「オナニーしてみてくれない?」
それは、何回も由加里が拒否してきた命令だった。外見からは容易に想像できないほどに頑固な態度が見たくて、照美もはるかも、彼女が従わないことをわかっていて、あえて、同じ命令を下したものである。そして、後に帰ってくる反応を観察しながら二人は嗜虐心を満足させていたものだ。
由加里も、それをわかっている。だが、わからないことがある。
今、こんな夜更けにわざわざ自分を呼び出した理由はなんだろうか?
知的な美少女は、怯えながらも二人の表情から真意を読み取ろうとした。だが、まったく不可能だ。顔の表面が異常につるつるしている。すべての光を反射してしまう、ちょうど鏡のようで、由加里の思惟は侵入できずに締め出されてしまう。
この二人は恐ろしい。当たり前のことを今更ながらに思い起こされる。冷たい床がそれをその思いを強くする。クラス全体に責められているもむしろ、この二人だけの方がより受ける精神のダメージが強い。あるいは、苦痛の性質が違うといった方がより適当かもしれない。
もはや、沈黙は一分以上も続いている。由加里は、このような時に何をすべきか、二人に厳しく躾けられている。沈黙は大罪だ。自分はご主人様を悦ばせることだけに存在価値のある、おぞましい存在なのだ。だから、すぐにも口を開かねばならない。奴隷として何をすべきなのか、それを考えてすぐにも実行しなければならない。しかし、それが思いつかない時には平身低頭して、ご主人様に許しを乞い、かつ、どうすればいいのか、お伺いしなければならないのだ。
そのような文章はなんども復唱させられ、骨の髄まで染み込んでいるはずだった。
しかしながら、極度の緊張と恐怖のために口が開かない。歯と歯が当たってかちかちと音を立てている。
しかも、それを自分が出しているなどと実感できない。心が何処かに旅しているのだ。どうやら、それは精神のセキュリティシステムが作動しているらしい。だが、心はともかく、被虐者の肉体にとってみれば本当に自己保全につながるのが疑問である。
事実、照美は声を荒げると、よつんばいになっている由加里の背中に足を乗っけるとぐいぐいと踏みつけ始めた。はるかの他は誰もいないだけに、開放的な気分から嗜虐心が最大限に解放されている。そんな様子を見て、はるかは、まるで試合中のような興奮を覚えるのだった。なぜか、相手が予想以上に実力を備えていて、自分の攻撃がうまくいかないようなときによりいっそう燃えるようなそんな気分である。
「本当の赤ん坊に戻っちゃったのかな?西宮は?!」
少女の髪を乱暴な手つきで摑むと、はるか、今の今まで親鳥が温めていた卵のような腐ったぬくもりを感じて気持ち悪くなった。自分が虐待した少女が流した涙が染み込んでいるような気がしたのだ。はるかの感受性は、主人にそれを完全に無視することを禁じた。
「ヒイ・・・!?」
二人の手足は、無理やりに少女を肉体に呼び戻したようだ。由加里は、身体をからめ捕られて無理やりに戻されたような気がした。きっと、自分は死ねないのだと思った。仮にそうなることがあっても二人に無理やりに蘇生することを強要されるだろう。完全に支配されている。全身を見えない手枷足枷で縛られて、自殺することすらままならない。
「身体に、再び教えてやらないといけないみたいだな」
「はるかは、だめね。さすが体育系だわ」
「照美、おまえは褒めているのか、けなしているのか?」
「もちろん、後者よ。この体育会系ばか」
二人の軽やかなやりとりを聞いていると、自分が置かれた状況があまりにも非現実的に思えてくる。それが少女を惑わせた。今、体験していることはすべて夢の中の出来事のように思えてきたのだ。
口が動いた。
「わ、わかりました・・・オナニーします・・・」
「なんだって?よく聞こえないなあ?」
さらにテンションが上がって、はるかの声が荒ぶる。それが由加里の理性を復活させた。
「ヒッ?!」
突然起こった大きな音に反応した幼児のような顔をして、由加里は二人の顔を見た。今、自分は何を言ったのだろう、言ってしまったのだろう、自問自答しようとするが記憶が定かではない。ただ、とんでもないことを言ってしまったのだということだけはわかる。
それを会話の前後から推論すると、自殺の予告に等しい文々を述べていたことがわかった。
「西宮さん、今、何を言ったのかしら?もういちど繰り返してくれない?」
まるで母親が幼い娘に質問するように、ちょうど言葉と言葉の間をオブラートで挟み込むように甘ったるい口調で、言った。由加里にしてみれば、唐辛子を砂糖の塊でくるんだものを無理やりに食べさせられるようなものである。気持ち悪いことこの上ないが、ここは奴隷の身体、ご主人様には臣従しなければならない。わからなくても、何かを言わないといけないのだ。
「や、やっぱり、できない。できません・・・・わ、私・・・もう、許して・・・・クダサイ」
このふたりに仕えるにあたって、その動詞がいかに無意味なのか、痛いほどにわかっているつもりだったのである。それにもかかわらず使ってしまう。自分が口走ってしまったことがどれほどに重大か、記憶喪失になった今となっても、感覚で理解しているからだ。
照美は、被虐者が瀬戸際まで追い詰められていることを知っている。もうひと押しで白旗を上げることを理解しているのだ。
「西宮さんは本当に都合よく、記憶喪失になるんだね?」
「・・・」
照美の猫なで声などそうお目にかかれるものではない。その意味において、この少女はかなりの恩恵に浴しているといえた、ただし、本人が望めばのはなしだが・・・・。
「・・・・うう」
「泣いてちゃ、わからないわよ。西宮さん」
数万もの針で全身をつつかれているような気がする。照美たちは、こうやってじわじわと由加里を苦しめてだんだん弱っていくのを見て楽しんでいるのだ。それならひと思いに殺してくれた方がいい。
この美しい少女が自分に向ける憎しみの深いことと言ったら、高田や金江の比ではない。二人は面白半に自分をおもちゃにしているところがあるが、照美のばあい、仮にそのような説明ができる部分があったとしても、その背後にあるのは、殺意に裏付けされた運命的な憎しみなのだ。
そんなけったいなものと正面切ってやりあうよりも、いっそのこと、ここでオナニーをしてしまうべきかもしれない。
海崎照美という人間ならば一度交わした約束を違えることがないだろう。
きっと、もういじめないだろうし、ほかのクラスメートからも守ってもらえるだろう。
しかし、それがなんだろう。
この世でもっとも自分を憎んでいた相手に守ってもらうとは、どれほどみじめなことなのか。しかも、目的を達して飽きた、という但し書きがついている。こうまでされて生きている理由があるのだろうか?
