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『マザーエルザの物語・終章 34』


 井上順。
 言わずと知れた帰化画家である。かつては画家を目指した予備校講師が、いちどならず憧れた対象でもある。ちょうど彼は孫弟子に当たる。だから、直接見知っているわけではないが、その画業の精神をあるていどは受け就いているとは思っているのだ。

―――どうですか?

 そうは言わなかったが、たまたま知人に紹介された少女は、無言でそう語っているように見えた。早く、何事かコメントせねばならない。だが、適切な言葉が頭に浮かばない。 
 単に、頭が良いだけではなく、非常にセンスが光る少女である。いい加減なことを言ったら、すぐにばれてしまうだろう。ここは本当のことを言わねばならない。
 さすがに、自分の娘よりも年下に言う台詞ではなかったが、覚悟を決めることにした。

「赤木さん、もはや、私の手にあまるようだ、他の先生のところに行かないか」
「じゃあ、もう芸大に受かるレベルに達したということですか?」
「いや、そういう意味じゃないんだ」
 かぶりを振りながら言葉を吐く。
「ねえ、この人の絵どう思う?」
 困った視線を部屋中に照射しているうちに、止まったのが井上順の作品だった。同時に、啓子とあおいに目もそれに向かう。
「・・・・・・・・・・・」

「ブーゲンビリアみたい」
 あおいの感想は講師の理解を超えていた。
「ブーゲンビリアって」
 しかし、機先を制したのは画家志望の少女だった。
「沖縄によく咲いている花よ、そんなに華やかには見えないけど、この人」
「どんな感じに見える?」
 あおいの言葉によって、何か絆されるところがあったのか、啓子は感想を述べ始めた。
「何で、こんなに年を食っているのかしら」
「それは年齢よりも年取ってみえるということかい」
 講師は顎を撫でながら訊いた。
「そうかもしれない、この時、もっと若かったはずなのに・・・・・・・」

―――若かった?
 
 まるで見てきたような言い方に、講師は驚きを隠せなかった。何か、彼女を中心として、あるいは恒星として、一個の恒星系を構成しているように思えた。
 この静謐な部屋そのものが、一個の世界を為している。あるいは、ここだけに世界が存在するようにすら思える。
「だってさ ―――」
 あおいが即座にラメ色の声を出した。
 
――――いや、違う、この部屋には二つの太陽がある。

 すなわち、恒星系は恒星系でも、それは多重星系であり、それは二つの太陽があり、小さい方が大きい方を回る。
この場合は、啓子を中心としてあおいが回っているように見えた。どちらにしろ、この部屋の操縦権はこの二人の少女によって握られている。
 そのことだけは確かに思えた。あきらかに二人は講師の目にはまぶしい。こんな幼い少女たちに、まばゆい光を感じるのは何故か。
 とりわけて、彼はペドファイルということではなく、あるいは、子供をモティーフとする芸術家でもなかった。それなのに、目の前の二人の少女はやけ魅力的に見える。
 彼女らは何やら語り合っている。だが、その具体的な声は聞こえてこない。なんて非現実的な光景だろう。これは幻影なのだろうか。講師の理性がそう主張しはじめた。しかしながら、彼の別の人格がそれに反対意見を述べる。

―――お前たちは何者なんだ。やはり、あの人に頼むしかない。

 講師は心に筆で文字を書くと声を張り上げた。
「ちょっと、赤木さん、聞いてくれる?」
「なんですか?」
 まるでオペラのリハーサル中に音楽を止められた女優のように、不満という文字を顔いっぱいに書いた。
「井上明宏という画家を知っているかな、この画家の弟子にあたる人だけど、彼は私の師匠にあたるんだ」
 領土を奪われないうちに一気に文字を書き終えた。
「どうして、そんな人を紹介なさるんですか」
「言ったろう、私の手に余ると」
 いつもながら年齢を超越した言い方に戸惑う。この少女と話していると彼女が小学生であることを忘れてしまう。
 井上順を直接知っている彼ならば、よく御してくれるだろう。

「ここに住所があるから言ってごらん、先生には私から連絡しておくから」
「アトリエを開いておられるんですか、そんな画家が私みたいな小娘を相手にしてくださるのでしょうか」
「そのスケッチブックを持っていけばね、それに弟子である私が口添えをしておくから」

 あおいは1人取り残されたような気がした。二人の会話にとてもついて行けなかったのである。
 例え、移り気の多い性格の彼女でなくても、同い年くらいの子供ならば、ひどい退屈のために酸欠に陥ってしまうことだろう。
 彼女の場合、自分のあられもない姿を描いた絵が講師に見られないように注意を払ったいために、飽きが来るのに時間がかかったという特殊なケースにすぎない。もしも、そういう事由がなければ、とっくに居眠りくらいはじめていたかもしれない。
 しかし、そんなのんびりした少女の時間を風船を割るようにして引き裂いたのは、携帯の着信音だった。その名前が網膜の像を結んだとき、さーと血の気が引く音がした。
 ママという2文字が少女の心臓に鉄杭を打った。それが少女にとって過去になってしまった牧歌的な時間を思い起こさせるために、筆舌に尽くしがたい淋しさをも同時に感じるのだった。

「はい ・・・・」
 場所柄もわきまえずに携帯に舌を伸ばすのは、あおいが啓子とは違う証左であろう。後者ならば、一言断ってから少し離れてから対話を始めるにちがいない。
 しかしながら、友人にそのようなふるまいができないのは、生来の性格が由来しているのであろう ――――ごく最近までそのような見方をしてきた啓子だが、かつては見せなかった青ざめた表情で母親を話す彼女を見ていると、自分の考えを改めてなくてはいけないと思った。

 講師はごく常識的なことを言って、この場の幕を降ろそうとした。
「そろそろ、二人とも時間だから帰ったらどうかな、おうちの人も心配するだろうし ―――」
 啓子は、講師の意図を正確に読んでいたが、あえて、それに乗ることにした。あおいの態度の豹変が気になったし、彼女じしん、井上明宏という画家に興味を持ったからだ。
 母親たちに井上順展を身に連れて行ってもらったことが、その判断に寄与していた。あれから、画集などで彼の絵に親しんできたが、確かに、他の画家からは感じられない何かを感じていた。

―――ただ、ひたすら一人の女性だけを書き続けていた画家か。

 その絵にデジャブーに似た感覚を得ていた。

―――作者は、彼女が好きだっただけじゃない。きっと、憎んでいる。自分に対してやった仕打ちが許せないんだ。 え?この感情は・・・!?

