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『おしっこ少女 1』

 麻木晴海は、物事に対する見方が概して運命論に傾く。
 いわく、人間は生まれたときにすべての人生の経緯が決定されている。だから、努力などというものはすべて無意味である。あるいは、努力することそのものが運命だから、人間のはからいなど、すべて、絵に描いた餅にすぎない。
 兄である祐輔の許婚者とその家族と会合を持ったとき、佐竹まひると邂逅したことをそれほど驚いてはいなかった。さすがに、最初は、運命の神とやらがくみ上げる物語の陳腐さに文句のひとつも述べたくなったが、あいにくと何処の宗派のなんという神に文句を言っていいのわからないので、断念することにした。
 だが、当の佐竹まひるは完全に凍りついていた。初夏の足音が聞こえてくる季節にもかかわらず、瞼には霜が張り付き、その綺麗な瞳は完全に、安物のマネキンのそれに墜ちていた。
もっとも、彼女が落とした生徒手帳から遠くない未来に再会できるものと踏んでいた。しかし、佐竹という姓は珍しいわけではなく、ここまで早く、そして、このような皮肉な形で可愛らしい子羊と乳繰り合えると思っていなかったのである。

―――おっと、それは先走りすぎたか。

 将来の女性警察官僚は不敵な笑みを浮かべた。この場の女主人公であるはずの、ある人物。すなわち、祐輔の許婚者であり、晴海の義姉になるであろう女性は、晴海の圧倒的な美しさと存在感のために、完全に脇役になっていた。 それは、彼女の悪意というものだろう。
 なぜならば、彼女は自分の気配を完全に消す超能力を持ち合わせているからである。それを使わないにあたってはそれなりの理由がある。このような表情を見せているが、実は、ひじょうに機嫌が悪い。それを記述するには今朝、彼女が起床したときにまで遡らねばならない。

「・・・・・・・・・・・くう!?」
 晴海は寝癖だらけの長髪を掻き上げた。ついぞ10年以上、彼女のこんな表情を見たことのある人間はいない。それでも辛うじて美貌を保っているのは生来の形質のせいだろう。男でも、女でも、本当に美しい者はすっぴんだろうが、なんだろうが美しいものなのである。
 出窓に侵入したアポロンの使者は、「貴女は美しい」と言って消えた。
 しかし、本人は、神話の世界の住人のたわごとに耳を傾けるほど余裕があるわけではなかった。
 この歳になっては、おそらく誰にも見せない顔つきで、ひとりごちた。

――――まさか、あんな夢を見るとは・・・・・?!
 
 新たに視界を妨げようとした髪の毛を掻き上げると、晴海は嘆息した。

 夢の中で、晴海は女子高生に戻っていた。あどけないリンゴの顔をかつては持っていた。
 教室はオレンジ色の黄昏に沈む。
 晴海を中心としてドーナツ型の輪ができている。好奇心と嘲笑に満ちた視線をどのクラスメートたちも送ってくる。そして、その中心にいるのは ――――。
 中心にいるのは、少女たちではなくて、なんと彼女の担任である ・・・・・。
 やがて、ドーナツの輪は小さくなり、晴海を押し潰そうとする。
 その瞬間に目が覚めたのである。

―――今更、あんな夢を見るなんて・・・・・・・。

 年齢の割に臈長けた美人は、一瞬だけ女子高生の顔に戻っていた。

――――今日は、あの人の家族と出会うのか。名前は何だっけ?
 
 彼女は、つい一ヶ月前に出会った義姉予定の女性の顔を思い浮かべた。本当に優しそうな人だった。しかしながら、それ以外にめぼしい印象がない。
 祐輔の結婚など、そもそも、たいして興味がない。今、自分が抱えている仕事の方がよほどトリアージとしては優先である。どちらにも共通なのはやっつけ仕事ということだ。
 だが、いちおう、ここまで自分を妹として遇してくれた恩がないというわけではない。だから、有休を取ってまでその会合に出ようというのだ。
 機嫌の悪さは化粧ごときでは隠しきれないらしい。だから、キッチンに入ったとき、祐輔に皮肉を言われた。もちろん、両親がいるのを見通してのことである。
「優秀な妹どのは、こんなくだらないことに時間を割くことはなかったのに、お忙しいんだろう、お仕事が」
「止めないか、祐輔!」
 両親は怪訝な顔を見せたが、今更ながらという色も同時に、顔いっぱいに乗せた。しかし、もうすぐこれも終わりという安心感も何処かにしのばせていた。
「父さんは、優秀な妹どのに譲りたいんだろう? 本当のところは?」

「いいかげんにしないか!!」
 父親である勇はついに怒りを爆発させた。彼はとある軍需産業の重鎮であり、末席とはいえ経団連にその名を連ねている。そのような人間だから、常に冷静さを保つ訓練はできているはずである、しかしながら、それは必ずしも家族を相手にするとその限りではないらしい。
晴海は完全に他人のふりをすると、朝食のパンをトースターに突っ込んだ。
「で、先方の家族は何人かしら」
「ご両親と妹さんたちで、6人」
 母親である妙子の質問に即答する祐輔。妹に対するそれとは雲泥の差である。尊属と卑属の差異というよりも、もっと、別のところにその理由はある。
「へえ、ご両親と妹さんたちね、ずいぶん、妹さんが大勢いらっしゃるのね」
「いちばん、下はまだ小学生だから、かわいいものだよ、誰かさんと違ってね」

 しかし、家族は祐輔の不満顔に係わるのを止めた。その日は、一家にとってとても大事な日だったからである。
長男の許婚者の家族と出会う。家族同士ということで、両家が一同に体面するのである。実は父親である太一郎にとってみても、重要な日だった。
 本当のことを言えば、彼が用意した良縁があった。もしも、それが成れば、太一郎の財界に対する発言権は倍増しするはずだった。しかしながら、息子はそれを蹴って、思い人を連れてきた。一般的に見れば、有力者としての父親にとって悲しむべきことかもしれない。
 世間は、彼を目的のためには手段を選ばない非情の経営者と見ているから、少なからず驚いた。それは、妻と長女も同じだった。
 ところが、一番、感情を害するはずであろう太一郎は、一も二もなく喜びの声を上げた。何よりも、頼りない息子が自分の意思で行動したのである。それは、彼にとってみれば、清水の舞台から飛び降りることに酷似していたであろう。
 元来、気が弱い跡取り息子は、勉強から外見まで、至る所で妹に叶わず、かなりのコンプレクスを抱いて育ってきた。しかし、彼が本当に怖れていたのは父親である太一郎だったのである。
 そんな彼が認めたことは、祐輔にとっては意外でもあり、心底、喜ぶべきこともあった。しかしながら、そうだからと言って、晴海に対する敵愾心をかなぐり捨てたわけではなかった。
 祐輔が多大の犠牲を払ってまで勉強に実を費やして、それなりの私大に入学したと思ったら、妹は、いとも簡単に東大法学部に現役で入学し、その後、四年間を市井の大学生と同じような遊び歩いたというのに、こともあろうか警視庁キャリア試験に見事合格してしまった。
 その事実を会社の幹部が知らないはずはなく、いやでも意味ありげな視線を跡取り息子は一身に受けることになった。こうなって、妹を愛せと言う方が無理というものだった。

 計らずも兄によって目の上のたんこぶにされた妹は、鏡の前にいた。背後から母親の視線を感じながら、もっかのところ化粧中である。
 その行為は女性にとっては戦時における弾薬の準備に等しいと言えるだろう。男性にはとうてい理解できないことだが、彼女らが自室のいちばん目立つ部屋にどうして化粧箱を置いているのか、外出前にどうしてあれほど化粧に時間をかけるのか、化粧とは女性を女性あらしめる重大な要素のひとつなのである。
 余談だが、女子刑務所というところに収容されている生き物を女性と呼んでいいのか議論が分かれるところである。
 閑話休題。


 背後から言葉がパウダーのように降ってくる。
「本当に綺麗な肌ね、晴海、やりすぎるとどちらが主人公がわからなくなるわね」
「ママまで嫌みを言うんですか?」
 どちらかという義母というニュアンスで、台詞を暗々とした井戸からくみ上げる。
「ふふ、ごめんね、祐輔のくせが映っちゃって」
「きっと、兄さんはそれを怖れているんでしょうね」
 母親である妙子はしばらくその魂を宙に浮遊させた。それは目つきで晴海にわかる。だから、すんでの所で言葉を出し渋る。
「・・・・・・・・」
「さ、はやくなさい、祐輔のかんしゃくがはじまらないうちに」
 妙子の手は非情に冷たく重かった。あんなに小さいのに、どうして、自分にはそう思えたのだろう。

 年の功という言葉は十分に信頼をおくべきだった。はたして、母親の予想は正鵠を射ていたのである。
 彼女が階下に消えて、その代わりに祐輔の怒鳴り声が聞こえてきたので、若い女性警官は、自分も車上の人間になることを決意せざるを得なかった。
 車は国産の一般車である。特に高級車というわけではない。彼ほどの身分ならば、運転手のひとりやふたりを引き連れて外車を乗り回している。そのように世間的には受け止められているかもしれない。
 ところが、事実はかなり異なる。彼が乗っている車は、一般的なサラリーマンがすこし背伸びすれば買えない品ではないし、運転手など雇ったことすらない。
 車は単なる交通手段にすぎず、それに拘るのは利便性だけである。石原裕次郎とともに育った彼らのような世代にしては異端児と言うべきかも知れない。
 思えば、晴海はこの父と似ていないこともない ――と自称してみる。しかしながら、そんなことは自分の顔を映す 窓が目に入ってくると、そんな儚い夢想は瞬く間に雲散霧消してしまう。
 自分は、この家族の中でどのような立ち位置にいるのかと常々考えてきた。だが、音もなく背後に転がっていくビルや乗用車、そして、道行く人などを眺めるだけで、答えが出るとも思えない。今、車によって水をはねられて制服を汚した女子高生がお椀のような顔を見せた。

「さあ、ついたよ」
 そこは、高級中華料理店だった。
 車から吐き出される前に、祐輔は、無言で鼻を妹の方向へと向けた。彼はこう言っているように思えた。

―――仲の良いきょうだいを演じてくれるならそれでいい。

 兄の目は哀しいほどに乾燥していた。これから結婚し、自分の家庭を営む人間の姿とはとうてい思えない。
 だが、それはあくまで晴海に対しての態度であり、他の人間はそう受け取っているとも限らない。
 もっとも ――と嘆息する。
 それほどまでに晴海が注意を払う価値があるとは思えない。
 兄の結婚。
 それ以上でも以下でもない。
 その店に入るまで、彼女はそんなことを考えていた。

