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『マザーエルザの物語・終章 24』
 絵画と人間のやりとりとは真剣な行為である。両者の間に火花が散る。すこしでも気を抜けばとたんに心を奪われてしまう。
 それは、単なる絵の具の塊などではない。もしも真性の絵画ならば心を持っている。それゆえに、人間との関わり合いには自然と心のふれあいをもたらす。それは肉体を持つ人間との、いや、それ以上に真剣な心の鞘当てを必要とされる。
 だから、単に絵画が目の前にあるだけでは体面を意味しない。

 あおいと啓子が、再び井上順の絵画と本質的ないみにおいて体面するのは、かなり先のことである。
 仄かに蘇った記憶も単なる気のせいとして処理された。まだデジャブーという言葉すら知らなかった
ために、記憶にラベルが貼られることすらなかった。未処理というマークを付けられて段ボールの箱に混紡されて、記憶の奥底に放り込まれてしまった。
 やがて、冬休みが終わって三学期が始まると、日常の出来事に悩殺されてさらなる忘却の彼方へと押しやられてしまった。
 啓子の場合はともかく、謂われのない虐待を受けているあおいなぞは、何時か見た名前も知らぬ画家のことを憶えている余裕はなかった。

 しかし、啓子は、いつしか絵画への興味を憶えていた。その画家のことはタンスの上にでも押しやっていたのであるが、教科書の端に落書きをするていどのことははじめていた。いままで完全に美術に興味を持たなかった彼女のことだから、それは革命的な変化であった。
 しかしながら、その変化は美術以外の授業においては歓迎されなかった。
 だから、机上にて、弧を描いてダンスを踊る鉛筆の軌道。
 それが教師から認められないのは当然のことである。

―――――残念ながら、その女教師はそうとうにめざとい視力を持っていたのでした。
 教師は、啓子の机を見とおしながら思った。自分の行為を客観視したのである。一般に言って、作家と言われる人種から趣味で小説を書く人間まで、それは、幅広く見受けれることである。
 阿刀久美子は、聖ヘレナ学院5年B組の担任である。
 久美子は上品な容貌を意地悪そうに歪めて、笑った。とある理由があって、美貌を隠している。何ていうことはない。女性ならば化粧の技術しだいで、そのようなことは、造作もないのだ。
 しかし、子供たちは大人の予想を超えてめざといものである。ちょっとした瞬間の気のゆるみから、見せた横顔の美しさと陽光のフォーメーション。
 それは、100メートル先に飛ぶ蚊を矢で射るような確率で子供たちの目の前に現出した。それは、黄金食の絵画だった。
 
 久美子がそれを見つけたのは、教室の背後から教卓に向かって歩いているときだった。そのとき、算数の小テストの最中だった。久美子は、ある児童の席に視線を走らせた。その子は、テストはすでに終わってしまったらしく。手持ち無沙汰な様子で鼻歌を歌うマネをしていた。
 しかし、それもすぐに飽きたのか、鉛筆に弧を描かせていた。
興味深げに久美子が観察を継続していると、やがて、ある人物のポートレイトができあがっていくのがわかった。

 啓子はテストの隅に絵を描いていたのである。

 久美子は、ある瞬間を捕らえて、少女の肩にエナメルの爪を食い込ませた。もちろん、白いブラウスにかすかな食い込みを造るだけだったが、彼女にとってみれば肩ごと筋肉を食い破られるくらいの衝撃を受けたのかもしれない。
「赤木さん、何を書いているの? おもしろい解答ね」
 もしも、久美子以外の人物がその台詞を吐いたならば、単なる嫌みにしか聞こえないだろう。ただし、彼女が言ったならば凛とした核をその言葉に感じさせるのである。
「・・・・・・・・・・・・・?」
 しかし、この時はそのような色は完全にこの少女から褪せてしまっていた。ただ、驚愕と言いようのない不安だけが彼女を覆っている。
「残念だけど、どちらが解答なのかわからないわよ、だから0点ね、画家さん」
「ぁ」
 少女と好対照の態度が醸し出す空気は、冷静そのものだった。この劇場の客たちは、自分たちが完遂すべきテストのことなど忘れ去ってしまって、一種の寸劇に見入っている。
 
 巻き貝をモティーフにした内装は、一見して、修道院の峻厳さを思い起こさせる。それが私立だとはいえ、とても小学校の一教室とはいえない雰囲気を醸し出している。そんな大道具たちは、ふたりの寸劇にある色合いを提供していた。
「ぁ、じゃないわよ、どちらが解答なの? 0点になりたくなかったら、解答じゃないほうを消して起きなさいね」
「はい・・・・・」
 微かに漂う香水の匂い。少女の知識ではその種類を類推するのでさえ困難だった。
 啓子が、次ぎに見えたのは久美子の後ろ姿だった。少女が自分を見失っている間に、教師の眼中から消え失せていたのである。少なくとも、少女はそう受け取っていた。
 しかし、久美子の脳裏には少女が描いた絵が刻み込まれていた。その絵が少女たちのよく描くアニメ絵でないことは、印象に残った原因のひとつかもしれない。美術は素人の久美子の目からみても、技術的には物足りないものがあったが、たしかに人の顔を人の顔として受け止めていた。

 その絵には、そういう姿勢がよく見て取れた。

―――あの絵は、榊さんじゃなったわよね?!
 たしかに第一印象はあおいそのものだった。しかし、よく見ていると全く違うことがわかった。天に向かって尖った鼻、鋭い目つきはあきらかにどちらとも、あおいのそれではない。だが、久美子に錯覚させる何かをその絵は持っていたのである。
 しかし、そんな素振りも見せずに、ただ一介の教師としてここにいる。それを自分に厳守させることにした。無意識が自分に何をさせようとしているのか、ただ、それを楽しもうとしているだけだ。ちょうどテレビや映画のドラマを楽しむように。
 どのような配慮によって、啓子が存在し、あおいが存在し、そして自分がこの場に立っているのか。それはこの段階の彼女にとって永遠の謎だった。いや、謎ですらなかった。そもそも問題提起すら為されていないのである。
 今はただそれらのことを受け流すことしかできない。

 一方、あおいは、どのようにこの教室に根を生やし芽吹いていたのだろう。
 少女は未だかってない気分を味わっていた。手がすらすらと動くのである。鉛筆が正しい答えを紙の上に記していく。こんなことはあまりなかった。学業などは啓子に頼り切っていたので、ほとんど準備をせずに試験に向かうことしきりだったからだ。しかしながら、今回は違う。
 我ながら不思議だった。これまでの100分の1も自由時間を与えられていないのに、なぜか、あおいの心は学業に向かっていたのだ。そして、元々頭が悪いわけではないぶん、スムーズにその能力が開花しはじめたというわけだ。しかし、そのからくりを当時の少女が知悉していたわけではない。
 ただ、目の前ですらすら動く筆記用具に、驚きを隠せないだけだ。

―――今までとちがう。
 自動的に動く鉛筆を眺めながら、あおいは思った。この教室で無邪気に翼をはためかせていた自分は何処に行ってしまったのだろう。
 いや、翼のありかに気づいたときは、すでに鳥は翼を失っている。当時、少女は自分が翼を持っているなどとは露ほどにも思わなかった。みんなが持たぬ黄金の翼を煌めかせているなどとは、考えもしなかった。しかし、それを失ってみてはじめて、自分が大変に貴重なものを備えていたことを知ったのだ。
 もう飛べない。そう思っただけで不安になる。自分がこのクラスにいるべきではないと思える。まるではじめてこのクラスに入ったかのようだ。寄る辺がいっさいないとはこれほどまでに不安なものか。
 いや、ちがう。ひとりだけあおいが寄る辺だと認識できる人間がいた。

 赤木啓子。

 たしかに、かつてのように無邪気に頼り切れるわけではないが、彼女とは深い絆で結ばれていることがわかる。直截的にその事実を認識できる。しかし、なんだろう、この罪悪感は。
 それまであおいは罪の意識について考えたことはなかった。ただ、親や教師という彼女を圧倒し支配する存在に保護される代償として、彼らの言いつけを護る。もしも、それを破ったときに感じる。それが子供にとっての罪悪感の源である。彼女から積極的にそれを求めることはなかったのである。大人は常に少女の法律の裏付けだった。
 しかし、いま、積極的にそれを感じるのだ。それも啓子に対してだけ。自分がどれほど悪いことを彼女にしたのだろう。
 少女は、大腿をよじった。その制服のよじれは下半身から上半身へとすなおに伝わる。ちなみにこの学校の制服は上から下まで統一されたブレザーである。初等部おいては、デザイン的に早すぎるという意見もあるが伝統の一言で一刀両断されてしまう。まさに伝家の宝刀だ。

 視線は啓子に向かっていた。彼女はいつものようにテストを早めに切り上げてしまったらしく、絵を描いていた。それはあおいの席からも見て取れた。新学期を迎えて、席順が変わったものの、ふたりの間には見えない引力のようなものが働いているのか、そう離れ離れになることはなかった。
啓子などは、冗談めかして言ったものである。
「まさに腐れ縁だね ――――」
 その言葉遣いは、小学5年生にしては大人じみていたので、あおいの耳にはストレートに浸みてこなかった。しかし、啓子の口調や表情から、それが良い意味ではないことぐらいはわかったので、複雑そうな顔をして親友を睨んだのである。

 啓子は、久美子に叱られてケシゴムに手を伸ばしたところだった。あおいが注視していると自ら描いた絵を消そうとしていた。その顔からはいかにも憮然とした表情が見て取れる。
 その時、ケシゴムが転がった。
啓子とあおいの視線がぶつかり合った。前者はばつが悪そうに、そして、後者は驚いて解答用紙を床に落としてしまった。
 突然、辺りが暗くなった。急に夜が来たのかと思った。
 よく見てみると目の前に黒い人々の行列が出来ている。逆光かと思ったがそうではない。夜と昼が逆転したかと思ったがそうではない。頭の上には凶暴な太陽が吠えている。
――――私、こんなところに来ちゃった・・・・・本当によかったのかしら?
 思考が自由にならない。あたかも頭の中にテープがあって、自動再生をしているかのように、考えが流れてくる。
―――――啓子?
 脳裏に映ったのは確かに彼女だった。しかし、口が開かれて発せられた声は、野太い大人の男性のそれだった。
 彼?は激しく罵っていたがあおいはそれを聞き取ることはできなかった。

 少女を現実に戻したのは懐かしい声だった。
「何をしているのかしら? 榊さん?」
―――テストは済んだのかしら? 相当に良い成績を期待していいんでしょうね?
 言葉にならなかった部分は、久美子なりの配慮である。常ならぬ少女の態度が彼女にそうさせたのかもしれない。教室の空気が確かに感染していた。

――私、どうしたのかしら?
 ものすごく短い時間の間に、自分が10年も年をとったような気がした。大人になったような気がした。身体も心も強くたくましくなったような気がしたのである。しかし、久美子の声がした瞬間に10歳の少女に戻ってしまった。
 久美子に促されて、啓子は何事か話していたが、それは確かに少女の声だった。たしかにその年齢に比較すれば大人びた声であったが、いつもの彼女のそれだったことは疑いようもない。



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『由加里 73』
「どうしたの?」
 由加里の剣幕に「お姉さん」は首を窄めた。まるで思いもよらずに熱いやかんに触れたときのように、手を引っ込める。
 少女は泣き続けている。そのようすは梅雨時の鬱陶しい雨音のようだ。
「お姉さん」は困ったような顔をした。
 甘酸っぱい匂いのするこの少女に何の秘密があるというのだろう。
 
 局所を隠そうとするその姿は、たいへん可愛らしく仄かな意地らしささえ見て取れた。白一色だけが支配する殺風景な病院にあって、一輪咲いた可憐な花だった。
 しかし、花びらは溜まった雨水のためにうつむき加減だ。そのために零れた水滴の美しさは、予想外の皮肉というヤツだろう。
 花は、必死に何かを隠している、花弁の奥に眠る秘所を。
 「お姉さん」は同性ならではのカンを働かせた。その瞳には光るものがあった。何事かと見抜いたというかすかな自信が宿っていた。「お姉さん」の見るところ、それは大事なものを護る姿勢ではなかった。何か恥ずかしいものを人の目から避けるような仕草だった。
 「お姉さん」は自分がそれ以上立ち入ってはならない禁猟区に足を踏み入れそうになっていた。そのことに俄に気づいたのである。ふいに優しい気持ちに心が満ちあふれてくるのを感じた。
 しかし、それを表現するためには唯一の方法しかないことにも気づいていた。一言で現ると何もしないこと。それしかなかった。目の前で打ち拉がれてすすり泣く少女にそれができる唯一のたまむけだった。
 ―――私は何も気づいていない。
 そう自分に言い聞かせながら、ナース室へと歩みを早める。
 
 一方、由加里は、掌が火傷しそうになっていた。少女の恥ずかしいトコロは限りなく熱で満たされていた。これ以上触れていたら、火傷で水ぶくれができそうだ。

―――私、照美さんたちに言われるように、本当にいやらしい女の子なんだわ・・・・・・。まったく救いのない反芻に身を委ねながら、自らの掌を見た。そこには納豆のように糸をひく粘液が染みついていた。それから目を背けるために、再び股間に手を這わせる。あたかも少女が直面している現実が、サンタが実在するといった荒唐無稽な嘘だとでも言い張るように。
「イヤ!!」
 小さく脊椎を波打たせると、虐待された鶏のそれに似た声を上げた。
 それは滅びそうな理性へのせめてもの歯止めだった。少なくとも少女にとってみればそのつもりだったのである。
―――だめ、これ以上手を動かしたら、照美さんたちの言うとおりになっちゃう。由加里は普通の女の子だもん。淫乱なんかじゃない!
 しかし、目の前に起こっていることを垣間見ただけで、その思惟に説得力が備わっていないことはあきらかだった。
 少女は、最後の抵抗を試みた。手の筋肉に命じて緊張させることにしたのだ。総指伸筋は、しかし、主人の意思とは正反対の行動に出た。あるいは、主人の意思に素直に従っただけなのかもしれない。それは本人にも永遠に理解できない永遠にあきらかにされない真実である。
 
 神のみぞ知る。

 少女は、自らの性器に指を走らせていた。
―――イヤ! 違う! そんな私はそんな淫乱じゃない!?
 自己矛盾にともなく不快感。そして、快感。
 それは全身の肌を剥ぎ取りたい衝動を伴う。それを防ぐために、あるいは逃亡するためになおさら、 ――――の快感を追う。
怨むならば女性に産まれたことをこそ忌むべきだった。
 しかし、それに気づかずに自分の肩だけに背負わせたのである。その性が本質的に併せ持つ官能への執着は、女性、個人の意思でどうしようもなるものではない。

「ァふう・・・・・ァ・・・いやぁァ」
 風船にマヨネーズを注入したような音が病室中に充満する。
 このとき、由加里の心の中でひとつの葛藤が生じている。責める側と責められる側が同居しているのだ。
 いじめっ子といじめられっ子というわけだ。
 それはいつもの自慰にすぎなかった。ただ、行われる場所が彼女が親しみ育った自室ではなく、囚人のように放り込まれた病室 ―――というだけのことだ。
 この部屋に塗り込まれた白に、少女は裁かれているような錯覚を憶えた。自分の醜い心が刻まれて精査される。細胞のひとつひとつまで、悪の色が逃げ込んでいないか、それこそ、裁判官の目は皿となって、厳格に調べる。
 DNAには、ほとんど使われていない場所がある。そこには、一人の人間の行為すべてが記録されているという。すると、それを開けば、由加里の恥ずかしい行いもすべからく見ることができるというわけだ。