  画家志望の少女は背後を見た。壁を頼るにようにして頼りなく歩くあおいがいた。
「はやくしなよ、おばさん怒るよ!」
 ビクッっと、親友は肩を強ばらせた。まるで傷に塩を塗られたかのような反応だ。何故か、そんな姿を見ても、同情らしき思いは浮かんでこない。むしろ、敵意や恨みに似た感情がわき起こった。
 彼女の華奢な手首を摑むと身体を引きずり始めた。

「はやくしなさいよ!!」
「い、痛い!! 啓子ちゃ・・・・・う」
 肩を抜かれると思った。ときおり見せる親友の強引さは何を意味するのだろう。あおいは頼もしさよりもむしろ恐怖を感じることがおおい。
「どうしたのよ、啓子ちゃん、痛いよ!」
 気がつくと、黄昏にやられたイチョウが一斉に見下ろしていた。
「早く、帰らないとまずいんだろう」
「大丈夫よ、いじめられたりしないから ――」
「いじめ?」
 啓子は目を見張った。あおいは自分が何を口走ったのかも忘れて、自分の右腕の心配を続けている。
「痛いったら、いいかげんしてよ!!」
「・・・・・・・・」
 腕を払われた啓子はあおいの剣幕に、さきほどの台詞と相まって、驚きを隠せなくなった。
「ちょっと、なんで黙っているのよ!」
「行こう ――」
 まるで生まれてからの記憶をすべて失ったかのように、啓子はオレンジ色に染まった街に足を踏み入れる。
「ねえ、啓子ちゃん」
「・・・・・・・・・」
 あやうく赤信号に気づかないところだった。車に轢かれそうになった啓子をすんでのところで救ったのはあおいだった。
「気をつけてよ、危ないじゃない。いつもならうるさく言うのは啓子ちゃんなのに、どうしたって言うのよ!?」
「あおい」
「?」
 よほどのことがあっても、自分を呼び捨てにすることはなかった。魂を高層マンションとイチョウに奪われてしまったとでも言うのだろうか。

「どうしたの? 啓子ちゃん? 気持ち悪いよ」
「気持ち悪い? 私が気持ち悪いの?」
 ちょうど、逆ギレされる結果になったあおいは、面食らったようすで画家志望の少女を観察しはじめた。はじめて見る対象に近づくために、まずすべきことは、この他動詞につきる。目の前の少女との邂逅は、あおいにとってまさに初体験と表記すべき現象だったのである。
 啓子が何をはじめるのか、固唾を呑んで待つことにした。はたして、親友は驚くべきことを言い始めた。
「あおいは啓子のことを嫌いなんだ!」
「・・・・・・・・・・・・・!?」
 いくら脳内検索を行っても、親友の幼児じみた言いように対して沈黙するだけだ。言葉が見付からないのだ。

 そもそも、彼女が自分のことを『啓子』などと呼んだ記憶がない。そのようなことははしたないことだと、彼女の母親が言っているのを聞いたことがある。当時、あおいにもそのような癖があって窘められたのである。実母に何度叱られても治すことができなかった悪癖が、鶴の一声で改善されてしまったわけだ。
「答えてよ、嫌いなの?」
「そんなことないよ、好きだよ・・・・・・・」
 そんな答えでは納得できないようで、さらに畳み掛けてくる。
「じゃあ、愛していないの?」
「あいして?」
  その一言は、あおいにとって存在すら知らない外国語のように聞こえた。漱石が I love you. を「ああ、星が綺麗だね」と訳したらしいが、きっとそのような心持ちだったのだろう。
 咄嗟にはその意味を計りかねた。
「愛していないんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・」
 彼女の真珠のような唇から迸った言葉は、あおいの脳内の酸素を水素に入れ替えることに成功していた。
「じゃあ、キスしてよ」
 そして、啓子は点火したマッチを親友の頭に持っていったのである。




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『マザーエルザの物語・終章 33』


 あおいは、近い将来、それはごく数秒後のことなのだが、自分もそのプラットホームに呑みこまれていくことを信じられなかった。
「あおい、早く来てよ、ドアが閉まっちゃうわよ」
「うん・・・・・・」
 手首を返してわざと女の子らしい仕草を演出しながら、少女は立ち上がった。しかる後に、その腕を無理矢理に親友によって摑まれながら、かつて観察した客たちと同じ運命を辿ることになった。
 行き交う人々はどれもプラスティックで構成されている。どんなにおせじを使っても、とても生きているように見えない。
 とうぜんのことなのだが、みんな、彼女とは無関係のように思える。じっさい、そうなのだから仕方ないが、誰も 自分に意識を集中しないことには、例えようもない不自然さを感じる。
 自分が何事か偉いことを成し遂げたわけではないが、意識の何処かでそのような自分がティッシュペーパーを出会う人に配り歩いている。それらには、きっとこう書いてあるにちがいない。

 「私を見て、注目して!」

 そのような雑然とした思考の沼に心を浸していたのが、そうとう、異様に見えたのか、啓子はしゃっくりを上げるような声を出した。
「何をぐずぐずしているのよ」
「あ、ごめん ―――」
 そのとき、少女の小さな頭の中に設置してある映画館では、啓子が見ている作品とはまったく違うそれが上映されていた。
 あおいは一人、列車に取り残されている。プラットホームにいるある人物を視界に収めるのに必死だ。
 少女が聞いたこともない轟音が彼女から聴力を奪っている。口を必死に動かしているはずだが、自分の声すら聞こえない。プラットホームに立つ人々は一様に手を振っているが、しかし、どれもおかしな恰好をしている。女性は袋のようなものを頭に、そして、男性は変な帽子を被っている。
 その上、みんな、明かに日本人ではない。その服はどれも薄汚れていて、彼女が慣れ親しんでいる駅の風景とはあきらかにちがう。
 しかしながら、何か旧い映像を見せられているというかんじではない。たしかに、彼女はそこにいて、世界を体験しているという現実感が真に迫ってくる。けっして、彼女はこの世界にとって客などではなく、住人なのだ。当事者なのだ。
 何処にも不自然なことがあろうはずがない。
 列車がプラットホームを消滅させようとしたとき、目標の人物が見付かった。
 小髭の人物。

――――旅立つまでに、切っておいてって頼んでおいたのに。
 あきらかに似合っていない。ありもしない威厳をそなえるために生やしているのだ。そのままで十分ハンサムなのに。
 青年はプラットホームを喰い殺さんばかりに口を動かしているが、轟音のために何も聞こえない。旧いトーキー映画を見せられているようだ。

―――ええい、演者は一体どこにいったというのか。
 彼はきっと自分の名前を呼んでいるのだろう。
 そう思った、いや、確証したあおいも彼の名前を呼んだ。
 しかし、その時にはもうプラットホームごと彼は虚空に消え去っていた。
 深い黄昏が西の空に、まるでドラゴンの目のように意地悪く光っていた。何処かの国の何処かの文学者が書いた童話に、ドラゴンの目が発する光によって石になってしまう話があったはずだが、あおいも石化して誰もいない墓場に放り出されたような気がした。

―――それでも行かねばならない。
 少女は何者かにそう語っていた。
 少女は何者かにそう語っている。
 啓子はあおいがわけのわからないことを呟いていていることに気づいた。
「啓子ちゃん、私、あの列車に乗らないと ―――」
 「どうしたの?あおいちゃん!?」
 別の世界に行ってしまったかのように佇む啓子。その顔を見せつけられると思わず体の芯を奪われてしまったかのような虚脱感に襲われた。それはあきらかに既視感と呼ばれる感覚にちがいなかった。