それに、一度、加虐という美味しい肉の味を知った人間がそれを簡単に忘れられるだろうか?特に性質の悪い肉食獣は、言うまでもなく高田と金江の二人である。どんな手段を使っても、自分を服従させようとするにちがいない。
ここまで考えて、とんでもない考え違いをしていることに気づいた。クラスメートたちは自分を守ろうと言い出しているのだ。おそらく、それをまったく信用していないのだろう。だから、ここまで心が萎えるのだ。なんて嫌な人間なのだろう。守ってもらう資格なんか自分にはない。友達なんているべきじゃないのかもしれない。
そう思うと、二人の前で、自分を慰めてもいいような気がしてきた。思い切ってやってしまおうか。
しかしながら、犬以下の存在に堕ちることで、楽になろうか。それは彼女らだけに対することではない。人前でこんな恥ずかしいことをできる人間は、誰に対しても主人奴隷の関係以外の関係を築くことは不可能になるのだ。それは、家族に対しておなじことだろう。
だが、疲れ切った由加里の身体は休養を必要としていた。
「ほ、本当に、もう、いじめないんですか?あ、あんな・・う、ひどいこと、もう、しませんか?」
大粒の涙がこぼれた。照美は、あまりの大きさに床に落ちるに際して、たしかに大きな音を聞いた。
走馬灯のように、ひどい記憶がよみがえる。
「ええ、もうしないわ。そうしたら、あんたは死んだも同然だから・・・・」
「・・・」
逆説的な言い方になるが、きっと、親友は、由加里にオナニーをさせたくないのだろうと、はるかは思った。ここでやらせてしまっては、何か心残りがあるのだろう。本当の照美の姿を見るためには、体内に残った怒りや憤懣を完全に昇華させてやらねばならない。
はるかは、思わず苦笑を漏らした。思わず浮かんだ二文字がこのような状況に合致するだろうか。知的にも人並み外れたものを持ち合わせる、アスリートの卵は、それに気づいてしまう哀しさを味わっていた。
「じゃあ、したくないなら、さっさと帰って、もう、用はないから」
冷酷に照美は言い渡す。
なぜか、恥ずかしい行為を命じたときよりも、はるかの耳にはよりひどく聞こえる。彼女の予想通りに、由加里は、童女のようなきょとんとした顔で、自分の所有者の酷薄な美貌を仰ぎ見ることしかできない。
「どうしたの?やりたいの?そうよね、西宮さんは露出狂のヘンタイさんだもんね、よかったら、街中に出てやる?」
「ぁ・・・!?」
照美の突っ込みに、平静を取り戻したようだ。しかし、突然に性器を弄られて、官能の海に引きずり戻された。
「ぁあっぁう!?いや!!」
逃げようとすると、はるによって取り押さえられた。
「簡単なことさ、西宮、今、あんたがしてもらっていることを、自発的に行うだけだ。同じことだろう?」
照美の指は、由加里のすでにぬるぬるになったハマグリをこじ開けると、それはまったく力を入れないのにすんなりと受け入れたが、わざわざ実況中継をしてまで、自分の所有物を辱めて、その自尊心を取り上げることに励む。
「ほら、見てごらんなさいよ。西宮さんのいやらしいクリトリスが顔を見せてるわよ。入院している間も、相当、自分で楽しんだんでしょう?三ミリぐらい膨張しているわ!」
「ぃいやああ!いやあ!やめて!やめて、あぁぁ。うう、そぉ、そんなこと、言わないで!!えぇぇl」
「本当に気持ち悪いな、なめくじみたいだ」
どうして、この二人の言葉は内面にまで突き刺さってくるのだろう。高田や金江に言われてもたいして感じなくても、二人に言われると、頭の上にコンクリートの塊を落とされたような気がする。
わけもなく、涙がほおを伝わって顎を素通りする。こんなこと言われていまさら傷つくはずがないのだ。しかし、涙は止どめなく溢れてくる。
「ねえ、西宮さん、どうしてすぐに帰らなかったの?こうしてほしいからでしょ?」
「ち、ちがう!ぃぅぅ?ぁぁ・・はぁ・・・あぅう!?」
まるで万力のように両肩に押し付けられた、はるかの手が、その圧力を減らしているにもかかわらず、逃げようとしない自分をまだ、由加里は発見できずにいた。
由加里にとって、照美の家族のことなぞ、いっその事どうでもいいことだった。自分を虐待する人間の母親のことなぞ、完全に関心の範囲外にある。今、一番大事なのはわが身であって、それ以外のことを考える余裕はなかった。照美の一方的な憎しみの前に、命の危険性すら感じているのである。
そのために、もしも、照美の両親なり家族が存在していれば、この場からの忌避はおろか、いじめそのものから解放される可能性すらあるかもしれない、という事実に気づくことすらできなかった。
思考回路はほぼショート状態にあっても、鋭敏な感受性は健在だった。
この家には、レモンに糖蜜を混ぜたような、実に甘酸っぱい香りが立ち込めている。
だが、この懐かしい匂いはなんだろう?