 自慰。

 由加里が逃げ込んだ合法的な麻薬の別名である。
 それは、虐げられた由加里の心が救われるためには、必要最低限の行為なのである。
 その結果、カタルシスを迎えられるわけではない。しかし、溺れると分かっていても手足をバタつかせずにはいられないように、心の平和を求めて虚しい自涜行為に身を委ねなければならない。
 女性の哀しい性だ。
 自分の汗と愛液に溺れながら、由加里は悲しい記憶に心を浸していた。


 ここは、柔道部の旧部室。近いうちに取り壊しが決定されている。かつて、何人の柔道部員が清い汗を流したことだろう。その営々と受け継がれてきた歴史に泥を投げつけている部員がいる。

 約2名。

「な、南斗くん、助けて、お願い」
 由加里は、咄嗟の判断で叫んでいた。仲間割れした片方に手をさしのべる。戦略の基本だが、そんなことは少女の頭の片隅にも存在しない。ただ、女性的な本能にしたがって。救いを求めただけである。
 太一郎は、誠二の行動についていけなくなっていた。良心の呵責に吠えつかれたというよりは、脳下垂体に棲む母親に叱りつけられたのである。
 そう言った方が適当だろう。
 この少年はまだ母親の乳首が恋しいようだ。もしも、彼女が人を殺せと言えば即座に殺すにちがいない。少年の理性とはそれほどまでにひ弱なものだ。母親か父親か知らないが、彼を圧倒する身近な大人によって作用されるのである。すなわち、子供とは側にいる大人によってその行動が支配されるということ。
 それが、太一郎と誠二が置かれている環境のちがいだった。しかし、このとき太一郎は、凄まじい葛藤の力によって身体を引き裂かれようとしていた。

「ォ、オネガイ・・・・ウウ・・ウ・・ウ・ウ」
 泣きながら救いを懇願する少女。
 しかし、太一郎の視線が向かっている先は、その涙に濡れる頬ではなかった。少女の芽乳房によってかろうじて盛り上がったブラウス。客観的に見れば、それは単なる白い布にすぎない。
 何故か、そこだけ余計な温もりを感じた。もしも、赤外線サーモグラフィを通して、由加里を観察したらならばその部分だけ赤く見えるにちがいない。

このとき、少年の目には、由加里ぜんたいが輝いて見えた。まるで黄金の塊だ。煌びやかなその身体は、少年を呼んでいる。少なくとも、彼はそう考えた。 
 白いブラウスの温度も体温によって温められているにすぎない。しかしながら、何も、少年の母親が醸し出す温もりによって、誘い出しているわけではない。

 男が女を本能的に求めるのは、かつての母親を求めているのだろうか。多くの男性が大きな胸を愛するのは、授乳が忘れられないのか。
 太一郎は唾を呑んだ。
 今にも死んでしまいそうな由加里。すすり泣いて彼に助けを求めるその姿は、全身の毛を刈られたマルチーズよりも哀れだ。
きっと、それは少年に理性に訴えかけているのだろう。
そ して、少女の白いブラウスは、少年のリビドーに訴えかけている。皮肉なことに、彼のばあい、どっちに転んでも母親だ。両方とも、夕食のしたくをしながら彼を待っている、コトコトと音がする煮物は、少年を喜んで迎え入れるだろう。

「・・・・・・・・・・」
 少年は無言で歩み寄ってきた。
「そうだよ、太一郎、お前も男だろう? 覚悟を決めろよな」
誠二は、勝手なことを言いながら、少女を抱き寄せる。ペチコートのような柔らかい感触が少年のがさつな身体を宥める。少女の身体の柔らかさは、極上だった。このまま剥製にして持ち帰って、ソファの代わりにしたいぐらいだ。
しかし、ソファの方では自分の運命を喜んでいないようだ。
「ィイヤア・・・・ぁあぁっ!?」
萎んだ風船を踏んづけたような声が、辺りに立ちこめる。それが太一郎の意思を決定づけた。
「そうだね ―――」
「ヒイ!?」
巨大な影によって少女は呑みこまれた。
 その瞬間、由加里は自分の立てた戦略が無惨に崩れ落ちるのを見た。あたかも敗軍が運命づけられた提督のように、自艦隊が壊滅しているのをただ立ち尽くしながら眺めている。何も出来ずに、大切なものが失われていく。
 ほろ苦い敗北感とともに、しかし、何か違う感覚を覚えるようになった。それは自分が置かれている状況とはうらはらに、仄かな安心感だった。
 それは相手が照美や高田と言った同性ではなく、異性である男性だったからであろうか。同性にいじめ苛まれ続けた由加里は、いつしか精神を奇形化することによってようやくバランスをとっていたのかもしれない。
 その異性は、由加里を取り囲んでいた。芽生えはじめた異性へ熱情は、劣情へと著しく変質し、異界の化け物のように少女を蝕もうとしていたのである。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ヒ?!」
 太一郎は、無言で由加里にぶつかっていった。それは誠二の行動よりもはるかに自制が効いていなかった。溜まりに溜まった欲情が抜け穴を探して、その身体を右往左往していただけに、出口を見つけたときの爆発力は筆舌に尽くしがたいものがあった。
「おい、太一郎!?」
「・・・・・・・・・・」
 誠二でさえ驚きの声を上げるくらいに、太一郎の変容は突然であり、情け容赦がなかった。それは、少年の気まぐれないたずらをはるかに超えて、暴行という言葉でしか表現できない境地に達していたのである。

―――――シュークリームを潰す感覚に、少年は打ち震えていた。それは、はじめて母親を凌駕する行為だったのかもしれない。てのひらいっぱいに広がるクリーム。あたかも、手の神経に甘みを感じる受容器が発生したかのように、少年は由加里の身体によって甘みを感じていたのである。
甘酸っぱい味を堪能していた少年であったが、由加里にしてみればそれは無理侵入してきた闖入者
であり、インベイダーにすぎなかった。

「イヤ!イヤァァァァ!?あああ!!」
 泣きわめいて抵抗しようとする由加里だったが、同い年の少年ふたりに摑みかかれては、もう抵抗のしようがない。このとき、少女は、はじめて異性の怖ろしさと力強さを同時に感じた。それを敵にしたと味方にしたときでは雲泥の差があることを悟ったのである。もちろん、目の前で蠢く男どもが自己の味方になるとは露ほどにも思わなかった。

 はたしてこのとき ―――――――。
 あの男はどうしていたのだろう ――――――?
―――――――――――。
 誰だったろう?
 言うまでもないだろう。
 そう、神崎祐介、柔道部、部長のことだ。

 狭い世界に生息する中学生としてはこの世でもっとも怖れる人物である。親よりも教師よりも彼は、この男を怖れている。
 鋳崎はるかは、彼女が望む結果のために、祐介という誘導式時限爆弾をセットしておいたのである。さて、そのとおりになったのだろうか。
 しかし、たしかに誘導はうまくいったのだが、不発弾とは言わないまでも、爆弾は時間通りに動かなかった。
 どうしてだろうか? 誠二と太一郎のふたりなど、祐介にとってみればアリほどの存在感もないだろう。アリには咬むという抵抗する手段があるが、このふたりにはそれさえない。ほとんど赤子の手を捻るように、握りつぶせるはずだった。
 それなのに、この男は物陰に潜んで何をしていたのであろう。室内で行われていることを伺っておきながら ――である。

「もう、もう、やめて、やぁめてくださいぃ・・・・・・・ウウ!!」
 鼻にかかった声は、粉塵を上げて室外まで及んでいたはずである。それなのに ――。
 この男は、いったいなにをしていたのだろう。
 自分の後輩が少女を陵辱している。こともあろうに、練習中に ――――である。そもそも、部の領袖がさぼっているのは、どう説明するのだろう ――――ということは、とりあえず抜きにして、祐介が爆弾として機能するのは当然の帰結だと思われたのである。


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『マザーエルザの物語・終章 23』
 赤木祥子は長いすに座っていた。展覧物はあらかた回ったので、一休みしようと思ったのだ。すぐにでも帰ろうとも思ったが、思いの外、あおいが夢中になっているので、少しばかり待っていようと思ったのである。
 もっとも、啓子のほうはかなり迷惑そうだったが、それは意識からあえて除外することにした。

  当然のように煙草は吸えないので、たいへん、手持ち無沙汰だった。それに口が淋しい。レストランでも車の中でも、子供たちがいたので、ニコチンを摂取するわけにはいかなかった。その代わりと言ってなんだが2500円もする画集を開いている。
 そこには、啓子が今の今まで座っていたが、あおいにせかされて、あたかも獄舎に連行される囚人のように展示のある方向へと歩いていった。

――――そんなに不快なのかしら? この絵が?
 生まれて始めて自費で買った画集をパラパラやりながら、祥子は思った。彼女の祖父は相当な絵好きであり、彼の家に行くと画集や展覧会のパンフレットが所せましと部屋を占領していたものだ。

――――おじいちゃんの所にこの画家のってあったけ。
 幾ら自分の記憶を辿っても井上順の画業と挨拶をすることはできなかった。彼の絵は見れば見るほどに独特なことがわかる。たった一人の女性というモティーフだけで、独自の世界を建築できたとすれば、かなり希有な画家ということになるだろう。これは、画集の編集者の言であるが、素人にすぎない祥子にすればその成否を云々することはできない。ただ、絵と見つめあうことだけしかできないのである。

「さて、そろそろ帰るか」
 祥子は、ふたりの子供を回収するために絵の方向へと歩み寄った。
 はたして、ふたりはある絵の前に立ち止まっていた。
 それは、例の女性が民族衣装に身を包んでいる姿を描いた絵だった。説明書きには、結婚式の衣装とあったが、何故か、祥子は視なくてもわかっていた。それは一種の既視感にも似たような感覚だった。
 その衣装は、一般的に言う結婚式用のそれとは、完全に一線を画しているにもかかわらず、祥子は視た瞬間に、すべてを悟っていた。
 凛として前を見据えた蒼い瞳は、確として少女の性格を暗示している。そして透けるような白い肌は、清らかな彼女の属性を語っていよう。整った鼻梁はいささか天を向けて尖っている。それは王侯貴族のように誇り高いこと高らかに宣言しているのだろう。

 しかし、少女の煌びやかさに比して、衣装の色調の暗さはどうだろう。黒を基調とした衣装はたしかに貴族の誇りを感じさせるが、どう見ても葬式用の衣装としか思えない。それがこの国の文化というヤツだろうか。所変われば文化も変わる。
 しかし、洋の東西を問わずに典礼用の衣装などというものは共通した性格を持つものだ。
結婚式は派手やかで、葬式はその逆。
 そのイメージに対して真っ正面から挑戦するような衣装がそこにあった。美しい真珠のような少女を包んでいた。
 啓子とあおいは恋人のように手を繋ぎ合って、その少女に魅入っている。まるで時間の神さまから忘れ去られてしまったかのように、ふたりはたじろぎもせずに絵を見つめている。しかし、ふたりの視線は微妙に違うように見受けられる。しかし、具体的なことは何も分からなかった。

「早く、帰ろうか。夕飯の用意もしないといけないし ――――」
 その言葉は意外と、現実回帰のために役に立った。
 祥子の言葉はしたたかに影響を与えていた。ふたりは、将来の空腹に思いを馳せていたのである。
 今まで夢を見ていたかのように、起こったことを押し入れの奥に片づけていた。
 さきほどまで見せていた表情は、いったい何処にいってしまったのだろう。あの時、たしかにふたりの顔が違って見えた。
 年齢を超越したようなその顔は、あきらかに日本人が見せる表情ではなかった。とても乾いた大気。それは祥子が生まれ育った環境とはあきらかに違う、完全に異界だった。地平線が見える。視力が蘇ったのかはるか遠くの樹木がはっきりとみえる。葉脈のひとつひとつから、それにまとわりつくトンボの触角までが手に取るようにわかるようだ。

「ねえ、ママどうしたの? 早く帰ろうよ」
「ァ?うん」
 娘に肘を引っ張られて、祥子は、現実に回帰した。
 啓子とあおいが不思議そうな顔で自分を見つめている。ここは何ていう星なのだろう。意味不明なことが意識に昇る。
 ちょっとした酩酊状態に陥っていたようだ。まったく恥ずかしい限りである。何とかしないと。また啓子に何を言われるのかわからない。かつての久子にされた時のように、この娘にいいように言われるのだ。自分がずぼらなことは棚の上に押し込んでおいて、文句を言い続ける。

「そうだね、絵はどうだった?」
 すっかり普段のふたりにもどっている。祥子は、安心して語りかけた。

「少し、疲れたかな」
「でも、おもしろい絵だったね」

 当たり障りのない返事をするふたり。しかしながら、次ぎの啓子の言葉は祥子の中の何かを動かす力を持っていた。
「ねえ、ママ、私、絵を描こうかな?」
 あれほど絵に悪印象を抱いていた啓子が、態度を豹変させていた。再び、大人びた色が少女の凛とした顔に芽吹いていた。
 不思議な感覚が祥子の胸に浮かんできた。子供が大人になる瞬間というのはこういうものだろうか。
 昨日、子供にすぎなかった子供が、次の朝には急に大人びている。親は、そういうとき、心強さとともにそこはかとない淋しさを感じるという。今、まさに祥子はそれを感じているのだろうか。
 語るべき言葉を祥子は持たなかった。しかし、友人とじゃれ合う啓子を見ていると何故か安心できた。
 傾き欠けた太陽が何事か語りかけてきている。オレンジ色に伸びた陽光に、祥子は返すべき言葉も見いだせない。SFアニメの中に登場するスペースコロニーのような美術館を見上げる。

「どうしたの? はやくしようよ、お腹空いたよ」
「そうだね、お腹すいたね」
 欠食児童たちを率いる鬱陶しさを煙に巻きながら、祥子は、改めて美術館を見直してみた。
 確かにコロニーは回転を開始していた。確かにあの場所は特殊な重力場を構成していたのだ。相対性理論によれば重力は時間と空間を支配するらしい。あの空間はたしかにかぎりない懐かしさと哀しみを祥子にもたらしてくれた。

「わかったわよ、はやくスーパーに行こうよ」
「え? デパートがいいな」
 娘の小ずるい注文に財布を振ってみる祥子だった。


 その夜、あくどい方法で祥子に高級食材を買わせた少女たちは、たらふくごちそうを平らげた上に、赤木家の子女たちの感謝までもらったのである。
 もっとも、それはあおいに集中したわけである。赤木家の末っ子である啓子には、十字勲章モノの武勲を立てたにもかかわらず、一片の祝福も与えられなかった。
 しかし、内心姉たちは、妹の変心ぶりが嬉しかった。ただし、ここまでうち解けてくれたのは、あおいのおかげだと、結果的にこの少女に感謝が与えられたわけではあるが。
 あおいと親密になるたびに変わっていく啓子に成長を、姉たちは見ていた。あまり外部の人間と人間関係を造ろうとしない妹に、姉たちは気を揉んでいたのである。それがここにきて、もうほとんど普通の娘と変わらない。そこいらではしゃぎ回っているランドセルたちとそう変わりはない。
ただし、あおい以外が対象のばあい、はたして同じように係わっているのかという命題に関しては、あまり深入りしないことにしていた。