―――奪われてしまう。
―――このままだと永遠に、あの列車に乗って
―――無知な土人のために。
――――だから、いっそのこと爆破してしまおう。
 
 気が付くと、啓子は親友を鷲の目で睨んでいたらしい。
「どうしたの? 啓子ちゃん、怖い」
怯えた顔を一目見れば、アウシュビッツに連行されるユダヤ人少女よろしく、完全に色を失っているのがわかる。
しかし、あえて優しい声をかけようとは思わなかった。
「悪かった、ごめん、時間がないから、先を急ごう」
 「け、啓子ちゃん」
 新鮮なレタスのような手を握りしめながら、改札に向かう啓子。あおいはそれに付いていく、いや、その手を切断しないかぎりは付いていかされるのだが、引きずられながら啓子が感じているそれとは、また別の、既視感の火に煽られていた。
啓子の手は限りなく冷たかった。まるで、ドライアイスのように、このまま押しつけられていたら凍傷するのではないかと怖れるくらいに、存在そのものが鉄の氷と化していた。それは、あおいに何かを訴えているように感じた。

―――自分を見捨てるな。
――置いていかないでくれ。
―――自分を裏切るのか。

 さまざまな怨嗟の声があらゆる時間から聞こえてくるような気がした。その中には、未来から響いてくるそれすらあった。

―――自分がいったい、何をしたというのだろう。
 
 改札を抜けるために手を離されたときには、心底ほっさせられた。
このまま摑み続けられていたら、本当に肩からもぎ取られてしまうのではないかと、思った。じっさいに痛みすら感じていた。刃物が触れる冷たさすら予感することができた。
町中を行き交う人々も、やはり蝋人形のように、どれも目がうつろだった。あおいの主観がそうさせるのかもしれないかと、幼い少女に洞察させるのは無理なはなしだろう。
 世界がぜんぶ、自分のためにあると思うのは、子供の特権である。大人がそう思ったら人間性からの逸脱以外の何物でもないが、子供ならば例外的にそれが許される。

 精一杯ではないが、あおいは、それを満喫していた。ドールハウスをそのまま大きくしたような街を駈け抜けていく。大人と大人の間をすり抜けていく。初夏の太陽はまだ健在で若々しい陽光を人々の頭に降り注いでいる。
そう大きな駅に隣接する街ではないので、目抜き通りはそう大がかりというわけではない。しかしながら、意図して造られたのか、ほぼ赤煉瓦に統一された瀟洒な雰囲気は、あおいの目を楽しませるのに十分だった。
馬車が走っていてもおかしくないと思われる通りを10分ほど歩いた先に、その建物はあった。

 正面に設えられた看板には『代ゼミ美術科』とある。
 まるで白黒写真のような鉛筆画が正面の窓に所せましと貼られている。人物や静物を描いたそれらの作品をデッサンと呼べるほど、少女は、美術に明るいわけではなかった。自動ドアが開くと、啓子は、いかにも当然という顔で入っていく。一方、あおいは、きょきょろきょろと落ち着かない仕草で奥に向かう。ここは当然、美大受験生が通う学校なので、当然のことながら、最低でも15歳には達している。普通の小学生にとって、彼らは考えるまでもなく大人に見えることだろう。
 受験生たちは、珍獣でも見るような顔であおいを見送る。啓子の方は相当慣れたようすで彼らの視線を全く意に介さない。
 高級ホテルじみたエントランスを抜けて、廊下の一番奥まったところに、その部屋はあった。ドアには所長室と書かれたプレートが貼られている。啓子は、大人びた仕草でノックすると、奥から男の声が聞こえた。
 それに返事をする啓子は、普段の彼女よりもさらに年齢を先に行っていて、あおいは、何だか取り残されているような寂しさを感じた。横顔を盗み見すると、その目つきに愕然とさせられた。とても小学生がするような表情ではなかったからだ。さらに居たたまれない気持に苛まれながらも、啓子が教師だと仰ぐ男性の挨拶に応じる。

――啓子ちゃんの絵だ!
 
 所長室に入ったとき、あおいの目を惹いたのは、所長でもこのような教室に不釣り合いに豪華な調度品たちでもなかった。この部屋にあるていどの品は自宅にいくらでも並んでいるから、彼女の注意を惹くはずがなかったのである。
 その絵は正面の右側の壁を覆っていた。正確にはかかっていたと表現すべきだろう。油絵で五号の大きさは35センチ、27センチだから、それほど大きいわけではない。しかし、その絵が醸し出す迫力は、まるで絵そのものが壁と入れ代わったのではないかと、錯覚させる。
 女性 ―――が描かれている。なんと言うことはない、よくある肖像画である。
「その絵に興味を惹かれるのかい、お嬢ちゃん ―」
 所長の声があおいを現実に引き戻した。
「きっと、この前、みんなで見に行ったから憶えているんだと思います、佐々木先生」
「ぁ・・・・・・、こんにちは、榊あおいです」
「へえ、きみが」
 いざ立ち上がった姿を見上げると、佐々木とかいう教師がわりと背が高いことがわかる。彼女の父親よりも頭一つ分くらい割高である。
「・・・・・・・!?」
 
 佐々木は、あおいを見つめる視力を弱めない。それは完全に意識せずに行われた。
 美術家というものは、気が付かないうちにそのようなことをしているものだが、それは、普段、彼がモティーフとしている対象に限ったことで、あおいのような、一般的な言い方で表現する小娘などに、貴重な意識を集中させるなどということが、よく、あることではない。重ねて、彼にその手の趣味があるわけでもない。
 だが、しばらく意識を損なっていたために、教え子の声を聴き取ることに失敗していた。
「先生!」
 啓子は、不満そうな色を表情に載せて抗議の言葉を吐く。
「ああ、ごめんよ、赤木さん、宿題は持ってきたかい?」
「はい、これ」
 スケッチブックを差し出す。
「―――――!」

 とつぜん、あおいは不吉な予感に襲われた。もしかして、自分のあられもない姿を描いた絵が眠っているのではないか。
「ちょ、ちょっと、待って。私に見せてよ!」
やおら、動いた少女は俊敏な動作で教師に渡される瞬間に、スケッチブックを奪い去った。
「何するのよ!! あおい!?」
「私の絵よ、まず、先に見る!」
 権利とか義務とか言った言葉が出てこないところが、あおいらしいところである。しかし、啓子の網膜にはその2文字が刻印されていた。
「全部、見せたでしょう!?」
「完成してなかったもん」
 思わずトラフグを口の中に抱いて見せた。
 それに、思わず微笑んでしまったのは教師である。
「ほらほら、喧嘩しないで、モデル殿は自分がちゃんと美人に描かれたのか心配のようだよ」
 ふくれっ面の美少女を優しげな笑いでやり過ごしながら、スケッチブックを受け取る。そして、彼女の視線に密やかな針を感じながらも開く。
「・・・・・!? やはり!!」
 ページを開いた、まさにその瞬間、しかし、あおいの、いや、啓子の存在すら、彼の脳裏から消えて去っていた。
 思考停止。
 彼の脳内はただ、その四文字だけが空回転していた。
 しかし、次の瞬間には別の3文字が彼の頭を席巻することになる。
 それは ――――。
 井上順。
 ある帰化人画家の名前である。
 そう、この部屋を支配している小さな絵の作者である。







