし、いじめというものに確たる理由などあるわけがない。自分の身体に眠る加虐の本能に従って行動するたけだ。そのことによって生じる脳内麻薬の快感を得るためにならどんなことでもするだろう。
 一般に、大麻にコカインにヘロイン。
 それらを総称する麻薬と呼ばれるものに比較して、脳内麻薬とよばれるものには危険がないとされる。
 しかしながら、それは嘘である。いちど嗜虐の喜びを知ったものは、それを忘れることはできない。  自分の身体と心にしがみつく太古の獣。その正体を知らぬに操られることは、まさに笑止。前者に劣らぬ害悪をばらまくのである。
 手と指を通して伝わってくるマシュマロの感覚、少年たちに男に生まれた悦びを神髄から教えていた。
 普段から、エロマンガや小説で学習していたことが、今、実地で学ぶことができる。
 江戸時代の末期には実学というものが起こったらしい。「新しい学問はじっさいに役立たないと意味がない」そう言ったのは、本居宣長だったか。
 社会の授業で習ったのだが、うろ覚えだ、無能な教師の調子はずれな声だけが印象に残っている。
 そんなことはふたりになんら影響を与えることはないだろう。麻薬の悦楽に浸っている病人にだれが説教できるだろう?


 ふたりはその境地を体験していた。

 目の前に存在する現実に比べたら、予習などはまったく役に立たなかった。
 現実に、異性と触れあう悦びに比べたら想像していたことなどは、まさに画餅そのものだった。コミックの女性は二次元でしかも温度を持たないが、じっさいの西宮由加里はほんのりと温かい。上気した頬は桜色に微笑んで、少年の幼い性欲を刺激してくる。

―――――なんて、愛らしい、可愛らしい! さらに撫で回したい!
 揉んで揉んで、餅になってしまうくらいに、撫で回してみたくなった。
 そうすればそうするほど、少年たちの脳内においては脳内麻薬が流れ出している。彼らはさらなる快感を求めて行為をエスカレートしていく。もはや由加里の奴隷と大差ない。今や、快感の虜にすぎない。

「ヒィ・・・!?」

 いったい、これから何をするつもりなのだろう?
 由加里は呻いた。何かに操られるように怖ろしいことを続ける。
―――恐い、本当に恐い。そして、寒い。寒いよ!
 水晶玉のような涙がいくつもこぼれる。少年たちは、その美しさに心惹かれる余裕すらない。
 ジャンキーに薔薇の美しさ、可憐さを理解する能力があるわけがないだろう。
 麻薬常習者の息は特有の臭いを発するという。内因的な常習者のそれにも、同じことが言えるのだろうか。
 由加里は思わず鼻を摘みたくなった。
 加害者の息の臭いにむせかえるようだ。呼吸がまともにできない。
 
 しかしながら、一方で、ふたりの悪魔に一種の軽薄さのようなものを感じていた。このふたりは操り人形のようなものでそれを操っている人間が何処かにいる。いや、もっと敷延すればその人間に命令を出している黒幕とでもいうべき存在が隠れている。
 いわば、このふたりは所詮小物にすぎない。
 黒幕は別にいる。

 由加里が真に恐怖すべきことは他にもあった。身体と心が完全に分離してしまうことだ。
「ぁぁああ・・・・あぁ」
 ふたりの少年に可愛らしい顔を撫で回されながら泣きじゃくる由加里。しかし、その実少女の身体の中では異変が起きていた。下半身が潤んでいたのである。

―――ウ、ウソでしょう?!

  想像を絶する羞恥心とずたずたにされたプライドによって、両脇から責め立てられて、由加里はしたたかに圧縮されそうになった。とどのつまりは、軽薄な二次元の住人になってしまいそうにもなるということだ。
 太一郎たちが好みそうな書籍類。
 いわゆる、コミックやPCゲームの類。きっと、このふたりは由加里がそんな書籍から完全に自由だと思っているにちがいない。清純で可憐な少女だと思っているのだ。

―――――そんなのウソよ! 私は、そんなんじゃない。そのようでありたいと、いや、そうだと思っていたことはあるけど・・・・・・。事実、みんなに嫌われて、鼻つまみ者になってるじゃない!?
 私は、女の子なら触ることもできないやらしい本が大好きな、変態なの!
 
 由加里の慟哭は空気を震わせることはなかった。
 もしかして、本当の天使は彼らふたりだったかもしれない。西洋美術においてキューピッドというかたちで表現される幼児と無垢の代名詞である。
 無垢という名において、誠二は悪行を為そうとしていた。

「あああ!?」
「おい、誠二、それはさすがにまずいだろう?!」
 太一郎は絶句した。今更ながらに、良心の呵責を思いだしたのだろうか。
 友人の行為に眉を顰めた。
 由加里の胸に、友人の無垢の手が覆い被さっていたのである。もっとも、そのように表現するほどに、少女の胸は盛り上がっていなかったが・・・・・・・。

――――すごい、本当にしっとりしている。
 高級な生チョコレートのような感触に、誠二は悶えた。自分の語彙力と表現力のなさに呆れるほどにそれはすばらしい体験だった。少女の身体は同性のそれとちがってあきらかに柔和だ。しかし、彼の母親のそれのようにタプタプはしていない。

――――アレは女じゃない!!
 天国を体験している間に、どうしてこの世で最も醜いものを思い浮かべる必要がある?少年は憮然とした。それは彼を排泄した人物のことである。一言で言えば母親のことだ。彼女は体脂肪率という概念を完全に無視している。そのような概念を確立した学者たちの想定を完全に嘲笑っている。

――――腰がないなんて、女でも人間でもない!!
 誠二は、友人の制止を無視して先に進もうとした。その時、ありえないことが起こった。背後の扉が静かに開いたのである。