「あの子、変わったわよね」
「そう ――――?」
 長女の物言いに、祥子は気のない返事を返した。彼女は、特に気にしていなかったのである。

 
 そのころ、ふたりは啓子の部屋にいた。
 あおいが、あれほど固執していた井上順という画家。もはや、彼に対する興味は急速に失せてしまったようだ。その証拠に、せっかく買ってもらった画集はあさっての方向をむいて頓挫ましましている。 
 部屋の隅で悲しく蜷局を巻いている。

 画家は、おのれの魂を絵の具によってキャンバスに埋め込むという。それならば、複製にすぎない画集の絵にも万分の一くらいは残存しているのだろうか。その思惟の片鱗くらいは見いだすことができるだろうか。
 もしも、そうだとするならば、どういう気持でここにいるのだろう?娘たちにうち捨てられた今となっては、完全に聖なる力を失い、虚空に思いを馳せるだけだ。
「ねえ、啓子」
「何よ」
 啓子は、組み立てテーブルを机の下から取り出すところだった。
「そんなもの何するの?」
「あんた、本当にわからないの?」
 おもむろに燃え上がってきた怒りを辛うじて、啓子は口を動かす。少しでも気を緩めたら口から火を噴いてしまいそうだ。
「オセロでもするの?」
「ほら、手伝いなさいよ! あんたのためにやってるんでしょう!? 宿題よ! しゅくだい!!」

 ついに啓子は火炎を吹いてしまった。その先にあおいはいなかったが、背後にあるベッドに座ってマンガでも読んでいるだろうと思われる ―――その友人に本の一冊でもぶつけてやろうと摑みとった。
 その本の表紙を認めると、啓子は時間を止めた。

『井上順 画集』

 素っ気ない表題。挿絵などいっさい挿入されていない。ただでかでかと銀色の文字が、黒字に書かれているだけだ。見方によっては、なんと豪家な装填なのだろう ――――ということになるだろう。
黒い色は硬いイメージを見る人に与える。
 それに啓子は何か心を打たれたような気がした。何かを語りかけているように思えたのだ。しばらくその文字を見つめていたが、やがて意を決したように舌を動かしはじめた。
「はやくしよう、もうこんな時間だよ」
「うん ―――」
 何故か、素直に啓子の言うことを聞くあおい。あたかも、それが当たり前のように、啓子は用意をするために背中を向けた ――――その時である。
 啓子にとってみれば、不意の出来事が起こった。
「・・・・・・・・!」
 聞いたこともない言葉が、あおいの口から漏れたかと思うと、背中と肩に熱と重量を感じた。
「あ、あおい!?」
 親友の手が身体に絡みついてくる。その手はあまりにか細く冷たかった。まるで何キロも冬山を歩き続けてきたかのように、凍えていたのである。
 いっしゅんだけ、ひるんだ啓子だったが、やがて、それが当たり前のように右手を使うと、あおいの 頭を抱いた。手を通して伝わってくる髪の脂はつげの櫛の櫛を美しくするように、ふんわりとした温かみと輝きを与えてくれた。

―――手が温かい。
 啓子はなおも強く握った
 抱き合うふたり。それは、お互いの鼓動を通して、言葉に因らないコミュニケーションを行っているように思えた。
 ふたりは時間と空間をはるかに超えた逢瀬を行っていた。
 
 しかし、それを楽しむ知識をまったく持ち合わせず、ただ、胎内から産まれた衝動に駆られているだけだった。
 まだそれを理解するほどには、ふたりの身体は小さく、精神はひ弱だったのである。だから、理性はまったく機能せず、感情においても原始的なレベルに留まっていた。
 それは新しく生まれ落ちた赤ん坊が、無意識のうちに母親を求めて泣くのに似ているだろう。赤ん坊の目はまだ未発達なので、母親の顔を正しく認識できない。しかし、それでもなお母親を認識している。

 かつて母親と出会ったことがあるからだ。

 衝動は限りなくそれに酷似していた。
 啓子とあおいは、ただ、わけのわからない衝動に駆られて、過去の命令に従い続けていた。

テーマ:萌え - ジャンル:アダルト

『由加里 72』
「ぃイやぁぁァ!」
 くぐもった声が薄暗い部屋に充満する。それはこの部屋の主である埃と婚姻して、不実な夫婦を形作っている。
 南斗太一郎と西宮由加里もそれに習っていた。
 擬装の恋人。もちろん、少女が望んだことではない。
 そもそも、この太一郎という少年は、由加里にとって真冬の小虫ほどにも印象に残っていない。小虫ならば、それでも不快という感情は残るだろう。
 しかしながら、彼には印象らしい印象を感じることがなかった。言うなれば、透明人間と同じである。それは塚本誠二も同様だ。
 今、由加里はそのふたりから陵辱を受けようとしている。ただし、加害者にその意識があるのか、はたして疑わしい。ただ、異性に触れていたい。そのような本能に従っているだけであろう。そして、それに気づいていないほどまでに幼いのだ。
 そんなふたりがどうして由加里の目の前に悪魔の姿を晒したのだろう。これには何か裏があるのではないか。

――――まさか高田さんたちが!?

 自分をせせら笑う悪鬼が由加里の想像の中に侵入してきた。もしかして、一連の出来事はすべて彼女が仕組んだことではないのか。少年ふたりを使って自分を辱めるために!
「ァ・・・・いやぁあっぁ!!?」
 いつのまにか、少年たちの手は由加里の頭と顔を捕らえていた。残酷なロボットの手が摑みかかってくる。それは鉄製のくせにアポクリン臭い汗まで漂わせている。印象に残らないくせに臭い息までする。先祖からの本能に裏付けられた息は、プロトファスマの触角を思い起こさせる。

―――どうして、ここまでして私をいじめるの? そんなに恨まれるようなことをしたの?私は?
 古今東西に関係なく、被虐のヒロインが叫ぶ台詞をまた、由加里も叫んだ。
 しかし、いじめというものに確たる理由などあるわけがない。自分の身体に眠る加虐の本能に従って行動するたけだ。そのことによって生じる脳内麻薬の快感を得るためにならどんなことでもするだろう。
 一般に、大麻にコカインにヘロイン。
 それらを総称する麻薬と呼ばれるものに比較して、脳内麻薬とよばれるものには危険がないとされる。
 しかしながら、それは嘘である。いちど嗜虐の喜びを知ったものは、それを忘れることはできない。  自分の身体と心にしがみつく太古の獣。その正体を知らぬに操られることは、まさに笑止。前者に劣らぬ害悪をばらまくのである。
 手と指を通して伝わってくるマシュマロの感覚、少年たちに男に生まれた悦びを神髄から教えていた。
 普段から、エロマンガや小説で学習していたことが、今、実地で学ぶことができる。
 江戸時代の末期には実学というものが起こったらしい。「新しい学問はじっさいに役立たないと意味がない」そう言ったのは、本居宣長だったか。
 社会の授業で習ったのだが、うろ覚えだ、無能な教師の調子はずれな声だけが印象に残っている。
 そんなことはふたりになんら影響を与えることはないだろう。麻薬の悦楽に浸っている病人にだれが説教できるだろう?


 ふたりはその境地を体験していた。

 目の前に存在する現実に比べたら、予習などはまったく役に立たなかった。
 現実に、異性と触れあう悦びに比べたら想像していたことなどは、まさに画餅そのものだった。コミックの女性は二次元でしかも温度を持たないが、じっさいの西宮由加里はほんのりと温かい。上気した頬は桜色に微笑んで、少年の幼い性欲を刺激してくる。

―――――なんて、愛らしい、可愛らしい! さらに撫で回したい!
 揉んで揉んで、餅になってしまうくらいに、撫で回してみたくなった。
 そうすればそうするほど、少年たちの脳内においては脳内麻薬が流れ出している。彼らはさらなる快感を求めて行為をエスカレートしていく。もはや由加里の奴隷と大差ない。今や、快感の虜にすぎない。

「ヒィ・・・!?」

 いったい、これから何をするつもりなのだろう?
 由加里は呻いた。何かに操られるように怖ろしいことを続ける。
―――恐い、本当に恐い。そして、寒い。寒いよ!
 水晶玉のような涙がいくつもこぼれる。少年たちは、その美しさに心惹かれる余裕すらない。
 ジャンキーに薔薇の美しさ、可憐さを理解する能力があるわけがないだろう。
 麻薬常習者の息は特有の臭いを発するという。内因的な常習者のそれにも、同じことが言えるのだろうか。
 由加里は思わず鼻を摘みたくなった。
 加害者の息の臭いにむせかえるようだ。呼吸がまともにできない。
 
 しかしながら、一方で、ふたりの悪魔に一種の軽薄さのようなものを感じていた。このふたりは操り人形のようなものでそれを操っている人間が何処かにいる。いや、もっと敷延すればその人間に命令を出している黒幕とでもいうべき存在が隠れている。
 いわば、このふたりは所詮小物にすぎない。
 黒幕は別にいる。

 由加里が真に恐怖すべきことは他にもあった。身体と心が完全に分離してしまうことだ。
「ぁぁああ・・・・あぁ」
 ふたりの少年に可愛らしい顔を撫で回されながら泣きじゃくる由加里。しかし、その実少女の身体の中では異変が起きていた。下半身が潤んでいたのである。

―――ウ、ウソでしょう?!

  想像を絶する羞恥心とずたずたにされたプライドによって、両脇から責め立てられて、由加里はしたたかに圧縮されそうになった。とどのつまりは、軽薄な二次元の住人になってしまいそうにもなるということだ。
 太一郎たちが好みそうな書籍類。
 いわゆる、コミックやPCゲームの類。きっと、このふたりは由加里がそんな書籍から完全に自由だと思っているにちがいない。清純で可憐な少女だと思っているのだ。

―――――そんなのウソよ! 私は、そんなんじゃない。そのようでありたいと、いや、そうだと思っていたことはあるけど・・・・・・。事実、みんなに嫌われて、鼻つまみ者になってるじゃない!?
 私は、女の子なら触ることもできないやらしい本が大好きな、変態なの!
 
 由加里の慟哭は空気を震わせることはなかった。
 もしかして、本当の天使は彼らふたりだったかもしれない。西洋美術においてキューピッドというかたちで表現される幼児と無垢の代名詞である。
 無垢という名において、誠二は悪行を為そうとしていた。

「あああ!?」
「おい、誠二、それはさすがにまずいだろう?!」
 太一郎は絶句した。今更ながらに、良心の呵責を思いだしたのだろうか。
 友人の行為に眉を顰めた。
 由加里の胸に、友人の無垢の手が覆い被さっていたのである。もっとも、そのように表現するほどに、少女の胸は盛り上がっていなかったが・・・・・・・。

――――すごい、本当にしっとりしている。
 高級な生チョコレートのような感触に、誠二は悶えた。自分の語彙力と表現力のなさに呆れるほどにそれはすばらしい体験だった。少女の身体は同性のそれとちがってあきらかに柔和だ。しかし、彼の母親のそれのようにタプタプはしていない。

――――アレは女じゃない!!
 天国を体験している間に、どうしてこの世で最も醜いものを思い浮かべる必要がある?少年は憮然とした。それは彼を排泄した人物のことである。一言で言えば母親のことだ。彼女は体脂肪率という概念を完全に無視している。そのような概念を確立した学者たちの想定を完全に嘲笑っている。

――――腰がないなんて、女でも人間でもない!!
 誠二は、友人の制止を無視して先に進もうとした。その時、ありえないことが起こった。背後の扉が静かに開いたのである。

「何処に行く? 太一郎!」
「ボクはもう行く。ついていけない・・・・・・・」
 太一郎は、逃げ出していた。一瞬のことに面食らった誠二は、裏切り者を睨みつけた。由加里の腕は摑んだままだ。
 自由になった片手を必死に使って、由加里は、自らの身体を護ろうとする。美しい貝のひっしの抵抗。誠二は、それを可愛らしいと思った。乙女の、清々しささえ感じさせる抵抗だった。
 しかし、そのまま美術品を鑑賞しているわけにはいかない。
「黙っていろよ!クラスじゃ誰もまともに相手にされないくせに、おれたちが相手してやってんだろうが! 感謝しろよ!!」
 少女の精神をミンチにしてしまってから、改めて太一郎に対した。由加里は金切り声を上げて泣き続ける。目の前に、ぼろぼろになった自分の心を提示されて、とても耐えくれなくなったのだ。
その時、開けられそうになったドアのむこうには、大男が潜んでいた。


「・・・・・・・・・・・・・!?」
 由加里は、すんでのところでノートパソコンを投げつけるところだった。
―――もう小説なんて書きたくない! これ以上書いたら、ワタシ、壊れちゃう! なんでこんなに辛い 自分と向き合わないといけないの? 過去なんてイラない!! 忘れたい!!
 少女は、ヤドカリになりたかった。もしもそうならば、殻に逃げ込めるではないか。
 しかし、借りに逃げ場があったとしても、自分から逃げおおせるものではない。
 小説を描くという行為は常に自分との向き合うことを意味する。人間、何年も生きている以上、良い色だけで紡がれているわけではない。いや、ほとんどはくすんだ色や真っ黒な色で覆われているものだ。
 小説を描くとき、いや、いちどその行為から快感を得た人間は、それと向き合う癖から解放されることは永遠にないのである。
 今、由加里はそれと向き合っていた、絶望の色に彩られた日々と。
 病院の蛍光灯は、やはり冷たい。まったく生活の匂いがしないのだった。


 由加里が、まさに不健康な海に沈んでいるそのとき、鈴木ゆららたちはまさに健康な朝潮で潮干狩りをしていた。
 さいきんでは、水のない夜の海では潮干狩りにテニスラケットが必要らしい。
 さて、3人の少女はただ、砂浜でぱちゃぱちゃしているわけではない。
 
 硬式テニス。
 
 それも世界ランキングno.3である西沢あゆみと連れだっている―――のである、

 乾いた音が、夜間照明のカーテンを引き裂く。テニスボールに反射して全面に展開する光の波は、 まるで霧のように見えた。その輝く霧がテニスコートをより明るく特別な空間に仕立てていた。
 コートでは、はるかとゆららが打ち合っている。
 照美はあゆみと並んで観戦している。
 しかし、どうしてだろう。この人と連れだっていると何故か落ち着かない。けっして不快なわけではない。その名前の大きさに憶しているわけでもない。まるで頭の中にガーゼを忘れられた脳腫瘍患者のように、意識が苛立っている。
 それでも正常な思考はできるのだが、何処か普段の自分と違う。それから脱するだめに何かを言わねばならない。

「はるかの奴、大人げないんですよ。ゆららちゃん傷付けないと良いですけど ―――」
 照美が言うまでもなく、あきらかにゆららの動きは危なっかしい。普段から運動に親しんでいないことは明かだ。
「照美さんでしたわよね。はるかとはテニスをやって長いのかしら?」
「あいつ、ストレス溜まると私とやりたがるんですよ、とんでもない奴です。勝てるわけないでしょう?あ!?」