由加里は不思議だった。かつて、どこかで嗅いだような気がする。実際に家族も、家も、 存在しているにも関わらず、知的な美少女は、いま、自分が住んでいる場所以外にいるべき家があるような、彼女にしてみれば実に不思議な感覚に囚われることがあった。真実を知っている母や姉ならば、その正体について心当たりいや、それどころか真実そのものを示すことができるのだが、何も知らない由加里がそれについてぼんやりでも洞察していることは驚くべきことだろう。
この家には、そのような匂いが充満しているのだ。
だが、その正体について、彼女はまったく気づいていない。
一方、照美とはるかは、由加里について何もかも知っている。
そのことが、二人の視線に、それぞれ、別の彩を施していた。しかし、それは普段、学校でいじめるときとなんら変わることはない。単に、虐待者と被虐者の関係にすぎない。だが、由加里してみれば、この家の雰囲気と合い間って、何かおぞましい空気を敏感に感じざるを得ないのだった。
完全なる視野競作が知的な美少女を襲っている。この夜は永遠に続くのではないかと思われた。この広大な宇宙に世界は照美の部屋だけにしか存在しない。もはや、誰にも助けを呼ぶことは出来ない、なぜならば、外に世界は存在しないのだから....。
大声を出して外の住人に救いを求めるということは、由加里にはありえない。ただ、二人から受ける暴虐をそのまま受け入れるよりも他に方法がないのだ。
そんな由加里に照美の酷薄な声が響く。
「西宮さん、今日はなんでわざわざこんな時間に来てもらった、と思う?」
わざとらしい区切りが、余計に照美の酷薄さを助長させる。
「.....に、西宮、ゆか、由加里は、かい、海崎さまの奴隷で、おも、おもちゃです...ど、どんな、め、命令でも、よろこ、喜んでしたが、従わせて、従わせていただきます...ウウウ」
「そう....」
照美のしなやかな手が無知のように撓って、由加里の頬を摑むと、顔全体をゆっくりと撫で回し始めた。何だか、悪意の粉を擦り込まれているような気がする。少女は恐怖のために声はおろか吐息さえ出なくなってしまった。
由加里の顔を無理矢理に自分の方向に向けさせる。哀れにも、顔中がミルクだらけになっている。そんな姿を見て、照美はほくそ笑んだ。こんなにひどい目にあわされても、愛らしさを失っていない。それが憎らしいのだ。
「西宮さんは本当に赤ちゃんみたいね」
知的で大人しい由加里をそう決めつけることで侮辱しようとしている。そんな意図は既に読み切っているのだが、どんなにわかっていても照美が醸し出す恐ろしさに馴れることはない。
「....!?」
もはや、知的な美少女に助けを求める気力が残っているはずがない。照美はそう見なしていたが、事実は違った。こんな風に感じる自分を天真爛漫だと思わないでもないが、クラスメートたちが自分を支持してくれている。その可能性に思いを馳せているのだ。
照美は、自分の所有物の常ならぬ様子に目敏く来付いたのか、「なあに?まだ、自分に味方がいるとでも思っているの?ま、別にあなたに味方が何人いようとも構わないから、私だけがあなたを憎むのを止めない。何処に逃げてもおいかけて殺してやる」
「ひ..…」
それは本当に純粋な憎しみだった。色でいえば純粋な黒。ある宇宙飛行士が体験したことだが、宇宙空間でみる夜空、これは変な言い方になるが、それは地球から見る星のない部分と違って何もない「黒」なのだそうだ。それは体験したものではないとわからないことだが、「穴」としか表現できない、ということだ。
被虐の美少女は、加害者に対して、彼女が自分に対する殺意を超えた憎しみに対して、そのように思うしかない。
「ゆ、許して...」
獲物が、自分の敵意を受けとめるだけのエネルギーを有していない。そのことに気づいた照美は幻滅して、床に投げ捨てた。
「ウウウ..ウウウ?あぁ,痛い!!うう・・あああ?」
由加里は逃げようとして、立ち上がったが零れたミルクに足を奪われた。そして、滑った先には体力的には、照美よりもさらにおそろしい、鋳崎はるかが立っていた。
彼女の声を聴く前から、少女は全身に激しい痛みを感じていた。喉がからからに乾燥してまったく声が出ない。
「西宮、何処に行く?」
「.....」
はるかは、内心で自分が安っぽい悪役を演じていることを知っている。その上で楽しんでいるのが、彼女が彼女である所以であろう。
「それにしても、こんな恥ずかしい恰好で街に出られたわね、こちらが恥ずかしくなるくらい」
「イヤ...ああ!?」
既に用意していたのか、照美はビニールの手袋をはめると体操着の上から正確に由加里の膣を捕まえた。
「クふん!!いやあ!!や、やめて!」
反射的に局所を護ろうとする両手は、無惨にも、はるかによって取り押さえられた。
照美は、ちょうど俯せになった由加里の背中に座って、彼女の局所を攻撃する。
「ふふ、体操服の上からでもわかるほど、濡れてるじゃない。ぬちゃぬちゃよ」
もちろん、あらかじめ手術用の手袋を用意してある。熱伝導が鈍い物質だけに、常温であっても冷たく感じる。マネキンの手に凌辱されているような感覚が少女の中に入り込んで、彼女の内臓を食い破る。
「こんな風にしてほしかったんでしょ?あいにくと誰もいないから、ぞんぶんに、西宮さんの、おぞましい欲望を満足させてあげるわ」
まるで官能小説の登場人物が吐くような台詞に、はるかは驚いた。もしかして、親友もその手の作品に目を通しているのかと思うと、微笑がこぼれてきた。
「何よ、きもちわるいわね、はるか、どうしたのよ?」
「いや、なんでもない、ただ、照美も成長したんだなってさ」
「ヒイ・・いぃぃぃぃぃ!痛い!!」
哀れな被虐者の髪を乱暴に摑んだ。そして、自分の顔の位置にまで無理やりに引き寄せる。
「奴隷の扱いが小説じみてきた」
何をわけのわからないことを、というような表情をつくると、由加里の膣奥深くに指を侵入させた。
「ぃいやあああああ!!」
腰を奇妙にひねらされた格好で、少女は絶頂を迎えてしまった。照美の行き過ぎた行為によってそうなったのか、あるいは、はるかの「奴隷」という言葉によってなのか、判断がつかない。あるいは、両者があいまった結果なのかもしれない。
照美は、行儀の悪い犬を叱るように言った。
「あら、あら、床を汚しちゃって、どうすればいいのわかっているわね」
「ハイ・・・・・」
幼稚園のお泊り会でおもらしをしてしまった幼児のような顔でうつむくと、いつもやらされているように、自分が分泌した液体に口をもっていく。
屈辱的な姿勢、由加里の嗅覚を刺したにおいは、酸味がかかったピーナッツバターである。酸味が強いといっても、さきほどの懐かしいレモンのにおいとは完全に一線を画している。
「本当に、犬以下ね、赤ちゃんなんて言ったのは間違いだったわ。西宮さん、どうして、そんなあなたが、オナニーをするのを嫌がるのかわからないわ」
「・・・・・!?」
照美の台詞の中にある、ある単語が由加里を凍りつかせた。
「何?まだ、残ってるじゃない?誰がやめていいって、いったのかしら?」