「何処に行く? 太一郎!」
「ボクはもう行く。ついていけない・・・・・・・」
 太一郎は、逃げ出していた。一瞬のことに面食らった誠二は、裏切り者を睨みつけた。由加里の腕は摑んだままだ。
 自由になった片手を必死に使って、由加里は、自らの身体を護ろうとする。美しい貝のひっしの抵抗。誠二は、それを可愛らしいと思った。乙女の、清々しささえ感じさせる抵抗だった。
 しかし、そのまま美術品を鑑賞しているわけにはいかない。
「黙っていろよ!クラスじゃ誰もまともに相手にされないくせに、おれたちが相手してやってんだろうが! 感謝しろよ!!」
 少女の精神をミンチにしてしまってから、改めて太一郎に対した。由加里は金切り声を上げて泣き続ける。目の前に、ぼろぼろになった自分の心を提示されて、とても耐えくれなくなったのだ。
その時、開けられそうになったドアのむこうには、大男が潜んでいた。


「・・・・・・・・・・・・・!?」
 由加里は、すんでのところでノートパソコンを投げつけるところだった。
―――もう小説なんて書きたくない! これ以上書いたら、ワタシ、壊れちゃう! なんでこんなに辛い 自分と向き合わないといけないの? 過去なんてイラない!! 忘れたい!!
 少女は、ヤドカリになりたかった。もしもそうならば、殻に逃げ込めるではないか。
 しかし、借りに逃げ場があったとしても、自分から逃げおおせるものではない。
 小説を描くという行為は常に自分との向き合うことを意味する。人間、何年も生きている以上、良い色だけで紡がれているわけではない。いや、ほとんどはくすんだ色や真っ黒な色で覆われているものだ。
 小説を描くとき、いや、いちどその行為から快感を得た人間は、それと向き合う癖から解放されることは永遠にないのである。
 今、由加里はそれと向き合っていた、絶望の色に彩られた日々と。
 病院の蛍光灯は、やはり冷たい。まったく生活の匂いがしないのだった。


 由加里が、まさに不健康な海に沈んでいるそのとき、鈴木ゆららたちはまさに健康な朝潮で潮干狩りをしていた。
 さいきんでは、水のない夜の海では潮干狩りにテニスラケットが必要らしい。
 さて、3人の少女はただ、砂浜でぱちゃぱちゃしているわけではない。
 
 硬式テニス。
 
 それも世界ランキングno.3である西沢あゆみと連れだっている―――のである、

 乾いた音が、夜間照明のカーテンを引き裂く。テニスボールに反射して全面に展開する光の波は、 まるで霧のように見えた。その輝く霧がテニスコートをより明るく特別な空間に仕立てていた。
 コートでは、はるかとゆららが打ち合っている。
 照美はあゆみと並んで観戦している。
 しかし、どうしてだろう。この人と連れだっていると何故か落ち着かない。けっして不快なわけではない。その名前の大きさに憶しているわけでもない。まるで頭の中にガーゼを忘れられた脳腫瘍患者のように、意識が苛立っている。
 それでも正常な思考はできるのだが、何処か普段の自分と違う。それから脱するだめに何かを言わねばならない。

「はるかの奴、大人げないんですよ。ゆららちゃん傷付けないと良いですけど ―――」
 照美が言うまでもなく、あきらかにゆららの動きは危なっかしい。普段から運動に親しんでいないことは明かだ。
「照美さんでしたわよね。はるかとはテニスをやって長いのかしら?」
「あいつ、ストレス溜まると私とやりたがるんですよ、とんでもない奴です。勝てるわけないでしょう?あ!?」

 言い終わったそのとき、まさにはるかがサーヴィスを打ち込むところだった。周囲の空気をすべて自由に操る。地の精、天の精、地下の精、それらを支配下に置き、自在に操る。
 流麗ということばは、彼女のためにあるのではないか。
 そう錯覚させる何かが彼女に内在している。 
 はるかの身体の動きはそれを暗示しているように思えた。見る人を釘付けにしてしまう魔力を秘めている。
 流れるような身体の動き、それははるかの頭脳に従って100%身体が動いている証拠だ。彼女の 手足がみんなリーダーとして主人を信頼しきっているのがよくわかる。
 柔らかな身体の動きが繰り出すサーヴィスは素人にとって銃弾に等しい。照美はいつもそれを受けているのだ。たまに命の危険すら感じることもある。

「大丈夫よ、あなたの危惧は当たらないわ。だけど、もしもそういうことがあるならば、相当に信頼しているのね、あなたを」
「西沢さん ―――」
 照美は、はじめてあゆみを信用できるような気がした。しかし ――。
「こっちは良い迷惑ですよ、あ、あいつ、私が相手のときはこんなものじゃないのに!あいつ殺してやるってすごい剣幕で打ってくるんですよ!」
 半ば、抗議の意味であゆみにぶつけてみた。

「ふふ、あなたも相当の運動神経の持ち主みたいね」
「そうでもないですよ。でも、あなたは私の知らないあいつを知っているみたいですね」
 照美は、ちょっぴり黄色の視線を向けた。あゆみはそれを見逃さなかった。この美しい少女に嫉妬の感情を抱いたのを見て取ったのだ。
―――――よほどはるかを信頼しているのね。
 あゆみは、それが確かなことなのか鎌を掛けてみることにした。
「あの子は、最初に出会ったとき、まぼろしかと思ったわ」
「たしか10歳にも満たないときですよね、話しには聞いています ――」
「はるかは天才よ。全身がしびれるような気がしたわ、ボールを打ち込まれるたびにね、だから、わたしったら、10歳の子供にホンキで打っちゃったの。コーチはおかんむりだったわ、私も同じクラブ出身だから、私にとっても先生なのよ、彼は」
「やっぱり、それほどですか、あいつ。プロになれます?」
「当然よ、きっと、私を超えるわ。あ、これは言っちゃだめよ、増長するから」
「それは誰よりも、この私が知ってますよ」
 
 あゆみは、意外そうな顔をした。
―――――この子は、本気で友人が誉められたことを喜んでいる。相当にプライドが高そうなのに。
「・・・・・?」
 照美は、あゆみの視線に驚いた。自分をじっと見つめている。それがもたらす熱に思わず狼狽えた。しかし、あることに気づいた。
――――この人は自分を見ていない。自分を通して誰かを見ている。
 直截的にそれが母親であると、照美は、たしかに見抜いていた。
 しかし、少女の意識はそれを拒絶していた。自我の危機に関することだったからだ。社会における特務機関のようなものが、脳の中に存在するのかわからない。仮にあるとすれば、それが少女を自我の危機から救ったのである。
 少女自身、気づかないうちに自分を立て直していた。ボールが発する乾いた音は、彼女の耳にどのように聞こえただろうか。何かメッセージを受け取ったのかもしれない。無機的な音をあたかもコトバのように受け取ることはよくあることだ。
 