 入り口に偽陶器の輝きを見せるプレイトがあって、麻木家様、佐竹家様と書かれていた。

 ―――――そうか、相手は佐竹さんと言うのか。

 何処かで聞いた名前だとは思いながらも、何とはなしに流す。そのついでといった感じで、個室に足を踏み入れる。
 その時、佐竹まひると再会した。
 
 佐竹家の家族は総勢6人、両親と祐輔の相手である長女、そして、まひるは次女なのだろう、そして、二人の小学生とおもわれる赤と黒のランドセルを発見した。
「おまたせして、もうしわけありません」
「いえ、いえ、私どももつい先頃来たところです」
 両家の両親がそれぞれ、人畜無害の挨拶を交わしている。その時、晴海とまひるは、完全にちがう次元に身を置いていた。互いに、視線を交わし合ったとき、晴海は一瞬だけ戸惑いを見せたが、すぐに鷹の目をらんらんと輝かせていた。
 一方、まひるは、切れ長の瞳を無理矢理に釣り上げて、どうやら自尊心を保つのにやっきになっている。

―――私はすべてあなたのことを見通しているのよ。

 無言でそう言い放っていることに、晴海じしん、最初は気づかなかった。だが、獲物が目を伏せたとき、外見上の体裁をようやく整わせているか弱い少女を痛め付けていることをようやく知った。
「さあ、みなさん、席に着きましょうよ」
 祐輔とまひるの姉 ――――この時、晴海は姉になるべく運命づけられた人間の名前を失念していた。小さい頃から、教科書など見たものはすべてすぐに暗記するだけでなく、理解までしてしまうのに、彼女の名前を覚えていなかったことに、その印象の薄さを暗示してるだろう。
 しかし ―――。
「お義姉さん、お元気そうですね」
「気がお早いことですね、晴海さん、貴女のような妹ができて、本当に嬉しいです」
 佐竹皐(さつき)は優しげな笑みを浮かべて、外交辞令を述べた。しかしながら、そのことばの冷たさと相反して、彼女の微笑が嘘でないことは、警察官である晴海でなくても、簡単に知ることができた。

―――本当に、表裏のない人なのね。

 はじめて、好印象を得た。もっとも、はじめで出会ったときも、そのように思ったのかもしれない。しかしながら、当時は仕事のことで頭がいっぱいになっていて、メモリーをそちらに向かわせる余裕はなかったのである。
 予約していた料理が来るまで、互いが互いを知るための談笑がはじまった。表向きにこやかに始まったが、実は剣客同士の戦いが剣と剣の軽い挨拶から始まるように、互いに探りを入れ始めていたのである。
 こういうことは、晴海は得意である。
 最初に記述したように、このとき、完全に自分のオーラを全面に出していた。祐輔はそれを無意識のうちに分かっていて、場所柄あからさまにできない敵意に苦しみだしていた。
 自ずと、一同の視線は晴海に向かうことになる。

「そうなんですか、晴海さんは警視庁にお勤めなんですか」
「ええ、公安に籍を置いています」
「おお、そうですか、小説では悪役ですね」
 相手側の父親が相好を崩した。
 母親が間髪入れずに諫めようとする。
「ちょっと、お父さん、失礼ですよ」
「いえ、正鵠を射てますよ。私どもなどは普通のお巡りさんに憧れます」
 両家に笑いが起こった。まずはうまく儀式は進んでいる。
 そこに黄色い嘴がつきささった。ランドセルが赤い方だ。
「お姉さんは階級は?」
「自分? 巡査部長だよ」
 美貌を赤らめるふりをして晴海は言った。

―――とんだ、女優だな?!
 それを目敏く見抜いていたのは祐輔だけだったろうか。

「えーおじさんよりもエライの?若いのに」
 今度は、黒いランドセルの方が嘴を向けた。
 「私の弟は警官なんですよ、晴海さん」
 「きっと、ずるしたんだよね」
「これ、可南子!」
「いえ、いえ、ずるしたも同然ですよ。私たちキャリアはたまたま勉強が得意だっただけでして」

――――――!!
 この時。祐輔の顔色が変わったことに、晴海でなくても気づいていた。だから、皐は未来の夫の具合が悪いでのはないはないかと、無意味な気を回した。
 ランドセルたちには、キャリアなどという概念は理解できないようで、早くも運ばれてきた料理群の香ばしい匂いに舌鼓を打った。もはや、おじが晴海よりも階級が低いことなど注意する価値などないものに引き下げられてしまったようだ。
 ここで、晴海はおもしろいことを知った。未だ凍りついているまひるのことである。どう見ても、佐竹家の中で孤立している。
 ほくそ笑んだ鷹は、矛先を獲物に向けることにした。
「お嬢さんは、御名前をなんていいますか」
しれっと聞く。
「佐竹まひると言います」
「まひるお姉さんも頭いいんだよ、キャリアになれるかな?」
 まひるがこれから話だそうと言うときに赤いランドセルが嘴をつきだした。しかし、母親は嗜めようとしない。明かに、子供たちに対する態度が違う。
「お姉さんは、私が子供の時よりもずっと、頭が良さそうだ ―――」
 舐め回すような視線を送る。生徒手帳から年齢はわかっている。14歳、中学二年生。外見は、どうみても高校二年生ぐらいに見える。しかし、その仮面の下に、あどけない少女、いや、幼女のすがたをはっきりと見つけた。

「まひるさん、いい名前ね。」
「あ、ありがとうございます」
 緊張に緊張を重ねて、自尊心の仮面に罅が入ろうとしていた。
 これ以上、責めてはいけないと、オーラを留めることにした。

「ちょっと、失礼」
 やおら立ち上がると長身をやや折り曲げて出口へと向かう。そのとき、まひるに目で合図を送った。それが伝わらなくても別にいい。そうなれば、まだ機会があるというものだ。なんと言っても、彼女は人質を握っているのだ。

「・・・・私も、し、失礼いたします」
 まひるも立ち上がって出口を目指した。

――失礼な子ね。と佐竹の方の母親は愚痴りたくなったが、最初に晴海が同じような行動に出たために、それはできなかった。なんと言っても、彼女は晴海を気に入っていたのである。
「でも、向こうのお姉さん、綺麗な人だよね。それに頭もいいし」
「まひるお姉さんよりも、ずっと頭いいよ」
 何と子供とは移り気が頻繁なことか、事、ここに至って、晴海は佐竹家の心を完全に奪っていた。

 その時、まひるは高級ホテルを思わせるトイレに、ひとり佇んでいた。

―――何て、醜い顔かしら? 誰にも愛されないのもうなずける。

 少女は鏡から金色に鈍く輝く蛇口に視線を移動させると、おもむろに、水を出した。それは、これから自分が出すひきがえるのように醜い声をごまかすためである。
「何を泣いているのかしら? お嬢さん」
「・・・・・・・!?」
 はたして、入り口には麻木春実が颯爽とした仕草で立っていた。オーラを無制限に放出する。

――――自尊心の高さを見せてもらおうか。
 
 晴海は、人間を評価するに当たってもっとも重視する2文字を少女の白い額に書き記した。最高級の陶器のように美しいその肌が、はたして、外見だけのものか見てやろう。
いささか意地悪な気持で、少女を評価しようとした。
「・・・・・・・!」
 はるみはぐっと唇を噛んで見せた。そのために、龍の赤ん坊が口の端から零れた。

――――かわいらしい。

 もう、十分だった。どうやら、少女は春実の意に叶ったらしい。
 自分よりも頭一つ背の高い大人を女子中学生は、まだ、睨みつけていた。視線に高貴の色を組み入れながら、少女は切れ長の瞳を精一杯広げていた。その端にはうっすらと涙が浮かんでいるというのに・・・・・・・。
「ぐう・・・・・・!?」
 少女は床に視線を降ろした。エメラルドの輝きなど少女の網膜に実を結ぶはすがない。
「何が、私に言いたいの?」
「あ、あ、あああ ―――」
 まひるが何が言いたいのか、痛いほどわかるが、あえて、それを口に出そうとしなかった。
 やがて、形の良い頭を回転させると、息せき切って、捲し立てた。
「お、お願いです! お母さまに言わないでください!」
「何を?」
「・・・・・・・・をです! ウウ・ウ・ウ・ウ・ウ!?」
 誇らしげな仮面などかなぐり捨てて、幼女のように泣き出した。
 春実は、すべてをわかっていながら、残酷なことにあえて自ら言わせようとしている。
「それじゃ、何にも、わからないわ。妹さんたちの話だと、頭がいいんでしょう? まひるさんは。だったら、主語と述語が完備してないんだったら、文として成立しないでしょう そんなことくらいおわかりよね」

 さきほどの歓談とは打って変わって冷たい声だ。寒風吹き荒む大地に裸で投げ捨てられたまひるは、血管まで凍りつくしかなかった。
 なおも、春実はいやらしい責めを続ける。
「誰が、何処で、何をされているのを。誰に止めて欲しいの?」
「ウウ・・ウ・。わ、私が・・・・」
「名前で言ってちょうだい」
「さ、佐竹、佐竹まひるが、学校で、い、いじ・・・・・」

――言いたくないだろうね、自尊心が邪魔するんだろうよ、でも、家族に知れるよりはましでしょう?

「もう、一回。だったら、これから私が見聞きしたこと、全部、ご家族に披露してもいいのよ」
「や、や、やあ、それだけは、許して!!」
「だったら?」
「さ、佐竹、まひるが、学校でいじめられていることを、ウウ・・ウ・ウ・ウ・・ウ、お母さまに言わないで下さいッ!!ウウ・ウウ・・ウ・ウ・ウ・?ああ」
 その時、外から聞き慣れた声が聞こえた。
「まひるお姉さん、具合が悪いのかな」
「どうだろうね、でも、それにしてもあのお姉さん綺麗だよね」
 言うまでもなく、まひるの姉弟である。
「ああ」

まひるが今にも処刑されるような顔になった。しかし、それは杞憂だった。
何故ならば ―――――――。
「おいで」
打って変わって優しい声に包まれたかと思うと、少女は、トイレの個室に連れ入れられた。
「ウウ・・ウ・ウ・ウ・!?」
 想像だにしないことが少女に起こった。口の辺りに甘い圧力を感じたかと思うと、とつぜんに、力強い意思が彼女の顔を席巻したのである。
 

 



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『新釈氷点2009 7』

 
 少女は一体何処にいたのだろう。
 気がつくと、寺の庭崎に設えられた座席に未発達の尻を乗せて、遠くに息づく長崎の町並みを眺めていた。

―――あそこにお父様の病院があるのかしら?