 言い終わったそのとき、まさにはるかがサーヴィスを打ち込むところだった。周囲の空気をすべて自由に操る。地の精、天の精、地下の精、それらを支配下に置き、自在に操る。
 流麗ということばは、彼女のためにあるのではないか。
 そう錯覚させる何かが彼女に内在している。 
 はるかの身体の動きはそれを暗示しているように思えた。見る人を釘付けにしてしまう魔力を秘めている。
 流れるような身体の動き、それははるかの頭脳に従って100%身体が動いている証拠だ。彼女の 手足がみんなリーダーとして主人を信頼しきっているのがよくわかる。
 柔らかな身体の動きが繰り出すサーヴィスは素人にとって銃弾に等しい。照美はいつもそれを受けているのだ。たまに命の危険すら感じることもある。

「大丈夫よ、あなたの危惧は当たらないわ。だけど、もしもそういうことがあるならば、相当に信頼しているのね、あなたを」
「西沢さん ―――」
 照美は、はじめてあゆみを信用できるような気がした。しかし ――。
「こっちは良い迷惑ですよ、あ、あいつ、私が相手のときはこんなものじゃないのに!あいつ殺してやるってすごい剣幕で打ってくるんですよ!」
 半ば、抗議の意味であゆみにぶつけてみた。

「ふふ、あなたも相当の運動神経の持ち主みたいね」
「そうでもないですよ。でも、あなたは私の知らないあいつを知っているみたいですね」
 照美は、ちょっぴり黄色の視線を向けた。あゆみはそれを見逃さなかった。この美しい少女に嫉妬の感情を抱いたのを見て取ったのだ。
―――――よほどはるかを信頼しているのね。
 あゆみは、それが確かなことなのか鎌を掛けてみることにした。
「あの子は、最初に出会ったとき、まぼろしかと思ったわ」
「たしか10歳にも満たないときですよね、話しには聞いています ――」
「はるかは天才よ。全身がしびれるような気がしたわ、ボールを打ち込まれるたびにね、だから、わたしったら、10歳の子供にホンキで打っちゃったの。コーチはおかんむりだったわ、私も同じクラブ出身だから、私にとっても先生なのよ、彼は」
「やっぱり、それほどですか、あいつ。プロになれます?」
「当然よ、きっと、私を超えるわ。あ、これは言っちゃだめよ、増長するから」
「それは誰よりも、この私が知ってますよ」
 
 あゆみは、意外そうな顔をした。
―――――この子は、本気で友人が誉められたことを喜んでいる。相当にプライドが高そうなのに。
「・・・・・?」
 照美は、あゆみの視線に驚いた。自分をじっと見つめている。それがもたらす熱に思わず狼狽えた。しかし、あることに気づいた。
――――この人は自分を見ていない。自分を通して誰かを見ている。
 直截的にそれが母親であると、照美は、たしかに見抜いていた。
 しかし、少女の意識はそれを拒絶していた。自我の危機に関することだったからだ。社会における特務機関のようなものが、脳の中に存在するのかわからない。仮にあるとすれば、それが少女を自我の危機から救ったのである。
 少女自身、気づかないうちに自分を立て直していた。ボールが発する乾いた音は、彼女の耳にどのように聞こえただろうか。何かメッセージを受け取ったのかもしれない。無機的な音をあたかもコトバのように受け取ることはよくあることだ。
 
 特に、精神に傷を負っているような時はそれが顕著だ。
しかし、この時はまだ劇薬が待っていることを知らなかった。ボールの音は、秒針が立てる音にも似ていた。刻限は過ぎようとしていたのである。


 さて、再び由加里に視点を戻してみよう。
 少女は、看護婦に全身を拭われていた。ちなみに、少女の身体を拭っているのは、似鳥可南子ではなかった。そのことが少女にとって幸いだったのか、それとも否だったのか。
 看護婦は、可南子よりもずっと若い准看護婦である。由加里の目には高校生ぐらいに見える。おそらく学校を卒業して間もないと思われる。しかし、少女の心のなかを荒れまくっている風はそのようなことではない。
 准看護婦は始終優しげ表情で仕事を続けていた。
 着物をはだけるときや、身体を動かすときの仕草などを見るに付けて、由加里にたいする優しさと思いやりが透けてみえる。
 しかしながら、その様子にひそかに恐怖を憶えていた。
―――どうしてだろう? 私はいじめられることに馴れてしまったのかしら?
 
 由加里は悲しくなった。
――――だけど? もしかしたら・・・・・・!?
 その危惧は、精神の危機に関することだった。もしかしたら、屈辱の鞭でしたたかに打たれたことは、本当に不快なことだったのだろうか。いささか疑問を呈さざるを得ない。
 本当のところ、それを望んでいるのではないかということだ。もしかしたら、自分はとてもいやらしい女の子なのではないか ―――という危惧である。いや、もっと恐るべきことはもっと他にある。
 西宮由加里という少女は、先天的に淫乱なのではないか。照美たちは、それを引き出したのにすぎないのではないか。あたかも人間の赤ん坊がアプリオリに歩くことを識っているかのように。
永遠に臼を回し続ける。その音は由加里を執拗な自己嫌悪に導くだろう。か弱い少女は涙にくれるだけだ。

―――ぁぁ、私、汚いの。いくら拭いてくれてもとれないよ。お姉さんの手が汚れちゃうだけだよ。この汚物はいちど付いちゃったら取れないよ、それでもいいの?
「・・・・・・・・・・・」
 理由もあきらかにせずに涙にくれる由加里に、准看護婦はどうやって対応したらいいのかわからずに戸惑うばかりだ。
 もはや、そのような優しさを受け入れる感受性すら摩耗してしまって、自分の創り出した牢獄の中で野タレ死にするだけだ。

「ェェェェ・・・エエ!」
「どうしたの? 西宮さん?」
―――抱きしめてほしい。お願い、全身の骨と筋肉が壊れるまでそうしてほしい。
 何処かで読んだ小説の一節を噛みしめていた。陳腐とさえ言えるその表現が、真に迫っていることに今更ながら実感させられた。

――――お願い、ココを弄って。そして、唾を吐いて、淫乱だって罵って!
 目の前の優しそうな女性に、由加里はそれを求めていた。照美や可南子にされたような性的な辱めを望んでいたのである。そして、もっと怖ろしいことはすぐに起こった。少女の精神のリンボに眠っていた自尊心がその鎌首を擡げはじめたのである。
 元来、自尊心の高い由加里にとってそんなことを考えるのは、他人にいじめられる以上に、辛いことだった。それほど自尊心が傷つくことは考えられない。
 付け加えると、この世でもっとも始末におけない存在がある。それは、高い自尊心を有していながらそれに気づいていない輩のことである。そういう人物は概して人触りがよくて、とても温和だ。

 ところが、その反面とても敏感な味蕾を持っている、それは敏感に刺激を受け取る。他の人ならば傷つかないようなことでも簡単に心を害してしまう。照美のように外見からして、プライドの塊のような人間ならば、予め注意するようなことも可能だが、由加里のような温和な外見を持っている人間だとそのようにはいかない。
 本当に始末が難しい所以である。

 自らが排泄する汚物とその臭い。
 噎せ返るような体臭に、由加里は嘔吐しそうになった。そもそもそんな臭いなど存在しない。事実、お姉さんはそんなことは何も言っていない。しかし、顰められた彼女の顔は、由加里にとってみれば、体臭の存在を証明していることになるのである。
そ して、少女にとってもっとも恐るべきことが起ころうとしていたのである。お姉さんの手が由加里の下半身に向かおうとしたのである。
「ダメ!!」
 その時、「お姉さん」は腕にガラスの小片を刺されたような衝撃を受けたと言っている。しかし、いくらその場所を確かめてもかすり傷すら確認できなかった。






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『マザーエルザの物語・終章 22』
 
 祥子がどうして娘とあおいをその展覧会に誘おうとしたのか、その理由はわからない。

 気が付いたら、そのような気分になっていて、チケットを差し出していた。チケットはたまたま持っていたものである。
 非常に宗教的なはなしになるが目に見えない得体の知れない力によって、身体を吸引されている気分になった。
 何者かに操られている。自分の動きの中に、自分の意志でないものを見つけたのである。チケットは友人の気まぐれによってもらったものであるし、その朝、たまたま選んだバッグにそれが混入していたのは、単なる偶然にすぎない。
 そして、ふたりを目の前にしてチケットを取り出したのは、単に陽光が眩しかったからである。
 啓子は絵画などに興味はないし、あおいもそのようなそぶりを見せたことがない。
 学生時代からの友人である久子は、若いころ画家を目指していた経緯があるくらいだ。今でも好きであるし、絵画を収集していた時代もあったはずだ。
 たしか、彼女の家の居間には、相当値打ちのある絵画が掛けられていたはずだ。画家の名前は失念してしまったが・・・・・。

 祥子の運転する車は一路、都内にある美術館に向かって走っている。バックミラーに映るあおいは寝入っていた。その寝顔を本当に可愛らしいと思った。まるで西洋人形のような仕草で、そこに存在している。大理石のような塑像。滑らかな肌は祥子から視ても触れているようにすべすべと感じさせた。まるで触っているかのように、手触りを想像できた。

「あおいちゃん、寝ちゃったわねえ」
「きっと、疲れているんだよ。何に疲れているのかわからないけど ―――」
 啓子は、言葉を車外に投げ捨てる。
 その仕草が異常におかしかったのか思わず、祥子は噴き出してしまった。
「何よ」

―――失礼な。
 それを呑みこんだから、啓子の表情はさらに滑稽なものとなった。
「啓子が絵に興味持つなんて珍しいなあって思って」
「気まぐれよ」
 音のひとつひとつを車外に投げ捨てるように言う。
「どうしたの尖っちゃって?」
「別に」
 その時、西洋人形が赤い声を上げた。
「あら、お目覚め?あおいちゃん」
 ミラー越しに目覚めの挨拶をする祥子。その言いように、何故かさらに感情を尖らせる啓子。
「そんなに疲れるくらいに昨夜は、何を励んでいたのかしら? 少なくともお勉強じゃないわよね」
「・・・・・・!?」
 思わず対応できないあおい。昨晩は、久子の命令によってトイレ掃除に勤しんでいたのだ。啓子との電話を終えると急にドアが開いた。そこには久子が仁王立ちになっていた。
 有無を言わせてもらえずに叩き起こされたあおいは、トイレまで引きずられて行った。

 汚れが取れないと何度もやり直しをさせられた。有希江の陵辱の後には、シンデレラじみた夜が待っていた。ついでに言っておくと、たまたまトイレに入った有希江によって、性的な虐待を受けている。 
 非常に慈愛深い姉は、泣きじゃくるあおいの膣に異物を挿入したのだ。慌てて取りだそうとする少女の目の前には、久子の足があった。
「何をしているの?」
 久子の言葉は強烈だった。その声は鶴のひと声よりもさらに影響力があった。あおいは、一晩中、股間のものを取り出すことも許されずに両手を動かし続けた。可愛らしいピンク色の爪に何本も罅を入れながら、忙しなく指を動かし続けたわけである。
 これまでの少女ならばさしずめゲーム機のコントローラー相手に自慰のように手を絡ませていたものである。
 それが、いまや洗剤の臭いにまみれて四つんばいの格好でトイレの床を這い回っていた。
「洗剤まみれ?いいわね、あなたの臭いを消してもらいなさい。知ってる?あなた臭いのよ、近づくと下水の臭いがぷんぷんするわ」
などと嫌みを言われながら、しかも性器から混みあげてくる官能に身を悶えながら、激しく両腕の筋肉に電気信号を送り続けたのである。

――――ママにあそこのことを知られてはだめ!
 あおいはただ一つのことを怖れながら、怯えていた。それは、鬼に金棒を震われながら血の池地獄を這い回るのに似ている。
 午前1時にやっと煉獄から解放されたあおいは、有希江の部屋に行かなければならなかった。たまたま有希江は疲れ切っていたために、さらなる陵辱は許されたが、恥ずかしいところを露出する姿勢を強要された挙げ句、さんざん罵られた。
 その後、風呂場に直行したあおいは泣きながら身体を神経質に洗った。まるで、そのことでその日、自分の身体に刻印された奴隷の紋章が消えるかのように、ごしごしと洗ったものである。
 その夜、とうぜんのように眠れなかった。
 啓子の優しい声が聞きたくて、なんども携帯に指を絡ませたが、すんでの所で留まった。

―――きっと寝ているわね。
 それに、このまま啓子と回線を通じたら、ストレートに自分の思惟が伝わってしまうと思ったのである。
 それだけは避けたかった。
 この状態を親友に知られるわけにはいかない。どうして頑なにそう思うのか当時のあおいはわからなかった。もしかしたら、分かろうとする余裕もなかったのかもしれない。
 自尊心と友情がない交ぜになった気持を小学生が帰納できるわけがなかったというのもひとつの真理だろう。
 しかし、一種の罪悪感があおいを縛っていたのも事実である。啓子にたいする何やら根源劇な罪悪感。たとえるならば離婚した親が子供に抱くような、一生拭いきれない、そして背負っていかなければならない重荷。アプリオリな意味で、あおいは啓子にそういうような感情を持っていたのである。とうぜんのことながら、本人はそれに気づいているはずがなかったが。

「・・・・・・・・・・・・・」
「どうしたの? あおいちゃん?」
 啓子は本気で心配になった。
―――そうだよ! 一晩中、おべんきょうしてたんだから!
 あおいのことだから、このような大嘘を抜け抜けと吐くはずだった。それを啓子も期待していたのである。しかし、帰ってきたのは、悲しげで元気のない吐息だけだった。レストランのトイレでのことも含めて、さすがに心配になる。
「・・・・・・・・・!?」
 啓子は、自らの手を親友のそれに重ねた。驚いて手を引っ込めようとするあおい。
 しかし、電撃を打たれたかのように身体が動かない。だが、啓子自身驚いていた。その自然な手の動きは、まるで大事なものを失った愛妻に、夫が、ただひとつできること。
 そのように、手の持ち主の意志によって行われた行為ではなかったのである。本人ですら驚く。手を載せられたあおいが内心、髪を振り乱さずにいられるわけにはいかない。たとえ、外見だけは平静を保っていたとしても、額に滲む汗を隠すわけにはいかないのである。

 一方、祥子はいちれんの出来事を見守っていたわけだが、あまりのことに手も口も出せずにいた。あまりに自然だったのである。あくまで、ふたりがカップル、いや、夫婦。それも十何年も連れ添った、自分の親の世代が組む夫婦関係ならば、その行為はジクソーパズルに最後にはまりこむ1ピースのように、ごく自然に風景にはまりこむはずだった。
 しかし、ふたりは友人関係、しかも同性で小学生の子供にすぎないのである。
 
 ふと、背後の人間たちが自分よりも年下であることを忘れた。

 まるで寸劇のような一連の出来事に、祥子は、鼻を摘まれた思いになった。
 重苦しい空気が車内の充満していた。それを換気するために、祥子は何か言わなくてはならないと思った。