「・・・・・」
従順な奴隷が主人のいうことを聞かない。その理由を知らない者は、三人のうちで一人もいない。
言った本人は、意識的にその単語を選択したのだ。その結果、自分の所有物がどのような反応を示すのか、もちろん、計算済みである。はるかも、親友と同じように理解している。
一方、被虐者はどうだろう。
上品な唇の周囲に付着した、自らの分泌液による汚れにすら無頓着なままで、知的な美少女は、ただ、唖然とした顔で主人の顔を見つめていた。そして、決意したように口を開いた。
「いやです!絶対に、それだけは殺されてもできない!!」
所有者は、奴隷が自分が思ったように動くことが面白くてたまらない。しかも、その反応が予想以上であることに、気づくと、嗜虐的で知性的は悦びに、美しい顔を歪めるのだった。
はるかは、友人の顔がたとえ、狂気に似た感情に歪んでも美しさを失わないことに、驚きを感じていた。
「照美、こんなブザマな姿をさらせるなら、もう、やってくれるんじゃないか?」
「そうね、やってもらうわ」
「いや!!」
由加里は、華奢な身体を折り曲げて、必死に懇願、いや、抗議した。奴隷が主人に反旗を翻したのである。
そんな態度も織り込み済みという顔で、照美はもう一度言った。
「西宮さんのオナニーが見たいのよ、やって!」
「絶対に・・うう・・いや!」
「そう、もしも、やってくれたら、いじめをやめさせてもいいのよ。私たちはあなたにかかわらないし、親しい友人の、高田さんや金江さんにも言って聞かせるわ。これで、クラスと部活、両方とも、あなたにとって平和な世界になるわよ」
二人に対する軽蔑を隠さない口調は相変わらずだ。
「信用できないって顔ね。だけど、あなたに人前でオナニーさせたら、もう、目的は達しちゃうわけ。おもちゃとして用済みなのよ、おわかり?」
照美の美貌が近づくと、さくらんぼうのようなとても上品で芳しい香りが広がった。それは、彼女が発する恐怖とは完全に性格を異にする。
照美は、もういちど言った。
「西宮さん、オナニーしてくれない?」
「こ、こんな・・・」
化粧用の大きな鏡に着替え終わった自分を映してみて、由加里は絶句した。なんと言うことだろう。まるでビキニの水着姿の女性ではないか。いや、それが学校指定の体操着である故にいっそう淫らに見えた。
おそらく、父親が帰ってきたのだろう、ふいに、階下から野球中継の騒音が聞こえてきた。巨人の四番が逆転ホームランを打ったらしい。由加里は、都民のくせに巨人ファンではない、いわば非都民なのだが、このような異常な状況におかれてそんなことは頭にない。
「ウウ・・・、こ、こんな恰好で外に?」
父親の帰宅と野球中継が彼女にもたらしたものは、改めて自分の身分と年齢だった。中学2年生、14才、そのような少女がこんなに夜遅く、町に消えていく。それは、既に死語となった「不良」という言葉が真っ先に浮かんだ。
だが、自分を優等生だとみなしている由加里が「不良」と同じ行動をとらなければならない。実は、最近まで、そのことにすら気づかなかった、はるかによって小説の訓練を受けるようになってはじめてそういう自分に気づかされたのである。
これから、自分がしようとしていることは、家族への裏切りのような気がした。加えて、知的な美少女の道徳観念に悖るようなこと、それは今、彼女が目の当たりにしているような恥ずかしい恰好で外出することだ。もはや、普通の女の子、いや、人間ですらなくなるような気がした。西宮という姓を剥奪されて、政府公認の奴隷身分に落とされるような錯覚に襲われた。
だが、赴かねばならない、自分を所有するご主人様のもとへ。
念仏を唱えるようにSOSを家族に対して発しながら自室を後にした。しかし、音が家の中に響かないようにできるだけ静かにドアを開閉した由加里。彼女は、隣の部屋で泣いている妹には気づかなかった。姉らしい態度で接してくれなかった由加里に対する、いわば、恨みの涙だった。けっして、悲しみが主原因ではない。
そのことに気づくほど由加里に余裕があるわけがないのだが、普段の状況であっても、人よりもはるかに他人の傷には敏感な少女であっても、気づくことが出来たのか、それは疑問である。聖人と称せられる人間であっても、事、自分よりも下のきょうだいには、以外と一ミクロンの疑いをはさむことなしに、他人からみれば実に傲慢な態度を取っているものだからだ。
この点に関して言えば、由加里はその例に漏れないが、郁子の友人たちに比較すればはるかに本当の意味で妹思いの姉であったこともまた事実である。それを指摘して、郁子を我が儘だと非難するのは簡単なことだが、彼女がおかれた特殊な境遇を加味すればだれしも考えを変えるかもしれない。
彼女は無意識のうちに気づいているのである、二人の姉と血が繋がっていないことを。しかし、どうしたことか、意識においては、自分は貰いっ子であり、家族に愛されていない、と間違った結論を出してしまった。それが姉に対する歪んだ愛情表現につながったのかもしれない。
そんなことは、しかし、当の由加里にしてみれば関知しようがないことだった。
忍者顔負けの潜み足で階段を降りると廊下を急ぐ。これほどまでに我が家が広いと思ったことはなかった。なんとしても、このみっともない姿を家族の誰にも見られてはならない。しかし、その反面、捕まえてほしい、と矛盾した思いに身体を裂かれている。
人間とはなんと救いがたい生き物かと、知的な美少女は思った。
だが、そんな高尚な思考などあさっての方向に飛び去ってしまう羞恥心が、彼女を襲おうとしているのである。細心の注意を払ってドアを閉めると、自転車を駆って、夜の町へと自分の身体を泳がせる。
すーすと、性器にまで風が侵入してくる。かんじんの部分はサドルのでっぱりにぶつかって恥ずかしい刺激を、ペダルを漕ぐたびに、一定の感覚で伝わってくる。その度に華奢な身体をぴっくと捻らせる。
いじめられっ子にひどい行為をされる前から、少女は泣いていた。常に誰かの視線を感じる。照美とはるかの個人的な所有物となった由加里は、風呂やトイレに入っている時でさえ、彼女たちの視線から自由ではない。
しかし、今は、複数の、それもいやらしい男のものだけでなしに、同性の蔑むような目つきにも悩まされていた。むろん、人通りの少ない夜だけにほとんどは彼女の被害妄想にすぎない。だが、彼女がそういう誤解をするにあたっては、それだけの理由が与えたものだちがいた。
それがクラスのいじめっ子たちに帰される罪であることはいうまでもない。
由加里は、自分にまとわりついてくるそのような者たちを振りきるためにも必死に漕ぐ。しかしながら、それが必然的に、いじめっ子たちの中のいじめっ子、照美の元へと連結する、さらなる矛盾迷路に彼女を追い込んでいく。
彼女にとって海崎照美とは、いじめっ子というカテゴライズをはるかに超える存在だったのかもしれない。もちろん、鋳崎はるかも同様だと言わねばならない。
それにしても、普段見知っている街が夜のとばりが降りるとこうまで変わってしまうものか。はるかから渡された小説の中に、パラレルワールドを扱った作品があった。