 特に、精神に傷を負っているような時はそれが顕著だ。
しかし、この時はまだ劇薬が待っていることを知らなかった。ボールの音は、秒針が立てる音にも似ていた。刻限は過ぎようとしていたのである。


 さて、再び由加里に視点を戻してみよう。
 少女は、看護婦に全身を拭われていた。ちなみに、少女の身体を拭っているのは、似鳥可南子ではなかった。そのことが少女にとって幸いだったのか、それとも否だったのか。
 看護婦は、可南子よりもずっと若い准看護婦である。由加里の目には高校生ぐらいに見える。おそらく学校を卒業して間もないと思われる。しかし、少女の心のなかを荒れまくっている風はそのようなことではない。
 准看護婦は始終優しげ表情で仕事を続けていた。
 着物をはだけるときや、身体を動かすときの仕草などを見るに付けて、由加里にたいする優しさと思いやりが透けてみえる。
 しかしながら、その様子にひそかに恐怖を憶えていた。
―――どうしてだろう? 私はいじめられることに馴れてしまったのかしら?
 
 由加里は悲しくなった。
――――だけど? もしかしたら・・・・・・!?
 その危惧は、精神の危機に関することだった。もしかしたら、屈辱の鞭でしたたかに打たれたことは、本当に不快なことだったのだろうか。いささか疑問を呈さざるを得ない。
 本当のところ、それを望んでいるのではないかということだ。もしかしたら、自分はとてもいやらしい女の子なのではないか ―――という危惧である。いや、もっと恐るべきことはもっと他にある。
 西宮由加里という少女は、先天的に淫乱なのではないか。照美たちは、それを引き出したのにすぎないのではないか。あたかも人間の赤ん坊がアプリオリに歩くことを識っているかのように。
永遠に臼を回し続ける。その音は由加里を執拗な自己嫌悪に導くだろう。か弱い少女は涙にくれるだけだ。

―――ぁぁ、私、汚いの。いくら拭いてくれてもとれないよ。お姉さんの手が汚れちゃうだけだよ。この汚物はいちど付いちゃったら取れないよ、それでもいいの?
「・・・・・・・・・・・」
 理由もあきらかにせずに涙にくれる由加里に、准看護婦はどうやって対応したらいいのかわからずに戸惑うばかりだ。
 もはや、そのような優しさを受け入れる感受性すら摩耗してしまって、自分の創り出した牢獄の中で野タレ死にするだけだ。

「ェェェェ・・・エエ!」
「どうしたの? 西宮さん?」
―――抱きしめてほしい。お願い、全身の骨と筋肉が壊れるまでそうしてほしい。
 何処かで読んだ小説の一節を噛みしめていた。陳腐とさえ言えるその表現が、真に迫っていることに今更ながら実感させられた。

――――お願い、ココを弄って。そして、唾を吐いて、淫乱だって罵って!
 目の前の優しそうな女性に、由加里はそれを求めていた。照美や可南子にされたような性的な辱めを望んでいたのである。そして、もっと怖ろしいことはすぐに起こった。少女の精神のリンボに眠っていた自尊心がその鎌首を擡げはじめたのである。
 元来、自尊心の高い由加里にとってそんなことを考えるのは、他人にいじめられる以上に、辛いことだった。それほど自尊心が傷つくことは考えられない。
 付け加えると、この世でもっとも始末におけない存在がある。それは、高い自尊心を有していながらそれに気づいていない輩のことである。そういう人物は概して人触りがよくて、とても温和だ。

 ところが、その反面とても敏感な味蕾を持っている、それは敏感に刺激を受け取る。他の人ならば傷つかないようなことでも簡単に心を害してしまう。照美のように外見からして、プライドの塊のような人間ならば、予め注意するようなことも可能だが、由加里のような温和な外見を持っている人間だとそのようにはいかない。
 本当に始末が難しい所以である。

 自らが排泄する汚物とその臭い。
 噎せ返るような体臭に、由加里は嘔吐しそうになった。そもそもそんな臭いなど存在しない。事実、お姉さんはそんなことは何も言っていない。しかし、顰められた彼女の顔は、由加里にとってみれば、体臭の存在を証明していることになるのである。
そ して、少女にとってもっとも恐るべきことが起ころうとしていたのである。お姉さんの手が由加里の下半身に向かおうとしたのである。
「ダメ!!」
 その時、「お姉さん」は腕にガラスの小片を刺されたような衝撃を受けたと言っている。しかし、いくらその場所を確かめてもかすり傷すら確認できなかった。






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『マザーエルザの物語・終章 22』
 
 祥子がどうして娘とあおいをその展覧会に誘おうとしたのか、その理由はわからない。

 気が付いたら、そのような気分になっていて、チケットを差し出していた。チケットはたまたま持っていたものである。
 非常に宗教的なはなしになるが目に見えない得体の知れない力によって、身体を吸引されている気分になった。
 何者かに操られている。自分の動きの中に、自分の意志でないものを見つけたのである。チケットは友人の気まぐれによってもらったものであるし、その朝、たまたま選んだバッグにそれが混入していたのは、単なる偶然にすぎない。
 そして、ふたりを目の前にしてチケットを取り出したのは、単に陽光が眩しかったからである。
 啓子は絵画などに興味はないし、あおいもそのようなそぶりを見せたことがない。
 学生時代からの友人である久子は、若いころ画家を目指していた経緯があるくらいだ。今でも好きであるし、絵画を収集していた時代もあったはずだ。
 たしか、彼女の家の居間には、相当値打ちのある絵画が掛けられていたはずだ。画家の名前は失念してしまったが・・・・・。