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『マザーエルザの物語・終章 32』


「ねえ、ねえ、なんでさ ――」
 帰宅中の列車の中で、あおいは啓子に話しかけていた。いつもの彼女を取り戻したように見える。密かに安堵した啓子であったが、それを簡単に表に出さないのは啓子が啓子である所以だろう。
 
 あえて、憮然とした顔を作り出して言う。
「なによ ――」
「なんで、学校の美術クラブに入らないの?」
 帰宅の途につく前に、あおいは姉である有希江と時間を共有した。数十分経ってもとの彼女が戻ってきた。あたかも入浴後のように顔をさっぱりと変化させていた。
「ちょっと気に入らないだけ」
――――みんなに知られたくないだけ。
 啓子は、本心を伏せて言った。
 脇に抱えるスケッチブックは身体に痛いほど食い込んでくる。余計な力を入れているのは彼女のせいなのに、それは目に見えない何者かによって故意に行われているような気がする。
それは、しかし、被害妄想という一言によって単純に表現しきれないのではないか。
空元気としか思えない親友を見ていると、どうしてもそのような想いに囚われる。

 ただ、そのようにはっきりと言語化が可能だったわけではない。ただ、ぼんやりとした思考の向こうに、それがひっそりと隠れていたことは確かである。
 いまの彼女は、そう想うしかなかった。
 あおいは、そんなことを全く意に介さない言った様子で、自分の言葉に風を吹かせる。
「そちらの方がいいんだ。何処にあるんだっけ ――」
「この駅の一つ先」
 たまたま出くわしたプラットホームに出会い頭のパンチでも加えてやりたくなった。何時も通過するだけの駅だが、当然のことながら、そこにも乗車下車という人の流れが存在し、人の分だけ喜怒哀楽が存在するのだろう。
 啓子は、当たり前のことを思った。
 あおいは、そんな啓子の複雑な思考を想像だにしないで、無邪気な笑顔をみせる―――あくまで啓子の主観では。
「じゃあ、明日までお別れだね ―――」
「・・・・・・?」
 さらっと言い抜けたことに、啓子は不満を憶えた。
―――何かを隠している。
 先ほどからピンとくる直感をかたちにすることにした。
「あおいちゃんも来ない?」
「だって? お金払ってないよ」
 苺のショートケーキのような顔を見ていると思わず殴りつけたくなる。それは、嘘だということが見え見えなのに。
「先生にモデルのことを話したら、連れてきなさいって ――」
「まさか、あの絵を見せたの?」
 生クリームに青みがかかるのがわかった。まるで、わざびを塗り込めたように色が変容している。本当にわかりやすい性格だと啓子はつくづく思う。
―――――こういうところは変わらない。ここは意地悪してやろう。
「センセったら、アノ絵を見てノボせてたよ」
「ちょっと、啓子ちゃん、ひどい!」
 
 あおいは、すっとんきょうな声を上げた。
 自分の思うとおりに事態が動いているのを確認すると密かにほくそ笑む。
実は、アノ絵とはあおいのヌードデッサンのことだ。最初は嫌がったものの、すったららもんだの結果、やっと納得させたのである。第三者の目に絶対に触れさせないという約束で、啓子は了承を得ることに成功した ―――はずである。
「あははは、その絵じゃないよ」
「ひどいなあ、もう!」
 河豚のように頬を膨らませて、あおいは怒りを表明する。
 はるかは、そんな彼女を心底可愛らしいと思った。できることならば、このまま時間を氷らせてデッサンできたらいいと本気で考えた。たしか、この前読んだジュブナイルにそのような話があったはずだ。
 気が付くと相当に変な顔をしていたらしい。
 あおいは、アヒルのように口を尖らせていた。
 
 異様な微笑を口に含んだ啓子を不思議さ60%、苛立ち40%の割合で睨みつける。
「なんで、そんな顔してるのよ ――」
「可愛い顔が台無しだよ」
想像だにできない言葉に対して、あおいは口をへの字に曲げざるを得ない。
「な、何よ、男の子に言われるならともかく ――」
「あおいちゃんたら、そうされたい男の子でもいるのかな?」
 クラスメートはこのような彼女の顔を思い付くこともないだろう。自分だけにそれを向けられるあおいは、心の何処かで、それを特権のように考えていた。しかし、それがさいきん、多少なりとも変容を遂げていることに、不満を憶えてもいた。
 しかし、その正体を自分ながら摑めていないことが、彼女のイライラに拍車をかけるかたちになっている。年頃の少女が第二次性徴に心がついて行けないことに似ているかもしれない。
 心の一部は確かに大人への一歩を確かに踏み入れているのだが、別の部分がそれを容認できない。子宮への回帰を模索すら意図する勢力すら残存しているのである。
 いま、開け放たれた車窓から風が入って、少女の髪があおいの顔に触れた。磨ききっていない真珠が髪によって護られているような気がする。圧倒的な脈動感が肌の上と下を通っているのがわかる。東洋医学の考えで、人体には気と名付けられるものが血液やリンパ液のように行き交っているらしい。ただし、それは目で見ることはできないし、物質のように、他の物質との化学変化によってその存在を確認することも、また不可である。
 年齢不相応の読書を敢行する啓子は、それを知っていた。祖父の書斎で埃を被っていたのを貰い受けたのである。 そのさいには、母親の不快そうな顔を引き受ける目にあったことは言うまでもない。

「・・・・・・・・・?!」
 このときあることに気づいた。いや、気づかされたと表現すべきか。
 時間を凍結することができたならば、どれほど幸福かということである。この美しいモティーフをたとえ、五分でもそれができたならば、それを描ききることができるような気がした。
しかし、それは誤りだった。
 彼女は、動いてこそ美しさを発揮するのである。顔の表面を覆う艶は、流れる気によって構成されている。それは、彼女の内面からあふれ出てくるものだ。
無尽の泉のように、それは、ある種の光を伴って流れてくる。気のように触れもしなければ、見えもしない真性の光である。
 カラカラと笑いながら空間を食いつくすこの怪物は、確かに啓子の魂をそのものにもかぶりつき、その腹にしまいこんで消化してしまいそうだ。
 そうなってもいいとプライドの高い啓子に思わせる何かをあおいにはあった。それが何なのか正体は不明だ。
 いずれにしても、それは常に動いていなければならない。身体を自在に動く気は、動いてこそ、その美しさを発揮する。凍結させてしまっては、無尽の泉も旅人の喉を潤す甘い水をほとばしることは無理だろう。
 もしかしたら、自分は喉を潤わせてもらう旅人ではなかろうかと、考えるに至っていた。突飛な考えだが、自分はあおいという太陽を回る惑星のようなものかもしれないと思った。すると彼女に振り回されている自分の気持ちが不思議なくらい説明が付く。
 啓子は太陽に対して目を細めた。
 あの日のことが現在のことのように蘇ってくる。それは先週の金曜日のことだった。放課後、誰もいない踊り場へと連れ出した。屋上へつながる空間は、半地下ならぬ半屋上とでも言うべき世界である。別の言い方を捜せば、空中庭園という言葉が適当かもしれない。大袈裟な語義とは裏腹に頼りない宮殿、まさに、啓子とあおいが置かれている状況と境遇に相応しい。
 遠くから響いてくる同級生や下級生たちの歓声は、別の世界のものように思えた。壁から窓から伝わってくるひんやりとした空気は、その思いを強くさせる。