いじめられている女子中学生が一夜にしてパラレルワールドへと旅立ってしまう。なんと、その世界においては、加害者と被害者の立場が真逆だった。その少女は、クラス全体からいじめっ子という立場を熱望され戸惑うという、実に少女にとってはタイムリーな話である。
現在完了形なのは、まだ読み終わっていないからだ。はるかは、いかにも体育会系の少女という外見から考えられないほどに魅力的で繊細な神経を持っている。由加里は、気丈にも訊いてみた。「もしかしたら、別世界では別のことが起こっているかもしれませんよ」
「何、この世界では私たちがあんたをいじめているのさ」とこともなげに言ったものだ。自分でいじめているという自覚があるいじめっ子はめずらしい。
由加里は、この二人には特に恐怖を抱いている。これから、彼女たちにオモチャにされるのだ。それはいつものように五人で辱められるよりも、さらにおそろしい体験だと怯えている。
彼女は、あれほどまでヒドイ目に合わせられながらこんなことを思っているのだ。
・・・・もしも、パラレルワールドというものが存在するならば、あの二人と親友でありたい・・・・。
その二人は、由加里の顔を見ると、あたかも10年来の親友のように歓待した。
「こんばんは、西宮さん」
「・・・・・・」
由加里は、自分の所有者である二人に、同じように挨拶を返すことを躊躇った。なぜならば、「こんばんは」を敬語に変換するとどうなるのか、彼女の国語の知識では不明だったからだ。
「お、お会いで、できて、光栄です・・・・」
「ま、入ってよ。それにしてもすごい恰好ね。本当にその姿でここまで来たの?なんか羽織ってきたんでしょう?」
近所でも評判の美少女は知っていた、自分の所有物がそんなことをするわけがないと・・。
わかっていて、なお、そんな質問をする。なんという悪意か、その上、由加里は照美のそんな意図を見抜いているのだ。むろん、照美にしてみれば、獲物がそれを見抜くだろうことを見通している。
鋳崎はるかは、そんな二人のやりとりを見ていると、ほとんど性的な快感に近い刺激を感じていた。由加里はともかく、親友である照美ですら俯瞰的に観てしまう、それは映画監督や作家に属する才能なのだろうが、そういう自分に違和感を抱く繊細さをも併せ持っている。
さて、獲物を自室に招じ入れるなり、照美はその上品な凶暴さを発揮した。
由加里の頭をむんずと摑むと部屋の中央に置かれているものを見せ付けた。
「喉、乾いたでしょう?」
「ウウ・・・・・」
由加里の目の前には犬用の皿があった。そこに照美がミルクを注ぐ。
「ふふ、子猫ちゃん、飲みなさい、ほら、飲むの!」
ついに怒りを爆発させた照美は、由加里の頭を、あたかもゴミをゴミ箱に放り込むように、柔らかな髪の毛ごと皿に突っ込んだ。
「むぐぐぐぐぐ・・・・・」
ついに来たと思った。これこそが本当に憎しみだと感じる。他の誰からも送ってこない特別な秋波。由加里を真に恐れさせるもの、そして、彼女を死にまで至らせる可能性を秘めた、嘲笑を一切含まない憎しみの感情。黒曜石の黒。
それを浴びると、何故か、安心を一方で感じてしまうのはどういうことだろう。
限りなく知的な美少女は悔しかった。照美という悪魔に対して、自分からありとあらゆるすべてを、今は妹さえ、奪い去ろうとしている。そんな彼女に情愛を感じるのだ。黒曜石のようにキラキラと光っている。
自己弁護すらもう許されない。このおそろしい主人に従い続けなければならない。ちなみに、いじめられっ子に「あと2年で卒業できるのに・・」と励ますことは全く無意味と言わねばならない。当の被害者にとってみれば、子供たちが置かれている状況は、永遠とも思える煉獄以外のなにものでもないのだ。
学校の歴史上、類い希なる残酷ないじめの被害者である由加里は、犬のようにぺろぺろと器のミルクに舌を伸ばしている。
「まさに畜生ね、西宮さんは人間のプライドがないのね」
「・・・・・」
「もはや、反論する気力すらない、というわけか」
はるかの、照美とはべつの意味で冷酷な声が由加里にのしかかってくる。肩の骨が折れるかと思った。そのために、犬の行為がおろそかになったとして、鳩尾に蹴りが加えられた。室内のために凶器はスリッパだったが、アスリートの卵が繰り出す攻撃は由加里に呼吸を忘れさせるほどの苦痛をもたらした。
「ウグウウ・・・」
「誰か、零していいって言ったの?」
論理的に問題がある物言いも、照美は、当然のことながら彼女がそれを理解していないはずはないのだが、強引に押し通すのだ。
クラスメートが側にいない照美は、本当の自分を顕わにしている。はるかにはそれが理解できた。しかし、一方で、そのことで由加里に対して嫉妬に近い感情を抱いていることを知って、おもわず苦笑した。
彼女の姉妹に等しい友人は、ついに由加里に対して最後のチャンスを与えようとしている。
「照美、夜も遅いから、はやく言ってやれよ」
「何、言っているの?まだ、8時27分じゃない」
「おまえ、オールナイトでやるつもりか?」
はるかは、苦笑の上に苦笑を重ねざるを得なかった。照美は、彼女の次の言葉によって、さらに絶望の色を濃くするのだった。
「今夜、百合恵ママは仕事でニューヨークに行っているからな、それもありか・・・」
西宮春子は、娘たちの間に今までにない空気が漂っていることに気づいていた。特に次女がおかしい。確かに、中2に上がっていらい見舞われているといういじめ、それに約2週間の入院と、彼女はこれまでの順調な人生にはなかった荒波に揉まれている。だが、今度は、あくまでも姉妹の間だけに醸し出されているにおいのような危惧するのだ。
肉汁の匂いと食器どうしがしなやかに当たる音がカチカチと上品な音楽を奏でている。
今、夕食の最中である。
メニューは、好物のハンバーグにもかかわらず、由加里の箸は進まないようだ。何を思い詰めているのか、その口は固く閉じられている。それに好対照なのが、妹の郁子だ。いつも、彼女は明るくはしゃいでいるのだが、今、彼女が見せている態度は、何か姉に対して勝ち誇ったような顔をみせている。いったい、これはどういうことか。
そして、無言のままで由加里に何かを迫っているようにみえる。
それに促されたのか、次女は重い口を開いた。ほとんど、義務感と、今が夕食時どい長年続いた惰性から、ハンバーグを一欠片口に入れて呑みこむと、重い口を開いた。
「ま、ママ、郁子とあるゲームをしようと思うの・・・」
「ゲーム?」
「え?由加里お姉ちゃん、どんなゲームなの?」
嘘だと、長いこと二人の母親をやっている春子は、直感で思った。由加里は喉になにかが引っかかっているような声で、続ける。
かすかに首を傾けて郁子を伺うような姿勢を取って、「い、郁子と立場を逆にしてみようと思うの、たまには私がい、妹になってもいいかなあって、そんな気分を味わってみようとね・・・・」
この子は、いったい、何を言い出すのだろう。妹の気分ならば、長女の冴子が轟然と存在して、むしろ、母である自分よりもこの家で存在感を由加里に示してきたのではなかったか?