 祥子の運転する車は一路、都内にある美術館に向かって走っている。バックミラーに映るあおいは寝入っていた。その寝顔を本当に可愛らしいと思った。まるで西洋人形のような仕草で、そこに存在している。大理石のような塑像。滑らかな肌は祥子から視ても触れているようにすべすべと感じさせた。まるで触っているかのように、手触りを想像できた。

「あおいちゃん、寝ちゃったわねえ」
「きっと、疲れているんだよ。何に疲れているのかわからないけど ―――」
 啓子は、言葉を車外に投げ捨てる。
 その仕草が異常におかしかったのか思わず、祥子は噴き出してしまった。
「何よ」

―――失礼な。
 それを呑みこんだから、啓子の表情はさらに滑稽なものとなった。
「啓子が絵に興味持つなんて珍しいなあって思って」
「気まぐれよ」
 音のひとつひとつを車外に投げ捨てるように言う。
「どうしたの尖っちゃって?」
「別に」
 その時、西洋人形が赤い声を上げた。
「あら、お目覚め?あおいちゃん」
 ミラー越しに目覚めの挨拶をする祥子。その言いように、何故かさらに感情を尖らせる啓子。
「そんなに疲れるくらいに昨夜は、何を励んでいたのかしら? 少なくともお勉強じゃないわよね」
「・・・・・・!?」
 思わず対応できないあおい。昨晩は、久子の命令によってトイレ掃除に勤しんでいたのだ。啓子との電話を終えると急にドアが開いた。そこには久子が仁王立ちになっていた。
 有無を言わせてもらえずに叩き起こされたあおいは、トイレまで引きずられて行った。

 汚れが取れないと何度もやり直しをさせられた。有希江の陵辱の後には、シンデレラじみた夜が待っていた。ついでに言っておくと、たまたまトイレに入った有希江によって、性的な虐待を受けている。 
 非常に慈愛深い姉は、泣きじゃくるあおいの膣に異物を挿入したのだ。慌てて取りだそうとする少女の目の前には、久子の足があった。
「何をしているの?」
 久子の言葉は強烈だった。その声は鶴のひと声よりもさらに影響力があった。あおいは、一晩中、股間のものを取り出すことも許されずに両手を動かし続けた。可愛らしいピンク色の爪に何本も罅を入れながら、忙しなく指を動かし続けたわけである。
 これまでの少女ならばさしずめゲーム機のコントローラー相手に自慰のように手を絡ませていたものである。
 それが、いまや洗剤の臭いにまみれて四つんばいの格好でトイレの床を這い回っていた。
「洗剤まみれ?いいわね、あなたの臭いを消してもらいなさい。知ってる?あなた臭いのよ、近づくと下水の臭いがぷんぷんするわ」
などと嫌みを言われながら、しかも性器から混みあげてくる官能に身を悶えながら、激しく両腕の筋肉に電気信号を送り続けたのである。

――――ママにあそこのことを知られてはだめ!
 あおいはただ一つのことを怖れながら、怯えていた。それは、鬼に金棒を震われながら血の池地獄を這い回るのに似ている。
 午前1時にやっと煉獄から解放されたあおいは、有希江の部屋に行かなければならなかった。たまたま有希江は疲れ切っていたために、さらなる陵辱は許されたが、恥ずかしいところを露出する姿勢を強要された挙げ句、さんざん罵られた。
 その後、風呂場に直行したあおいは泣きながら身体を神経質に洗った。まるで、そのことでその日、自分の身体に刻印された奴隷の紋章が消えるかのように、ごしごしと洗ったものである。
 その夜、とうぜんのように眠れなかった。
 啓子の優しい声が聞きたくて、なんども携帯に指を絡ませたが、すんでの所で留まった。

―――きっと寝ているわね。
 それに、このまま啓子と回線を通じたら、ストレートに自分の思惟が伝わってしまうと思ったのである。
 それだけは避けたかった。
 この状態を親友に知られるわけにはいかない。どうして頑なにそう思うのか当時のあおいはわからなかった。もしかしたら、分かろうとする余裕もなかったのかもしれない。
 自尊心と友情がない交ぜになった気持を小学生が帰納できるわけがなかったというのもひとつの真理だろう。
 しかし、一種の罪悪感があおいを縛っていたのも事実である。啓子にたいする何やら根源劇な罪悪感。たとえるならば離婚した親が子供に抱くような、一生拭いきれない、そして背負っていかなければならない重荷。アプリオリな意味で、あおいは啓子にそういうような感情を持っていたのである。とうぜんのことながら、本人はそれに気づいているはずがなかったが。

「・・・・・・・・・・・・・」
「どうしたの? あおいちゃん?」
 啓子は本気で心配になった。
―――そうだよ! 一晩中、おべんきょうしてたんだから!
 あおいのことだから、このような大嘘を抜け抜けと吐くはずだった。それを啓子も期待していたのである。しかし、帰ってきたのは、悲しげで元気のない吐息だけだった。レストランのトイレでのことも含めて、さすがに心配になる。
「・・・・・・・・・!?」
 啓子は、自らの手を親友のそれに重ねた。驚いて手を引っ込めようとするあおい。
 しかし、電撃を打たれたかのように身体が動かない。だが、啓子自身驚いていた。その自然な手の動きは、まるで大事なものを失った愛妻に、夫が、ただひとつできること。
 そのように、手の持ち主の意志によって行われた行為ではなかったのである。本人ですら驚く。手を載せられたあおいが内心、髪を振り乱さずにいられるわけにはいかない。たとえ、外見だけは平静を保っていたとしても、額に滲む汗を隠すわけにはいかないのである。

 一方、祥子はいちれんの出来事を見守っていたわけだが、あまりのことに手も口も出せずにいた。あまりに自然だったのである。あくまで、ふたりがカップル、いや、夫婦。それも十何年も連れ添った、自分の親の世代が組む夫婦関係ならば、その行為はジクソーパズルに最後にはまりこむ1ピースのように、ごく自然に風景にはまりこむはずだった。
 しかし、ふたりは友人関係、しかも同性で小学生の子供にすぎないのである。
 
 ふと、背後の人間たちが自分よりも年下であることを忘れた。

 まるで寸劇のような一連の出来事に、祥子は、鼻を摘まれた思いになった。
 重苦しい空気が車内の充満していた。それを換気するために、祥子は何か言わなくてはならないと思った。