 リノリウムの床に放り出されたあおいは、まるで貞淑を破った妻が夫の暴力を怖れるように震えていた。華奢な肩に乗った可愛らしい顔は、かつて親しんだそれとはまったく違う色をしている。
とても不思議な感覚だった。こうして、彼女を見下ろしていると怒りとも支配欲ともしれぬ気持が這い上がってくる。
 それに抗しがたい気持は、裏切られたという感覚だった。
 いずれにせよ、説明できない感情は少女の心を突き抜けて身体をも支配していた。よもや、感情が高まってあおいを殴りつけようとした自分を押さえつけたのは次のような言葉だった。
「早く、脱いで ―――」
 薄闇の中で、顔の筋肉を引きつらせて怯えるあおいの顔。
 そして ――――。
 陽光に照らし出されてあふれんばかりの笑顔を振りまくあおいの顔。
 それらが二重写しになって啓子の目の前に出現している。だから、彼女の声が思考回路に張り込む隙がなかった。

「ねえ、啓子ちゃんったら!」
 それをこじ開けるためには、同じ言葉を数回ほど繰り返さなければならかった。おそらく口角泡の一粒、二粒ぐらいが啓子の身体に降り懸かったにちがいない。
「ああ ――」
「ああ、じゃないわよ」
 憮然とした顔をして、あおいは啓子の目に語りかけた。
「どうしたの? ぼっとしちゃって」
「とにかく、これから来てよ」
「さっきの話? 塾みたいなところ?」
「塾ってより、予備校。美大受験のための。子供向きのところはおもしろくなかったから、そこを紹介してもらったの。代ゼミとかと違って個人的なところだから特別なお願いが通じたのね」
「・・・・・・・?」
 啓子の言っていることの半分もわからない。あまりに同年代の少女たちと感覚が違いすぎるのだ。あおい以外のクラスメートたちに対しては、意識して合わせている。すなわち、他人を、いや、自分をも偽っているわけだが、こと、親友を目の前にすると思わずそのタガが外れてしまう。
小説などで読み知ったことを我がことにしてしまう想像力があるだけに、代ゼミなどと言う言葉が平然と出てくるわけだ。
「あ、そうか。美大受験のための予備校に小学生が通うのはおかしいでしょう?」
  「でも前の絵の塾はどうして気に入らなかったの?」
 良いところに疑問を持ったと、まるで教師のような顔をして、啓子は説明を再開した。
「自由に描かせるだけで、人間を人間として描く方法を全然教えてくれないだもん」
「??」
 またも、あおいは首を捻らざるを得ない。
 啓子は、彼女の首から肩に掛けて造られる傾斜の美しさに気を取られながらも、同時に、説明を続けるという芸当を披露した。
「写真みたいに描きたいの」
 それは、実際の希望とかなり隔絶しているが、あおいにはそう説明するしかない。
――――いつだって、お前はそうだった。自分が美しいことに無頓着だったし、他人がそれに対してどのくらい憧れてきたか、想像だにしない・・・・え? 私は何を?
 それは突然、外部から脳に送り込まれた言葉のように思えた。啓子じしんが考えたことではない。いわば芸術に対するインスピレーションに近い。
 またもや何処か別の世界に旅立ってしまった啓子に、あおいは戸惑いを隠せない。
「どうしたの?」
「な、何でもない ―――」

 急に機嫌を害した啓子に、あおいはどうやって接したらいいのわからずに立ち尽くすばかりだ。
 ここ数ヶ月で、少女は失ってはならないものをタチ続けに失っている。ここで、啓子まで手放すわけにはいかない。だから、ぎりぎりのところで、彼女の全裸要請にも首を縦に震ったのである。
「わかったわよ、でも変なことされないんでしょうね ―――」
「大丈夫だよ。変な絵は見せてないし ――」
 変な絵が、あおい自身のヌードデッサンであることは、国語の問題を解く要領で導き出せた。
 
 曰く、波線部を文中の別の言葉で置き換えている言葉がある。それに該当する言葉をすべて書き出せ。

 楽しいはずの啓子と過ごしている時間が、さいきんでは唯一の命綱になっていることから、それが必ずしも安息になっていないような気がする。それが試験問題を解いている時間を思い浮かべる羽目にもなる。
 少女が迷い込んだ隘路は、想像したよりもはるかに複雑で、脱出するのに普通では考えられほどの努力を要求する。 
 そのことを痛いほど思い知らされた午後だった。

  親友の目の前で全裸を晒したとき、二人で風呂に入ったときよりもはるかに羞恥心を憶えた。自分だけが恥部を晒すというのは、想像以上に恥ずかしいことだったのである。互いに見せ合ったあの日とはまったく違う感情を少女の心に植え付けていた。
 しかも、啓子は窓を背にしていたために、逆光となり、彼女の顔や詳しい表情を確認できなかったことは、さらなる不安を煽り立てた。怒っているのか笑っているのか、まったくわからなかったからである。
かつて、母親が見ているドラマ中に裁判のシーンがあったが、あの被告の立ち位置を彷彿とさせた。
被告は、まだうら若い女性だったが、裁判官、検察官、弁護士、そして、裁判員や傍聴人たちに取り囲まれた様子は、まるで、世界中のすべてから責め立てられているように見えた。
 そのとき、あおいはそれを如実に感じたのである。

 いま、列車は啓子の指し示す駅のプラットホームに呑みこまれていくところだった。それが、巨大なマジックハンドに摑まれていくように思えた。





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『マザーエルザの物語・終章 31』


 赤木啓子の周囲でいろいろと囁かれるようになったが、本人は、まったく相手にしようとしない。
 四限が終わって、昼食の時間になっても、あおいが帰ってこないので、クラスメートたちは啓子に尋ねようと思った。
 しかしながら、思考が行動に結びつかないのは世の常である。
教室に戻ってきた彼女に、いざ、尋ねようとしてみても、その恐ろしい顔を見ると足がすくんでしまい、誰も事を問うのをやめてしまう。
 その上、担任はめぼしいことを教えてくれようとしない。
 いったい、何が起きているというのだろう。
 さいきん、どう見てもあおいの状態はおかしい。完全な健康体を誇っている彼女が倒れてしまった。
 そうは言うものの、こういうことはよくあることだろう。その証拠に、クラスメートである狭山キイコの祖父は、仕事中に脳溢血で倒れてしまい、現在、加療中だということだ。
 
