「ハア・・・ハア・・・・・・ハア・・ア・ア・ァァ・・・・ハア」
あおいは、よつんばいになって、有希江の責めを受けている。幼い肢体を見えない手枷足枷に、拘束されて、恥部を蹂躙されている。その姿は、見方を変えれば、自分から、それをねだっているかのようにすら見える。
「有希江姉さんの言うこと聞くなら、たまには、こうしてあげるわ、これは、あんたへの愛情の記なのよ」
「ウウ・ウ・・ウ・・ウ・ウ・ウ・ウウ!?」
間違っても、いやとは言えない。少女は、頬が焦げてしまいそうな、恥ずかしさに身体が縛れるのを感じた。少しでも、姉の意思に反することをしたら、見捨てられてしまうかもしれない。それは、少女にとって、この家での死を意味する。それは身の60%をもがれてしまうことを意味する。残る40%とは、学校での友人関係を意味する。そのことは、ある意味において、少女の成長を意味するのだろう。
「そんなに、私に嫌われたくないの?」
「ウウ・・ウ・・ウ・・ウ・ウ!?」
トランスレーションすれば、当たり前のことを聞くなということだ。有希江にとって、それは自明のことだったが、あえて、それを聞いた。それは、彼女の意地悪さを表すものであったが、同時に、何か、底知れない恨みを表明するものでもあった。ただし、後者にあっては、それは無自覚である。ただ、漠然と、いくら妹を愛しても、いつか、裏切られてしまうかのような、焦燥感を抱いている。それは、大同小異ながら、他の家族もそうだった。
「いいじゃない、あんたには、大事なお友達がたくさんいるじゃない。啓子ちゃんとなんて、私たちよりも仲がよかったじゃない」
有希江は、赤木啓子を思い浮かべた。肩で風を切るような美少女だ。
「・・・・・・・・?!」
即答できないことが、余計に、あおいを苦しめる。有希江は、それを見越して、言葉を畳み掛けているのだ。肉体的には、おろか、精神的にまで、妹を責めさいなもうというのだ。
そのあまりにも未発達なさなぎだけでなく、その心まで手に入れようとしているのだろうか。
いや、さなぎというよりは、糸を巻きはじめた幼虫というべきであろう。
「ウアン・・・・ウア・・・うう!?」
幼虫は、糸を吐き始めたばかりだ。
有希江の指は、まだやわらかい糸を、刺激してゆく。まだ乾いてないのか、ねちゃねちゃと、いやらしい音を立てる。
「ぅあぅうう!」
それは、たまたま、指が、陰核に触れたときだった。今まで、行った刺激のなかで、それが最大だったわけじゃない。
オルガズムを迎えるために、破るべきダムのようなものがあるとする。その壁は、ガラスのように、ポイントがあるのかもしれない。必ずしも、強く刺激すれば破壊出来るというわけではない。
いま、ひとつの責めが、あおいを押した。
その刺激によって、少女は、決壊のときを迎えた。そのダムは、まだ着工からそう経っていないために、キャパシティが大変、少なかった。
「あら、いちゃったわね」
にこりともせずに、有希江は言い放った。それには、いかばかりが、蔑視のスパイスが含まれていた。だから、その発言には、少なからず、唾が入っていたにちがいない。
「ウウ・ウ・・ウ・ウ・ウウウ・・・・・ううう!!?」
あおいは、わけもわからずに、泣きじゃくりはじめた。よつんばいのままで、顔を床に突き出すという、屈辱的で淫靡な姿勢を強いられているが、何故か、不思議な安心感に全身を包まれるのを感じた。
「ほら、泣かないの、そうだ、お風呂にでも行こうか、涙を拭いて、可愛いあおいちゃんに戻ろうよ」
「ウ・ウ・ウ・ウ・ウウウウ・・・ウ・ウ・ウ・・・・・うう!」
蔑まれているのか、可愛がられているのか、あおいは、わからなくなった。おそらく、両者が同居しているのだろう。
すると、なおも流れ続ける涙は、前者のせいなのか、後者のせいなのか。いままで、体験したことのない感情に、少女は打ちのめされた。
全身が震えて、身動きできないが、有希江に促されて、浴室へと向かう。涙が、床にしみをつくる。少女の柔らかな頬や、顎を伝って、垂れる水滴は、どうしてこんなに奇麗なのだろう。そして、冷たいのだろう。どうして、冷たいことがこんなに美しいのだろう。月と雪は、そう見ていた。
「ゆ、有希江姉さん・・・・ウウ・・・・ウ・ウ・ウ?」
「急ごうよ、風邪、ひいちゃうよ」
なおも、服を着ることは許されなかったが、有希江は抱擁しながら、連れて行ってくれた。あおいにとってみれば、まさにあめ玉と鞭だった。寒風と温風を交互に、受けているようなものである。
肩胛骨の下あたりに、何か、柔らかいものを感じた。それは言うまでもなく、姉の乳房である。ふたつの果実は、母親とは違うぬくもりと、弾力をあおい与える。それは、デジャブーを含んでいながら、新しい刺激に満ちている。