 紺のブレザーは心なしか露を散らしていた。水晶の珠をあしらっているのだ。建造は、娘の胸を見ていた。年齢に相応しくこんもりと盛り上がりつつある。その頂点の部分には他の部分よりも余計に宝石が乗っているような気がした。

――――もう、年頃なのだな。一昔前ならば、嫁入りもそう遠いことではない。

 墓参りは無事に済んだ。一時はどうなることかと思ったが、建造の不安は杞憂に終わってくれるようである。少なくとも、そう思わないと帰りに事故を起こしてしまいそうである。若い院長は、自分の不安をごまかすために、娘に話しかけることにした。
「陽子、どうだい?」

――気は済んだのかい?と言おうとして、咄嗟に言葉を差し替えた。娘の心を気遣ってのことである。
 
「お父様・・・・・」
「ルリ子もきっと喜んでいるよ、とても優しい子だったからね」
 ありがちな台詞を口の端に載せたのは、建造自身の精神安定のためである。こうすれば、娘は安心してくれるだろうという ―――。
 いや、もうひとつの可能性を述べてみれば、そうすれば、父親の役割を果たしたという自己満足の心がないとはいえないだろう。
 自縄自縛に陥った建造は、かたわらにいるはずの夏枝に助けを求めようとした。
「夏枝もそう思うだろう? え?」
はたして、長崎城主婦人はそこにはいなかった。

「夏枝は何処に言ったんだ?」
「ママは、茶屋に行ったよ」
 「薫子か ――」
 まるで待ち受けていたかのように、辻口家の長女は答えた。茶屋とは大きな霊園にあるような喫茶店のようなものである。しかし、なにぶん、小さな寺なので規模は極小規模であり、住職が趣味で参拝者をもてなしている。
 それは、住職とその家族の住居の近くにある。匿名庵と名付けられた風雅なたてものは、千利休の待庵にいささか似ていた。
 お嬢さんとして育った夏枝は、その方面にかなり明るい。だから、住職との会話もはずんでいた。

「まあ、ご住職は千利休の専門家に知見がおありなのですね」
「ええ、従兄弟が大学教授でして ――」
 住職に振る舞われた宇治茶をすすりながら、院長夫人は娘が見ている風景とはまったく逆のそれを見ていた。長崎の街ではなくて、峻厳なる自然を眺めていた。素人ではとても登れそうにない絶壁やどんな残酷な環境でも力強く生きる松を、彼女は見ていた。

――――はたして、自分や娘はあのようになれるだろうか。
 絶壁に根を張る松の木は、今にも落ちそうな姿勢でなおも絶壁にへばり付いている。くねくねした根っこは、まるで大蛇のようだ。
 これから母娘を襲う障壁を考えると、闇々(あんあん)たる気持になるのだった。しかしながら、遠くない未来に、いや、すぐ手の届く次の瞬間に、それを180度逆転させる情報に、彼女が境遇するなどと夢にも思わなかった。
 それはとつぜんに起こった。

「おや、おや、会話がはずんで折られるようですな、ご住職」
「おや、神父さん、一年ぶりですね」
おや、と思って、ふり返るとそこには十字架が立っていた。おそらく、ここが寺などと言う伝統的な空間だったために、あり得からざるべきオブジェに目が行ってしまったのだろう。
 よく見ると、老人は、おそらく70も半ばを過ぎていると思われる。小さいころから祖父と祖母によくされた夏枝は、老人には親切に接する習慣ができているし、それに従って娘たちにも躾を行ってきた。
 だから、十字架に奇妙なものを見る視線を送ってしまったことに気づいて、それを人知れず恥じた。しかし、人生の妙を極めたと思われる老人は、そんなことなどお見通しといった風に、言葉をかけた。

「お寺に、十字架など無粋ですかな? いえ、すいません、ここにはややいわくつきの人が眠っておられるのでね、一年の一度だけ、今日だけ改宗してでも、祈りを捧げているのですよ」
「今年は、一日だけ遅いようですね」
「いえ、今年は昨日までヨーロッパに行っておりまして ――」
 老人は杖を頼りに着席する。
 住職が茶と菓子を用意するために奥に消えると、夏枝はこの老人に不思議な興味を感じた。
「神父さまは、どうしてここに来られるのですか? あ、すいません、ぶしつけなことを」
「いえ、かまいませんよ」
 まるで孫を見るような目で神父は記憶の糸を辿るように言葉を紡ぎ始めた。
「それも今年で最後です。このとおり、この老体にはあの坂道はこたえるのでね。それにあの子たちもきっと幸せになったことだろうし」

「あの子たち?」
 老人が微笑んでいるのをいいことに、やんわりと追求を始めた夏枝。これから悪夢が待ち受けているとも知らずに、老人を見つめた。断っておくが、それは好奇心に基づくものではない。何やら分からないものに引かれて、いつのまにか、老人に吸い込まれていったのである。
 「ええ、今一人は、天国に、いえ、極楽でしたかな。そして、もうひとりはきっと幸せな家族に囲まれて笑っていることでしょう」
「・・・・・・・・・・」
 夏枝は怪訝な顔を隠そうとしなかった。それは何処かで聞いた話だったからだ。旅行先で思わぬデジャブーを感じたと思ったら、小さいとき両親に連れて行ってもらったことがあった ――というドラマにはありがちな設定を思い浮かべた。
「神父さんはその子と面識がおありなのですか?」

 注意深く言葉を選ぶ。その狼狽したようすから、神父の意図を探ろうというホンネが見え見えだが、これでも細心の注意を払ったつもりなのだ。
神父はそれを見定めたか、そうしないふりをしているのか、何でもないという顔で口を動かす。
「ええ、せいかくには彼女の父親に、ですがね」
「神父さん・・・・・、もしかして、その女の子は、その、害されたのではないですか?」
 殺されたと表現しなかったところに、母親としての意識が見て取れる。神父はそれだけでなく、彼女が女の子と言ったことに目をつけた。彼は、そうは言っていない。あくまで子供と言ったにすぎない。
 互いが見えない糸と針で互いを釣り上げようとしている。ふたりの対峙は端から見ているとまさに息を呑む展開だった。
 だから、茶と菓子を持ってきた住職は危うくそれらを零してしまう憂き目を見るところだった。
しかし、彼の苦労を見ているものはひとりもここにはいない。互いが互いに注目しすぎて、周囲に注意が向かわないのである。

「あなたは、もしかして、いや、まさか、辻口さんとおっしゃるのでは? やっぱり」
「私の  ―――された娘はルリ子といいます・・・・」
 例え婉曲された表現であっても、もういっかいその言葉を使うことは、夏枝には堪える相談だった。そして、その語尾は叩いたばかりのギターのように震えている。
「や、やっぱり ――――」
「それではあの愛児院の院長先生ですねの」
「それは過去の話ですよ、院長夫人!陽子ちゃんはお元気ですか」
 もはや互いに言葉は必要ない。ふたりはすべてを悟ったのである。
 二人は、20年ぶりに出会った親子のような顔をした。仄かに心の芯が温もりを帯びていくような気がした。しかし、老神父の次の言葉がそんな気持を一瞬で崩壊させることに気づくことはなかった。

「あなたはすばらしい! 本当にありえないほどに!!あんなこと普通の人間ならとうでいできないことですよ。陽子ちゃんはお元気ですかな?」
「それはどういうことですの」
 夏枝は苦茶を粉のまま噛んだ。
 思えば老人の言葉はおかしい。ルリ子が殺されたことと、陽子を養女として迎え入れたことにどのようなつながりがあるというのだろう。
 このとき、ふたりの間に微妙ではすまされない、ボタンの掛け違いがあった。
 老神父は院長夫人の態度に、奥歯に何か引っかかったような感覚を味わいながらも、言葉を続ける。
「そうでしょうね、なかなかできることではありませんよ」
 「・・・・そうですわね」
 夏枝もだてに歳をかさねていない。良いところのお嬢様出身とはいえ、院長夫人としてそれなりの経験を重ねている。それにはこの事件の発端となった不倫も含めていいだろう。
 実は、話をはぐらかしてみせたのである。どうやら、その秘密とやらを夏枝が知っていると神父は践んでいるようだ。
 もしも、「知らない」と答えてしまえば、その秘密は永遠に隠匿されてしまうかもしれない。孔の隙間に挟まっていた鍵を取ろうとして、失敗した挙げ句、永遠に入手できない羽目に陥るということはよくある話だろう。

 寄る年波には勝てないということか、神父は見事食い付いてきた。それとも、孫のような夏枝を甘く見たということかもしれない。
「ご自分の娘さんがあんなことになって、憎むべき相手の御子に許しを与えて、育てるなどと、まさにイエス様の教えに叶っております」
「・・・・・・・・!?」
 九州そのものが音を立てて割れたような気がした。あるいは、ソ連の核弾頭が降ってきたのかも知れない。夏枝が立つ大地は音もなく崩れていった。
「どうかされましたか?」
 自分が大量破壊兵器になってしまったことなどまったく気づかずに、老神父は酸素を吸う。
 夏枝は体裁を取り繕うのに持てる全エネルギーを使った。
もしも、自分が本来もつ性質に従って、ここで感情を爆発させてしまえば、そのことは、建造にも伝わるだろう。それは断じて避けねばならない。

 何故ならば ――――。
 この時は、その理由には思い付くことがなかった。ただ、女性らしい直感がそう告げていただけである。
 間違っても復讐の2文字が頭に浮かぶことはなかった。
「だ、大丈夫です、神父さま」
その時、地獄から天使の声が聞こえてきた。
「あら、お母さま、どうされたのですか? 具合が悪そう」
「・・・・・・・・・・?!」
 院長夫人は、予想だにしなかった声に、脳が溶け出すような気がした。網膜には確かに自分の脳が腐乱して視神経を犯すシーンが映り出されていた。
「な、何でもないわ!」
「お、お母さま?!」
 陽子のヴェネティアンガラスの指は、悲しくもはねのけられた。
「ああ ――」
 どうして、こうまでして自分の悲しくも口惜しい思いを韜晦せねばならないのか。夏枝の中でいろんな感情が互いに波を作って、激しく叩いた音叉を水中に入れたようになってしまった。

――――憎い! この綺麗な顔をキリで傷だらけにしてやりたい!!ダケド・・・・!?
 
 しかし、神父に対して行った行為とはまた違う感情が、陽子に対してわき起こっていた。
この時、大切なものが壊れてしまったことに、陽子は気づいていなかった。しかし、母親のようすが普段と違うことは容易に知れる。
だから、意識の何処かでそれに気づいていたのかもしれない。

 神のいたずらか、あるいは、配下の天使のひとりが出来心を働かせてしまったのか、いま、二人は邂逅してしまった。知ってはいけない事実を把握してしまった夏枝は、もはや、以前の彼女ではないだろう。
一方、陽子はまだおむつが取れたばかりの、ほんの、乙女にすぎなかった。
 この二人の境遇と心情のちがいは、どのような物語を紡ぐことになるのか。それは、この時、誰もまだ想像だにできないだろう。


テーマ:官能小説 - ジャンル:アダルト

『おしっこ少女 prologue』
 麻木晴海が佐竹まひるとはじめて出会ったのは、勤務先から帰宅中のことだった。その日は珍しく午後5時に仕事先を抜けることができた、と言っても、実は昨日は夜通しあるデーターを分析すべくコンピューターにかかりつけになっていた。だから朝帰りならぬ、夕帰りなのである。
 今、列車上の人になっている。彼女と同じように細長い空間に詰め込まれた乗客たちは、さながらアウシュビッツ行きの家畜用列車に乗せられた囚人そのものだった。今日も、人間らしい臭いを発するタンパク質の塊は、私立の中学生から定年間際のサラリーマンまで疲れ切ったお面を素顔に被って、運ばれていく。
 そんな一群のなかで、彼女だけは異彩を放っていた。
 