「それは具体的にどういうことなの?」
「わ、私が、郁子の、ことを・・・・い、郁子お姉さんって呼ぶから、郁子、は、私の・・ことを妹のそう呼ぶみたいに、ゆ、由加里って呼んでね・・」
無理矢理に造った笑いが、何処かマネキンめいている。しかし、プラスティックの肌の下には、確かに、温かい血が流れているはずなのだ。そう強く主張できないのが残念だが、春子の愛おしい娘が隠されているにちがいないのだ。
春子は、二人と自分の間に見えない壁が立っているのを見て取った。どうしても乗り越えられそうにない。郁子はわざとらしく笑った。
「そんなのヘンだよ、郁子がお姉さんだなんて!どうしたの、由加里お姉さん」
まるで台本を棒読みするような口調、彼女は完全に春子を意識していない。彼女を騙そうとすらしていないのだ。しかし、それが、彼女の幼さ故の無邪気な仕草とはとうてい思えない。だが、詳しいところまでは読めない。 何を考えているのかわからない。
一体、二人の間に何があったというのだろう?まるで何年もふたりと顔を合わせなかったようにすら思える。それほどまでに壁は高く、そして、強固だ。
郁子が由加里にそのように迫ったことはたしかだが、あれほどまでに仲がよかった二人の間に亀裂が入ったのは、いつのことなのだろう?春子の印象によると、妹の姉に対する信頼感は絶対だったはずだ。
こともなげに、郁子は言った。
「じゃあ、仕方ないなあ、由加里お姉・・由加里!」
「うん、郁子・・郁子お姉さん・・・」
俯いた由加里の顔を長い髪が隠したので、わからないが、涙ぐんでいるのではないか、ここで、春子は、ふたりの母親として言うことがあるべきではないか、もしかして、それを彼女に躊躇わせたものがあるとすれば・・・・それは、片方と自分が血のつながりがないせいか・・・そこまで考えて、春子は、態度に出るような勢いで、それを自分に対して否定した。
そんなことはあるまい、と・・。
再び、顔を上げた由加里はハンバーグを口に放り込むと、ニコと笑ってみせた。強がって硬直した頬が痛々しい。だが、以前のように手を出せないことがもどかしい。もはや、子供たちとのつながりは切れてしまったのか。それともこれが成長の一歩だということか、しかし、ならば、まだ小学生にすぎない郁子はどうなのだろう。彼女と自分は正真正銘に、血が繋がった娘にもかかわらず、姉の由加里よりも心が読み取れない。
「由加里ったら、こんなに遺しちゃって、あたしが食べてあげるね」
半分も食べずに食卓を立った姉に、わざと聴かせているのではないかと訝るほどに大きな声で、郁子は言った
その声は、とうぜんのことながら、知的な美少女の耳にも入っていた。聴覚神経を通し送られる電気信号のうち、その声しか脳が受けとらないのではないかと思った。耳にこびりついた「由加里」という声を郁子が発するなどと、太陽が西に沈むことに等しかったはずである。
今、それが現実となった。
「うう・・ひどいっ」
暗いままの部屋で、寝具に沈み込んだ由加里が発した声は、郁子に向けたものなのか、それとも、照美かはるみ、あるいはそれとも全く違う誰かなのか、彼女には判断できない。いや、判断すらしたくなかった。そのような 気力すら、すでにないのだ。
その時、聞き慣れた着信音が、由加里の鼻面をぶちのめした。
「か、海崎さん・・・・!?」
携帯を手に取りたくない。だが、随意神経が勝手に働いている。あるいは、脳の中にRAMが勝手に設けられて、由加里の自我に、早く携帯を取ってご主人様に答えるように、と命じている。
「いや、いや、いや、いや!!このままじゃ、あの人に殺されちゃう!!」
由加里は大量の涙で顔を洗っていた。シーツは濡れて、まるでおもらししたみたいになっている。だが、それでもぬるぬるする手で携帯に手を伸ばした。
「何をしているの?奴隷の分際で!」
「・・・、もうしわけありません・・・」
もしも、一年前の由加里が今の自分の姿をみたら、きっと、いくらそれが自分に酷似していたとしても何か悪意の充ちたいたずらにしか思えないに決まっている。よく駅のホームなどで携帯片手に30度に状態を傾ける、模範的なお辞儀をしている姿を、彼女は、自分の父親ならばあんなことはしないと、心密かに哀れに思ったものだ。
その由加里が、今、かつての彼女が同情を向けた対象となんら変わらない姿勢を取って、しかも、幼女のように顔を涙でぐっちゃぐっちゃにして、土下座と錯覚するほどのお辞儀を披露しているのだ。
「今すぐ家に来なさい」
「え?こんな時間にですか?」
由加里は慌てた。いくら照美の命令と言っても、時計を見れば、午後7時半をまわっている。すでに、中学生が外を出歩く時間帯ではない。塾に通っていていればまだ夜とさえいえないかもしれないが、そんなものは彼女には必要なかった。
「聞こえなかったのかしら?」
照美の家には一度だけ行った、いや、行かされたことがある。あの時も惨めなおもちゃとしてさんざん嬲られたものだった。
しかし、と思う。もしかしたら、そんなことはこれで終わるかもしれないのだ。ゆららや、真野京子、それに藤沢さわの顔がちらつく。きっと、彼女たちが助けてくれる。そうなのだ・・・一条の光が天から差し込んできた。
だが、そんな由加里に美貌の悪魔は酷薄な命令を下してきた。
「そうだ、郁子ちゃん、あなたのお姉さんに服を借りて来なさい。そうね、学校の体操着がいいわ。下着はつけないで来るのよ、自転車を使うのよ!はやく来なさい」
由加里の返事を待たずに照美は電話を切った。
語尾がやけに落ち着いていた。それがおそろしい。
だが、郁子の服だって?小学5年の中でも小柄な彼女の服が自分に着られるはずがない。それに、午後8時、こんな時間に外出するなんて・・・・親からの躾と自分の主人、所有者の命令が、葛藤して由加里を苦しめる。
最終的に勝ったのは、類い希な美少女だった。
「郁子・・郁子お姉さん・・」