「ウウ・・・」
「どう熱くないでしょう?」
有希江は、温度を確認してから、シャワーをかけてくれた。その気遣いが、かつて、自分が置かれていた境遇を思い出させた。涙は、とうぶん、止まりそうにない。体を伝う湯と合流する。温度が違う水同士が出会うと、互いに、激流を作るというが、この場合は、どんな影響を白い肉体に与えるというのだろう。
ぶくぶくと、透明な泡を作っては、壊される。それらはおいの肉体の上で、死の舞踏を踊っては、藻くずとなる。少女は、その様子を眺めながらも、感想らしきものは、何も生まれなかった。頭の中がマヒしてしまって、何も考えられない。
「きれいにしようね」
「・・・・」
有希江の声は、優しい。しかし、それは愛玩動物に向けられるものに近い。あおいは、確かに違和感を抱いていたが、それを言語化するだけの語彙力を持ち合わせていなかった。
だから、何ら抗議らしい言葉を発することはなかった。ただ、居心地の悪さを感じているだけだった。それは、生乾きのコンクリートの上で、ダンスを踊らされるようなものである。靴は、地面に食い込み、脱げそうになって、前につんのめる。そして、コンクリートの青臭い臭いに、思わず吐きそうになる。
「あおいちゃんの肌は、すべすべできれいだよね、はちきれそうよ」
「ああ ――」
あおいは、有希江に、腹を撫でられて、おもわず呻き声を上げた。
「だめじゃない。せっかく、洗ってるんだから、声をあげたら ――――」
和歌の結句に何が置かれるのか、あおいは分かっていた。恥ずかしさのために、顔を赤らめる。
「あおいちゃんは、どうして、この下が気持ちいいのか知ってるの?」
「ぁ・・・・・・・・・」
姉の手は、下腹部を探検しはじめる。産毛の台地をいく。その一本、一本が性感帯につながっているかのように、その手の動きに、いちいち、反応する。
「どうなの?」
「そ、そんな・・・・き、気持いいなんて・・・・・」
――――カマトトぶるんじゃないわよ!
思わず、怒鳴りつけたくなったが、何とか、自分を制御した。巨大なペニスで、幼児の性器を征服して、何がおもしろいというのだろう。ここは、真綿で締めるようにして、被害者を窒息まで持って行くべきだ。
しかし、その過程が、サディズムの根幹に係わるなどということは、夢にも思わなかった。自分がやっていることを達観できるほどに、スレていなければ、大人にもなっていない。ただ、ひたすらに、わき起こってくる生の感情に従順なだけである。
―――これでは、人間に品性というものを求めるのは、無理だな。え?生の感情?何処かで聞いた台詞だな。
有希江は、血のつながった妹を弄びながら、ある感情に、操られていることにすら気づいていない。ただ、意味不明の気持ち悪さを味わっているだけだ。それは、もちろん、極上の悦び、すなわち、サディズムの悦びに混じり込んでいるわけだが、それが如何に微量であっても、無視できない影響を与え続けるのだ。ちょうど、青酸カリが、耳かきイッパイ程度で、ヒトを殺すように。
――――今日は、このていどで許してやるか。
有希江は、陵辱はここまでにすることにした。石鹸をスポンジに含ませると、手ずから、
洗ってやる。
「いいこと、これからは、自分で洗っちゃだめよ、有希江姉さんがキレイにしてあげる。あおいちゃんは、赤ちゃんなんだから」
優しげな手つきで、洗ってもらうことは、想像以上の快感を引き寄せる。小さいころは、無自覚に、そのような栄誉に預かっていたと思うと、何だか、もったいないような気がした。少女は、一流のマッサージ師に、身を預けるような気分で、姉に総てを委ねていた。
そうしていると、ほんとうに、赤ちゃんに戻っていくような気がする。もはや、何も気にする必要はない、摂食や排泄で気に病む必要もない。何もない白紙の状態に、戻っていく。そこは、ミルクのように、やや黄色がかった温かい白に、澱んでいる。
―――え?何か見える?白紙なのに、何もないはず。あおいは、何もできない赤ちゃんなのに。
少女は、もはや、無色透明のはずだった。キャンバスには、何も描かれていない。しかし、何かを感じる、何か、目指すものがある。それは、明かにベクトルだった。その具体的な道筋は見て取れないが、確かに、矢印ははっきりと見える。ただし、回転しているために、道しるべの役割を果たすことはできない。
―――私が、ここで死んだら、アギリが?! 死ぬわけには ――――私の子が何万と苦しんでいるのに!!
―――え?アギリって? 外国かしら?何処かで聞いたことがある。私は、どうしてこんなことを思っているのかしら?