 一様に死人のような顔が並ぶなかで彼女だけは颯爽としている。隣の上司と思われる年嵩の男性と好対照である。
 彼女は、あくまで表面上は整った鼻梁を心なしか天井に向けながら、文庫本に目を走らせている。
 彼女が持ち合わせている美貌はいやでも人の注目を集める。それは幼稚園から始まって小学校、高校、そして大学と常に、その優れた知性と相まって周囲の憧れとともに羨望をも蒙ってきたのである。
 毎朝、夕、通勤、通学している人間ならば、もしくは、そのような経験を持っているならば、毎日、新しい人間との邂逅をはたしてきたにちがいない。もっとも、そのようなことは珍しいことではないが、晴海にとってみれば迷惑千万なことなのである。
 そこで、彼女が完成させた技が、自分を周囲に溶け込ませることだった。人の目を惹く容貌であっても、表情のつくりひとつでそれが可能であることに気づいたのである、それは高校時代のある体験が理由になっているが、ともかく、この技術は、今、彼女が就いている職業につながっているから、ただでは転ばないということだろう。それは彼女の性格の一翼を担っている。
 
 さて、その日も同じことが起こっていた。意思しだいで、自分に注目を集めることも、その逆も可能なのだから、ある意味、超能力者ということができるかもしれない。とにかく、少女たちは一瞬だけ晴海に注目したものの、すぐに、自分たちの目的のために盲目になってしまった。
 中学生にしてはちょっとお洒落な制服。彼岸花のようなタイに、高級な女物のスーツを彷彿とさせるブレザー。
 それは、晴海にとってみれば懐かしい制服だった。
 もちろん、晴海は、彼女たちが自分の後輩であることを横目で確認していた。活字を追いながら同時にそれを行ったのである。
 このとき、少女たちの間に流れている空気が、何か異様に見えたのである。何故に、そのようなものを発見できたのだろうか。
 それは警視庁公安部というスパイまがいの組織に所属しているおかげだった。その上、生来の気質のために、その仕事は彼女にとって天職だと言えた。
 しかし、彼女が言うところの、準ヤクザ組織であるところの局所は、人間を人間でなくする。単なる氷のロボットにしてしまう。
 もっとも、上司である新居警部補によると、「お前はここに来る前からここの住人だよ」ということになる。
「やめてください」と軽くかぶりを降る晴海の様子は、どうみても入部2年目には見えない。数年は彼女が言うところの、ヤクザまがいの仕事に従事しているように見える。
 
 晴海は、その技術を使って少女たちを観察している。
 6人いる中で、その少女がやけに目立っていた。中央を席巻している彼女を一目見れば誰でもその集団のリーダーと思うだろう。しかし、晴海の観察は違っていた。

――――いじめだな。

 その少女が、である。一見、きつい顔立ちの美少女。心なしか吊り上がった目尻は、西洋的な美少女というよりは、古典的な日本美少女と言った方が適当である。
 彼女の概観をやや文学的な表現で修辞してみるならば、細身で身長もひときわ高く。胸を張った堂々たる姿勢はモデルを思わせる、となるだろうか。
 その少女がいじめられているというのである。スパイになって、たがが二年目の青二才の観察というべきだろうか。しかし ――――。
「あの子、いじめられているね」
「・・・」
 新居警部補の囁くような声に無言で肯いた晴海は、さらに慎重な観察を続ける。彼は入部して20年になろうとしている。もっとも、彼のお墨付きなどなくても彼女がその手の才能に恵まれていることは、部員のほぼ全員が理解していた。
 晴海は美しい後輩に非情な視線を送りながら、何処かで味わった感覚を思い出していた。それは、子供のころ一度だけ食べた美味を大人になって口にするのに似ている。

―――誰かに似ているわ。

 晴海は、得体の知れない時空間に身体と心を溶かされていくのを感じた。妙なデジャブーを感じさせる光景だった、それは。
 やがて、他の少女たちの視線が晴海に向かった。もちろん、彼女たちの誰も自分たちが観察されていることに気づいていない。
 晴海は、これから何が起こるのか、あるていど見通しているつもりだった。
 しかし、その内のひとりがこれから行うであろう痴態を想像することは、公安部きっての若手ホープであっても不可能だった。
 
 五人のうちのひとりが晴海に耳打ちした。そのとたんに、中世の女王のように高貴な肢体がびくんと波打つ。そのくらいのことは、晴海にも確認できた。しかし、次にどんなことをしでかそうとしているか、ということまでは読めなかった。
 少女は、一瞬、目を瞑ると諦念したように、目を見ひらいた。切れ長の瞳が涙を流しているように見えた。
 彼女が晴海たちに向かって震える足を踏み出したとき、列車が停車したので、女王は身体を折り曲げた。慣性の法則に従って転びそうになったのである。そのために座っている乗客に支えられる羽目になった。
「大丈夫ですか、お嬢さん。具合悪そうですね、よかったらお座りになりますか」
 60歳ごろかと思われる上品な女性に、優しく接されてほろりと来たのか、緊張に顔のピースのすべてに電気を通しているような緊張がとけた。

―――かわいい。

  下車する上司に形だけの挨拶をしながら、若い巡査部長は生来持っている趣味の新芽を心に生やした。
 目つきがきついだけだと思っていた美少女はこんな表情もみせるのだ。乗客たちはそう思ったにちがいないが、晴海は既に見抜いていた。
「あ、ありがとうございます、大丈夫です、おばあさん」
 はじめて、少女の声を聞いた。日本語の美を余すところ泣く表現している。その調子から虜囚の態度を思わせる。「少しでも手を触れてみなさい、いつでも舌を噛んでみせます」とでも言いかねない状況である。しかしながら、それを見抜いているのは、事ここに至っても、晴海だけである。単に具合が悪いのだろうと、他の乗客たちは見ているにちがいない。
 そう思っている間にも、事態は進んでいく、少女はすこしばかり唇を噛むと、晴海の前に立った。そして、言ったのである。

「お、お姉さん・・・・ま、まひる、おしっこ・・・・・」
 
 さきほどの凛とした性質など、その声からは完全に失われていた。ただ、幼稚園でいじめられている幼児にしか見えない。
 あるいは、母親にトイレに連れていくように依頼する子供のように見える。別の見方をすれば、それを擬しているということが可能だろう。いったい、誰の命令かは容易に察しがつくというものだ。
 背後では、五人の少女たちが控えていて、わらいをこらえるのに試練の時を迎えている。
 だが、簡単に動くわけにはいかない。用意に警察権力を振り回すわけにはいかないのだ。とりあえず静観することにした。それに何より、彼女には普通の女性にはない特殊な性癖が備わっており、彼女はそれが発揮する対象でもあったのである。
 食指が動くとはまさにこのようなときに使うべき表現であろう。彼女が動かそうとしていたのは、警察に入るような人間にありがちな正義感に満ちた尊敬されるべき態度ではない。
しかしながら、そんなことはオクビにも出さず、単なる傍観者のフリをして、乗客の一人に溶け込んでいた。
 だが、少女たちは晴海にそんな良い役をいつまでも与えておかなかった。
「・・・・・・・・・・」
 晴海が黙認しているのをあきらめきった目で見ると、少女は制服のスカートを捲ったのである。
驚いたことに ―――――――。
 この時ばかりは、乗客たちはおろか、とうの晴海の思考でさえ凍結させてしまった。そのくらい驚愕していたのである。
 高級な象牙のように美しい両足に挟まれた股間は、何も覆われていなかった。そこにあるべき布はどう見ても確認することができなかった。
 要するにノーパンだったのである。しかも ――――。
 その年齢にはあるべき何かがない。

 それは毛である。
 別名、陰毛という。
 
 少女は無いはずの陰毛を震わせて同じことを言った。声帯の震えがそこまで影響を与えるというのだろうか。
「お姉さん、ま、マヒル、い、おしっこ・・・ぁ、ああ!?」
――――この子、マヒルって言うの?珍しい名前ね。
 常人ならば縮み上がってしまいそうな状況も、晴海にとってみればごく冷静に観察すべき対象である。
 列車の中というパブリックな場所にあり得からざるべき状況は、運命というレールに乗ってただ進もうとしている。
しかし、いったい、それはどんな運命だろう。晴海のかたわらにいる女子中学生たちは、ごく友人の談笑しながらごくありふれた帰宅を挙行していた。それは青春の一頁としてブログにでも載せたくなるような体験であろう。
この少女にはそんな小さな幸せも与えられていないのだ。

「ア・ア・ア・あああ、み、見ないで・・・?!ぁぁあああ!」
 少女は、上品な美貌を涙でくしゃくしゃにしながら、放尿を始めたのである。
 女子の尿道は、男子のそれと違って構造的に違う。そのために、尿は真下にあるいは、少しばかり背後に垂れ流されることになる。
 白亜の大腿から膝小僧を通って、足首まで黄色い、いやな臭いのする液体が流れていくことになる。少女の足は、まだ小学生を卒業してそれほど経っていないと見えて、いささか不格好である。すなわち、出るところが出て折らす、引っ込むべきところが引っ込んでいない。確かに細いのだが、要するにずんどうなのである。
 男どもの中にも、そのような形態により性欲を感じる趣味の人間もいる。

―――へえ、女の子でもタチションできるんだ。

 それは、そのような趣味を生まれ持ったとある大学生の感慨である。
 ちなみに、隣の友人は携帯を少女に向けていた。言うまでもなく撮影していたのである。人間というものは、追いつめられるほど周囲に敏感になる。ごく小さなシャッター音であっても、少女の耳に届いているだろう。
 少女は、耳たぶまで真っ赤にして泣きじゃくっている。だが、スカートは振り上げたままで、哀れなピエロとしてそのブザマな姿を晒している。
 周囲の人間たちは、この事態を目の当たりにして、ただ立ち尽くすだけである。
「何かのパフォーマンスかと思ったせ」とは、あざとくもこの光景を撮影した大学生の言である。ちなみに、この数分後、友人たちへのメールに添付されて少女の画像は、ねずみ算式に目撃者を増やす結果となった。
 この時、彼女がそれを知るよしもなかったのは、幸せか否か。それは神のみ知るというべきだろう。
 五人の少女たちは、腹を抱えて笑っている。さきほどまで我慢していたが、もはや、我慢ができなくなったようだ。晴海の耳に、それが入ったとき、彼女が取るべき態度は決まっていた。
 
 今まで凍りついていたかのように立ち尽くしていた晴海が、急に動き始めたので、少女たちは驚いたことだろう。この時、彼女の中のシステムが入れ代わった。闇に隠れるプログラムから光に押し入っていく、いや、光そのものになるプログラムを起動させたのである。
まず、少女の肩に手を触れるとこう言った。
「手が痛くなったでしょう? 降ろしなさい」
「エ?」
 彼女はばかみたいに顔を大きくあけて戸惑っている。虹彩は限界まで開いて、もう、何処を見たらいいのかわからずに、虚空をさまよいだした。
 だが、確として目の前の美貌に釘付けになる、それだけでいいのである。それには、晴海の声を聞くだけで十分だった。
「ァアアアア・ア・ア・ア・・・・・ああ?!」
 少女は、殺される瞬間に援軍を見つけた敗軍の将のような表情をすると、晴海に抱きついた。
 自分の身体に尿がかかるのも構わずに、晴海はそれを許している。
 晴海を単なる普通の大人として侮っていた少女たちは、鉄砲玉を喰らった鳩になっていた。
「ぁ・・・あ」
何かに気づいたように少女は、晴海から離れると床に座り込んでしまった。
 少女たちと乗客たちは、これから何が起こるのだろうかと、固唾を呑んで見守っている。