「あっ、マックだわ、食べていく?」
「おばさんたら、さっき食べたばかりじゃない」
「そうだよ、ママったら何言っているのよ」
 恥ずかしそうに啓子は言う。
 慌てたところにマクドナルドのMの文字が視界に入ってきたのである。それが無意識のうちに言語化させてしまったのだろう。
 しかし、そのことがあおいを和らげる役割をはたしたことは事実だろう。
 あおいは、かわいらしい目をシロクロさせている。やっと、目の光りがもどったようだ。祥子は安心したが、そのことで子供ふたりからばかにされる羽目になってしまった。

「ねえ、ママ」
「何?」
 改めて真顔にもどった娘に、祥子は襟を正す。不思議な表現に聞こえるかもしれないが、そのようにしか表現できないほどだったのである。たがが美術館を訪れるのに、なぜか緊張している。まるでパンドラの箱を開けに行くようだ。

「井上順って人、私もはじめて知ったのよ。NHKの美術番組で特集してたの」
「テレビと来たら、ゲツクしか見ないママがね ――――」
 肩をすくめて笑顔を無理矢理に作ろうとする。
「うるさいな、黙っていなさいよ!」
 ついに堪忍袋の緒がほぐれそうになったようだ。
「ヘンな女の人の顔ばかり描く人ですよね」
「ヘン?」
 意外そうに祥子は顔を顰めて見せた。
「そうですよ、鼻がツンとしていて、なんだか恐そう ―――私、好きだけど」
 この少女が、それほどまでに自説を通すのをはじめて見た。元来、頭の良い子なのだが、おっちょこちょいなところがあるところと、自分の 意志を表現するのが下手なところに珠の傷を見ていたのだ。
「そうねえ、たしかにこのチケットの絵を見ても ―――」
「嘘、すごい美人じゃない? それに優しそうじゃない」
「とにかく、本物を見てから決めてもいいじゃない、あ、付いたよ」
 流線型の豪奢な建物を認めると、祥子は車を駐車場に回すべくハンドルを切った。

 一見すると、その建物はマグロを思わせる。その偉容からして、かなりの税金のむだがあったということができるだろう。
 何を隠そう、この美術館は県立なのである。バブル期に地方公共団体がこぞって税金を浪費する気風があったが、これはその残り火というところだろうか。
 その建物を外観するに、その新しさはどうみてもバブル期の建築とは思えない。
 しかし、そのような見方は小学生ふたりを洗脳することはできなかった。たた、単純に建物の豪華さに感動していただけである。
 ただ、笑止なのは赤木祥子が右習えと言った態度で、ふたりに従っていたことであろう。もしも、久子であれば一笑に付したことは想像に難くない。
 祥子の天然ぶりは久子も笑うところだったのである。

 ふたりの性格の違いはともかく、美術館は完全に口を開けて3人を待っていた。


『井上順、展覧会。祖国を捨てた孤高の漂流画家 ニフィルティラピア~日本、極東の島国へ』
 
 雄大すぎる張り紙に比して、客数はまばらなようだ。宮殿のような建物に3人は足を踏み入れていく。潔く帰ってくる足音の反響は、空間の広さと人肌の温かみに欠けすぎていることの証左となる。
「誰も来てないね、本当に」
 あおいは不安そうに館内を見回す。

「いらっしゃいませ、こちらです」
 黒タイツの女性スタッフが機械的な物腰で、入り口に誘導しようとする。あおいは彼女の流線型たけに目がいく。170を超える日本女性としては長身のために、平均的小学生にしても背が低いあおいとしては、それも致し方ない。
 ただ大人の女性に対する羨望に幼い胸を焦がすだけである。少女が思うほどに美人であると思われないのだが、端から見物していると、祥子としては可愛い限りである。
 一方、啓子は、憑かれるように受け付けの向こうを見つめている、放心したような表情はここまでに来る前の彼女ではない。どうしたというのだろう。絵なんてまったく興味ないという感じだったのに。ここに来て、美術館の空気を吸ったとたんに変化してしまったかのようだ。

 受付にて、蝶ネクタイ姿の男性にチケットを渡す。たしか久子が言っていたと思うが、日本人に蝶ネクタイは似合わない。ついでに言うとタキシードというのも似つかわしくない。もっと言えば、洋服というのは似合わないのだろうが、さすがにそこまで久子も言わない。
 少なくとも、日本人の男性にはそれに似つかわしい身のこなしというものがあるはずだ。それを彼らは忘れきってしまっている、久子はそう言うのだ。
 祥子といえば、そんなことはどうでもいい。男には持ち前のたくましい胸と腕があればいい。たしか学生時代に久子にそう言い返したはずだ。彼女は苦笑のあまり苦笑していたが・・・・・。
黒タイツの女性よりもさらに機械的な受付を抜けると、正面におおきな写真があった。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・_!?」
 
 鷲。
 
 第一印象はその一言につきる。井上順というあまりに和式の名前に似つかわしくない老人がそこにいた。もしも、久子がここにいたらこう難癖をつけただろうか。
「ヨーロッパ人に和服を与えるなどと、まさに馬子にも衣装だ」
 画家というよりは政界の黒幕と言った方が適当かもしれない。鋼鉄をも射抜くようなするどい目つきと鋭利な顎は、芸術家というよりも武人を思わせる。椅子に腰掛け、堂々と杖を中央にせり出したその姿。杖が軍刀にみえる。
「とても哀しい目」
 あおいの開口一番は、祥子の感想とは相容れないものがあった。
 一方、啓子は凍りついたように写真に見入っている。
「先、行こうよ」
 祥子はふたりの肩に触れることさえ憚られた。まるで失ってはならないものを失ってしまったかのようなふたりの様子に戦慄さえ憶えた。ただの小学生の子供にすぎないのに。