あおいは、変な思惟に驚いた。それは、自分の意識の底で見つけた、とてつもなく変なヤツだ。彼に、何を言ったらいいのかわからない。いや、どういう風に表情を造ったらいいのかさえ不明だ。
どうして、自分がこんなことを考えているのか、とうてい理解できない。
―――死ぬだなんて、まだ10年しか生きていないのよ!?私!!
困惑。幼い少女の脳裏に、そんな感情しか生まれてこない。ビールすら、まともに口にしたことがない大学生が、老酒をがぶ飲みするようなものだ。年齢に合わない思考は、その主を、底を知らない混乱に落とし込める。
―――助けたい、助けたい! 何を犠牲にしても、この人たちを・・・・・。
少女のイメージに現れたのは、ひび割れた大地と、やけに黒い肌の人たち。彼らは、肋骨の一つ一つが、はっきりと分かるほどに痩せていた。しかも、血の痰を吐き続けている。それなのに、白い肌をした人間に、鞭で打たれている。
―――フランス人。
少女は、その言葉を、不快な感情とともに、思いだしていた。それは、自分でもいやになるほどに否定的な言葉で満たされていた。
―――え?白い?私も同族?!
次の瞬間、少女は自らの手を見ていた。それは、フランス人と同じ色をしていた。彼女がどれほど、否定しても、否定できないほどに憎んで、軽蔑した色だった。
あおいは、よつんばいになって、有希江の責めを受けている。幼い肢体を見えない手枷足枷に、拘束されて、恥部を蹂躙されている。その姿は、見方を変えれば、自分から、それをねだっているかのようにすら見える。
「有希江姉さんの言うこと聞くなら、たまには、こうしてあげるわ、これは、あんたへの愛情の記なのよ」
「ウウ・ウ・・ウ・・ウ・ウ・ウ・ウウ!?」
間違っても、いやとは言えない。少女は、頬が焦げてしまいそうな、恥ずかしさに身体が縛れるのを感じた。少しでも、姉の意思に反することをしたら、見捨てられてしまうかもしれない。それは、少女にとって、この家での死を意味する。それは身の60%をもがれてしまうことを意味する。残る40%とは、学校での友人関係を意味する。そのことは、ある意味において、少女の成長を意味するのだろう。
「そんなに、私に嫌われたくないの?」
「ウウ・・ウ・・ウ・・ウ・ウ!?」
トランスレーションすれば、当たり前のことを聞くなということだ。有希江にとって、それは自明のことだったが、あえて、それを聞いた。それは、彼女の意地悪さを表すものであったが、同時に、何か、底知れない恨みを表明するものでもあった。ただし、後者にあっては、それは無自覚である。ただ、漠然と、いくら妹を愛しても、いつか、裏切られてしまうかのような、焦燥感を抱いている。それは、大同小異ながら、他の家族もそうだった。
「いいじゃない、あんたには、大事なお友達がたくさんいるじゃない。啓子ちゃんとなんて、私たちよりも仲がよかったじゃない」
有希江は、赤木啓子を思い浮かべた。肩で風を切るような美少女だ。
「・・・・・・・・?!」
即答できないことが、余計に、あおいを苦しめる。有希江は、それを見越して、言葉を畳み掛けているのだ。肉体的には、おろか、精神的にまで、妹を責めさいなもうというのだ。
そのあまりにも未発達なさなぎだけでなく、その心まで手に入れようとしているのだろうか。
いや、さなぎというよりは、糸を巻きはじめた幼虫というべきであろう。
「ウアン・・・・ウア・・・うう!?」
幼虫は、糸を吐き始めたばかりだ。
有希江の指は、まだやわらかい糸を、刺激してゆく。まだ乾いてないのか、ねちゃねちゃと、いやらしい音を立てる。
「ぅあぅうう!」
それは、たまたま、指が、陰核に触れたときだった。今まで、行った刺激のなかで、それが最大だったわけじゃない。
オルガズムを迎えるために、破るべきダムのようなものがあるとする。その壁は、ガラスのように、ポイントがあるのかもしれない。必ずしも、強く刺激すれば破壊出来るというわけではない。
いま、ひとつの責めが、あおいを押した。
その刺激によって、少女は、決壊のときを迎えた。そのダムは、まだ着工からそう経っていないために、キャパシティが大変、少なかった。
「あら、いちゃったわね」
にこりともせずに、有希江は言い放った。それには、いかばかりが、蔑視のスパイスが含まれていた。だから、その発言には、少なからず、唾が入っていたにちがいない。
「ウウ・ウ・・ウ・ウ・ウウウ・・・・・ううう!!?」
あおいは、わけもわからずに、泣きじゃくりはじめた。よつんばいのままで、顔を床に突き出すという、屈辱的で淫靡な姿勢を強いられているが、何故か、不思議な安心感に全身を包まれるのを感じた。
「ほら、泣かないの、そうだ、お風呂にでも行こうか、涙を拭いて、可愛いあおいちゃんに戻ろうよ」
「ウ・ウ・ウ・ウ・ウウウウ・・・ウ・ウ・ウ・・・・・うう!」
蔑まれているのか、可愛がられているのか、あおいは、わからなくなった。おそらく、両者が同居しているのだろう。
すると、なおも流れ続ける涙は、前者のせいなのか、後者のせいなのか。いままで、体験したことのない感情に、少女は打ちのめされた。