 はたして ―――。

 晴海は、五人に向かってやおら歩き始めた。
そして、そのリーダーらしき子の前に立ちはだかった。背の長けは少女とそう変わらない。だが、髪の毛を染めたりせずにポニーテールにしている。一見しただけでは、大人しいごく普通の少女である。
だが、その口から出た言葉は、とてもそのような外見から想像できるものではなかった。
「ちょっと、おばさん、汚れてるよ、臭い!」
「寄らないで暮れる!?」
 他の少女たちまでが叫び始めた。
 晴海は、鼻で笑うと脇を掻く真似をした。そして ―――。
 そして、手を離したとき何か手帖のようなものを落とした。
「あ、落としちゃった。君、拾ってくれるかな?」
「何で、あんたの拾わなきゃいけないのよ!?な ――」
 リーダー格の少女はそれを見て、頬の筋肉を硬直させた。
 開かれた手帖には、警察官の制服を着用した晴海の写真が貼ってあるではないか。何よりも彼女たちの目を引いたのは、POLICEの六文字だった。
 うちに秘めた罪悪感からか、少女たちは悲鳴に似た声を上げた。しかしながら、リーダー格の少女は晴海を睨みつけるなり声を張り上げた。
「おばさん、お巡りさんなんだ。だったら、何、私たちに何の用よ、逮捕ならあの変態を捕まえてよ!」
 晴海がふり返ると、元の表情に戻った少女がそこにいた。少女たちを睨みつけている。先ほど放っていた品性と知性を取り戻している。
「まあ、お巡さんなんて言う高級なものじゃないが、」
「じゃあ、違うって言うの?」
「親戚ってとこかな、逮捕権ならちゃんとあるわよ、ちょっとついてきてもらおうかな?」
「ナ?!」
 普通の中学生よりも違う色を放っているとはいえ、しょせん、晴海の前では単なる小娘にすぎない。すこしばかり強く出られると、トラの威勢を失ったキツネのようにくしゃんとなってしまった。背中がドアに同化するのではないかと思わせるほど、身体を背後に押しつける。晴海を見上げる目は完全に怯えている。
「人生、無駄にしてみる?」
「うう・う・・うん」
 黙って顔を振ると、たまたま列車が何処かの駅に到着したのをいいことに、脱兎のごとく車外に逃げ出した。四人の少女たちもそれに習う。
 強姦された女性は、当所、誰が手を出しても無言で拒否するという、それが母親の手であっても同じらしい。
少女は、いまだ、腰を抜かした老婆のように床に座り込んでいる。
晴海が助け起こそうとしても同様の態度を固持していた。だが、目だけはらんらんと輝き自尊心の高さを十分、想像させうる。

「あ、あなたは ――――」
 晴海の手が肩に触れようとしたとき、少女はさきほどの五人とはまた違う意味で、兔のように飛び跳ねた ―――少なくとも、晴海にはそう見えた。そして、少女の声は、若々しい張りに満ちていた。
「あなたは、私を助けたつもりなんですか!?」
 おどおどしたことなど微塵もない堂々たる態度だった。
「私は信じない!!大人なんか大嫌いよ!」
 その台詞はありふれていたが、車外に飛び出していく少女が備えていた目 ―――らんらんと傷ついたピューマのように輝いていた、それは晴海の性癖を刺激するのに十分すぎる匂いを放っていたのである。そして、また別の感慨もあった。既視感と表現するには、あまりに特殊すぎる感覚だった。
 ゆっくりと再び動き始めた列車には、晴海はいつも怪物の復活を彷彿とさせる。都会のコンクリートブロックを走りぬける大蛇、それが都市の交通網の動脈たる電車である。いったい、どのような人間たちを呑みこんでは吐くのか。
 本当の化け物は中の乗客かもしれない。

――――いま、あなたたちは何もせずに立ち尽くしていた。それだけで十分に、化け物と呼ばれるに相応しい。

 もはや毒づくことも忘れて晴海はひとちごちた。
 「まあ、また出会うこともあるわ」
 残された晴海は、さきほどの手帖とはまた違うそれを開いていた。
 俗に、それは生徒手帳と呼ばれる。


 







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『マザーエルザの物語・終章 33』


 あおいは、近い将来、それはごく数秒後のことなのだが、自分もそのプラットホームに呑みこまれていくことを信じられなかった。
「あおい、早く来てよ、ドアが閉まっちゃうわよ」
「うん・・・・・・」
 手首を返してわざと女の子らしい仕草を演出しながら、少女は立ち上がった。しかる後に、その腕を無理矢理に親友によって摑まれながら、かつて観察した客たちと同じ運命を辿ることになった。
 行き交う人々はどれもプラスティックで構成されている。どんなにおせじを使っても、とても生きているように見えない。
 とうぜんのことなのだが、みんな、彼女とは無関係のように思える。じっさい、そうなのだから仕方ないが、誰も 自分に意識を集中しないことには、例えようもない不自然さを感じる。
 自分が何事か偉いことを成し遂げたわけではないが、意識の何処かでそのような自分がティッシュペーパーを出会う人に配り歩いている。それらには、きっとこう書いてあるにちがいない。

 「私を見て、注目して!」

 そのような雑然とした思考の沼に心を浸していたのが、そうとう、異様に見えたのか、啓子はしゃっくりを上げるような声を出した。
「何をぐずぐずしているのよ」
「あ、ごめん ―――」
 そのとき、少女の小さな頭の中に設置してある映画館では、啓子が見ている作品とはまったく違うそれが上映されていた。
 あおいは一人、列車に取り残されている。プラットホームにいるある人物を視界に収めるのに必死だ。
 少女が聞いたこともない轟音が彼女から聴力を奪っている。口を必死に動かしているはずだが、自分の声すら聞こえない。プラットホームに立つ人々は一様に手を振っているが、しかし、どれもおかしな恰好をしている。女性は袋のようなものを頭に、そして、男性は変な帽子を被っている。
 その上、みんな、明かに日本人ではない。その服はどれも薄汚れていて、彼女が慣れ親しんでいる駅の風景とはあきらかにちがう。
 しかしながら、何か旧い映像を見せられているというかんじではない。たしかに、彼女はそこにいて、世界を体験しているという現実感が真に迫ってくる。けっして、彼女はこの世界にとって客などではなく、住人なのだ。当事者なのだ。
 何処にも不自然なことがあろうはずがない。
 列車がプラットホームを消滅させようとしたとき、目標の人物が見付かった。
 小髭の人物。

――――旅立つまでに、切っておいてって頼んでおいたのに。
 あきらかに似合っていない。ありもしない威厳をそなえるために生やしているのだ。そのままで十分ハンサムなのに。
 青年はプラットホームを喰い殺さんばかりに口を動かしているが、轟音のために何も聞こえない。旧いトーキー映画を見せられているようだ。

―――ええい、演者は一体どこにいったというのか。
 彼はきっと自分の名前を呼んでいるのだろう。
 そう思った、いや、確証したあおいも彼の名前を呼んだ。
 しかし、その時にはもうプラットホームごと彼は虚空に消え去っていた。
 深い黄昏が西の空に、まるでドラゴンの目のように意地悪く光っていた。何処かの国の何処かの文学者が書いた童話に、ドラゴンの目が発する光によって石になってしまう話があったはずだが、あおいも石化して誰もいない墓場に放り出されたような気がした。

―――それでも行かねばならない。
 少女は何者かにそう語っていた。
 少女は何者かにそう語っている。
 啓子はあおいがわけのわからないことを呟いていていることに気づいた。
「啓子ちゃん、私、あの列車に乗らないと ―――」
 「どうしたの?あおいちゃん!?」
 別の世界に行ってしまったかのように佇む啓子。その顔を見せつけられると思わず体の芯を奪われてしまったかのような虚脱感に襲われた。それはあきらかに既視感と呼ばれる感覚にちがいなかった。

―――奪われてしまう。
―――このままだと永遠に、あの列車に乗って
―――無知な土人のために。
――――だから、いっそのこと爆破してしまおう。
 
 気が付くと、啓子は親友を鷲の目で睨んでいたらしい。
「どうしたの? 啓子ちゃん、怖い」
怯えた顔を一目見れば、アウシュビッツに連行されるユダヤ人少女よろしく、完全に色を失っているのがわかる。
しかし、あえて優しい声をかけようとは思わなかった。
「悪かった、ごめん、時間がないから、先を急ごう」
 「け、啓子ちゃん」
 新鮮なレタスのような手を握りしめながら、改札に向かう啓子。あおいはそれに付いていく、いや、その手を切断しないかぎりは付いていかされるのだが、引きずられながら啓子が感じているそれとは、また別の、既視感の火に煽られていた。
啓子の手は限りなく冷たかった。まるで、ドライアイスのように、このまま押しつけられていたら凍傷するのではないかと怖れるくらいに、存在そのものが鉄の氷と化していた。それは、あおいに何かを訴えているように感じた。

―――自分を見捨てるな。
――置いていかないでくれ。
―――自分を裏切るのか。

 さまざまな怨嗟の声があらゆる時間から聞こえてくるような気がした。その中には、未来から響いてくるそれすらあった。

―――自分がいったい、何をしたというのだろう。
 
 改札を抜けるために手を離されたときには、心底ほっさせられた。
このまま摑み続けられていたら、本当に肩からもぎ取られてしまうのではないかと、思った。じっさいに痛みすら感じていた。刃物が触れる冷たさすら予感することができた。
町中を行き交う人々も、やはり蝋人形のように、どれも目がうつろだった。あおいの主観がそうさせるのかもしれないかと、幼い少女に洞察させるのは無理なはなしだろう。
 世界がぜんぶ、自分のためにあると思うのは、子供の特権である。大人がそう思ったら人間性からの逸脱以外の何物でもないが、子供ならば例外的にそれが許される。

 精一杯ではないが、あおいは、それを満喫していた。ドールハウスをそのまま大きくしたような街を駈け抜けていく。大人と大人の間をすり抜けていく。初夏の太陽はまだ健在で若々しい陽光を人々の頭に降り注いでいる。
そう大きな駅に隣接する街ではないので、目抜き通りはそう大がかりというわけではない。しかしながら、意図して造られたのか、ほぼ赤煉瓦に統一された瀟洒な雰囲気は、あおいの目を楽しませるのに十分だった。
馬車が走っていてもおかしくないと思われる通りを10分ほど歩いた先に、その建物はあった。

 正面に設えられた看板には『代ゼミ美術科』とある。
 まるで白黒写真のような鉛筆画が正面の窓に所せましと貼られている。人物や静物を描いたそれらの作品をデッサンと呼べるほど、少女は、美術に明るいわけではなかった。自動ドアが開くと、啓子は、いかにも当然という顔で入っていく。一方、あおいは、きょきょろきょろと落ち着かない仕草で奥に向かう。ここは当然、美大受験生が通う学校なので、当然のことながら、最低でも15歳には達している。普通の小学生にとって、彼らは考えるまでもなく大人に見えることだろう。
 受験生たちは、珍獣でも見るような顔であおいを見送る。啓子の方は相当慣れたようすで彼らの視線を全く意に介さない。
 高級ホテルじみたエントランスを抜けて、廊下の一番奥まったところに、その部屋はあった。ドアには所長室と書かれたプレートが貼られている。啓子は、大人びた仕草でノックすると、奥から男の声が聞こえた。
 それに返事をする啓子は、普段の彼女よりもさらに年齢を先に行っていて、あおいは、何だか取り残されているような寂しさを感じた。横顔を盗み見すると、その目つきに愕然とさせられた。とても小学生がするような表情ではなかったからだ。さらに居たたまれない気持に苛まれながらも、啓子が教師だと仰ぐ男性の挨拶に応じる。

――啓子ちゃんの絵だ!
 