「帰ろう、ママ」
 それが啓子の開口一番だった。
 あまりに哀しげな口調でそれが語られたために、祥子は何も言い出せない。しかし、あおいは引き 寄せられたかのように奥へと歩み寄っていく・・・・・・。
 そのとき、見たのである。祥子は、あおいの口が、動くのを、たしかに。しかし、その声帯が震わせて結合させた音声は、日本語ではなかった。英語でもドイツ語でもない聞き慣れない破瓜音。
 祥子は、それを人名だと直感した。
 一方、啓子はまだ立ち尽くしたままだ。心なしか、小刻みに震えている。
「どうしたの気分悪いの? 向こうで休んでようか」
 祥子は娘を長いすに連れて行くことにした。

―――え?
 恐るべき事があった。娘の体躯が鋼鉄のように硬く重いのだ。まったく動かない。
「あおいちゃん ・・・・・」
 遠近法の錯覚に従って、あおいは小さくなっていく。少女がまず惹き付けられたのはいちまいの絵画だった。ジオットを代表とする初期ルネサンス画家の仕事のように、硬い写実な画業がそこにあった。モデルは20世紀の人物のはずなのに、はるか昔の人間のように思える。彼女が纏っている衣装はたしかに当時のものだと思われる。
 しかし、その硬い表情、絶対零度の肌、それらはどれも深い過去に眠っているべき存在だ。ガラス玉のような蒼い瞳が印象的だった。絵を少しでも押せば、ゴロンと転がってきそうで恐い。

 しかし ―――。
―――見たことがある・・・。なんだろうこの不思議な気持は?
 娘のことなぞ完全にうっちゃって、祥子もこの絵画に惹き付けられていった。
 『恋人』
 題はそれだけだ。絵の隅に書かれた横文字はあきらかに、それがヨーロッパ語であることを証明しているのだが、それは二本の線によって消されて、改めて日本語の2文字が書き加えられている。おそらく作者の行為だろう。そんなにまで自分の過去を憎んでいたのだろうか。消去せずにはいられないくらいに恨んでいたのだろうか。
 なぜか、祥子の胸を熱くするものがあった。時間的、空間的にかなり隔てられたこの人物の仕事がどうして、こんなに胸を打つのだろう。いや、仕事ではない。この画家の作品は、彼の生そのものだと言ってもいい。
 まるで巨大な潜水艦のような館内を流されるように歩く。まるで見えないものに引き寄せられていくように、足がもつれる。
 ピカソのように徹底した写実から絵が溶けていくのはめずらしい話しではない。
 絵画に溶解剤を降りかけたように、変化していくのだ。

 しかし、この画家のばあいはすこし違う。モチーフはたったひとつ。この女性だ。
 赤ちゃんの時代から老婆にいたるまで、たったこの人物だけを対象としている。
 印象派からダダイズムまであらゆる絵画技術を使って彼女を描いている。いや、描いているというよりは摑んでいると言った方が適当か。それも違う。
 絵を少しでも嗜む人間ならピンと来るかも知れないが、何かモティーフを描くということはそれを所有することと同意になるのだ。
 
 画家は、この女性を描くことで彼女を所有している。

 祥子は根拠のない印象をそのまま信じる気になった。久子ならば自分で考えた考えに、論理という当て擦りをすることも珍しくない。激しい自己批判にうつつを抜かすこの友人は端で見ていてもつかれるほどだ。
 祥子は改めてこの少女を見つめてみた。外見を見ればその美しさを受け継いでいるのがはっきりとわかる。
 しかしながら、母親よりもはるかに穏やかだ。それ以上に差異を感じるのは性格だ。子供時代の彼女を思いだしてみても、水と油ぐらいに違う。母親はつねに用意周到で抜け目がなかった。
 一方、娘の方は端か見えていても向こう見ずでおっちょこちょいだ。危なっかしいことこの上ない。幼稚園の運動会のときなぞ、自分の娘のように心配したものだ。本物の母親はそれ以上に狼狽し、普段見せぬ姿を露出しては、祥子を微笑まさせていたものである。

 しかし、最近の久子とあおいの関係を見ていて、腑に落ちないものを感じる。
―――何かが違う。何かが確かに変わってしまった。しかし、その正体はようとして知れぬ。
 祥子は、ただならぬ思いを胸に秘めながらあおいを見つめた。

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『由加里 71』
 由加里はふたりの顔を並べてみた。
 塚本誠二と南斗太一郎。
 両名とも自分を待ちかまえている悪魔たちだ。いじめられている自分を求めている。しかし、それは同性のいじめっ子たちが少女に求めるそれとは何かが違うように思える。いや、もしかしてそう思いたかっただけなのかもしれない。思えば、あの二人のような人物にそれを求めるくらいに、由加里は追いつめられていたのである。
 少女の記憶は進めば進むほど鮮明になっていく。曖昧な箇所は、はるかによって鍛えられた想像力によって、すぐさま修復されてしまう。
 
 夕食後、少女はすぐに消灯してしまった。まだその時間までそうとう残っているにもかかわらずだ。
 
 目の前にはノートパソコンが静かに居座っている。その呼吸音を聞いていると、はるかのことを思い浮かべる。彼女に強制された遊びのことを想いだした。
 官能小説家のマネゴトのことである。
 由加里が羞恥心のあまり眉を顰めるのを、はるかはいかにも楽しげに見物していた。簡単な性語に敏感に反応する少女が、自ら猥褻な物語を造るようになる。はるかは、由加里の変化を誉めてくれた。それを成長だと言って憚らなかった。その過程において、肺が空気でパンパンになって、その身体が爆発してしまいそうになった。
 羞恥心という空気が無理矢理に身体の中へと送り込まれる。はるかは、第一印象とは裏腹の性格を有している人間である。小麦色に焼けた身体と常識はずれの運動能力を誇るこの少女が、じっさいは、彼女自身気づかない豊かな文学的才能と感受性を持っていた。
 それがどうして、自分にたいしての攻撃性に変化してしまうのがわからない。今、それを考え中である。おそらく親友である海崎照美にたいする想いが鍵になっていることは事実だろう。
その時、由加里はそう考えていた。自分をいじめている二人に関して冷静な視点を獲得してはいたのである。
 由加里は、はるかから受けた文学的な訓練をいまこそ発揮しようとしていた。
 自分が陵辱を受ける手前までタイムスリップしていた。あの時間の自分よりも一足早く、あの空間へと足を踏み入れる。