「あら、どうしたの?由加里お姉・・・由加里?!」
どうやら、照美は郁子に知らせていなかったと見える。由加里が来ることを予見していなかっと見えて言い間違えた。やはり、彼女は妹なのだと、嬉しくなったが、それどころではない。郁子から体操着を借りなくてはならない。
「郁子、郁夫お姉さん・・・体操着を借りたいの?貸してね」
「何をばかなことを言っているの?」
「あ、あした、体育があって。洗濯したままなの」
「じゃ、敬語で頼んでよ、昔はお姉さんに敬語使ったのよ。国語で習ったんだから」
「そ、そんな・・・・」
涙にくれる由加里だが、郁子の背後に照美を見てしまった。彼女の部屋の窓から見えるネオンサインが爛々と輝く、照美の瞳に見えた。
「わかった・・・」
「わかった?」
「いえ、わかりました。お、お願いですから、い、郁子お姉さん・・」
照美の酷薄さや残酷さには、品格の意味からも、そして、程度の意味合いからも、大人と子供くらいの差があったが、由加里は、かなりのダメージを受けた。
「い、郁子、お姉様、体操着をお貸しクダサイ・・・ううう」
身も世もなく泣き崩れる由加里、そんな姉に郁子はふいに怒りを感じた。
「何よ・・・!?」
お姉さんならどうして抵抗しないのよ!という言葉を呑みこんで、溜まりに溜まった憤懣を、自分の右足に爆発させる。身体をくの字にして亡きじゃくる姉の腹に向けて蹴りはじめたのである。
「い、痛い!郁子!やめて!!」
「あんたは私の妹でしょ!?」
7発目の蹴りが由加里のみぞおちに食いこんだ。
「うぐぐう・・・い、郁子、お姉さん・・」
ふいに意識が遠のいた。
・・・・・・・・。
しばらく暗転があって、気が付くと薄汚れた体操着が置かれていた。
「・・・・・!?」
由加里は、上着に貼ってあるゼッケンをみて、我が目を疑った。
3-1、西宮郁子。
「こんなのが入るわけ・・・、やっぱり、海崎さんの・・・・・・!?」
絶望しながらも、極度の緊張と羞恥心のために全身の筋肉が吊りそうになっても、由加里は絶対に遂行しなくてはならないことがある。それは、海崎照美の命令のことだ。
少女は、躊躇いながらも全裸になると、布の切れ端のような体操着に袖を通し始めた。
肉汁の匂いと食器どうしがしなやかに当たる音がカチカチと上品な音楽を奏でている。
今、夕食の最中である。
メニューは、好物のハンバーグにもかかわらず、由加里の箸は進まないようだ。何を思い詰めているのか、その口は固く閉じられている。それに好対照なのが、妹の郁子だ。いつも、彼女は明るくはしゃいでいるのだが、今、彼女が見せている態度は、何か姉に対して勝ち誇ったような顔をみせている。いったい、これはどういうことか。
そして、無言のままで由加里に何かを迫っているようにみえる。
それに促されたのか、次女は重い口を開いた。ほとんど、義務感と、今が夕食時どい長年続いた惰性から、ハンバーグを一欠片口に入れて呑みこむと、重い口を開いた。
「ま、ママ、郁子とあるゲームをしようと思うの・・・」
「ゲーム?」
「え?由加里お姉ちゃん、どんなゲームなの?」
嘘だと、長いこと二人の母親をやっている春子は、直感で思った。由加里は喉になにかが引っかかっているような声で、続ける。
かすかに首を傾けて郁子を伺うような姿勢を取って、「い、郁子と立場を逆にしてみようと思うの、たまには私がい、妹になってもいいかなあって、そんな気分を味わってみようとね・・・・」
この子は、いったい、何を言い出すのだろう。妹の気分ならば、長女の冴子が轟然と存在して、むしろ、母である自分よりもこの家で存在感を由加里に示してきたのではなかったか?
「それは具体的にどういうことなの?」
「わ、私が、郁子の、ことを・・・・い、郁子お姉さんって呼ぶから、郁子、は、私の・・ことを妹のそう呼ぶみたいに、ゆ、由加里って呼んでね・・」
無理矢理に造った笑いが、何処かマネキンめいている。しかし、プラスティックの肌の下には、確かに、温かい血が流れているはずなのだ。そう強く主張できないのが残念だが、春子の愛おしい娘が隠されているにちがいないのだ。
春子は、二人と自分の間に見えない壁が立っているのを見て取った。どうしても乗り越えられそうにない。郁子はわざとらしく笑った。
「そんなのヘンだよ、郁子がお姉さんだなんて!どうしたの、由加里お姉さん」
まるで台本を棒読みするような口調、彼女は完全に春子を意識していない。彼女を騙そうとすらしていないのだ。しかし、それが、彼女の幼さ故の無邪気な仕草とはとうてい思えない。だが、詳しいところまでは読めない。 何を考えているのかわからない。
一体、二人の間に何があったというのだろう?まるで何年もふたりと顔を合わせなかったようにすら思える。それほどまでに壁は高く、そして、強固だ。
郁子が由加里にそのように迫ったことはたしかだが、あれほどまでに仲がよかった二人の間に亀裂が入ったのは、いつのことなのだろう?春子の印象によると、妹の姉に対する信頼感は絶対だったはずだ。
こともなげに、郁子は言った。
「じゃあ、仕方ないなあ、由加里お姉・・由加里!」
「うん、郁子・・郁子お姉さん・・・」
俯いた由加里の顔を長い髪が隠したので、わからないが、涙ぐんでいるのではないか、ここで、春子は、ふたりの母親として言うことがあるべきではないか、もしかして、それを彼女に躊躇わせたものがあるとすれば・・・・それは、片方と自分が血のつながりがないせいか・・・そこまで考えて、春子は、態度に出るような勢いで、それを自分に対して否定した。
そんなことはあるまい、と・・。
再び、顔を上げた由加里はハンバーグを口に放り込むと、ニコと笑ってみせた。強がって硬直した頬が痛々しい。だが、以前のように手を出せないことがもどかしい。もはや、子供たちとのつながりは切れてしまったのか。それともこれが成長の一歩だということか、しかし、ならば、まだ小学生にすぎない郁子はどうなのだろう。彼女と自分は正真正銘に、血が繋がった娘にもかかわらず、姉の由加里よりも心が読み取れない。