 所長室に入ったとき、あおいの目を惹いたのは、所長でもこのような教室に不釣り合いに豪華な調度品たちでもなかった。この部屋にあるていどの品は自宅にいくらでも並んでいるから、彼女の注意を惹くはずがなかったのである。
 その絵は正面の右側の壁を覆っていた。正確にはかかっていたと表現すべきだろう。油絵で五号の大きさは35センチ、27センチだから、それほど大きいわけではない。しかし、その絵が醸し出す迫力は、まるで絵そのものが壁と入れ代わったのではないかと、錯覚させる。
 女性 ―――が描かれている。なんと言うことはない、よくある肖像画である。
「その絵に興味を惹かれるのかい、お嬢ちゃん ―」
 所長の声があおいを現実に引き戻した。
「きっと、この前、みんなで見に行ったから憶えているんだと思います、佐々木先生」
「ぁ・・・・・・、こんにちは、榊あおいです」
「へえ、きみが」
 いざ立ち上がった姿を見上げると、佐々木とかいう教師がわりと背が高いことがわかる。彼女の父親よりも頭一つ分くらい割高である。
「・・・・・・・!?」
 
 佐々木は、あおいを見つめる視力を弱めない。それは完全に意識せずに行われた。
 美術家というものは、気が付かないうちにそのようなことをしているものだが、それは、普段、彼がモティーフとしている対象に限ったことで、あおいのような、一般的な言い方で表現する小娘などに、貴重な意識を集中させるなどということが、よく、あることではない。重ねて、彼にその手の趣味があるわけでもない。
 だが、しばらく意識を損なっていたために、教え子の声を聴き取ることに失敗していた。
「先生!」
 啓子は、不満そうな色を表情に載せて抗議の言葉を吐く。
「ああ、ごめんよ、赤木さん、宿題は持ってきたかい?」
「はい、これ」
 スケッチブックを差し出す。
「―――――!」

 とつぜん、あおいは不吉な予感に襲われた。もしかして、自分のあられもない姿を描いた絵が眠っているのではないか。
「ちょ、ちょっと、待って。私に見せてよ!」
やおら、動いた少女は俊敏な動作で教師に渡される瞬間に、スケッチブックを奪い去った。
「何するのよ!! あおい!?」
「私の絵よ、まず、先に見る!」
 権利とか義務とか言った言葉が出てこないところが、あおいらしいところである。しかし、啓子の網膜にはその2文字が刻印されていた。
「全部、見せたでしょう!?」
「完成してなかったもん」
 思わずトラフグを口の中に抱いて見せた。
 それに、思わず微笑んでしまったのは教師である。
「ほらほら、喧嘩しないで、モデル殿は自分がちゃんと美人に描かれたのか心配のようだよ」
 ふくれっ面の美少女を優しげな笑いでやり過ごしながら、スケッチブックを受け取る。そして、彼女の視線に密やかな針を感じながらも開く。
「・・・・・!? やはり!!」
 ページを開いた、まさにその瞬間、しかし、あおいの、いや、啓子の存在すら、彼の脳裏から消えて去っていた。
 思考停止。
 彼の脳内はただ、その四文字だけが空回転していた。
 しかし、次の瞬間には別の3文字が彼の頭を席巻することになる。
 それは ――――。
 井上順。
 ある帰化人画家の名前である。
 そう、この部屋を支配している小さな絵の作者である。







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『由加里 82』
「照美お姉ちゃん、予め、西宮先輩にも聞いてるんだけど、 ―――」
 ここまで言って、ミチルは声のトーンを落とした。さりげなく由加里を見る目には、彼女を思いやる気持がこもっている。それを目敏く見破った照美は、本人でさえ理解できない感情に心を侵食されるあまり、少女を踏みつけにしてやりたくなった。
 しかし、このときばかりは、辛うじて理性が打ち勝った。
「西宮さんがどんな目にあってきたか ――――ね」

――――私の口からいわせる気?
 
 このとき、照美は妹を見る姉の顔になっていた。由加里はそれを見つけると、嫉妬心でいっぱいになった。絶世の美少女と違うのは、後者が自分で自分の気持ちを理解していることだった。あきらかに芽吹いている作家としての才能は、あきらかに彼女に自分を取り巻く世界を、いや、それだけでなくて、自分自身さえ ―――将棋の駒として見るくせを強要していた。

――――あ、そうだ。

  由加里は、ノートパソコンのモニターを思い浮かべた。まるで、目の前にそれが存在して、単調なオンとオフで表示されるグラフィックを見せられているかのようだ。
「か、海崎さん! ・・・・」
 由加里はめまぐるしく表情を変容させる。提示されているものの簡素さと対照的に少女の精神はアラベスクのような複雑さを呈していた。
 はるかをちらりと見てみる。照美は背後で陣取っているために、彼女を見ることはできないが、ダウナーなオーラーはひしひしと伝わってくる。
 彼女らが要求していることはわかっている。
 それは、モニターに映っていた文字が連なってつくる文学の世界。しかし、それを音声化するには相当の勇気が必要だと思われた。

―――――こ、これは、私が考えることじゃない。い、言わされるのよ。だから ―――。

 そう考えたとしてもなかなか、口が動いてくれない。その内容があまりに屈辱的なので口の端にのぼせることすら憚られる ―――ということである。
 由加里は自分の口が自分のものではないような錯覚に陥った。
 言い換えれば、口吻部に回された細胞が反乱かゼネストを起こしてしまったのではないか ―――と考えた。
 しかし、ようやく舌を動かすことできた。
「海崎さん、い、鋳崎さん、わ、私のこと、ゆ、由加里ちゃんって、お呼びくだ、いえ、呼んで・・・・くれない?」
 敬語とざっくばらんな言い方がミックスして、異様な味を醸し出している。しかし、照美は、その声にいっさい不快な色を沁みさせずに、返事を返した。
「そうね、お友達ならそう呼んでもいいわね、由加里ちゃん」
 この時、はるかは誰にも知られないように、照美に目で合図をした。美少女は、それを受け取ると、彼女じしん、とても信じられない言葉を吐いた。
「ウ・ウ・・ウ・ウ・ウ、じゃあ、にし、西宮さん、いえ、由加里ちゃん、わ、私たちを許してくれるの?」
 改めて、由加里の前に居直ると、とつぜん、しゃがんで彼女を見上げた。そして、堰を切ったように、嗚咽を上げながら許しを乞いはじめたのである。
 はるかは、まったく表情を変えていないが、実は、複雑な感情に鍛えきった身体を浸らせていた。
 
 あまりに見え透いた照美の演技を見ていると笑いを抑えるのにくろうする。親友と違って常に感情を直に表現してきた少女だけに、自分でプロデュースした状況にも係わらず、目的を全うするのに首を捻らざるを得ないのだった。
 彼女の演技が二人を騙せるのかと思うと気が気でない。ここは、自分も口を出すべきだと判断した。
「私も本当に悪かったと思っている ―――」
 はるかは、50年ぶりに戦友と邂逅した元兵士のような仕草で犠牲者の肩に触れた。
「ウウ・ウ・・・ウウ!!」
 まるで、発作のような嗚咽が由加里を襲う。

――これは嘘よ! 嘘に決まっている ―――――だけど。

 そもそも最初からそうだと宣言されている嘘ほど白けるものはない。知的な少女は、回りくどい言い方でそれを嘘だとみなしたのだ。
 裏を返せば、二人の言葉を信頼したい自分が何処かに存在する。

―――ああ、なんて、温かい手だろう。それにこんなに大きい。

 はるかの手はピアニストのそれのように、芸術的な繊細さをも併せ持っている。 ―――少なくとも、このときの由加里はそう受け取っていた。
だが、それを即座に否定されるような出来事が起こった。
「アウ・・・・あぐう!?」
 照美によってあてがわれた股間の異物が疼いたのである。
 普段、挿入させられている卵よりも少し目方が大きい。しかし、簡単にすっぽりと胎内に収まってしまった。可南子からさんざん受けた性的な虐待は、少女の性器をして、ほぼ生理的に処女喪失の状態に貶めていた。
 照美が由加里の恥部を調べたとき、彼女に意外な顔をさせたからくりはここにあるのだ。

 由加里は腰をくの字にして屈む。いじめっ子たちの都合がいいことに、犠牲者は自ら自分に括り付けられた足枷手枷を見せまいとしてくれる。
 言うまでもなく、股間に挿入された異物のことだ。あたかも寄生虫のように宿主に住みつきすべてを奪おうとしている、その心さえも。

「どうしたんですか? 西宮先輩!?」
 思わず駆け寄るミチルと貴子。
 これではいかんと、アスリートの卵は分け入るようにして二人と由加里の間に分け入った。
「ミチル、貴子、私から話そう ――――彼女が、西宮、いや、由加里ちゃんがどんな目にあってきたのか、話してもいいか?」
「ウウ・ウ・ウ・ウ・ウ・ウ・ウウウ!?」
 由加里は涙に濡れた顔をはるかに向けた。
―――?!
 はるかは、目を見ひらいた。
 西沢あゆみのボールを始めて受けたときのことを思い出す。当時、小学生、それも低学年にすぎなかったはるかだが、彼女に叶うクラブ生は上級生や中学生を含めても誰もいなかった。それこそ、神童と呼ばれていた ―――それは今も変わらないが、そんな彼女が始めて自分の分際というものを知った。
 愕然としてはるかだったが、同時に、テニスの喜びをも知った。クラブの首脳部から解く別扱いされていた彼女は、知らず知らずのうちに孤独を穿つようになっていた。それは自分でも気づかないうちに始まっていたのである。 それは生来のプライドの高さが原因だったのかもしれない。
 ともかく、それらを綺麗さっぱり払拭してくれたのが、あゆみのサーヴィスだったのである。
 あの日、人並み外れた才能を持つ少女は、人目をはばからずに泣いた。それを見たクラブ生は彼女が普通の少女であることを知った。そして、クラブ内でもうち解けられるようになったのである。