 塚本誠二と南斗太一郎は、首を長くして待っていた。
 誰を? 
 当然、西宮由加里をである。
 少年、二人は自分たちが認識できない自分の欲望を満足させるために無い頭脳を絞りに絞ってこの計画を立てたのである。
 ここは、柔道部の旧部室。木造の平屋建ては、築50年の歴史を閲している。裸電球と所々ひび割れた内装は、何処か戦前の臭いをぷんぷんさせている。
 今、二人の中に得体の知れない蛇が鎌首を擡げている。それは主人の制御を超えて欲望を叶えようとする。二人は自分の意志で行動しているつもりなのだが、じっさいは、その蛇に従っているだけなのだ。
 さて、その蛇が求めたものは、一言で表すと女人ということになる。しかし、異性への想いは充実しているのだが、その正体に知悉しているわけではない。白い肌と柔らかそうな髪。それらにどうして惹かれるのかわからない。
 しかし、喉から手が出るほどに欲しい。舐め回したいぐらいに、所有したいと想う。欲望に気づかないくせに、それに乗っ取られている人間ほど始末に負えないものはない。

「おい、まだかよ、太一郎!」
「ボクに聞くなって」
 顔を赤くして、太一郎は言った。まるで喉に詰まったものを吐くような様子だ。誠二は友人の顔を睨みつけた。しかし、その真意は計りしれない。
「本当に、来るのかよ!」
「大丈夫さ、ボクの書いた愛のラブレターがあるし」
 臆面もなく言う太一郎。
「何を!? 愛の? ラブレター?あはははは!!」
 塚本の方は彼の友人よりも多少なりとも知性と理性を持ちあわせているらしい。下品な笑いでこの狭い旧部室を埋め尽くす。
「お前な!」

 ガシャン。

 太一郎が非協力的な友人に抗議しようとした ―――、まさにそのとき、使い古されたドアが開いた。50年もの間、体育系の荒男どもの脂ぎった手が開閉に使ってきたドアである。その人生の最後に、由加里の用な麗しい少女の手によって握られたことは、せめてもの死に水になったことだろう。
 『作家』の由加里はこの時、自分の背後に迫る3人の人物を透視能力を有する目で捕らえていた。 
 しかしながら、そのうちのひとりにはほとんど興味がない。

 神崎祐介 ――――野蛮を一文字で表したようなこの男と目を遭わすものおぞましいと想う以外に感想らしい感想を抱くこともない。
 しかし、由加里は見てしまったのである、背後に潜む照美とはるかの姿を ――――。
――――どうして、あの二人ガ・・・・。
 由加里は急いで透視能力にフィルターを掛けた。
―――これは私が創っているシナリオよ!真実じゃないわ。
 少女は彼女だけがそう想っている現実を見ようとした。
 室内では、二人の若い狼、いや子狼というべきか、のオスが由加里を囲んでいた。

「もう、後ろはないよ」
「ヒ!?」
 由加里は薄汚い壁にぶつかった。背中を通しても、その汚れが目に見えるようだった。ダニやらシラミやら得体の知れない生き物が巣を作っているかのように思える。肌に触れるだけで炎症ができるような気がする。
 8:2 すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
 8:3 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった


 由加里は、はるかに渡された書物の中にそのような文章を求めていた。
 言うまでもなく聖書の一節である。このはるかという少女は相当の読書家のようで、官能小説だけでなくこのような書籍も混入していた。
 というよりは、本ならばどんな作品でもこれでもかと、詰め込んでいた。
 田中芳樹の『銀河英雄伝説』からヘルマン=ヘッセの『車輪の下』まで古今東西各種の本が眠っていたのである。当然、知性においては並ぶところのない由加里のこと、読書は厭わないが、それは成績を保つためであって、すすんで本の価値を知るためではなかった。だから、皮肉なことにはるかによって、それを知ったとも言えるのである。
 しかし、今はそんなことを考えているときではない。目の前にいるのはキリストと聖母マリアではないのだ。

「西宮さん、ようこそ」
「・・・・・・?!」
「あれ? 西宮さんってよく見るとけっこうきつい顔をしているよね、美人だけど。そうか、あれほど嫌われているのに、よく学校に来れる思ったんだけど・・・・・、やっぱり、性格きついんだね。そうじゃないと学校に来れるわけないか」
――――そんなところにも性格が現れているんだね。少年はそれを文章化できるほどに知性に恵まれているわけではなかった。
「・・・・・・・・!?」
「あれ、泣いちゃってるの?」
 
 由加里は涙ぐんでいた。悔しかった。男子にまでこんな扱いを受ける。別に、この二人が恐いわけではない。その背後にいる高田や金江、それにクラスの女子たちが恐いのだ。それにあの手紙。こともあろうに書き写してしまった。あれは痛恨のミスである。わざわざ墓穴を掘ったと言ってもいい。
「ヒイ! イヤアアアァ!」
「おい、太一郎、お前も!」
「おい、誠二・・・・・」
 太一郎はただ立ち尽くしていた。目の前で、起こりつつあることを信じることができなかった。誠二は由加里の右手を摑みとっていたのである。

――――なんて、柔らかい! これが女か!?
 少年の体内に感動が広がる。マシュマロのような感触は、彼がこれまで味わっていた触感のどれよりも甘美で夢心地にしてくれる魔法の絨毯だった。
「いやああ! いやあ!許して! もうやめてぇぇぇ!!」
 由加里はいじめっ子たちに、この台詞をそれこそなんかいも言ってきたはずだ。
 しかし、相手が異性となるとその言葉の意味は自ずから別の性格を有することになる。それは由加里じしん気づいていないことだった。そして、もうひとつ恐るべきことが少女の身の内で起こっていたのである。
 この少女の脳裏にはある人物の映像が浮かんでいて、ふたりに救いを求めていた。
 それは母親でも姉でもなくて、なんと、照美とはるかだった。

――――どうして?
 由加里は左手をも、少年に摑まれながら呻いた。誠二に促された太一郎は、ついに思い人の手を摑むことに成功したのだった。
しかし、由加里を人格崩壊寸前にまで追いつめているのは、少年二人ではなく、自ら作り出した映像だった。