 しかし、あおいはまだ小学生である。それでも、何歩か譲ってありえるということにする。しかし、そうであっても、何か心に引っかかるものがあるのだ。

「あおいちゃん、このごろ、変だよ」
「何かね ―――――」
「確かに、明るいんだけどさ、どこか無理しているように思えるのよ」
 それは、芝居じみていている ―――というほどの意味なのだが、いかんせん、小学生の語彙力からは、それを引き出すことはちょっと、無理があったのだろう。
「赤木さん、きっと、知ってるんじゃない」
「でも、聞けないよね」
「なんか怖いよね」
 その少女は、コワイという訓読みが成立した起源を証明するような口調で言った。きっと、古代日本で恐ろしい獣に襲われた人たちは、思わず、そのようなしぐさで叫んだにちがいない。
 なんと、啓子は原始人に擬せられているのである。しかしながら、当の本人は藪蚊ほどには思っていない。
「・・・・・・・」
 弁当を突っつきながら、窓の外を眺めている。ちなみに、彼女の席は窓際の真ん中にある。そして、彼女の目の前にはあおいの席が、寒天によって構成されたカビ実験場のように、穴が開いている。
「お前なんか、しょせんカビか ―――あそうだ!!」
 独り言を漏らしているかと思うと、いきなり、絶句した啓子は、いきなり立ち上がった。
 それは驚天動地の出来事だった。
 啓子の声はまさに、脳天から飛び出るような声だった。
 このとき、教室に同居している人たちは、たったひとりの例外もなく驚愕の表情を造った。
 小学生のくせに沈着冷静を旨とするこの少女が、まるで、あおいのように天衣無縫に行動しているのだ。あたかも、彼女の生き霊が乗り移ったかのように。
 
「そうだよね、あおいちゃん、ぐあい悪いんだから食欲ないよね。食べてあげなきゃ ――」
 まるで、舞台の上の俳優のように、これ見よがしに大きな声を張り上げる。あたかも、何事かをみんなに報せるためにやっているようだ。手振りも必要以上に大げさだ。
 みんなが凍りつく中、あおいのランドセルに手を入れた ―――。そこで、狭山キイコがはじめて声をかけた。
「赤木さん、だめだよ」
「ど -して?」
「・・・・!?」
 キイコは唖然とさせられた。それは、啓子の表情である。わざと目を丸くしたその容姿はまさに芝居かかっていて、不自然だ。しかし、あおいのそれのようではなく、故意にやっているように思える。しかしながら、自ら、あおい以外のクラスメートに働きかけようとするその姿は、かつては目撃できない行動だった。
「どーしてって、それ、あおいちゃんのだもん」
「わざと倒れて、クラスメートに心配をかけるような子はこのていどの罰を受けるべきよ、そう思わない?」
「え?」
 面食らっているのはキイコだけではなかった。クラスの誰もが耳を疑った。あの啓子がこんなに舌を動かしているのを、あおいに対する以外、見たことがない。それに、その明言の内容である。あおいが仮病などと ・・・・・。
「じゃ、もらおうかな」
 啓子の反論に押し黙ってしまったクラスメートを尻目に、喜び勇んで、弁当を広げようとする。
そして、弁当を開いて箸を持とうとしたその瞬間、ドアが開いた。
 クラスメートはちょっとした寸劇を目撃することになる。
そこにいたには、あおいだった。少なくとも、おずおずと元気のない彼女を確認したはずだった。しかし、すぐにその表情は表現し、みんなが見慣れたあおいが視神経に侵入してくるのを感じた。
「ちょっと、啓子ちゃん、何しているのよ!!」
「何って、あおいちゃん、具合悪いんでしょう? その代わり、食べてあげようと思って ――――」
「・・・・・・・・・・・・」
 思わず、押し黙ってしまうあおい。そんなあおいに、さらに舌を滑らかにするのは、啓子である。
「あら? 具合悪くないの? もしかして、仮病!? えー?」
 「え? ほんとう? あおいちゃん、それ、ほんとうなの!?」
「嘘!! 何それ? ひどい!」
 何と、啓子の言葉に反応してクラス全体が動き始めた。みんなの視線が一斉に、あおいに集中する。
「ウウ・・・・・?!」
 とたんに、あおいの表情が硬化する。脂汗が、少女の乳白色の額に滲む。
「どおしたの? あおいちゃん?!」
  疑惑の色が濃い視線を、狭山キイコは、投げかけてきた。
「ちょ、ちょっと、お腹が痛くて、」
「じゃあ、食べられないわよね ――」
 啓子は、鶏の唐揚げを啄む。あおいは思わず、悔しそうな表情を浮かべる。
「あ、美味しいな・・・・?!」
 その時、なぜか、啓子はかすかに顔を歪ませた。もちろん、それはあおい以外の誰にも見抜くことができなかった。彼女とて、意識を危うくさせる官能の渦中で、やっと、啓子の顔に記された暗号を読み解いたのである。普段から啓子のことをよく知っているあおいでなければ、できない芸当である。
 
 しかし、すぐに表情を元に戻すと、いかにも美味しいと言いたげな顔で、弁当を平らげ始めた。
 一方、啓子は、口に食物を運びながら、腹立たしい気持でいっぱいだった。何かを確かに隠している。それなのに、自分には何も言ってくれない。そんな人間には、このていどの罰は当然ではないか、仮病という名医にも治しようがない業病に相応しい薬はこのくらいしか思い当たらない。
 しかし、そう思いながらも、否定できない自分を確認していた。

―――――どうして? 美味しいけど、味が違う・・・・・・。
 
 もぐもぐと口を動かしながら、啓子は煩悶していた。普段、あおいの弁当からお裾分けしてもらっている、あるいは、彼女の自宅でごちそうになった、料理の味と微妙に違うのだ。これは、たしかに似ているが、彼女の母親が拵えたものではない。
 それは、ある意味、断定できる事実だった。その向こう側に隠されているものは、いったい、何だろう。啓子は知りたくてたまらなかった。だが、子猫のような純真な双眸を向けるこの親友は何故か何も語ってくれない。
容易に手に触れるところに花は咲いているのに、手に入れることができない。思いも寄らない震えのあまり、一ミリメートルの距離で停止してしまっている。これはどうしたことだろう。
 啓子の煩悶は冷徹な仮面の下で人知れず続いている。あおいも、自分の中で起こっている豪雨に対応しなければならず、そちらの方向に注意を完全に失っていた。
 そのために、親友の内面にまで神経が行き届かなくなっていた。
そのあおいは、啓子の見えないところで苦しんでいた。しかし、今度はそれを表に出すわけにはいかない。クラスメートたちは、彼女の言うことを鵜呑みにしてしまっているようだし、下半身の秘密を暴露されるおそれがあるから、保健室にはもう二度といけない。
「ウウ・・ウ・ウウ」
 みんなにばれないように下腹部を押さえながら机に蹲る。
「あんたさ、昨日、夜更かしでもしたんじゃなあいの?」
「きっと、そうよ、あおいちゃんのことだもん、アハハッハ」
 意地悪そうに見えるが、じっさいは、まったく悪意がない。それをあおいもわかっているからこそ辛い。誰に、いま、自分が苛まれていることに対する不満を申し開けばいいのかわからないからだ。
 当然のことながら、授業にも身が入らない。教師の声も何時もと違うように聞こえる。まるで、別の人間のそれのように感じる。阿刀久美子の声が悪意の籠もっただみ声にしか思えない。