 いま、はるかは由加里のあられもない顔を見せられて、それを思いだしている。
 まったく無防備な顔。まるで幼児のように、普通の人間ならば常備している警戒心すら解いていた。頭の中は粥のようにぐじゃぐじゃになって何も考えられなくなっていたのである、この知的な少女をが、である。彼女をここまで追い込んだ張本人のうちのひとりにそれを向けている。
 しかし、それも一瞬のことで、すぐに虐待者の顔を思いだしていた。
「由加里ちゃんは、かわいそうに裁判に掛けられていたんだ、それも、冤罪でね。クラスメートが裁判長とか、検察官とか役割を果たしてね」
 ここまで聞いていて、照美は、はっとさせられた。何故ならば、その時、弁護士の役割を買って出てさんざん由加里を慰み者にしたのは記憶に新しいことだからだ。しかし、二人の様子を伺うに、詳しいことは知らないように見受けられる。
 それに ――。
 照美はすぐに胸をなで下ろした。由加里にあてがわれている台詞を思いだしたからだ。美少女は、二人に見付からないように、密やかな手つきで外で犠牲者の性器をいたぶるだけだ。
――――早く言いなさいよ! あんたの台詞でしょう?
 無言でそう言っているだけだ。
「ウウ・ウ・ウ・、て、照美さんは・・・あううう・・・」
 ここで、照美が由加里の下半身をどさくさに紛れて体重を押しつけた。おそらく、少女の下半身はとんでもないことになっているだろう。卵はそれに助けられて、密かに内奥を目指している。
「照ちゃんって呼んで ―――」

―――アホか、照ちゃんだって? 笑わせるな! 照美。

 今度ばかりは、さすがのはるかも、笑いを完全に封印することができなかった。二人に背中を向けることで、ようやく自分を欺くことに成功した。
 しかし、由加里の方では、とても理性を保っていられる状況ではなかったのである。何故ならば、下半身は彼女じしんが分泌している粘液でおもらし状態であるし、照美の意地悪な指は、絶え間なく刺激を繰り出してくる。まるでマグダラのマリアのように、贖罪に満ちあふれた表情とは裏腹に、底意地の悪い感情の排泄物を送り込んでくる。

―――ここまで、私の心を弄んで、踏みにじって、そんなに楽しいの? そんなに私が憎いの?
 地獄の責め苦に喘ぐ少女は、すこしでも気を抜いたら、あの恥ずかしいオルガルムスを感じると思うと、かすかに 残った理性を総動員して自分を保とうと必死なのだった。
 しかし、それよりも怖ろしいのは照美が送ってくる悪意に他ならない。そんなに自分が憎らしいならば、いっそのこと、ひと思いに殺してくれたらどんなに楽だと何度思ったかわからない。

――――きっと、何度、自分を殺しても憎しみは磨り減らないにちがいない。だけど、そんなにひどい憎しみってどうしたら生まれるものなの? 私は何もしていない。彼女に、私がどんなひどいことをしたっていうの?

 由加里は、今年になって何度その言葉を頭の中で反芻しただろうか。しかし、消化液か消火用の石が足りないのか、何度繰り返そうとも答えらしい答えは出そうにない。
 ご存知の通り、牛などの反芻動物の胃には植物の繊維を消化するための石が蓄えられている。もしかしたら、人間の心には、同じように辛い記憶を消化し栄養にすることを助ける石のようなものがあるのではないか。
 それにも係わらず由加里は相も変わらず同じことをぐるぐると悩み続けている。いや、それは外からやってくるのだが、さいきんの彼女は被害者としての意識さえ喪失してしまっている。自分が悪いのではなくて、自分が悪いという、いわば、被害妄想ならぬ自悪妄想とてもいうべき意識に苛まれている。
 
 照美やはるかは、こんなにすばらしい人間なのだから、自分に対して行っていることはけっして、いじめや虐待ではない。きっと、罰なのだ。西宮由加里という人間は、それに相応しいいかがわしい唾棄すべき存在なのである。
何処をどう間違えたら、そのような思考に陥るのだろう。
 ちなみに、その論理に、金江や高田といった人物群は組み入れられていない。きっと、彼女の無意識が自分よりもはるかに劣る人間を思考から排除したのだろう。照美やはるかはともかく、金江や高田にそのような高級な思考を理解する余地がその心にあるわけがない。
 しかし、由加里はそのように考えていない。知らず知らずのうちに思考の対象から外しているだけである。
 他人を貶めるということを何よりも嫌うこの少女にはよくあることだが、そんなことをしていたら、いじめっ子たちの毒牙の餌食になる理由とも知らずに、彼女らの蜘蛛の巣に飛び込んでしまう。哀れな虜となって生きながら、その肉体ばかりか、心まで喰われてしまうことも知らずに、身を投じるのである
 我が身の保全よりもこの世に大切なものがある。
 そのような命題が存在することにすら気づかない、高田や金江のような連中にとってみれば、全く理解できない行動にちがいない。
 もっとも、照美やはるかたちでさえ、意識の周辺が辛うじて摑んでいる感覚である。それを由加里はごく制限された能力とはいえ ―――、意識的にそうしている。わずか14歳の少女としては驚くべき精神年齢だと言うしかない。
 だが、そのことは、必ずしも少女の苦痛を和らげることにはならない。いや、むしろ、何度も、奈落の底へと墜落する帰結になってしまうのである。

 哀れな少女を言わば地獄のそこに叩き落としている人物群の中で、最たる存在ある照美が口を開いた。
「由加里ちゃん、小学生時代にしてもいないことで責め立てられたりしたんだよね ――」
 絶世の微笑の流れるような手の動きは、由加里を籠絡するのに十分だった。
少女は、優しく髪を撫でられることによって、嘘を嘘とみなすことを止めてしまった。言い換えれば、俳優が演技中に舞台の上にいることを忘れてしまったのである。これは、女優としてはあきらかに致命的な失点と言わねばならない。
 由加里の小さな口はあきらかに台本にないことを発してしまう。
「嘘だって、わかっているなら!?・・・・あぁ」
 はるか的に言えば、死刑もあたいする罪なのである。しかしながら、零れたミルクは元には戻らない。
 由加里はただ慌てるしかない。だが、ここで不幸中の幸いとでもいうべき状況が存在した。それは、彼女の股間を摑んでいる照美が台本のすべてを暗唱していたわけではないこと、そして、はるかがかなり離れたところにいたことである。
 そして、ミチルと貴子の目が光っているために、面だって行動することが、はるかには不可能だったことである。 しかし、若きアスリートの一睨みは、知的な少女を狼狽させるのに十分すぎるほどだった。
「あぁあうう・・・・」
 由加里は、肺の障害があるように身体をうならせる。それは少女の身体を振動させ、より照美の指を膣の内奥深くしのばせることになった。
 心ならずも自らの動きによって、より官能を求めることになった。
「西宮先輩、そんなひどいことを ―――」
「貴子ちゃん、知らなかったの?」
しらっと、打ち出の小槌から吐き出すように照美は言葉を並べる。
「ある男子の心を弄ぶようなことを ―――」
「だめでしょう!? はるか!! 由加里ちゃんが可哀想でしょう!?」
「・・・・・・・・・・」
 はるかは驚いた。実は、これは照美のアドリブである。なぜだか、演技の妙を身につけ始めてきたようだ。素人監督兼プロデューサーはひそかにほくそ笑んだ。
――――おもしろいことになりそうだ。









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『新釈氷点2009 6』
 ルリ子の墓参りはしとしとと、いささか鬱陶しい雨が降りしきる日に行われた。
 初夏だというのにやけに雨に濡れた肩が冷たい。助手席に座る夏枝は、バックミラーで愛しい娘の顔に視線を送っている。
 銀色に鈍く輝くフィルムからにょきっと花束が生えている。それは、まるで雨後の茸のように見えた。やけに元気に見えるのは、持ち主から栄養を奪っているからにちがいない。
 俗にそれは寄生と呼ぶのだろうが、夏枝はそれを嫌な記憶ともに呼び起こしていた。それは、彼女が少女時代、家族でパリに旅行したときに美術館で見た絵画のことだ。『寄生』と題されたある有名画家の作品だが、無数の茸が美しい少女からにょきにょきと生えていた。
 夏枝はそれを見たとたんにトイレに駈け込んだものだ。寄生されている少女はそれは美しい少女だった。ちょうど横にかけられているラファエルロの作品に棲まう少女のように、この世のものとは思えないほど清らかで美しい少女だった。

――――ちょうど今の陽子のように。
 きがかりでたまらない。ふとした仕草で彼女が真実を気づいてしまわないだろうか。
夏枝の期待以上に知的に育っていることが、この時ばかりは恨めしい。絶対に、あのことだけは気づかれてはならない。
 自分と彼女との間に偽りがたい断線があるなどと。

―――もしも、陽子と薫子の間に囲まれているのが、春実ではなかったら、どんなに幸せだったろう。
こんな憎々しい雨空などではなく、麗しい初夏の陽光に祝福されて辻口家3人姉妹と両親は、仲良くピクニックとあいなる ―――はずだった。

――――いや、ちがう。
 しかしながら、鋭敏な夏枝はあることに気づいた。もしも、そんなことになったら、陽子が辻口家に養女として迎えられるなどということはなかったにちがいない。彼女の存在すら知らなかっただろう。

―――そんなことは絶対にちがう!! 可愛い陽子を知らないなんていう人生なんてとても考えられないわ!
 夏枝は、ひそかに慟哭した。
 しかし、もうひとつ気がかりなことがあった。花束のことである。もしも、薫子の仕業でなければ、いったい、誰の手によるものなのだろう。陽子の両親だろうか。陽子を養女に迎えたとき、可愛い赤ん坊の背景をいっさい知ろうとしなかった。あふれるような太陽光の神々しさのために、そのようなことに意識が向かわなかったのである。すべての感心は、我が子になる幼きイエスだけに向かっていた。自分は慈愛深いマリアになると人知れず誓ったのである。
 建造から神父の手紙を渡された。
 一生、夏枝は忘れないと思う、陽子と出会ったあの瞬間を。

「誓ってください。幼いイエスを抱くマリアになると ―――」
 
 車のエンジン音を聞きつけると、深窓の令嬢が裸足で外に飛び出してきた。驚く建造は幼い陽子を差し出した。
 手紙は産着に添付されていた。しかし、そんなものを見るまでもなく、現在完了形ですでに誓っていたのである。
 ちなみに、薫子は祖母の家に預けられていた。だから、その光景を知らない。しかしながら、帰宅したとき母に抱かれていた陽子に出会ったとき、何よりも耐え難い宝を手に入れたことを知覚ではなく、もっと別の深いところで悟った。
 当時まだ幼女にすぎなかったとはいえ、太陽が自分の家に落ちたことだけは憶えている。いつの間にか、辻口家のお姫様という身分は奪われることに、そのとき気づいていなかった。
 だが、今となっては下のきょうだいができることによる赤ちゃん返りを起こしたことなど憶えていない。一歳と半年という驚異的なスピードでおむつはずしに成功したというのに、三歳でおもらしをしてしまったのである。
 そうはいうものの、それをくぐり抜けた薫子は夏枝に負けず劣らずに、陽子を愛しはじめた。ある年齢まで自分の本当の妹であることを疑いすらしなかった。しかしながら、母親に似て、人一倍鋭敏な彼女が早い段階でことの矛盾に気づかないということはほとんど考えられなかった。