全身が震えて、身動きできないが、有希江に促されて、浴室へと向かう。涙が、床にしみをつくる。少女の柔らかな頬や、顎を伝って、垂れる水滴は、どうしてこんなに奇麗なのだろう。そして、冷たいのだろう。どうして、冷たいことがこんなに美しいのだろう。月と雪は、そう見ていた。
「ゆ、有希江姉さん・・・・ウウ・・・・ウ・ウ・ウ?」
「急ごうよ、風邪、ひいちゃうよ」
なおも、服を着ることは許されなかったが、有希江は抱擁しながら、連れて行ってくれた。あおいにとってみれば、まさにあめ玉と鞭だった。寒風と温風を交互に、受けているようなものである。
肩胛骨の下あたりに、何か、柔らかいものを感じた。それは言うまでもなく、姉の乳房である。ふたつの果実は、母親とは違うぬくもりと、弾力をあおい与える。それは、デジャブーを含んでいながら、新しい刺激に満ちている。
「ウウ・・・」
「どう熱くないでしょう?」
有希江は、温度を確認してから、シャワーをかけてくれた。その気遣いが、かつて、自分が置かれていた境遇を思い出させた。涙は、とうぶん、止まりそうにない。体を伝う湯と合流する。温度が違う水同士が出会うと、互いに、激流を作るというが、この場合は、どんな影響を白い肉体に与えるというのだろう。
ぶくぶくと、透明な泡を作っては、壊される。それらはおいの肉体の上で、死の舞踏を踊っては、藻くずとなる。少女は、その様子を眺めながらも、感想らしきものは、何も生まれなかった。頭の中がマヒしてしまって、何も考えられない。
「きれいにしようね」
「・・・・」
有希江の声は、優しい。しかし、それは愛玩動物に向けられるものに近い。あおいは、確かに違和感を抱いていたが、それを言語化するだけの語彙力を持ち合わせていなかった。
だから、何ら抗議らしい言葉を発することはなかった。ただ、居心地の悪さを感じているだけだった。それは、生乾きのコンクリートの上で、ダンスを踊らされるようなものである。靴は、地面に食い込み、脱げそうになって、前につんのめる。そして、コンクリートの青臭い臭いに、思わず吐きそうになる。
「あおいちゃんの肌は、すべすべできれいだよね、はちきれそうよ」
「ああ ――」
あおいは、有希江に、腹を撫でられて、おもわず呻き声を上げた。
「だめじゃない。せっかく、洗ってるんだから、声をあげたら ――――」
和歌の結句に何が置かれるのか、あおいは分かっていた。恥ずかしさのために、顔を赤らめる。
「あおいちゃんは、どうして、この下が気持ちいいのか知ってるの?」
「ぁ・・・・・・・・・」
姉の手は、下腹部を探検しはじめる。産毛の台地をいく。その一本、一本が性感帯につながっているかのように、その手の動きに、いちいち、反応する。
「どうなの?」
「そ、そんな・・・・き、気持いいなんて・・・・・」
――――カマトトぶるんじゃないわよ!
思わず、怒鳴りつけたくなったが、何とか、自分を制御した。巨大なペニスで、幼児の性器を征服して、何がおもしろいというのだろう。ここは、真綿で締めるようにして、被害者を窒息まで持って行くべきだ。
しかし、その過程が、サディズムの根幹に係わるなどということは、夢にも思わなかった。自分がやっていることを達観できるほどに、スレていなければ、大人にもなっていない。ただ、ひたすらに、わき起こってくる生の感情に従順なだけである。
―――これでは、人間に品性というものを求めるのは、無理だな。え?生の感情?何処かで聞いた台詞だな。
有希江は、血のつながった妹を弄びながら、ある感情に、操られていることにすら気づいていない。ただ、意味不明の気持ち悪さを味わっているだけだ。それは、もちろん、極上の悦び、すなわち、サディズムの悦びに混じり込んでいるわけだが、それが如何に微量であっても、無視できない影響を与え続けるのだ。ちょうど、青酸カリが、耳かきイッパイ程度で、ヒトを殺すように。
――――今日は、このていどで許してやるか。
有希江は、陵辱はここまでにすることにした。石鹸をスポンジに含ませると、手ずから、
洗ってやる。
「いいこと、これからは、自分で洗っちゃだめよ、有希江姉さんがキレイにしてあげる。あおいちゃんは、赤ちゃんなんだから」
優しげな手つきで、洗ってもらうことは、想像以上の快感を引き寄せる。小さいころは、無自覚に、そのような栄誉に預かっていたと思うと、何だか、もったいないような気がした。少女は、一流のマッサージ師に、身を預けるような気分で、姉に総てを委ねていた。
そうしていると、ほんとうに、赤ちゃんに戻っていくような気がする。もはや、何も気にする必要はない、摂食や排泄で気に病む必要もない。何もない白紙の状態に、戻っていく。そこは、ミルクのように、やや黄色がかった温かい白に、澱んでいる。
―――え?何か見える?白紙なのに、何もないはず。あおいは、何もできない赤ちゃんなのに。
少女は、もはや、無色透明のはずだった。キャンバスには、何も描かれていない。しかし、何かを感じる、何か、目指すものがある。それは、明かにベクトルだった。その具体的な道筋は見て取れないが、確かに、矢印ははっきりと見える。ただし、回転しているために、道しるべの役割を果たすことはできない。
―――私が、ここで死んだら、アギリが?! 死ぬわけには ――――私の子が何万と苦しんでいるのに!!