 照美とはるか。

 どうして、よりによって、あの二人に救いを求めているのだろう。

 ――――私は、もう完全にあの二人の奴隷になっちゃったの? そうよね、主人ならば自分の奴隷を助けようとするわよね。お金払ってるんだし ・・・・・・。
 ほとんど自暴自棄になって、泣き続ける。
 上品なつくりの細面を涙で歪めながら、由加里は絶望に落ち込んでいく自分を認識させられた。

 ―――もうだめだ。だめだわ。ごしゅじんさま、助けて
「キレイな顔が台無しだよ、西宮さん」
 太一郎は、恐るべきことを言おうとしていた。
「そんなにボクのことを好きなんだね。泣いて喜んでくれるなんて」
 この台詞には誠二ですら、呆れたぐらいだった。しかし、臆面もなく、いや臆面という言葉を知らないこの少年はさらに畳み掛ける。
「ラブレーター嬉しかったよ、恋人になってくれるよね」
―――恋人。
 この少年は、本当にその言葉の意味を知っているのだろうか。由加里はそれを訝しく思った。決して口には出せなかったが。
 しかし、このふたりが少女に感じさせているのは、照美たちに感じる恐怖とは性質の異なるものだった。前者を上品な恐怖だとすれば、後者のそれは下品なそれ。言い換えれば、エイリアンやその他おぞましいものに対する嫌悪の念だった。
 改めて、あのふたりが自分に対して抱く憎しみと恨みの深さを知った。けっして、その内容を知り得たわけではないが、その雰囲気ぐらいはうかがい知ることができた。だが、そのふたりに思慕の念を抱いてるのである。
 もっとも、誠二と太一郎という2匹のゴキブリに比較して、そう見なしているのかもしれないが。しかし、この危急のときにあって母親を思い出せなかったのはどういうわけであろう。それを思うと、やはり照美とはるかに関する方程式を解くことができないことを知るのである。

「いいのかな?ラブレター、教室に張り出しても?」
「・・・・・・・・・!?」
 両腕を男子によって捕まえられても由加里は奴隷であることを潔しとしない。
 大粒の涙をいくつも床に零しながら華奢な身体を振る。
 それにしてもどうして涙が落ちるときに音がしないのだろう。由加里は絶望の底なし沼にはまりこみながら思った。
 少女にとって大問題なのに、外界においてはどうでもいいことらしい。だから、クラスメートの誰も残酷な手段によっていじめ苛まれている由加里に、同情の一片も与えないのだろう。
由加里は、教室で毎日行われているいじめを思いだした。しかし、この薄暗い部屋においては、誠二と太一郎しかいないのだから、それを求めることは無意味に等しかった。
むだな抵抗を際限なく続ける由加里に、業を煮やしたのか、誠二が冷たく言い放った。

「高田たちが喜ぶだろうな」
「・・・・・・・・・!?」
由加里は腑を握りつぶされた。
 もはや、一人では立っていられない無力な人形と化した。誠二と太一郎のダッチワイフと化そうとしてたのである。

 さて、『作家』の『由加里』も中空に漂いながら、あふれる涙を抑えていた。しかし、何処かで事態を達観する冷静な目を持っていた。
 その目は、部屋の外を透視しはじめていたのである。
 
 はたして、照美とはるかが言い争っていた。
「どうして、このまま殴り込もう!それにあいつのミジメな様子を見てやれるじゃん?」
「いや、それは後でもできる」とこれは照美。
 照美はなぜか冷静だった。まるで暴れ馬を御する騎士のように、はるかを諫めていた。本来ならば逆の役割を照美が果たしていた。

「それはあすこにおられる御仁にまかせればいいじゃない」
「う? 祐介?」
はたして、そこには神崎祐介が立っていた。まるで鋼鉄の巨人のように見える。
しかし、その巨人が口を開くとそれらしくないことを言った。
「は、はるかさん ―――」
「あ ――?」
 呆れた目で親友を見上げる照美。巨人の声は変に裏返って、下手なカエルの泣き声のようだ。しかもあまりに下手なためにメスを惹き付けることもできない。しかし、このカエルは鋳崎はるかという趣味の悪い異性を惹き付けたようでは ―――あった。
「ねえ、神崎せんぱい」
「な、何か?」
 外見だけはセンパイ顔をしたが、この美しすぎる後輩にも頭が上がらないのだった。
「あのバカたちが、どんな手を使って私たちの奴隷を籠絡したのか知りたいですけど ――」
「籠絡?」
柔道用語は、彼に辞書に載っていたが、あいにくとその言葉を見つけることはできなかった。
「あの奴隷はバカじゃないんですよ、あんな奴らの言いなりになるわけがないと愚考した次第でして ――――」
「愚考?」
 照美は、あえて難しい言い回しをすることで、自分の感情を抑えていた。しかし、そんな機微を見抜けるほどの洞察力がこの筋肉の塊にあるわけがなかった。
はるかは諦めたかのような口調で言った。

「まあいいわ、祐介、お願いね。殺さないていどにお願い」
「わかりました」
 鋼鉄の巨人に戻った祐介は、動き始めた。カシャーン!ガシャーン!!という音があたかも聞こえるように思えた。
しかし、その音は照美には聞こえなかった。
「照美? 泣いているのか?」
「な、泣いてなんていない!!」
 美貌を劣悪な感情に歪めた。しかし、はるかはその方がよほど美しいと思った。
「わかっているぞ、照美、あの女のブザマな姿を見たくなかったんだろう? それであいつを傷 ――――」
「言うな!」
 みなまで言うまえに照美の手がはるかの顔を覆っていた。
「お前、そこまで自分の神経を痛めつけてまで、こんなことしてるんだ?」
 自分に凶器をつきつけた相手にたいして、優しく諭すように言う。

―――見たくないわ!こんなの嘘よ!嘘!
 『作家』である由加里は、すべてを打ち消そうとしていた。
 少女が造りだした照美とはるかが、あたかも人形劇の人形のように動いていた。人形師は由加里なのか、はたしてわからない。それにしては、ふたりは本物の人間のように生き生きとしていたからである。



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