 もちろん、その主語は夏枝と建造だが、彼らはルリ子の記憶を家から退去させることで、事態の収拾を図った。自宅に仏壇などは設置せず、アルバムや、当時は珍しかった8mmフィルムなど、彼女に関するいっさいの記憶をとある場所に封印することで、薫子が口を挟む余裕を奪い去ったのである。このことによって、ルリ子の名前を辻口家において出すことは、いつの間にか決められた不文律に抵触することになった。
 薫子は、妹を春実ごしに見つめた。
 明かに普段の陽子とはちがう。直視できないほどまぶしさを感じるくらいに輝いていた彼女はいったい何処に行ってしまったのだろうか。
 そんな物憂げな視線を止めたのは春実だった。
「そう言えば、今日は土曜日よね、学校はいいの? ふたりとも」
「今日は、創立記念日だから、休み――」
 気を取り直した姉はそう答えた。二人が通う学園は幼稚舎から高等部までエスカレータ式の一貫教育を行っている。当然のことながら、学園の創立記念日ならば、休みは同日である。
「・・・・・・・・・・・」

 妹の耳には全く届いていないようだ。ぴくりとも反応しない。いや、できないと表現したほうが適当だろうか。まるで腹を空かせた蛇を目の前にしたカエルのように微動だにできないようである。
再び、愛おしい妹に神経は向かってしまう。

 一方、車を運転する建造は、この時、どういう心づもりだったのだろう。
 この家長は、ウインカーが水滴をはじき飛ばすのを無心に見ていた。安全な運転というただ機械的な作業に神経を徹することで余計なことを考えないようにしていたのである。
 その点、夏枝とは好対照だったが、陽子にたいする愛情について負けているわけではなかた。だが、自分でも不思議なことがあった。

―――どうして、自分は陽子を愛していると言えるのだろう。
 カーブするときに陽子とはちがう中学校の制服を視野に収めたとき、青年医師の心に黒い膜が張った。
 自分を裏切った夏枝に当てつけるために、陽子を養女に迎えたのは自分自身なのだ。その事実を知らない妻はともかく、自分が陽子に憎しみを憶えないのはどういうわけだろう。
 建造はその事実を前にして愕然となった。何故か、院長の言葉が蘇る。
 車に乗ろうとした青年医師に白眉院長はこう語りかけた。
「このことは奥様も後存知なのですね。本当にすばらしいことだとおもいますよ」
 窓を閉めようとした建造に付け加えるように言った。
「あ、そうだ。ルリ子ちゃんでしたね。畏れながらお墓がある場所をお教えできませんか?」
 老翁という外見に比較して若々しい声に、意外そうな顔を隠せなかった。
 建造は、詳しい理由も聞かずにあとで連絡する旨を伝えた。

―――まだ生きているのだろうか。
 
 あの時の年齢を考えるならば、もう70は優に超えているはずだから、院長の椅子に座っているはずはない。ならば神父としてはどうだろう。
 ほんらいならば、付属の施設である乳児院の人事は、建造が握っているはずであるが、意識的にそれを除外することで、記憶から逃げ出していた。おそらく、父親が人事権を握っていた時代に処理されたのだろう。仕事をしている上で、その乳児院の院長というポストに関するはなしが出たことはなかった。

――ならば、もしかして、あの花束は彼ではないのか?
 
 この時、夫婦は同じことを考えていたのである。しかしながら、妻はその詳しい内容を知るすべはなかった。ルリ子の元係累のだれかではないかと考えていただけである。あれだけ大きな事件になれば、報道されたことによって彼女の死を確認したことは想像に難くない。
 だからこそ、まだ大人としても理性が備わっていないうちに、陽子がルリ子のことを知ることを怖れたのである。街の人には口封じをしているとはいえ、しょせんは、人の口に戸は立てられない。何時の日か真実に気づく日はくるはずだ。しかし、それはできるだけ先延ばししたい。それは同時に自分が養女であるという事実にも直結してしまうから ――――。
 しかし、夫と妻では、それに関する怖れは自ずから性格を異にする。
 その真実が表に出ることはありえないとは思っていても、ルリ子を殺したのが陽子の実父であるという事実は、若き長崎城主の頭の中で、まるで常に疼いている。それは春実も同じである。いや、犯行をそそのかしたのは春実なのだから、その思いは建造よりも倍増しだと言っても良い。
 自責の念は陽子が美しく、そして、可愛らしく育っていくのを見るにつけて、強くなっていった。
 若き日の軽はずみな衝動から犯した罪に打ち震えた。
 罪を犯した夏枝のことはともかく、この少女には何の罪もない。自分の持てる力をすべて使ってでも彼女を護ろうと決めていたのである。

 呉越同舟という四字熟語ほど車内の状況を説明するのに適当な言葉はなかった。五人ともそれぞれが違う思いを心に内包し、発散できないストレスを溜めていた。だが、それは互いに平行線を構成し、何万光年進もうとも交わることはないと思われる。
 この鬱屈とした空間がいかに高級車の胎内であろうとも、成員にとって苦痛であることには変わらない。その属性がいかに贅を尽くしたとしても、彼らの慰めにはならないのだ。
 車は、ほどなくして目的地に到着した。
 坂道を相当登ったとみえて、かなりの山奥だった。陽子は、そこが何処なのか詮索しようとしなかった。彼女にとって地名などたいした意味はない。それが本州にあろうとも五国にあろうが、はたまた、南海道にあろうともたいした意味はない。

 昼間だと言うのに、高い樹木は陽光を透さないのか、神気に満ちた静寂を為している。それでも木漏れ日のいくつかは地面に達している。そのようすは、まさに現実離れしていたが、陽子にその目的を忘れさせるほどの妖力はないようだった。
「ルリ子お姉さまはここにいらっしゃるのね ―――」
 出会ったもともない姉だが、薫子と区別するためにそう言った。それがまったく演技じみていないことは四人を驚かせた。
 忘収寺と銘打たれたその寺の門を潜るには山道に似た階段を数分ほど上らねばならなかった。木材と石で組み合わされた旧い建物が醸し出す空気はあきらかに時間から何百年も取り残されているように思える。
 
 まるで時代劇のようなセットは陽子を黙らせることはできなかったが、他の四人を憮然とさせることには成功していた。それをもっとも感じていたのは建造と夏枝であろう。夫妻は、しんじつ、歴史時代のセットに迷いこんだような気がしたのである。もう何回も上がっているはずの階段だが、どうしてこんなことを感じるのか二人は不思議でたまらなかった。
 衣服と身体の間にビニールでも入れられたような違和感を打ち消すことができない。
だが、陽子を先頭にした行列は寺の門を潜らねばならない。五人の中で彼女だけが心が目に向いているである。それは贖罪という一見否定的な概念に基づく感情であったが、それでも、意味不明な違和感に苛まれている四人に比較すれば前向きだと定義できた。

――ああ、やっとルリ子お姉さまにお会いできるのね。

 陽子は、翼がついたヘルメスの靴よろしく、跳躍してこの階段を上がっていけるような気がした。思えば、今、履いている靴もピンクのワンピースも両親がプレゼントしてくれたものだ。
 黒曜石のように光るエナメルの靴は、父親が、そして、ワンピースは母親が誕生日にプレゼントしてくれたのだ。もしも、ルリ子が生きていれば彼女もその栄誉に預かれたかもしれない。そう思うと、涙が水滴になって零れていくのだった。
 「陽子、危ないから急がないの!」

―――お母さまから、今、頂いているありがたい言葉も、ルリ子お姉さまは・・・・・・。

 罪悪感にかられるあまり陽子は足がもつれるのを認知することができなかった。
――――!
バランスを崩した少女は ――――。
 ――――。
「ほら、危ないわよ!」
「お母様!!」
 夏枝に抱かれた陽子は、危ういところで転落を免れることになった。しかし、陽子にしてみれば、その温かい腕の感触、いつもつけている香水の匂い、それらは余計に罪悪感を倍増させるだけだったのだが。
 一方、夏枝にしてみれば、いかにしっかり抱いたとしても、やっと摑んだ水晶の珠が手の上で砕かれてしまう比喩と同じで、無に帰ってしまうような気がした。
 だが、それが比喩ではすまなくなるような出来事が彼女に襲い掛かろうとしていたのである。大河ドラマの監督が喜びそうな古びた門こそが、彼女から人を愛する喜びのすべてを奪い取ってしまう大蛇の口だったのである。未だ、その可能性すら読み取れていない。
 
 寺の門を潜った一行はいつものように住職に挨拶をすると手桶を受け取った。今までと人数がちがうことにやや怪訝な顔を見せたが、追求することはなかった。

「ルリ子はこの奥に眠っているんだ ―――」
 建造は手桶を抱えながら、愛娘に語りかけた。
「かすかだけど、海が見えるとても綺麗な場所だよ。ルリ子は海が好きだったからね」
「あ、あなた ――――」
 夏枝は、嗚咽を止めることができなかった。
――――なんていうことだろう。私は、まったく成長できていない。あの子が身罷って10年以上が経つというのに・・・・・・。
 喪服と見まごうばかりにシックなつくりのツーピースに身を包んだ淑女は、自分の反応を恥じた。
 ルリ子の墓を目の前にした陽子はすでに泣いていなかった。しかし、手桶から流れる水によって墓石が清められるのを見ながら、必死に歯を食いしばっていた。
だが、やがて、はっきりとした口調で語りかけ始めた。

「ルリ子お姉さま、こんなに長い間、来れなくてごめんなさい」
その一言だけで一同は巨大な雷に打たれた。全身がピシっとなる。まるで最高司令官を目の前した士官候補生のように、背筋をまっすぐになる。
陽子は、辻口という墓の刻印を見ながら思った。

――――どうして、こんなことになったの? 
 木魚が叩かれる音が赤ん坊の泣き声に聞こえる。思えば、ルリ子はまだ言葉もおぼつかない年齢でこんな冷たく暗い場所に眠ることになったのだった。
「・・・・・・・・・・!?」
 
 四人の前にふり返った中学生の女の子はある言葉を言おうとして、絶句した。春実の顔が見えたのである。母親とはちがう意味で整った容姿は黙っていても、いや、黙っているだけでそこはかとない凛とした雰囲気を醸し出しているのであるが ―――そもそも、内心の思いに関係なく、ただ黙ってさえいればそれを周囲にまき散らすのである。
ちなみに、この時。彼女はあることを言っていた。

――――大人になるまで知ったらだめ。

「どうしたの? 陽子ちゃん・・・・・」
 夏枝は、娘の肩を砕かんばかりに両手を食い込ませた。
彼女が尊敬してやまない母親は、この世でももっとも美しい顔をくしゃくしゃにして震えているではないか。

――――言えない、絶対に、言えない。
 陽子は可愛らしい顔を梅干しにして立ち尽くすことはできない。ただ、涙を流すことはもうなかった。
涙を流す母親を目の前にして、自分こそががんばるべきだと思い立ったのである。
「ありがとうございます、お母さま、やっと、ルリ子お姉さまにお会いできて嬉しいです」
「陽子!」
 夏枝は、娘を抱いておいおいと泣きじゃくった。その姿は一同のものにある種の感慨を与えた。しかし、そこに複雑な心境が迷いこんでいたのは以前に書いたとおりである。
 陽子は、しかし、―――――。
 幼児みたいな状況に耽溺しつづけるほど子供ではなかった。
だから、目敏く何かに気づいた。そこには花束がおいてあった。




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