―――――もしかして、私、もう死んじゃったのかな?
 もしかしたら、本当は死んでしまっているのかもしれない。そのせいで、体験する世界がこんなに変わってしまったのではないか。そう考えたのである。
 少女をここまで追い込んだものは何だったのだろう。それは彼女の下半身をじっと見てみればわかる。
 少女の大腿はじっとりと湿度を得ている。水玉のような汗がいくらばかりか散見できる
いつもならば、男の子のように足を広げているのに、両足が密着し、いつの間にかひとつに同化してしまいそうだ。
そして、視線を舐めるように腰の方向へと進めていくと ――――。
 不自然なくらいに濡れていることがわかる。見ようによってはお漏らししているようにすら見えるではないか。
あおいは、ぴっちりとスカートをその部分に密着させて、何かが起こっているのか、外部に知られないように、苦慮しなければならなかった。
 未だ、官能という概念すら理解していない少女のこと、身体の変化に戸惑っているのは当然のことだろう。まさに、二次性徴に命の危険すら感じる多感なティーンエイジャーと言ったところにちがいない。
 そんな少女の呻き声からは、苦悩と哀しみに満ちた内面とは美しい花の香が漂ってくる。
「ウウ・ウ・・ウウ」
 この下半身の秘密は、絶対に、みんなに知られてはならない。そんなことをしたらもう生きていけない。

―――いや、もう、私は死んでしまっているのだった。
 思い出すように、イチゴミルクの吐息を出すと、あおいはココロの中で呻いた。
 何時しか、ついに額にまで水玉のような汗が浮かぶようになっていた。
 授業がおわるころには、いくつもの汗を机の上に発見することになる。その中には、外見的な真珠の美しさとは裏腹に、苦しみと哀しみのメロディが隠されていたのだ。
 そんなあおいが一番、気にしていたのは親友である啓子の視線だった。

 





 

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『マザーエルザの物語・終章 30』
 ふいに、あおいは、寝返りを打った。啓子はそれに喜びの感情を素直に表すべきだったのかもしれない。しかし、少女の心にはそれと全く違う感覚が芽吹き始めていたのである。どんなにふっくらとした容姿を持つ人間でも、顔に鋭角を備える場所がある。
 一般に細面が美人の条件だと言われるが、たいてい、そのような人間は、その鋭角が鋭い。あおいもその例外ではない。首にブイの字を造る胸鎖乳突筋から顔につながるところ。即ち、顎である。  その部分から可愛らしい曲線を造る耳たぶに至るラインを見ていると、あるものが目の前にないことが悔やまれた。
 スケッチブック。
 そして、画材。
 後者は、すぐに視線に入った。校医が使うテーブルの上に赤い鉛筆立てが見える。まだ、20代後半だと思われる人間には、珍しく、鉛筆をわざわざナイフで削っているようだ。削り後が目に親しく感じた。最近の彼女が毎日行っていることである。鉛筆の匂いが嗅覚を刺激する。
 描きたい ―――。
 描きたい ―――。
 それは、ほぼ絵描きとして運命づけられた者にとって本能とでも言うべき衝動である。啓子は、親友が置かれた状態も忘れて、それを熱望した。
―――あった。
 机と壁にスケッチブックが挟まっていたのである。それが誰の者かなどという思考は、少女の脳裏に走ることはなかった。ただ、描きたかった。震える手で鉛筆とそれをもぎ取ると、まん中辺りを開いた。
 そして、しかる後に、黒鉛を紙の表面に走らせた。少女の身体が造る柔らかいラインがそこに再現される。まるで、身体を触れているような気分になる

――――デッサンは、目とともに手を使うんだ。触れるような気持でやりなさい。

 一体、誰の声だろう。啓子は、親にせがんで絵の教室に通わせてもらっているが、そこではもとより、正当な美術教育に基づくデッサンなどは奨励していない。ただ、思ったことを自由に描かせることをモットーにしている。

―――――どうしてだろう知っているような気がする。
 さきほどの声も、かつて知った絵画教室の教師の声ではない。時間と空間を超えた何処かから響いてくるような気がする。あえて例えるなら夢の中で師事したような気がする。先生の顔も仕草も憶えていないが、声だけは脳裏に刻み込まれている。
 啓子は、現在、自分が何処にいるのかほとんど意識に登っていない。それだけ夢中になって右手を動かしているのだ。
そんなようすをたまたま戻ってきた校医が見かねて、注意しようと立ち止まった。その瞬間 ―――――。
 二十代後半だと言う校医は、思わず言葉を失った。多少なりとも髭を蓄えているが、まるで明治期の男たちのように余計に威厳を備えようとしているのが、あからさまであり、その分よけいに若いというか幼く見えるのはどういうことだろう。
 校医は、その髭に手をやって、ただ凍りついたように押し黙っている。少女を叱りつけるという当座の目的を忘れて立ち尽くしている。
 あまりに、その絵が見事だったからである。
 スケッチブックに描かれているものに視線を走らせると誰も息を呑むと思われた。とても小学生が描いているとは思えない。もののフォルムとムーブマンを見事なまでに捕らえた仕事はとても素人のそれには見えない。
 実は、この校医は美術の心得があるのである。その証拠に高校は美術専門の過程だった。的確な人体デッサンには解剖学の知識が必須だが、それを勉強しているうちに、本格的に医学の勉強がしたくなって、その道へと進路を変更したという変わり種である。

―――あれ? この子の絵は何処か見た色を感じるな。あれはたしか ――――。い、い、何だっけ? この前、展覧会でやっていたはずだが・・・・・。もう歳かな? いやこの歳で、猪熊、井崎? 違うな、確か、東欧か何処かの人だったはずだ、日本に、帰化したはずだ・・・・・・。
校医は、どうしてもよく耳に親しんだはずのその名を思い出せなかった。その苛立ちを言葉で表現することで、解消しようとし た。

「ちょっと、君、ここで何をしているのかね?」
「あ」
―――あ、じゃないだろう?
 そう校医は思いながら、かつての自分以上に凍りついた啓子からスケッチブックを奪い取った。
「こんなところにあったのか、捜してたんだ」