「あっ、マックだわ、食べていく?」
「おばさんたら、さっき食べたばかりじゃない」
「そうだよ、ママったら何言っているのよ」
 恥ずかしそうに啓子は言う。
 慌てたところにマクドナルドのMの文字が視界に入ってきたのである。それが無意識のうちに言語化させてしまったのだろう。
 しかし、そのことがあおいを和らげる役割をはたしたことは事実だろう。
 あおいは、かわいらしい目をシロクロさせている。やっと、目の光りがもどったようだ。祥子は安心したが、そのことで子供ふたりからばかにされる羽目になってしまった。

「ねえ、ママ」
「何?」
 改めて真顔にもどった娘に、祥子は襟を正す。不思議な表現に聞こえるかもしれないが、そのようにしか表現できないほどだったのである。たがが美術館を訪れるのに、なぜか緊張している。まるでパンドラの箱を開けに行くようだ。

「井上順って人、私もはじめて知ったのよ。NHKの美術番組で特集してたの」
「テレビと来たら、ゲツクしか見ないママがね ――――」
 肩をすくめて笑顔を無理矢理に作ろうとする。
「うるさいな、黙っていなさいよ!」
 ついに堪忍袋の緒がほぐれそうになったようだ。
「ヘンな女の人の顔ばかり描く人ですよね」
「ヘン?」
 意外そうに祥子は顔を顰めて見せた。
「そうですよ、鼻がツンとしていて、なんだか恐そう ―――私、好きだけど」
 この少女が、それほどまでに自説を通すのをはじめて見た。元来、頭の良い子なのだが、おっちょこちょいなところがあるところと、自分の 意志を表現するのが下手なところに珠の傷を見ていたのだ。
「そうねえ、たしかにこのチケットの絵を見ても ―――」
「嘘、すごい美人じゃない? それに優しそうじゃない」
「とにかく、本物を見てから決めてもいいじゃない、あ、付いたよ」
 流線型の豪奢な建物を認めると、祥子は車を駐車場に回すべくハンドルを切った。

 一見すると、その建物はマグロを思わせる。その偉容からして、かなりの税金のむだがあったということができるだろう。
 何を隠そう、この美術館は県立なのである。バブル期に地方公共団体がこぞって税金を浪費する気風があったが、これはその残り火というところだろうか。
 その建物を外観するに、その新しさはどうみてもバブル期の建築とは思えない。
 しかし、そのような見方は小学生ふたりを洗脳することはできなかった。たた、単純に建物の豪華さに感動していただけである。
 ただ、笑止なのは赤木祥子が右習えと言った態度で、ふたりに従っていたことであろう。もしも、久子であれば一笑に付したことは想像に難くない。
 祥子の天然ぶりは久子も笑うところだったのである。

 ふたりの性格の違いはともかく、美術館は完全に口を開けて3人を待っていた。


『井上順、展覧会。祖国を捨てた孤高の漂流画家 ニフィルティラピア~日本、極東の島国へ』
 
 雄大すぎる張り紙に比して、客数はまばらなようだ。宮殿のような建物に3人は足を踏み入れていく。潔く帰ってくる足音の反響は、空間の広さと人肌の温かみに欠けすぎていることの証左となる。
「誰も来てないね、本当に」
 あおいは不安そうに館内を見回す。

「いらっしゃいませ、こちらです」
 黒タイツの女性スタッフが機械的な物腰で、入り口に誘導しようとする。あおいは彼女の流線型たけに目がいく。170を超える日本女性としては長身のために、平均的小学生にしても背が低いあおいとしては、それも致し方ない。
 ただ大人の女性に対する羨望に幼い胸を焦がすだけである。少女が思うほどに美人であると思われないのだが、端から見物していると、祥子としては可愛い限りである。
 一方、啓子は、憑かれるように受け付けの向こうを見つめている、放心したような表情はここまでに来る前の彼女ではない。どうしたというのだろう。絵なんてまったく興味ないという感じだったのに。ここに来て、美術館の空気を吸ったとたんに変化してしまったかのようだ。

 受付にて、蝶ネクタイ姿の男性にチケットを渡す。たしか久子が言っていたと思うが、日本人に蝶ネクタイは似合わない。ついでに言うとタキシードというのも似つかわしくない。もっと言えば、洋服というのは似合わないのだろうが、さすがにそこまで久子も言わない。
 少なくとも、日本人の男性にはそれに似つかわしい身のこなしというものがあるはずだ。それを彼らは忘れきってしまっている、久子はそう言うのだ。
 祥子といえば、そんなことはどうでもいい。男には持ち前のたくましい胸と腕があればいい。たしか学生時代に久子にそう言い返したはずだ。彼女は苦笑のあまり苦笑していたが・・・・・。
黒タイツの女性よりもさらに機械的な受付を抜けると、正面におおきな写真があった。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・_!?」
 
 鷲。
 
 第一印象はその一言につきる。井上順というあまりに和式の名前に似つかわしくない老人がそこにいた。もしも、久子がここにいたらこう難癖をつけただろうか。
「ヨーロッパ人に和服を与えるなどと、まさに馬子にも衣装だ」
 画家というよりは政界の黒幕と言った方が適当かもしれない。鋼鉄をも射抜くようなするどい目つきと鋭利な顎は、芸術家というよりも武人を思わせる。椅子に腰掛け、堂々と杖を中央にせり出したその姿。杖が軍刀にみえる。
「とても哀しい目」
 あおいの開口一番は、祥子の感想とは相容れないものがあった。
 一方、啓子は凍りついたように写真に見入っている。
「先、行こうよ」
 祥子はふたりの肩に触れることさえ憚られた。まるで失ってはならないものを失ってしまったかのようなふたりの様子に戦慄さえ憶えた。ただの小学生の子供にすぎないのに。

「帰ろう、ママ」
 それが啓子の開口一番だった。
 あまりに哀しげな口調でそれが語られたために、祥子は何も言い出せない。しかし、あおいは引き 寄せられたかのように奥へと歩み寄っていく・・・・・・。
 そのとき、見たのである。祥子は、あおいの口が、動くのを、たしかに。しかし、その声帯が震わせて結合させた音声は、日本語ではなかった。英語でもドイツ語でもない聞き慣れない破瓜音。
 祥子は、それを人名だと直感した。
 一方、啓子はまだ立ち尽くしたままだ。心なしか、小刻みに震えている。
「どうしたの気分悪いの? 向こうで休んでようか」
 祥子は娘を長いすに連れて行くことにした。

―――え?
 恐るべき事があった。娘の体躯が鋼鉄のように硬く重いのだ。まったく動かない。
「あおいちゃん ・・・・・」
 遠近法の錯覚に従って、あおいは小さくなっていく。少女がまず惹き付けられたのはいちまいの絵画だった。ジオットを代表とする初期ルネサンス画家の仕事のように、硬い写実な画業がそこにあった。モデルは20世紀の人物のはずなのに、はるか昔の人間のように思える。彼女が纏っている衣装はたしかに当時のものだと思われる。
 しかし、その硬い表情、絶対零度の肌、それらはどれも深い過去に眠っているべき存在だ。ガラス玉のような蒼い瞳が印象的だった。絵を少しでも押せば、ゴロンと転がってきそうで恐い。

 しかし ―――。
―――見たことがある・・・。なんだろうこの不思議な気持は?
 娘のことなぞ完全にうっちゃって、祥子もこの絵画に惹き付けられていった。
 『恋人』
 題はそれだけだ。絵の隅に書かれた横文字はあきらかに、それがヨーロッパ語であることを証明しているのだが、それは二本の線によって消されて、改めて日本語の2文字が書き加えられている。おそらく作者の行為だろう。そんなにまで自分の過去を憎んでいたのだろうか。消去せずにはいられないくらいに恨んでいたのだろうか。
 なぜか、祥子の胸を熱くするものがあった。時間的、空間的にかなり隔てられたこの人物の仕事がどうして、こんなに胸を打つのだろう。いや、仕事ではない。この画家の作品は、彼の生そのものだと言ってもいい。
 まるで巨大な潜水艦のような館内を流されるように歩く。まるで見えないものに引き寄せられていくように、足がもつれる。
 ピカソのように徹底した写実から絵が溶けていくのはめずらしい話しではない。
 絵画に溶解剤を降りかけたように、変化していくのだ。

 しかし、この画家のばあいはすこし違う。モチーフはたったひとつ。この女性だ。
 赤ちゃんの時代から老婆にいたるまで、たったこの人物だけを対象としている。
 印象派からダダイズムまであらゆる絵画技術を使って彼女を描いている。いや、描いているというよりは摑んでいると言った方が適当か。それも違う。
 絵を少しでも嗜む人間ならピンと来るかも知れないが、何かモティーフを描くということはそれを所有することと同意になるのだ。
 
 画家は、この女性を描くことで彼女を所有している。

 祥子は根拠のない印象をそのまま信じる気になった。久子ならば自分で考えた考えに、論理という当て擦りをすることも珍しくない。激しい自己批判にうつつを抜かすこの友人は端で見ていてもつかれるほどだ。
 祥子は改めてこの少女を見つめてみた。外見を見ればその美しさを受け継いでいるのがはっきりとわかる。
 しかしながら、母親よりもはるかに穏やかだ。それ以上に差異を感じるのは性格だ。子供時代の彼女を思いだしてみても、水と油ぐらいに違う。母親はつねに用意周到で抜け目がなかった。
 一方、娘の方は端か見えていても向こう見ずでおっちょこちょいだ。危なっかしいことこの上ない。幼稚園の運動会のときなぞ、自分の娘のように心配したものだ。本物の母親はそれ以上に狼狽し、普段見せぬ姿を露出しては、祥子を微笑まさせていたものである。

 しかし、最近の久子とあおいの関係を見ていて、腑に落ちないものを感じる。
―――何かが違う。何かが確かに変わってしまった。しかし、その正体はようとして知れぬ。
 祥子は、ただならぬ思いを胸に秘めながらあおいを見つめた。

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『由加里 71』
 由加里はふたりの顔を並べてみた。
 塚本誠二と南斗太一郎。
 両名とも自分を待ちかまえている悪魔たちだ。いじめられている自分を求めている。しかし、それは同性のいじめっ子たちが少女に求めるそれとは何かが違うように思える。いや、もしかしてそう思いたかっただけなのかもしれない。思えば、あの二人のような人物にそれを求めるくらいに、由加里は追いつめられていたのである。
 少女の記憶は進めば進むほど鮮明になっていく。曖昧な箇所は、はるかによって鍛えられた想像力によって、すぐさま修復されてしまう。
 
 夕食後、少女はすぐに消灯してしまった。まだその時間までそうとう残っているにもかかわらずだ。
 
 目の前にはノートパソコンが静かに居座っている。その呼吸音を聞いていると、はるかのことを思い浮かべる。彼女に強制された遊びのことを想いだした。
 官能小説家のマネゴトのことである。
 由加里が羞恥心のあまり眉を顰めるのを、はるかはいかにも楽しげに見物していた。簡単な性語に敏感に反応する少女が、自ら猥褻な物語を造るようになる。はるかは、由加里の変化を誉めてくれた。それを成長だと言って憚らなかった。その過程において、肺が空気でパンパンになって、その身体が爆発してしまいそうになった。
 羞恥心という空気が無理矢理に身体の中へと送り込まれる。はるかは、第一印象とは裏腹の性格を有している人間である。小麦色に焼けた身体と常識はずれの運動能力を誇るこの少女が、じっさいは、彼女自身気づかない豊かな文学的才能と感受性を持っていた。
 それがどうして、自分にたいしての攻撃性に変化してしまうのがわからない。今、それを考え中である。おそらく親友である海崎照美にたいする想いが鍵になっていることは事実だろう。
その時、由加里はそう考えていた。自分をいじめている二人に関して冷静な視点を獲得してはいたのである。
 由加里は、はるかから受けた文学的な訓練をいまこそ発揮しようとしていた。
 自分が陵辱を受ける手前までタイムスリップしていた。あの時間の自分よりも一足早く、あの空間へと足を踏み入れる。

 塚本誠二と南斗太一郎は、首を長くして待っていた。
 誰を? 
 当然、西宮由加里をである。
 少年、二人は自分たちが認識できない自分の欲望を満足させるために無い頭脳を絞りに絞ってこの計画を立てたのである。
 ここは、柔道部の旧部室。木造の平屋建ては、築50年の歴史を閲している。裸電球と所々ひび割れた内装は、何処か戦前の臭いをぷんぷんさせている。
 今、二人の中に得体の知れない蛇が鎌首を擡げている。それは主人の制御を超えて欲望を叶えようとする。二人は自分の意志で行動しているつもりなのだが、じっさいは、その蛇に従っているだけなのだ。
 さて、その蛇が求めたものは、一言で表すと女人ということになる。しかし、異性への想いは充実しているのだが、その正体に知悉しているわけではない。白い肌と柔らかそうな髪。それらにどうして惹かれるのかわからない。
 しかし、喉から手が出るほどに欲しい。舐め回したいぐらいに、所有したいと想う。欲望に気づかないくせに、それに乗っ取られている人間ほど始末に負えないものはない。

「おい、まだかよ、太一郎!」
「ボクに聞くなって」
 顔を赤くして、太一郎は言った。まるで喉に詰まったものを吐くような様子だ。誠二は友人の顔を睨みつけた。しかし、その真意は計りしれない。
「本当に、来るのかよ!」
「大丈夫さ、ボクの書いた愛のラブレターがあるし」
 臆面もなく言う太一郎。
「何を!? 愛の? ラブレター?あはははは!!」
 塚本の方は彼の友人よりも多少なりとも知性と理性を持ちあわせているらしい。下品な笑いでこの狭い旧部室を埋め尽くす。
「お前な!」

 ガシャン。

 太一郎が非協力的な友人に抗議しようとした ―――、まさにそのとき、使い古されたドアが開いた。50年もの間、体育系の荒男どもの脂ぎった手が開閉に使ってきたドアである。その人生の最後に、由加里の用な麗しい少女の手によって握られたことは、せめてもの死に水になったことだろう。
 『作家』の由加里はこの時、自分の背後に迫る3人の人物を透視能力を有する目で捕らえていた。 
 しかしながら、そのうちのひとりにはほとんど興味がない。

 神崎祐介 ――――野蛮を一文字で表したようなこの男と目を遭わすものおぞましいと想う以外に感想らしい感想を抱くこともない。
 しかし、由加里は見てしまったのである、背後に潜む照美とはるかの姿を ――――。
――――どうして、あの二人ガ・・・・。
 由加里は急いで透視能力にフィルターを掛けた。
―――これは私が創っているシナリオよ!真実じゃないわ。
 少女は彼女だけがそう想っている現実を見ようとした。
 室内では、二人の若い狼、いや子狼というべきか、のオスが由加里を囲んでいた。

「もう、後ろはないよ」
「ヒ!?」
 由加里は薄汚い壁にぶつかった。背中を通しても、その汚れが目に見えるようだった。ダニやらシラミやら得体の知れない生き物が巣を作っているかのように思える。肌に触れるだけで炎症ができるような気がする。
 8:2 すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
 8:3 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった


 由加里は、はるかに渡された書物の中にそのような文章を求めていた。
 言うまでもなく聖書の一節である。このはるかという少女は相当の読書家のようで、官能小説だけでなくこのような書籍も混入していた。
 というよりは、本ならばどんな作品でもこれでもかと、詰め込んでいた。
 田中芳樹の『銀河英雄伝説』からヘルマン=ヘッセの『車輪の下』まで古今東西各種の本が眠っていたのである。当然、知性においては並ぶところのない由加里のこと、読書は厭わないが、それは成績を保つためであって、すすんで本の価値を知るためではなかった。だから、皮肉なことにはるかによって、それを知ったとも言えるのである。
 しかし、今はそんなことを考えているときではない。目の前にいるのはキリストと聖母マリアではないのだ。

「西宮さん、ようこそ」
「・・・・・・?!」
「あれ? 西宮さんってよく見るとけっこうきつい顔をしているよね、美人だけど。そうか、あれほど嫌われているのに、よく学校に来れる思ったんだけど・・・・・、やっぱり、性格きついんだね。そうじゃないと学校に来れるわけないか」
――――そんなところにも性格が現れているんだね。少年はそれを文章化できるほどに知性に恵まれているわけではなかった。
「・・・・・・・・!?」
「あれ、泣いちゃってるの?」
 
 由加里は涙ぐんでいた。悔しかった。男子にまでこんな扱いを受ける。別に、この二人が恐いわけではない。その背後にいる高田や金江、それにクラスの女子たちが恐いのだ。それにあの手紙。こともあろうに書き写してしまった。あれは痛恨のミスである。わざわざ墓穴を掘ったと言ってもいい。
「ヒイ! イヤアアアァ!」
「おい、太一郎、お前も!」
「おい、誠二・・・・・」
 太一郎はただ立ち尽くしていた。目の前で、起こりつつあることを信じることができなかった。誠二は由加里の右手を摑みとっていたのである。

――――なんて、柔らかい! これが女か!?
 少年の体内に感動が広がる。マシュマロのような感触は、彼がこれまで味わっていた触感のどれよりも甘美で夢心地にしてくれる魔法の絨毯だった。
「いやああ! いやあ!許して! もうやめてぇぇぇ!!」
 由加里はいじめっ子たちに、この台詞をそれこそなんかいも言ってきたはずだ。
 しかし、相手が異性となるとその言葉の意味は自ずから別の性格を有することになる。それは由加里じしん気づいていないことだった。そして、もうひとつ恐るべきことが少女の身の内で起こっていたのである。
 この少女の脳裏にはある人物の映像が浮かんでいて、ふたりに救いを求めていた。
 それは母親でも姉でもなくて、なんと、照美とはるかだった。

――――どうして?
 由加里は左手をも、少年に摑まれながら呻いた。誠二に促された太一郎は、ついに思い人の手を摑むことに成功したのだった。
しかし、由加里を人格崩壊寸前にまで追いつめているのは、少年二人ではなく、自ら作り出した映像だった。

 照美とはるか。

 どうして、よりによって、あの二人に救いを求めているのだろう。

 ――――私は、もう完全にあの二人の奴隷になっちゃったの? そうよね、主人ならば自分の奴隷を助けようとするわよね。お金払ってるんだし ・・・・・・。
 ほとんど自暴自棄になって、泣き続ける。
 上品なつくりの細面を涙で歪めながら、由加里は絶望に落ち込んでいく自分を認識させられた。

 ―――もうだめだ。だめだわ。ごしゅじんさま、助けて
「キレイな顔が台無しだよ、西宮さん」
 太一郎は、恐るべきことを言おうとしていた。
「そんなにボクのことを好きなんだね。泣いて喜んでくれるなんて」
 この台詞には誠二ですら、呆れたぐらいだった。しかし、臆面もなく、いや臆面という言葉を知らないこの少年はさらに畳み掛ける。
「ラブレーター嬉しかったよ、恋人になってくれるよね」
―――恋人。
 この少年は、本当にその言葉の意味を知っているのだろうか。由加里はそれを訝しく思った。決して口には出せなかったが。
 しかし、このふたりが少女に感じさせているのは、照美たちに感じる恐怖とは性質の異なるものだった。前者を上品な恐怖だとすれば、後者のそれは下品なそれ。言い換えれば、エイリアンやその他おぞましいものに対する嫌悪の念だった。
 改めて、あのふたりが自分に対して抱く憎しみと恨みの深さを知った。けっして、その内容を知り得たわけではないが、その雰囲気ぐらいはうかがい知ることができた。だが、そのふたりに思慕の念を抱いてるのである。
 もっとも、誠二と太一郎という2匹のゴキブリに比較して、そう見なしているのかもしれないが。しかし、この危急のときにあって母親を思い出せなかったのはどういうわけであろう。それを思うと、やはり照美とはるかに関する方程式を解くことができないことを知るのである。

「いいのかな?ラブレター、教室に張り出しても?」
「・・・・・・・・・!?」
 両腕を男子によって捕まえられても由加里は奴隷であることを潔しとしない。
 大粒の涙をいくつも床に零しながら華奢な身体を振る。
 それにしてもどうして涙が落ちるときに音がしないのだろう。由加里は絶望の底なし沼にはまりこみながら思った。
 少女にとって大問題なのに、外界においてはどうでもいいことらしい。だから、クラスメートの誰も残酷な手段によっていじめ苛まれている由加里に、同情の一片も与えないのだろう。
由加里は、教室で毎日行われているいじめを思いだした。しかし、この薄暗い部屋においては、誠二と太一郎しかいないのだから、それを求めることは無意味に等しかった。
むだな抵抗を際限なく続ける由加里に、業を煮やしたのか、誠二が冷たく言い放った。

「高田たちが喜ぶだろうな」
「・・・・・・・・・!?」
由加里は腑を握りつぶされた。
 もはや、一人では立っていられない無力な人形と化した。誠二と太一郎のダッチワイフと化そうとしてたのである。

 さて、『作家』の『由加里』も中空に漂いながら、あふれる涙を抑えていた。しかし、何処かで事態を達観する冷静な目を持っていた。
 その目は、部屋の外を透視しはじめていたのである。
 
 はたして、照美とはるかが言い争っていた。
「どうして、このまま殴り込もう!それにあいつのミジメな様子を見てやれるじゃん?」
「いや、それは後でもできる」とこれは照美。
 照美はなぜか冷静だった。まるで暴れ馬を御する騎士のように、はるかを諫めていた。本来ならば逆の役割を照美が果たしていた。

「それはあすこにおられる御仁にまかせればいいじゃない」
「う? 祐介?」
はたして、そこには神崎祐介が立っていた。まるで鋼鉄の巨人のように見える。
しかし、その巨人が口を開くとそれらしくないことを言った。
「は、はるかさん ―――」
「あ ――?」
 呆れた目で親友を見上げる照美。巨人の声は変に裏返って、下手なカエルの泣き声のようだ。しかもあまりに下手なためにメスを惹き付けることもできない。しかし、このカエルは鋳崎はるかという趣味の悪い異性を惹き付けたようでは ―――あった。
「ねえ、神崎せんぱい」
「な、何か?」
 外見だけはセンパイ顔をしたが、この美しすぎる後輩にも頭が上がらないのだった。
「あのバカたちが、どんな手を使って私たちの奴隷を籠絡したのか知りたいですけど ――」
「籠絡?」
柔道用語は、彼に辞書に載っていたが、あいにくとその言葉を見つけることはできなかった。
「あの奴隷はバカじゃないんですよ、あんな奴らの言いなりになるわけがないと愚考した次第でして ――――」
「愚考?」
 照美は、あえて難しい言い回しをすることで、自分の感情を抑えていた。しかし、そんな機微を見抜けるほどの洞察力がこの筋肉の塊にあるわけがなかった。
はるかは諦めたかのような口調で言った。

「まあいいわ、祐介、お願いね。殺さないていどにお願い」
「わかりました」
 鋼鉄の巨人に戻った祐介は、動き始めた。カシャーン!ガシャーン!!という音があたかも聞こえるように思えた。
しかし、その音は照美には聞こえなかった。
「照美? 泣いているのか?」
「な、泣いてなんていない!!」
 美貌を劣悪な感情に歪めた。しかし、はるかはその方がよほど美しいと思った。
「わかっているぞ、照美、あの女のブザマな姿を見たくなかったんだろう? それであいつを傷 ――――」
「言うな!」
 みなまで言うまえに照美の手がはるかの顔を覆っていた。
「お前、そこまで自分の神経を痛めつけてまで、こんなことしてるんだ?」
 自分に凶器をつきつけた相手にたいして、優しく諭すように言う。

―――見たくないわ!こんなの嘘よ!嘘!
 『作家』である由加里は、すべてを打ち消そうとしていた。
 少女が造りだした照美とはるかが、あたかも人形劇の人形のように動いていた。人形師は由加里なのか、はたしてわからない。それにしては、ふたりは本物の人間のように生き生きとしていたからである。



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『マザーエルザの物語・終章 21』
 あおいの脊椎に電撃のような衝撃が走る。
「あおいちゃん! あおいちゃん! 大丈夫なの? 具合悪いの!?」
 なおもエキセントリックな声がトイレ中に響き渡る。床に散りばめられたタイルというタイルに反響して音の芸術を作り出した。
 しかし、それはあおいにとって鑑賞すべき対象ではない。いや、現在少女の内面を形作っている感情が、それを許さないのだ。
 
 全身を凍りつかせるような羞恥心。

 それが今のあおいを支配している感情だ。目の前に存在する現実にどうやって対処していいのかわからずに戦慄している。
「だ、大丈夫だよ・・・・・・け、啓子ちゃん・・・・」
 あおいは、指を性器の中に食い込ませたままやっと人語を発することができた。
「あおいちゃん_?」
「う?!」
 啓子に神経をとられるあまり指を局所に深く食い込ませてしまった。得体の知れない軟体動物の臓物を摑みとってしまった。
 しかも、いやらしい粘液が糸を引く内臓の間を泳ぎ回る。その度に、少女の未成熟な官能は、乱雑に刺激されて、経験したことのない感覚に身を躍らせる。
 しかし、大人の女性のように何処かいちばん感じるのを熟知しているわけではない。
 めちゃくちゃに動かした指がたまたま触れる。その部分によって、官能を感じ取る度合いがちがう。 いわゆる、試行錯誤の段階なのである。幼児が手足を動かして触れながら世界の基礎を知るように、発達心理学が言う、初段階を踏んでいるわけである。
 
 啓子が聞いたくぐもった声。
 
 それはいわば宇宙語だった。このとき、自分が大人の入り口に立っていることに気づくことがなかった。
 ただ、あおいの具合にたいする懸念だけが少女の初々しい脳を支配していた。その年令にしては大人びた性格を有しているとはいえ、しょせんは小学生の女の子にすぎなかった。

「しまった ―――」
 あおいは冷たいドアに頬を押しつけて、火照りを取り除くことにした。
「あおいちゃん!」
「ちょっと、待ってよ!」
 思わず大声を出すあおい。その態度が常ならぬ様子であることは声の様子から明かだった。しかし、壁の向こうに起こっていることを露知らない啓子は、あおいのことを察しようにも察しえなかった。
 自分の親友が隠れて自慰に耽っているなどと、啓子は、想像もできなかったのである。ついでに触れておくと、この時、すでに啓子は自慰という言葉を知っており、自覚してそれを行っていた。自分よりもはるかに幼いと踏んでいるあおいがそれを知っているはずがない、少なくとも、啓子の主観から説明すれば――――の話しだが。
「あおいちゃん、もしかして、アレなの?」
「アレって?」
 あおいはうそぶくことなく返した。本当にわからなかったのである、啓子が仄めかしたことが。言うまでもないことだが、啓子は生理のことを言っているのである。
 もちろん、年頃から羞恥心のあまり言葉を濁したのだ。しかし、もとよりあおいは生理を迎えておらず、その言葉の意味することもわからなかった。
「何よ!?それ?」
 不機嫌そうな声が響いてきた。まるで地獄の底から這い上がってくるように思えた。あまりにガラガラ声だったために、親友のそれだとは思えなかった。
 あるいは時間の彼方から吹いてくる嵐のようにも思えた。それがあまりに距離が遠いために音はそれほど大きくないが、当地では大地が割れて何万人もの人がそこに落ち込んでいく。かつてそこに巨大な城がそびえていたとは信じられないほどに、昔の偉容は消え去ってしまった。
 城が、街そのものが灰燼に帰したのである。二人が共有する遠い異世界が、彼女らに何かを語りかけたのかもしれない。

「大丈夫、おばさん呼ぼうか?」
「ヤメテ! それだけは?!」
「あおいちゃん!?」
 親友の剣幕に、胃を抜かれたような気がした。今まで、自分は榊あおいについて何を知っていたというのだろう。今更ながらに猛省させられる思いだった。それとも何かあったのだろうか。そうでなくては説明がつかない。啓子は無理にでも個室に入り込もうとした。すなわち、あおいが入っている個室の隣に入り、便器を伝って侵入を試みたのである。
 少女は親友の予期せぬ行動に度肝を抜かれた。意表をつかれるとはまさにこのことである。
「ナ!? け、啓子ちゃん!?」
「あお、あおいちゃん・・・・・・?」
 啓子はすばやい身のこなしで颯爽と立ち落ちると、親友を見下ろした。何だか意地悪な気持が胃の中にあふれてくる。それは食道を通って口腔にまで込み上げてくる。
「な、何よ! け、啓子ちゃん・・・・・う?!」
 あおいは蛇に睨まれたカエルのように身をよじった。しかし、狭い個室の中。逃げられる場所はない。自分を顧みると、パンツの中に手を突っ込んで立ち尽くしている。あまりに無様な格好だ。

「あら、何をしていたの?」
 いままであおいに対して感じたことのない感情がふつふつとわき起こってくる。
 ――――これは憎しみ? でも、どうして?
 自分自身にたいしても説明できない感情。
 それは、居心地の悪い椅子に座らされているようなものである。啓子は非常に気持ちの悪い思いに身を悶えさせていた。

――――裏切られた。捨てられた!
「どうして、私が知らないことがあるのよ!?」
 それはどう考えても自己中心的な考えだった。そんなことがわからない啓子ではない。しかし、理性でわかっていても感情が動いてくれない。まるで他人に強制されたように、預かり知らぬ思惟が産まれてくる。

――――お前は裏切って、去っていった。それなら。
「もう知らない!」
「ぁ、啓子ちゃん!? 待って!!」
 あおいは自分に尻を向けて去っていこうとする親友を魚の目で見た。そして、近づいていった。
「じゃあ、何をしていたのか話して! パンツに手を突っ込んで何をやっていたの?」
 右回れ右の要領でふり返った啓子は、あおいが思いも及ばないことを突きつけた。
「・・・・・・・ウウウ」
「どうしたの? 答えられないなら行くわよ。それに私を裏切るなら家に来なくてもいいわよ」
「ウウ・ウ・ウ・・ウ・ウ!?」
 あおいは声を上げて泣き始めた。頬を伝っていく涙は、無言の抗議が含まれていた。そのことに少女じしん、はたして気づいていたのか疑問である。
 しかし、幼い少女の洞察力では真実を摑むのは難しい。少女は立ち往生して事態を見つめることしかできなかった。
 事実、答えようがなかったのも事実である。今、自分が行っていたことの意味も名称も知らないのである。