―――え?アギリって? 外国かしら?何処かで聞いたことがある。私は、どうしてこんなことを思っているのかしら?
あおいは、変な思惟に驚いた。それは、自分の意識の底で見つけた、とてつもなく変なヤツだ。彼に、何を言ったらいいのかわからない。いや、どういう風に表情を造ったらいいのかさえ不明だ。
どうして、自分がこんなことを考えているのか、とうてい理解できない。
―――死ぬだなんて、まだ10年しか生きていないのよ!?私!!
困惑。幼い少女の脳裏に、そんな感情しか生まれてこない。ビールすら、まともに口にしたことがない大学生が、老酒をがぶ飲みするようなものだ。年齢に合わない思考は、その主を、底を知らない混乱に落とし込める。
―――助けたい、助けたい! 何を犠牲にしても、この人たちを・・・・・。
少女のイメージに現れたのは、ひび割れた大地と、やけに黒い肌の人たち。彼らは、肋骨の一つ一つが、はっきりと分かるほどに痩せていた。しかも、血の痰を吐き続けている。それなのに、白い肌をした人間に、鞭で打たれている。
―――フランス人。
少女は、その言葉を、不快な感情とともに、思いだしていた。それは、自分でもいやになるほどに否定的な言葉で満たされていた。
―――え?白い?私も同族?!
次の瞬間、少女は自らの手を見ていた。それは、フランス人と同じ色をしていた。彼女がどれほど、否定しても、否定できないほどに憎んで、軽蔑した色だった。
有希江は、小雪の降りしきる夜に、秘密を明かしはじめた。それは、ごく小さく、針の穴を通すような細さだった。しかし、周囲が暗ければ、暗いほど、その光は、まぶしく感じるものだ。ちなみに、二人が棲まう部屋は、夜の妖怪が好むくらいに薄暗い。近代文明の恩恵を拒否するように、蝋燭の明かりほどの、光度しか保っていなかった。
「伯母さんの、こと、どう思う? とうぜん、真美伯母さんのことよ」
「えー? ぜんぜん、会ってくれないんでしょう?」
がちがちと震えながら、言葉を紡ぐ。
「寒いの? 温めてあげる」
「ウ・・ウ・・」
意識しなくても、自然に涙が流れてくる。有希江の服が直に触れる。ちくちくするが、その下に存在する有希江の温度は、確かに、あおいの心を温めて、蘇らせる。
有希江は、再び、口を開く。
「先生が言ってたんだって、伯母さんが、再入院したのは、あおいのせいだって ―――」
「そ、そんな!?」
それはまさに青天の霹靂だった。
―――そんな、バカな!? ウソよ!?