「すいません。先生の持ち物とは露知らず ―――」
悪びれずに答える啓子。一瞬だけが、年齢らしい童女の態度をかいま見せたが、すぐに普段の自分を取り戻した。
「授業はいいのか ―――先生は戻られたんだろう?」
 気が付くと看護婦もいる。
啓子は、現在、自分が置かれている状況を思い直してみた。理由もわからず、倒れてしまったあおいを心配して、ここに来た。そして、看護室にいるはずの校医や看護婦がいないことに憤慨して ―――――。
 何故か、担任は教室に戻ってしまったのかいなくなっていた。そのことに、意識が回らなかったのは、ご都合主義というやつだろうか。
 しかし、授業中に、教室外に居を定めていることに不安にならないはずはない。
 自分は何処にいて、何をして理右のだろう。
 よく考えてみたら、担任は、あおいのことを見守っているように、言付けをしたはずだ。人間の記憶というものは都合がいいように変形されてしまうものだから、自分の出した結論に納得できない自分がいた。
 だが、あおいのことを気遣うというのは最重要事項のはずだ。
 そのはずの自分が絵を描いているなどと ―――――・
 
 冷徹な仮面の中では、冷や汗ものになっていたのである。いったい、自分は何をしていたのだろう。
校医は、腕時計を見遣った。そろそろ四限が終わる。教室に戻ったはずの教師が戻ってくるかもしれない。啓子のスケッチブックを軽い手つきで取りあげながら、校医は言った。
「人の紙に勝手に描いた責任は取って貰わなくてな。それに先生へのご報告もね ――」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 しかし、その声色からまったく怒っていないことが見て取れた。
「だけど、この絵をプレゼントしてくれたら、見逃してもいいかな。それに、これからちょくちょくと絵を見せてくれたら嬉しいかも」
 大の大人から友人のように扱われると、戸惑うものである。啓子もけっして例外ではなかったが、それを顕わにするほど子供じみているわけではなかった。あるいは、見防備ではなかった。
「そんな絵でよろしければ ――」
「じゃ、これは貰っておくよ」
 本来、自分の所有物だったものを他人から譲与されたように、大袈裟な仕草で有り難がる。それを、心の奥に破裂しそうな風船を隠し持って、立ち上がった。そして、そそくさと保健室を後にしようとした。
 校医は、そんな少女の背中に何事か掛けようと口を動かす。
「これはとてもよく描けているよ。君は本当にこの子のことが大事なんだね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 啓子は、ふり返り際に無言で校医を睨みつけた。それは当たり前のことを聞くなと言っているように見えた。
 しかし、すぐに前を向くと学校の廊下に消えていった。遠近法に乗っ取った消失点に向かって、そして、まっすぐに白いリノリウムの床に、同化してしまった。
 カラカラと床と上履きのゴムがぶつかり合う音を聞きながら、校医は、失念していたその名前を思いだした。

―――――そうだ、井上順だ。井上順先生。
 彼が高校時代の恩師が師事した画家だった。そのために、少しは気になっていたのだ。展覧会が催されていたことは、記憶の何処かに引っかかっていた――――これがど忘れというやつだろうか。
 スケッチブックを広げながら、そう思った。
―――親友か。
 寝台に乗せられている少女は、まだ、その姿勢を保っていた。
―――たしかに彼女を描いているのだろうが。
 何とも言えぬ違和感を禁じ得ない。それはなんだろう。小学生とは思えないほどにデッサンは正確なのだ。問題は、そのレベルの話ではない。
それが啓子の主観なのだろうが、どうしても画中の人物は年齢相応には見えないのだ。
 特に顎の鋭角。
 どうしても、それが校医の視力を吸収した。
 そして、尖った鼻。
―――え? 全然、尖っていない。
 それはデッサンがどうとかいう問題ではなかった。技術的に厳密に言えば、それは小学生の作品としてはずば抜けていても、しょせんは子供の仕事にすぎない。
 一通りの美術教育を受けた校医がその絵から受け取ったメッセージはそんなレベルのことではないのだ。
 印象。
 そう言う単語で片づけるのは簡単だ。だが、そう言ってしまうには、あまりにも陳腐すぎた。詩人を気取っている校医は、それを風と名付けた。

――――何やら懐かしい風が吹いてくるな。
 とたんに泣きたい気持になった。目頭が熱くなったところで、自分を取り戻した、背後から忍び寄ってくる看護婦の声もそれに荷担したのかもしれない。

「先生、どうなさったんですか ―――」
「いや、何でもない」
 平静を保ちながらスケッチブックを閉じた。
 それが閉じられるか閉じられないかという瞬間に、チャイムが鳴った。啓子は、何事もなく教室に入れたのかと軽く気になりながらも、渡された書類の山を処理し始める。学校という場所がらにもかかわらず、嘱託とはいえ、歴とした医師免許を持った医師がおり、その上、看護婦までもが揃っている。その恵まれた環境は、有名私立ならではのことだろうか。
 モニター上に次々と数字やら文字列を打ち込んでいく。それは俗にカルテと呼ばれるものだが、そのようなものが学校に常備されている辺り、とても尋常とはいえない。
まるで指の筋肉尿酸を溜めるついてに言った感じで、キーボードを打ち込んでいると、看護婦が年齢に似合わない若い声をかけてきた。

「先生、ちゃんと身分証つけないと文句言われますよ」
「そうだな ―――」
 校医は、縦6センチ、縦15センチの長方形に収まった藤沢省吾という文字を見つけて、今更ながらに、自分がそのような名前をしていたことを思いだした。それまで、別の感覚に支配されていたのである。
――――あのデッサンを見てからか、それともあの少女が担ぎ込まれてからか。
 省吾の視線に刺激を受けたかのように、あおいは目を開けた。そして ――。
「あ、ウウ・・ウ」
 少しばかり呻いたが、彼と視線が合うと、すこしばかり顔を赤らめて目をそらした。そして、起きるばかりか、寝台から降りようとする。

「ああ、もうすこしようすを見ようか。それとも家族の方を呼ぼうか、ええと ―――」
 少女の名前を失念した省吾であったが、すぐに思いだした。
「榊、あおいさんだったね ――――」
「・・・・・・・・?」
 どうして、あなたが知っているんですか?という顔で、少女は校医を見上げた。
 省吾は、その言葉を呼吸のついでとしか見なしていなかった。あまりにも、突然に、脈絡もなく出現したのである。100年も解けない難問に挑む数学者が小休止に、お茶を入れようと気を抜いたときに、小悪魔から妖しげな数字を囁かれたときのように、彼はそれを簡単に解答だと受け取ってしまったのである。
 だから、彼も何の注意もなく、その言葉がついで出た。
「ダンナさんによろしくね ―――?!」
「え?!」
 あおいは、口を疑問符の形に歪めたが、それを言った本人こそ驚いていたのである。
 それこそ気が変になったのかと、脳外科医の友人の顔が浮かんだほどだ。



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