「わ、わからない・・・ただ?!」
「ただ?」
 啓子は畳み掛ける。詰問の度合いを緩めようとしない。
「さ、さわると変な感じがするの・・・・ウウ・・ウ・ウ」
 言い終わるなり幼児のように泣きじゃくりはじめるあおい。啓子はかぶりを振ると個室の扉を開けた。
「その話しは家でしょう」
「け、啓子ちゃん ――――私」
 啓子は表情を和らげると、まるで恋人にそうするように口吻をあおいの耳に近づけた。そして、しかる後に、こう言ったのである。
「そんなこと、私だってやってるんだよ」
 甘い吐息とともに、何か不思議な感覚が自分の胎内に、産まれるのを感じた。それは既視感の一種だったかもしれない。
 しかしながら、それは懐かしいという一言で表現出来ない何かにまぶされていた。今、目の前にそれが存在し抱きしめることができるように思えたからだ。今、側にいる啓子は、啓子でない何者かのような気がする。しかし、両者は他人ではない・・・・・・・・・。

「何しているのよ、ママたち待ってるわよ」
「うう、うん ――――」
 急いで両手を洗うと啓子を追った。
 
 席に戻ると、そこは相変わらずレストランだった。給仕は客に畏まった表情で注文に対応しているし、趣味の悪いごちゃ混ぜ趣味といえば、相変わらずルイ14世とビアズレイがチークダンスを踊っていた。
 それぞれの娘のことなど露知らぬと言った顔で、久子と祥子は、話し込んでいる。
「あら、ごちそうを待たして何をしていたの?」
 久子はさらりと言ってのけたのである。あたかも今まで起きたことがあおいの妄想にすぎないかのように・・・・・。
 あおいは真っ青になっていた。彼女よりも後に来たのに料理を完全に平らげていることにも、気づかなかったくらいだ。
「あおい、ママはこれで帰ることにするわ、赤木さん、娘をよろしくお願いします」
「ええ」
 祥子はガラリと変わった久子の態度に、すぐには対応できなかった。そして、耳を傾けようとしたとき、既に彼女はいなくなっていた。
 
 遠くで車のエンジンが発動する音。
 
 そして、凍りついた娘だけが残された。

「どうしたの具合がわるいの? あおいちゃん?」
 祥子はごく個性のない呼びかけしかできなかった。
「あ、雨が降ってきたんだね ―――――」
 あおいを呼び覚ましたのは人間の声でなくて、自然の配剤だった。
「みぞれかもね ――――」
 啓子は返した。
 子供たちの夢見がちな態度にあきれたのか、とにかくこの場を離れるように、祥子は切り出した。
「そうだね、でもいいの? あおいちゃん、まだ半分も残ってるじゃない」
「ううん、いい」
 あおいは、現実に戻された不快感を噛みしめながら言った。
「そうだ、あおいちゃん、絵は好きだったよね」
 祥子のとつぜんの申し出に、あおいは戸惑いを隠さない。しかし、しばらくするとある画家の絵が好きなことを思いだした。

「そうだ、この前テレビでやっていた画家の絵が好きです。名前は憶えていないですけど」
「それってNHKでしょう?」
「井上順って言う画家なんだけど、外国人なのよ」
「ああ、そんなこと言ってましたっけ」
「ちょっと、待ってよ。どうして、井上順で外国人なのよ」
 啓子は、すぐに話しに入っていけない苛立ちをストレートに表した。
「本名は、たしかミアエル=ィンギ、ニフィルテラピアの人よ。たしか、自分の過去のことは完全に忘れたいって日本に来たはずよ。それで以下にも日本人っていう名前が欲しいって頼んだらしいわ」
「それがどうして井上順なの?」
「ミアエル=ィンギ? ミアエル?」
 祥子が啓子の質問に答える前に、あおいの動揺ははじまっていた。
 
 あおいにとってみれば聞き慣れない外国語。しかし、少女の何処かでその名前は甘美な思いとともに受け止められていた。それが二日酔いのように、蘇ってきたわけだ。胃から込み上げ来るものに、少女は吐き気を憶えた。
 テレビで視たときには、それほどに印象的でなかったのである。それが、今、少女の胸に響き、その体躯を叩き割ろうとしている。これはどうしたことだろう。
「行こうよ、行きましょうよ!」
「え!? う、うん」
 自分から提案しておきながら、面食らった色に顔を塗り直してしまった。
「啓子、いいでしょう?」
「うん・・・・・」
 何処か投げやりに答えた。実は、親友とは違う意味で、啓子も身の内の動揺を隠せずにいた。叩いてはならない扉を叩いてしまったかのように思われた。
 しかも、それをしたのは啓子自身ではないのである。入ってはいけない部屋に踏み入れてしまいそう。そこにはきっと等身大の鏡があるにちがいないのだ。根拠もないのに啓子はそう感じていた。しかし、明快な反対理由もないので、あえて反論できなかった。








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『マザーエルザの物語・終章』 キャラクター001 榊あおい
『由加里 70』
 病院の夕食は早い。大抵、午後6時には患者のベッドの上にトレイが乗っているものだ。入院患者のために特別に設えられたテーブルだが、その上に物を置くと、頼りなく揺れる。ノートパソコンですら、キーボードを打つたつたびに、年老いたウグイスのように情けない音を出す。それはほぼ悲鳴に近い。
 まるで今の由加里を写し取ったポートレートのようだ。ルノワールのような印象派ではなくて、ルネサンス時代のキリスト教絵画のように、精密、緻密な筆致により人間そのものを紙上に再現した絵画のことだ。
 巨匠の手でリアルに再現されたアイテムたち。
 今、少女の目の前に用意された小道具類はどれを視ても彼女の神経を逆撫でる。トレイ、お椀、スプーン。すべてがかつての記憶を彷彿とさせる。
 由加里は、運ばれてきたトレイに舌鼓を打つわけにはいかなかった。しかし、その記憶は少女の食欲を刺激したことは事実である。毒は時に美味しいという。腐る寸前が美味しい果実もあるらしい。河豚に毒があることを知っていながら、その卵巣を食す珍しい趣味も存在する。
 少女が手を出そうとしている記憶はそのような類だった。震える手をなんとか制御してお椀を摑ませる。
 映写機が回転する音が響く。
 
 ここは病室のはずなのに・・・・・。
 
 赤いランドセルを転がしていたあの日。少女が歩くと幸せな鈴の音がした。
「今日は、私だよ、由加里ちゃんの隣に座るの!」
「いや、私の番だもん!」
 二人の少女が由加里の目の前で争っていた。互いに相手の髪と手を摑みかねない状態である。事態は切迫している。
 しかし、由加里は二人の間でコロコロと笑っている。しかし、二人とも彼女に怒りの矛先を突き出すようすはない。あくまで互いに対して怒りを噴出させているのだ。
「なによ!この前は、あんただったでしょう?今度は私の番よ!!」
「何よ! この前の遠足の時はあんただったわよ!辻堂のね」
 二つの赤いイソギンキャクは互いを罵倒し、まさに一触即発の色は濃くなりつつある。
 これは小学生時代のある昼食前の一こまである。由加里が属する班の子たちは、こぞって少女の隣に座りたがったものだ。彼女はクラスの人気者だったのである。それも、剽軽さで人気を買うような手合いではなく、黙っていても尊敬と敬愛を集めるようなそんな子だった。
 だから、このような事態も由加里はただ黙って見ていればいい。しかし、このとき刺すような視線を贈るある人物に気が付かなかった。それは少女の怠慢だろうか。
 ある少女だけはそう思っていた。
 工藤香奈見。その人である。

―――――香奈見ちゃんはいつも一緒にいるからいいよね。
 由加里は常に、そう思っていた。香奈見は、靴が二足でひとつのように、常に横にいるべき存在だった。少なくとも、由加里はそう思いこんでいた。自宅はまさに目と鼻の先だった。とうぜんのことながら、親たちからは禁止されていたが、ベランダ同士で渡り合うことができたくらいだ。
 由加里は、自分が考えていることを香奈見もまたそうしていると思っていたのである。
 しかし、香奈見は必ずしも共有していたわけではなかった。
 さて、運ばれてきたアルミのトレイは、小学校時代のそれよりも洗練されていてかなりキレイだった。しかし、そのことはまったく由加里の心を鼓舞しなかった。思い出されたイメージのあまりの明るさに目を閉じただけである。
 ちなみに本日の夕食は、コロッケとレバニラ炒め、それにコンソメスープに野菜の煮物だった。栄養的には完璧なのだろう。なんと言っても天下の病院が出す食事なのである。さすがにチーズバーガーにコーラというわけにはいかない。由加里にとってみれば、そのほうが、味のわかりやすさと言った点から視てもよかったかもしれない。
 別に彼女の母親が育児をさぼっているというわけではない。度重なる精神的なストレスによって、味が分かりにくくなっているだけだ。こういうときはたっぷりのケチャップとマスタード、それにピクルスが食欲を刺激し、どんなときでもスムーズに食事を完遂させてくれる。
 しかし、目の前に出現した料理は、病院特有の塩味が決定的に欠けた失敗作である。料理というものはどれほど栄養的に完璧であっても、味が伴わなければ人間の食事という条件にはあわない。動物の栄養補給と人間のそれの決定的な違いはそこにあるのだ。一言で表すと精神性のあるなしとでもなるだろうか。
 由加里はケチャップとマスタードの代わりを記憶の中から呼び出すことにした。
 
 それはまさに一人芝居。自作自演。過去の再現映画である。
 
――――ほら、百合絵ちゃん、ケンカしないでよ、明日はいっしょに食べよう。
――――うん、ありがとう。由加里ちゃんは優しいね。
 涙を拭く友人。由加里はさらに畳み掛ける。
――――これ、食べてもいいよ。
――――いいよ、ありがとう。こんなに美味しいのにごめんね。
 肉きれの乗ったトレイを友人の胸元に示す。
―――――由加里ちゃんは優しいよね、誰かとはまったくちがうわね。
――――そんな、そんなこと言わないで。
 由加里は頼まれてもいないのに、その子を庇う。さきほど百合絵と席を争った経緯がある。
「憶えてないな、あの時、誰だったけ?」
 由加里は自分が庇った子の名前を覚えていない。顔もおぼろげだ。よく憶えていないことからすると それほど個性的な子ではなかったらしい。
 しかし、その表情ははっきりと憶えている。由加里は好意で行ったはずなのに、彼女はあきらかに不満そうな顔をしていた。普段ならば由加里に声を掛けられて喜ばない子がこのクラスにいるはずはないのに。その表情だけがやけに心に残った。由加里の記憶に注意深く焼き付けられたのである。
 今、再度味わってみるとその記憶は、焼きすぎたアジの塩焼きのように口に苦く、脂の部分が腐ったチーズのような味が口の中に侵入してきた。
 今、口に入れたコロッケは同様の味にくるまれていた。味が薄いだけに、嫌な記憶に裏付けされた思いは食べ物に転移しやすい。

―――私を嫌う子なんているはずがないのに!!
 当時の幼い記憶と感情が共に蘇ってくる。
 しかし、それは現在少女が持ち合わせている理性と感情によって検閲され、別のものに生まれ変わる。
 人間は良かれ悪しかれ、年をとるものだ。いつまでも砂糖まみれの菓子を好むわけでない。

―――今は、私を好きになる子なんているはずないか・・・・・・。
 由加里は思わず箸を落としてしまった。朱色の箸は、偽物の漆器はやはり偽物の音しか出すことができない。由加里が共有していた友情は偽物だったのだろうか。濡れ手に泡とはよく言ったもので、簡単に得ることができたと思った友情は泡のようにあえなく消えていってしまった。おもわす両手で整った顔を隠す由加里。
 食物を胃まで送り込むために必要な熱量、そして、それを消化するための熱量。それらすべてが惜しい。今、この身の内で起こっている熱情、あるいは悲嘆。涙、それらすべてを消化するのに使ってほしい。
 熱い!熱い!熱いよ!
 
 由加里は自分の身の内で起こった炎を消すのに戸惑っていた。あるいは、どうしたらいいのかわからずに立ち尽くしていた。もはや劫火は家屋の八割方まで達し、もはやなすべきことはない。まるで両親の救いを求める、いや、求めることすら忘れた幼児のように、頭の中は真っ白になって、立ち尽くしている。
 
 それが今の由加里のすべてである。

「ぁぁぅ・・・・」
 由加里は思わず身をかがめてしまった。彼女の悪い癖が出てしまったのである。感情が行き詰まって、行き所がなくなるとすぐに股間に逃げ込むのである。
 同時に少女の中で、恥ずかしい回想が再会された。

 糸を引く分泌液で自分の指を汚しながら・・・・・。

 今、蠅の唸り声のようないやらしい音を立てながら、映写機が発動する。由加里にとっては死んでもみたくないフィルムがはじまる。


 さて、ここでゆららたちに視線を変更してみよう。
 
 まるでホテルのような受付を抜けると白亜の空間が現れた。それは吹き抜けの天井が相当に高いところまで突き抜ける。おそらくはビルにして5階分の高さはあるのではないか、照美は冷静にそう推測した。
 あゆみは足を踏み入れるなり口を開いた。
「私は一度、部屋に戻るから」
「わかりました ――――」
 はるかは畏まって答えた。その様子が異様におかしかったのか、太陽に槍を突き刺した勇者のような笑い声を上げて、あゆみはエレベータに消えていった。
「さ、イコ。ゆららちゃん ―――」
「あ、ごめんなさい」
 見入っていたのである。まるでヴェルサイユ宮殿のような内装に魂をぬかれる思いだった。と言っても、少女は当所を訪問したことがないので、便宜上に豪家という単語に見合う一般的な用語を取り出しただけである。
「テニスに必要な用具は借りられるからね、靴のサイズを申請しないと ――――。おい、お前も、この口裂け女!」
 照美の容姿に対して何か言える人間はほとんどいない。はるかは乏しい人材のひとりである。
「口裂け女とはね。年齢詐称してんじゃないの? この運動バカ!」
「そういう事を知ってるってだけで十分詐称じゃねえか?」
 ゆららに微笑みが蘇った。この二人を視ているだけで、下手な漫才職人のそれよりも楽しめそうだ。
 はるかは、文句を垂れ流しながらも、二人から聞いたサイズを元に靴を取りに行った。
 
 照美とゆららが残された。アーチ型に区切られたホールは戦前に建設された学校を思わせる。客はまばらで、たまに人が通りすぎるだけである。彼ら一様にふたりに奇異さと好奇心のまじった視線を贈ってくる。
 照美は目の置き所に苦しんでいた。ゆららに対しては非常に複雑な感情を持っていたのである。だが、それはあくまで内面的な気持の問題であって、ゆらら自身に対して不満があるわけではない。
 ただ、自分と明かに境遇が違うあいてに対してどのように振る舞ったらいいのかわからないのだ。
 それは、たとえば、高田のような手合いが相手であれば事は簡単だ。何も斟酌せずに立ち向かえばいい。もしも、照美が、その竜の黄金に輝く鱗のひとつでも開いてしまえば、高田などはあさっての方向に飛ばされてしまうだろう。
 
 照美は思案深げに顎をしゃくった。
 これまで彼女が相手にしてきた人間とは、まったく違うものを、この少女は持っている。それは彼女が生きてきた歴史である。もちろん、具体的なことはわからないが、何かがそこはかとなく伝わってくる。
 ともかく、それを感じるだけの能力を照美は持っていた。そのことが彼女にとって幸福だけをもたらしてきたわけではないが、いま、このとき、彼女に対してその能力を使うべきだと、何者かが語っている。