真美伯母の優しい顔が浮かぶ。どの記憶を見ても、みんなあおいに、融けるように優しい笑顔を向けている。まるで生クリームで、贅沢に彩ったケーキのようだ。
言葉を呑みこむものは、当然、ストレスを背負い込む。それは、発散されてこそ、精神の健康を保てるのだ。それは身体にも関係することだ。
「ほら、暴れない!」
「ぁああぅ!?」
余計に動いたために、余計に、少女の性器に食い込む。それは、まだ蕾にもなっていない。有希江の指は、未成熟な陰核や小陰脚を探検する。ホタテ貝の手足のような、性器は、まだ硬く、自分のそれとは、勝手が違う。しかし、幼いときを思いだして、探検を続ける。
「そんなぁ?!そんなぁ?!」
絶叫しながらも、しかし、家族がどうして、自分を急に冷遇しはじめたのか。合点がいくことに、悲しいほど納得できた。解答は、単純であればあるほど、相手に説得力がある。かつて、ワンフレーズポリティックスと銘打って、人気を博した宰相がいたが、それこそ、まさにその好例と言えよう。
あおいは、一国の宰相とは、まったく違う椅子に座っているが、その点に関していえば、彼となんらかわりはない。
自分は、愛する真美伯母にとって、有害である。
そのごく単純な図式が、頭にこびりついて離れなくなった。
けっして、それについて、疑いを抱くというようなことは、思いも寄らない。少女が置かれた状況が、彼女に考える余裕を与えなかった。姉たちの血を引いているだけあって、彼女も高い知性を持ち、それは初々しく芽吹きはじめていた。
家族は、みんな、それを喜んで、祝福してくれたのだ。少女は確かに、大人への階段を心身共に、歩み始めていた。たしかに、徳子のように、まっすぐな階段を直進するというのではなかった。まるで峻厳な山に、穿たれた階(きざはし)のように、歪んでいたが、むしろ、それゆえに、愛されているのである。それは、無意識ながら、あおいも気づいていた。
今 、少女の頭に、その図式が固定してしまった。その音は、たしかに、有希江に聞こえた。これで、妹を完全に支配できる。
有希江は、耳小骨の一部で、それを確信した。愛情と、支配欲と嗜虐心はいずれも、表裏一体の関係にある。
「げ、ゲームのせいじゃなかったの・・・・・・・?! ウグググ・・・・・・ヌグぅ!?」
「単なる偶然だとおもったわけだ?」
有希江は、くぐもった妹の喘ぎ声のむこうに、確としたものを見つけた。それをさらに突かない手はない。前立腺は、刺激を当たるほどに、柔らかくなり、少年に、彼が感じてはならない快感を与え続けた ――――――。有希江は、今読んでいるBL小説の一節を思いだした。
あいにくと、というか、当然のことだが、妹には、前立腺はない。しかし、陰核は、たしかに存在する。 あまりに未成熟で、青い果実だが、それゆえに、大人が感じることができない官能をかき鳴らすことができる。おそらく、大人たちが持たぬ羞恥心という酒精が、それを彩るのだろう。
「みんなで、話し合ったのよ、自然な形でやってあげようって」
「ウウ・ウ・・ウ・ウ、じゃ、じゃあ、ウウ・・ウ・ウ・ウ、あたしを、き、嫌いに・・・・ウ・・ウウ!!」
あおいは、喉元に渦巻く感情のために、うまく言葉を操ることが出来ない。しかし、姉がそれを代弁した。
「なったのよ。こういう形になったのは、せめてもの愛情かしらね」
あっさりと言い放った。ちなみに、温情という表現をしなかったのは、あおいには通じないと思ったからだ。
「ウウ・ウ・・ウ・ウ・ウ・ウウ!?」
股間をえぐる、有希江の指は、言葉と裏腹に、少女を責め続ける。その動きは、あおいの神経を確実に探しあて、刺激を加えていく。少女の貝肉は、びらびらとその穴を開き、彼女には早すぎる淫液を、分泌し続ける。
「ママア・ァ・・・・ウウ・ウ・・ウ・・ウうう!?」
「もう、あんたにはいないのよ!」
「ウウ・ウ・・ウ・ウ・ウ、でも、ハア、どうして、ハアハア、あたしのせい・・・ハア・・・・ハアア・・なの!?」
「さあ、ねえ、こんなにいやらしいからかな?」
「そ、そんあのって?ハア・・ヒイィ!?」
激しく抗議しようとするが、込み上げてくる官能のために、ほとんど笑劇にしか見えない。
「それを一緒に考えてみようよ、協力するからさ ―――」
「・・・・・・・・ウウ・・ウ・ウ!?」
あおいは、その幼い身体に、不似合いな反応を示している。ぴくぴくと、小刻みに震えながら、地底から込み上げてくる感覚に耐えている。少女は、たしかに、自らの不器用な指で、その性器を弄びはした。しかし、それは、軽く触れてみた程度のことだ。何を血迷ったのか、シャワーを恥部に当ててみたのだが、その刺激の大きさに、ビクついたくらいだ。シャワーを投げつけ、自分は、椅子から転がって、したたかに、タイルに腰を打ち付けてしまった。
あたかも、悪魔を招聘した者が、自分が引き起こしたことの重大さに、額を割る哀しさに、むせび泣くように・・・・・。