「由加里ったら、こんなに遺しちゃって、あたしが食べてあげるね」
半分も食べずに食卓を立った姉に、わざと聴かせているのではないかと訝るほどに大きな声で、郁子は言った
その声は、とうぜんのことながら、知的な美少女の耳にも入っていた。聴覚神経を通し送られる電気信号のうち、その声しか脳が受けとらないのではないかと思った。耳にこびりついた「由加里」という声を郁子が発するなどと、太陽が西に沈むことに等しかったはずである。
今、それが現実となった。
「うう・・ひどいっ」
暗いままの部屋で、寝具に沈み込んだ由加里が発した声は、郁子に向けたものなのか、それとも、照美かはるみ、あるいはそれとも全く違う誰かなのか、彼女には判断できない。いや、判断すらしたくなかった。そのような 気力すら、すでにないのだ。
その時、聞き慣れた着信音が、由加里の鼻面をぶちのめした。
「か、海崎さん・・・・!?」
携帯を手に取りたくない。だが、随意神経が勝手に働いている。あるいは、脳の中にRAMが勝手に設けられて、由加里の自我に、早く携帯を取ってご主人様に答えるように、と命じている。
「いや、いや、いや、いや!!このままじゃ、あの人に殺されちゃう!!」
由加里は大量の涙で顔を洗っていた。シーツは濡れて、まるでおもらししたみたいになっている。だが、それでもぬるぬるする手で携帯に手を伸ばした。
「何をしているの?奴隷の分際で!」
「・・・、もうしわけありません・・・」
もしも、一年前の由加里が今の自分の姿をみたら、きっと、いくらそれが自分に酷似していたとしても何か悪意の充ちたいたずらにしか思えないに決まっている。よく駅のホームなどで携帯片手に30度に状態を傾ける、模範的なお辞儀をしている姿を、彼女は、自分の父親ならばあんなことはしないと、心密かに哀れに思ったものだ。
その由加里が、今、かつての彼女が同情を向けた対象となんら変わらない姿勢を取って、しかも、幼女のように顔を涙でぐっちゃぐっちゃにして、土下座と錯覚するほどのお辞儀を披露しているのだ。
「今すぐ家に来なさい」
「え?こんな時間にですか?」
由加里は慌てた。いくら照美の命令と言っても、時計を見れば、午後7時半をまわっている。すでに、中学生が外を出歩く時間帯ではない。塾に通っていていればまだ夜とさえいえないかもしれないが、そんなものは彼女には必要なかった。
「聞こえなかったのかしら?」
照美の家には一度だけ行った、いや、行かされたことがある。あの時も惨めなおもちゃとしてさんざん嬲られたものだった。
しかし、と思う。もしかしたら、そんなことはこれで終わるかもしれないのだ。ゆららや、真野京子、それに藤沢さわの顔がちらつく。きっと、彼女たちが助けてくれる。そうなのだ・・・一条の光が天から差し込んできた。
だが、そんな由加里に美貌の悪魔は酷薄な命令を下してきた。
「そうだ、郁子ちゃん、あなたのお姉さんに服を借りて来なさい。そうね、学校の体操着がいいわ。下着はつけないで来るのよ、自転車を使うのよ!はやく来なさい」
由加里の返事を待たずに照美は電話を切った。
語尾がやけに落ち着いていた。それがおそろしい。
だが、郁子の服だって?小学5年の中でも小柄な彼女の服が自分に着られるはずがない。それに、午後8時、こんな時間に外出するなんて・・・・親からの躾と自分の主人、所有者の命令が、葛藤して由加里を苦しめる。
最終的に勝ったのは、類い希な美少女だった。
「郁子・・郁子お姉さん・・」
「あら、どうしたの?由加里お姉・・・由加里?!」
どうやら、照美は郁子に知らせていなかったと見える。由加里が来ることを予見していなかっと見えて言い間違えた。やはり、彼女は妹なのだと、嬉しくなったが、それどころではない。郁子から体操着を借りなくてはならない。
「郁子、郁夫お姉さん・・・体操着を借りたいの?貸してね」
「何をばかなことを言っているの?」
「あ、あした、体育があって。洗濯したままなの」
「じゃ、敬語で頼んでよ、昔はお姉さんに敬語使ったのよ。国語で習ったんだから」
「そ、そんな・・・・」
涙にくれる由加里だが、郁子の背後に照美を見てしまった。彼女の部屋の窓から見えるネオンサインが爛々と輝く、照美の瞳に見えた。
「わかった・・・」
「わかった?」
「いえ、わかりました。お、お願いですから、い、郁子お姉さん・・」
照美の酷薄さや残酷さには、品格の意味からも、そして、程度の意味合いからも、大人と子供くらいの差があったが、由加里は、かなりのダメージを受けた。
「い、郁子、お姉様、体操着をお貸しクダサイ・・・ううう」
身も世もなく泣き崩れる由加里、そんな姉に郁子はふいに怒りを感じた。
「何よ・・・!?」
お姉さんならどうして抵抗しないのよ!という言葉を呑みこんで、溜まりに溜まった憤懣を、自分の右足に爆発させる。身体をくの字にして亡きじゃくる姉の腹に向けて蹴りはじめたのである。
「い、痛い!郁子!やめて!!」
「あんたは私の妹でしょ!?」
7発目の蹴りが由加里のみぞおちに食いこんだ。
「うぐぐう・・・い、郁子、お姉さん・・」
ふいに意識が遠のいた。
・・・・・・・・。
しばらく暗転があって、気が付くと薄汚れた体操着が置かれていた。
「・・・・・!?」
由加里は、上着に貼ってあるゼッケンをみて、我が目を疑った。
3-1、西宮郁子。
「こんなのが入るわけ・・・、やっぱり、海崎さんの・・・・・・!?」
絶望しながらも、極度の緊張と羞恥心のために全身の筋肉が吊りそうになっても、由加里は絶対に遂行しなくてはならないことがある。それは、海崎照美の命令のことだ。
少女は、躊躇いながらも全裸になると、布の切れ端のような体操着に袖を通し始めた。