「ゆららちゃん ―――」
「照美さん」
 照美は、しかし、少女の小さな肩に手をのせるぐらいのことしかできなかった。あふれる感情を表現する技術がない。しかし、未熟な筆であってもどうにか熟練の技術に似せて絵を描くものである。どうにかして、自分の感情を表現しようとしていた。
 だが、ゆららにしてみれば、ただ、照美やはるかがそこにそうしているだけでいいのである。それだけで、今まで歩んできた苦難の思いが安んじていくように思われた。
 照美が常備薬としての役割を果たしているあいだに、はるかと彼女に合流したあゆみがやってきた。
「諸君、お待たせしてもうしわけない ――」
 あまりに場違いな台詞に、一堂は思わず笑いそうになったが、すんでのところで留まった。
 あゆみは周囲にそうさせる見えない力を持っている。
「待っていないではじめていればよかったのに、そうか、はるかがいないとはじまらないか ――――」
 あゆみはラケットを指でさすりながら言った。絵になっている。この場所にいる誰もがそう思った。3人だけでなく用具を運ぶスタッフや犬を連れた客までがあゆみを発見すると一様に同じ顔になった。一瞬で凍りつくとすぐに驚嘆の色に顔が染まる。
 しかし、当のあゆみはまったく無頓着に ――――あくまで3人がそう受けとっただけだが、コートへと歩みを早めるのだった。
「私はウォーミングアップしているからあなたたちやってなさい」
「じゃ、やろうか? 照美?」
「ナ・・?!」
 一瞬だけ、ひるんだ照美。そして、次ぎの瞬間に少女の頭脳は次ぎのような解答を出した。
「ゆ、ゆららちゃん、先でいいよ」
「え ―――?私が?」
 ゆららは仰天の声を上げたが、彼女に拒否という選択肢はなかった。
「・・・・・・・うん」
 照美のアンテナはそれを受け取らないわけがなかった。しかし、それを表に出すわけにはいかない。顎に青い宇宙をたっぷり入れ込むと、照美は表情を元にもどした。
「わかった ―――」
 健気にそう答えるゆらら。
 はるかは、そんな彼女を本当に可愛いと思った。だから、照美のそばを通るときに、囁いたのである、そっと。
――――叩きのめすのが後になるだけさ。
―――何よ、大人げない!?
 これはあゆみと照美の共通了解だった。もっとも、互いに互いの意志を照会し合ったわけではないが・・・・。
 ホールから足を踏み出す。
 回廊のようなホテルの通路を抜けるとテニスコートが6面もある。コートは一面、23メートルもある、それが6っつもあるのだから、相当の広さであることが理解されるだろう。

「さ、そんなに緊張しないで、ゆららちゃん」
 はるかは口を開いた。彼女の声は大きい。23メートルの距離などおかまいなしといった感じだ。ゆららはそんなはるかを羨ましいと思った。少女の前にコートは、まるで10センチもあるコンクリートの壁のように、そこに佇立していた。


テーマ:萌え - ジャンル:アダルト

『マザーエルザの物語・終章 20』
「ほら、何をしているの? はやく食べなさいな」
 いち早く到着したハンバーグを目の前にして凝固している娘に、久子は言った。『召し上がれ』ではなく『食べなさい』と言われたことが、余計に涙を誘う。ぷるぷると震えながら涙を拭くあおいを、まるで猫が瀕死の獲物を弄ぶように、取り扱う。

「ほら、醒めちゃうでしょう?」

 久子の優しさはいわばテレビCMの中の母親のそれだ。素人女優の底の浅い演技のように、見え透いている。
 しかし・・・・。
 かえって娘役の少女の方が天才子役ともてはやされるだけ、上手に見えるし、真にも迫ってくる。
 ここで、救いようがないのは久子がすべてを理解した上で芝居をやっているということだ。見え透いた芝居であることは了承しながら、あえてあおいを傷付けるために猿芝居の猿であることを楽しんでいるのだ。なんとも悪魔的なはなしではある。

「ウウ・・・ウ・ウウ」
 食べ慣れたはずのハンバーグを口に運びながら、あおいは呻いた。そのおいしさはあまりにも非現実的だった。口の中でジュワと広がる肉汁の味の深さ。この店特有のタレの濃厚さは1000年経っても朽ちない縄文杉のようだ。
「フフ、にんげん、芝居も必要よ ―――」
「・・・・・・・・・・?!」
 母親の口から飛び出した言葉は、あおいにとってはさらに残酷だった。少女のまろやかな身体に痣が走るのが見える。そのあまりの衝撃のために血管は震え、少女は、その絹のよな身体に、ところどころ鳥肌が立たせている。それでもナイフとフォークを落とさないのは、少女の卑しさのためだと、久子は思った。
「本当に卑しいのね、ここまで言われて食べていられるなんて ―――」
 その声は微風そのものだったが、少女の外耳を突き破り鼓膜を破損させるほどの衝撃を秘めていた。
―――ヒドイ!
 しかし、少女はその言葉を音声化することはできなかった。
 今の今までとうてい言葉にできないようなひどい扱いを受けていたのである。それは一般的に言って、虐待という以外に表現しうる言葉がなかった。
 それはぐっちゃぐっちゃに濡れた粘土に足を突っ込んだようなものである。いったん、入ってしまえば抜けだそうとしても、そうすればそうするほどに抜けられなくなる。水分を相当量吸った靴のせいで、足は重くなり、少女は前につんのめりそうになる。それは少女の筋肉と体力の限界まで負荷を、彼女に追わせる。疲労は意識の減退をもたらし、心まで濡れた泥のような状況に追いつめてしまう ―――。

 粘土のような泥に沈もうとしていた少女の心胆を寒からしめたのは、この状況を彩るには、あまりにも明るい声だった。
「よ、あおい、こんにちは、おばさん」
―――――エ!? 啓子ちゃん!?
 目の前に啓子と彼女の母親が立っている。
 想像もしない展開にどういう表情で答えていいのかわからずに、少女は顔を顰める。
「ちょっと、親友がせっかく来ているのに何よ、その顔は!?」
「ううっん」
 おべんとうつけて何処に行くの?という童謡があったが、それよろしくハンバーグを口の端に付着させながら、言葉を詰まらせる。
 レストラン等でよく見られることだが、親の躾の悪い子供が顔を汚して暴れまわっているのをよく見受ける。しかし、あおいは、そのような悪評から完全に自由である。一般的に騒いでいる子供たちよりも年嵩にもかかわらず、この少女は体躯の芯に凛としたものを確として持っている。
 だからこそ涙を流す姿は、見る人の同情を誘うのだが、何故か榊家の人たちにはそれが通じないらしい。

 あおいは急いで仮面を被らねばならなかった。それも親友の目の前で行わねばならないのである。細工は粒々、仕上げは上々といかなければ、簡単に見抜かれてしまう。
 この時、10歳の少女は、肉体的な苦痛をはるかに凌ぐ乾きを体験することになるのである。悲しみと恥辱を隠して、いつわりの笑顔色に顔を塗りたくることをこの時はじめて知ったのである。
 そして、もう一方の少女は見事な洞察力を持っていながら、それを隠すことを知ったのである。双方ともに、10歳という年令に似つかわしくない白粉を顔にまぶすことで、真意を隠すことを知ったのである。そのふかい意味まで知ることはなかったが、女性にとって一番大切なものが女陰の奥に鎮座ましましているように、何かを隠すことで何かを得ることを憶えたのである。

 母親たちの表面的な挨拶はふたりにとってBGMていどの意味すらなかった。店内に流れているピアノ演奏のほうがよほど耳に入ってくる。
 あおいは、すべてを打ち明けて親友の胸に飛び込んでいきたかった。そして、啓子はそれを受け止めてしまいたかった。親友の顔を自分の胸に埋めて溶かしてしまいたかった。血液と血液、そして骨と骨が互いに交流してひとつになる、それを夢見ていた。お互いの心がお互いの知らないところでひとつになったそのとき、祥子が口を開いた。久子と負けず劣らずの金満家の令夫人なのだが、第三者が受けるイメージはまったく違う。
 前者をあえて表現するならば、良家の世間知らずのお嬢さんということになろうか。現在においては、ほぼ絶滅してしまったと見ていい、いわゆる深窓の令嬢という画である。一方、後者においては、画題『金満家の令夫人』以外の表現はないといってよい。
 しかし、その言葉の持つ冷たいイメージとは裏腹に、隠れた優しさが砂漠の下に眠る泉水のようにあふれている。その事実を啓子は見抜いていた。

――――何かちがうな。どうしたんだろう。
 啓子は違和感を憶えていた。注文した料理にフォークとナイフを構えながら思った。それには根拠がある。あおいがトイレに行こうとしたときにこう言ったのである。
「はしたない子ね、マナー違反よ」
 よく切れるが小さなナイフのような苛烈さを隠して、そう言ったのである。祥子は軽く受け流したが啓子は座り心地の悪さを否定できなかった。記憶の中に棲んでいる彼女と何かが違うことを意識の何処かで読み取っていたのである。

 あおいは、堪えきれない吐き気に悶えながらトイレに足を踏み入れていた。
 高級ホテルのロビーを思わせるような風情。その一角だけを運んできたような豪華な設えは、入ったひとに場違いなとまどいを感じさせる。はたして、自分はトイレに来たのだろうかという疑問を抱くのだ。床には高級なタイルが敷き詰められ、窓枠にはステンドグラスが美女の微笑を浮かべている。足を一歩でも踏み入れたならば、タイルが電子ピアノの音を奏でる。ピンク色のタイルは、少女の顔が映るほどに磨き上げられている。まぶしいほどだ。
 足が滑らぬように、力を入れたのは杞憂だった。滑り止めの処理がしてあるのだ。それを知らぬあおいは両足に力を入れたが、滑りやすいナイロンのタイツを穿いているために、さすがに力を入れにくい。裁判所に引き出された冤罪の被疑者のように、まごつきながらも、個室へと急いだ。張りのある脹ら脛は、タイツのために強調されている。それは少女を性的に強調している。

「うう・・ウウ」
 止め留め無く流れる涙は何を意味するのか。葛藤に次ぐ葛藤に疲れ果てた少女は、自分の身の内に起こったことを洞察できなかった。それが身体保全の本能に基づいていることなど知るよしもない。たとえそのメカニズムを知っていたとしても、それぐらいならば、かえって『榊あおい』というシステムそのものが崩壊することを望んだことだろう。
 同じくらいの少年少女が年に何人かみずから死を選んでいる。その理由は千差万別だろうが、それが同級生によるいじめが原因ならば、あおいが抱えている問題と軌道を一にしていると言えるだろう。
 
 個室に入るなり施錠をすると、脊椎でドアを感じた。これで完全にこの世に存在するのは、榊あおいだけになった。
「ママ・・・・ぁ」
 あおいは最愛の人間を呼ぶと、くぐもった吐息を吐いた。両手が、指が、主人の制御を離れて自然に動く。ただ一点を求めて、自分の身体を這っていく。右肩上がりの成長の、それもたった一歩を踏み出しただけの少女の肌は、珠のようなみずみずしさに満ちている。その精神状態がいくら崩壊の一途を辿っていようとも、更年期のおばさんのように、それがストレートに精神に現れることはない。いま、それは完全にべつのほうほうを取って、初潮前の蕾になる以前の生物体に、出現する、いや、しようとしている。
「ぁぁ・・ウウ!」
 この時、少女は自分が何をやっているのか理解していない。無意識のレベルにおいて了解していることが、意識にはまだ昇っていない。あるいは、それを理性によって解釈する能力を持っていない、それが成熟していないのである。
 それにも係わらず、少女の手と指は完全に理解していた。何を?性を。性の目覚めを。官能の意味はおろか、その存在さえ知らないはずなのに、確実に摑みきっている。少女の手と指は、陰核をたしかに手にしていた。自分のカラダにあるはずなのに、まるで別の生き物の臓物を摑んでいるような気がする。

「ゥヒィ・・・・・ウウ」
 身体に起こっている反応があまりに衝撃的なために、自分のそれだとどうしても認められない。冷房が効いているはずなのに、夜の真珠のような汗がタイルに零れる。そのとたんに、レモンの響きが個室に共鳴しあった。それは涙だった。少女の悲しみは量を絶しているだめに涙腺だけでは、その量を制御できないのだ。
「るぅァァ!?」
 何と、少女の性器は潤んでいる。激しく指を動かすたびに、ぬちゃぬちゃと粘着質の音がする。100匹のナメクジでおむすびを握っている。その一匹、一匹はただ生きるのに夢中でぶるりぶるりと蠢く。
「ぅあぃ・・・」
 少女は自分の中に起こってしまった火を止めようとした。しかし、そうすればするほどにぬらぬらとした炎はその鎌首を擡げる。そして、少女に襲ってくる。みずみずしい少女の大腿は、あきらかに汗でない液体で濡れている。
 その行為は生活に疲れ、自分の精神を蝕む感情の対処を誤って、外に出してしまった青年の行為に似ている。
 昨今、流行している無差別大量殺人、通り魔などという事件はそれに似ている。ただ、自分の身体にそのエネルギーを逆流させるが、本来の流れに従うかの違いである。
 別に通り魔を肯定する気はないが、長い人間の歴史において起こった戦争の根底にあるのは理性ではない。表向きには国益だの正義のためだのキレイ事を述べているが、じっさいにはただ破壊の衝動の現れでしかない。すなわち、戦争がしたくてしたにすぎない。
 ただ、理性が制御を失っていなければ、戦争をする前に勝算があるのか無いのかという計算が予め効く。通り魔などというのは、そういう計算もなしに行ったドンキホーテ的行為である。すなわち、もっとも純粋なかたちの戦争なのである。
 ただ国家という名前を出すだけに無謀な行為が許されるのか。
 勝算がないのに、国民を巻き込んで行う戦争よりも罪深い行動はない。
それは、戦争だけに限らない。事故の正義だけ猪突させ、自分を愛する人間を不幸にする輩は枚挙を厭わない。
 第二次大戦を肯定しようとする人にはそう言う観点が完全に抜け落ちている。

 あおいはしかし、それを自分に対して逆流させた。もしかしたら、あまりに未成熟な理性は、そうすることでしか、自分の身の内で起こった火事を消火する方法を知らなかったのかもしれない。
あおいはただ指を動かし続ける。100匹のナメクジと化した性器を弄り続ける。
「はぁ・・・はぁ・・・ぁ」
 少女はかつて外に出してしまった攻撃のエネルギーを自分にむけてぶっ放していた。
 逃げようとするいきものを逃がすまいと指が動く。
 もはや指とナメクジの区別がつかなくなってきた。あふれてくる粘液のために、少女の指はぬちゃぬちゃになってしまっているからだ。
 しかし、それが少女に余計に官能を与える。ぬらぬらと燃え上がる炎の代わりに、超高速の電撃が身体を縦横無尽に走りまくる。もはや、少女は自分の身体が四散して宇宙の藻くずになると思った。しかし、その中途で防いだのは親友の声と足音だった。
「あおいちゃん、いるの!? あおいちゃん?」



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