「グアウ!ゥウウウウアウウ」
今、悪魔を呼び出す秘密の呪文を、唱えていた。味わったことのない官能に、いや、その感覚が、官能と名付けられていることすら、知らない。女性が行う自慰は、時として、性行為以上の悦びを感じることがある。女性の特権だ。それは、神が女性に与えた福音かもしれない。
男は、時として、無自覚なまま、妻や恋人といった女性に暴力を奮うことがある。それは男性が、女性に対して、本能的に持っている敵意なのである。
どうして、女性は、男性が持たない快感を愉しんでいるのか。しかも、その快楽に、自分たちは必要ないのだ。それが、嫉妬を呼び起こし、絶えざるドメスティックヴァイオレンスを呼ぶのだ。
閑話休題。話しを元に戻そう。
あおいは、その感覚に、逃げることに、本能的な嫌悪と悦楽を感じていた。その二律背反な気持は、少女の小さな躯をまっぷたつに、切り裂き、哀しみの涙を流させる。
彼女が皇帝のように座っている、いや、縛り付けられている椅子は、肉体だった、何と、自分の姉なのである。あおいは、姉の膝に乗せられ、まるで幼女の時のように、あらゆる権利を奪われ、欲しいままにされている。
「グア・・・・は・・アァ! あ、あたしの、何がグ・・・・いけなかったの?」
「お姉さんの言うこと、何でも聞く?」
有希江は、畳み掛けるように、奴隷になることを迫る。あおいの答えは決まっている。
「わ、わかったから、ハア・・・・ああ、聞くから、あ、あおいを、み・・・はあァ・・、見捨てないで・・・アアア」
哀しい歌。これほどまでに、哀しい歌が、この世にあろうか。いささか、鼻声がかかったヴォーカルは、少しばかりハスキーだった。それが有希江の耳を、やけに刺激する。
「見捨てたりしないわよ、あおいが可愛い限りはね」
可愛いという形容詞が、あおいに重くのしかかる。それは、姉に握られた鎖であり、その鎖は、あおいの首に連結しているのだ。しかし、あくまで、首輪を外す権利は、奪わないという。好きなときに、何処にでも行って良いというのである。それは、「死ね」と言われるよりも、はるかに残酷だ。
「そうなら、あなたは犬よね、お姉さんが言う限り」
「ウッゥゥァ、は、はい」
有希江が言っていることを理解もせずに、肯いた。しかし、それが、彼女が予期もしない仕打ちを蒙ることになる。
「なら、どうして、こんなところにいるの?!犬コロッが?!」
「ああう!?」
あおいは、とつぜん、素っ裸のまま、空の旅を迎えることになった。
「ぐあぃう!い、痛い!ィィィイィィ!!」
少女は、自分の体を抱きながら転がった。その行為は、あたかも、水中で、片栗粉の塊を探すようなものだ。触れども、触れども、いや、触れるほどに、それは失われていく。
「クウアア・・・う?!」
ほんとうに、畜生に成り下がってしまったのか、あおいは、子犬さながらの声を上げて、跪いた。
「ほら、お座り!」
「・・・・・?!」
不憫な身には、あいにくと、有希江が言っていることが理解できなかった。
「自分で、首輪の鎖を外すのね、それでもいいわよ、何処にでも行っちゃいなさい。もう二度と、お姉さんの視界から消えてちょうだい!」
「ゥあゥッツ!?クアウエあ!? それだけはゆ、許して!」
「だったら、言うこと聞きなさい!?」
「はい、はい!?」
あおいは、命じられたままの恰好をするために、大腿筋に、グリコーゲンを注入しはじめた。その動作は、緩慢で、ぶざまだった。そのために、有希江の笑いを大いに、誘った。
少女は、記憶に残っている「お座り」を真似ている。その過程は、想像を絶するほどに、屈辱的で、息苦しいものだったが、何故か、何も感じない。強烈な苦痛は、人に、それを感じなくさせるという。脳内麻薬のせいだ。これは、瀕死の人間が、苦痛を感じていない証左だろう。
しかし、今、あおい自身は、瀕死の状態ではない。そうなのは、彼女のプライドと自我だった。
「ふふ・・・・」
勝ち誇ったように、有希江は、妹を見下ろす。正座をして、上体を前方に突き出すその恰好は、けっして、犬ができるものではなかったが、確かに、絶対的屈従を意味している。そのことは確かだった。
「伯母さんの、こと、どう思う? とうぜん、真美伯母さんのことよ」
「えー? ぜんぜん、会ってくれないんでしょう?」
がちがちと震えながら、言葉を紡ぐ。
「寒いの? 温めてあげる」
「ウ・・ウ・・」
意識しなくても、自然に涙が流れてくる。有希江の服が直に触れる。ちくちくするが、その下に存在する有希江の温度は、確かに、あおいの心を温めて、蘇らせる。
有希江は、再び、口を開く。
「先生が言ってたんだって、伯母さんが、再入院したのは、あおいのせいだって ―――」
「そ、そんな!?」
それはまさに青天の霹靂だった。
―――そんな、バカな!? ウソよ!?
真美伯母の優しい顔が浮かぶ。どの記憶を見ても、みんなあおいに、融けるように優しい笑顔を向けている。まるで生クリームで、贅沢に彩ったケーキのようだ。
言葉を呑みこむものは、当然、ストレスを背負い込む。それは、発散されてこそ、精神の健康を保てるのだ。それは身体にも関係することだ。
「ほら、暴れない!」
「ぁああぅ!?」
余計に動いたために、余計に、少女の性器に食い込む。それは、まだ蕾にもなっていない。有希江の指は、未成熟な陰核や小陰脚を探検する。ホタテ貝の手足のような、性器は、まだ硬く、自分のそれとは、勝手が違う。しかし、幼いときを思いだして、探検を続ける。
「そんなぁ?!そんなぁ?!」
絶叫しながらも、しかし、家族がどうして、自分を急に冷遇しはじめたのか。合点がいくことに、悲しいほど納得できた。解答は、単純であればあるほど、相手に説得力がある。かつて、ワンフレーズポリティックスと銘打って、人気を博した宰相がいたが、それこそ、まさにその好例と言えよう。
あおいは、一国の宰相とは、まったく違う椅子に座っているが、その点に関していえば、彼となんらかわりはない。
自分は、愛する真美伯母にとって、有害である。
そのごく単純な図式が、頭にこびりついて離れなくなった。
けっして、それについて、疑いを抱くというようなことは、思いも寄らない。少女が置かれた状況が、彼女に考える余裕を与えなかった。姉たちの血を引いているだけあって、彼女も高い知性を持ち、それは初々しく芽吹きはじめていた。
家族は、みんな、それを喜んで、祝福してくれたのだ。少女は確かに、大人への階段を心身共に、歩み始めていた。たしかに、徳子のように、まっすぐな階段を直進するというのではなかった。まるで峻厳な山に、穿たれた階(きざはし)のように、歪んでいたが、むしろ、それゆえに、愛されているのである。それは、無意識ながら、あおいも気づいていた。
今 、少女の頭に、その図式が固定してしまった。その音は、たしかに、有希江に聞こえた。これで、妹を完全に支配できる。
有希江は、耳小骨の一部で、それを確信した。愛情と、支配欲と嗜虐心はいずれも、表裏一体の関係にある。
「げ、ゲームのせいじゃなかったの・・・・・・・?! ウグググ・・・・・・ヌグぅ!?」
「単なる偶然だとおもったわけだ?」
有希江は、くぐもった妹の喘ぎ声のむこうに、確としたものを見つけた。それをさらに突かない手はない。前立腺は、刺激を当たるほどに、柔らかくなり、少年に、彼が感じてはならない快感を与え続けた ――――――。有希江は、今読んでいるBL小説の一節を思いだした。
あいにくと、というか、当然のことだが、妹には、前立腺はない。しかし、陰核は、たしかに存在する。 あまりに未成熟で、青い果実だが、それゆえに、大人が感じることができない官能をかき鳴らすことができる。おそらく、大人たちが持たぬ羞恥心という酒精が、それを彩るのだろう。
「みんなで、話し合ったのよ、自然な形でやってあげようって」
「ウウ・ウ・・ウ・ウ、じゃ、じゃあ、ウウ・・ウ・ウ・ウ、あたしを、き、嫌いに・・・・ウ・・ウウ!!」
あおいは、喉元に渦巻く感情のために、うまく言葉を操ることが出来ない。しかし、姉がそれを代弁した。
「なったのよ。こういう形になったのは、せめてもの愛情かしらね」
あっさりと言い放った。ちなみに、温情という表現をしなかったのは、あおいには通じないと思ったからだ。
「ウウ・ウ・・ウ・ウ・ウ・ウウ!?」
股間をえぐる、有希江の指は、言葉と裏腹に、少女を責め続ける。その動きは、あおいの神経を確実に探しあて、刺激を加えていく。少女の貝肉は、びらびらとその穴を開き、彼女には早すぎる淫液を、分泌し続ける。
「ママア・ァ・・・・ウウ・ウ・・ウ・・ウうう!?」
「もう、あんたにはいないのよ!」
「ウウ・ウ・・ウ・ウ・ウ、でも、ハア、どうして、ハアハア、あたしのせい・・・ハア・・・・ハアア・・なの!?」
「さあ、ねえ、こんなにいやらしいからかな?」
「そ、そんあのって?ハア・・ヒイィ!?」
激しく抗議しようとするが、込み上げてくる官能のために、ほとんど笑劇にしか見えない。
「それを一緒に考えてみようよ、協力するからさ ―――」
「・・・・・・・・ウウ・・ウ・ウ!?」
あおいは、その幼い身体に、不似合いな反応を示している。ぴくぴくと、小刻みに震えながら、地底から込み上げてくる感覚に耐えている。少女は、たしかに、自らの不器用な指で、その性器を弄びはした。しかし、それは、軽く触れてみた程度のことだ。何を血迷ったのか、シャワーを恥部に当ててみたのだが、その刺激の大きさに、ビクついたくらいだ。シャワーを投げつけ、自分は、椅子から転がって、したたかに、タイルに腰を打ち付けてしまった。
あたかも、悪魔を招聘した者が、自分が引き起こしたことの重大さに、額を割る哀しさに、むせび泣くように・・・・・。
「グアウ!ゥウウウウアウウ」
今、悪魔を呼び出す秘密の呪文を、唱えていた。味わったことのない官能に、いや、その感覚が、官能と名付けられていることすら、知らない。女性が行う自慰は、時として、性行為以上の悦びを感じることがある。女性の特権だ。それは、神が女性に与えた福音かもしれない。
男は、時として、無自覚なまま、妻や恋人といった女性に暴力を奮うことがある。それは男性が、女性に対して、本能的に持っている敵意なのである。
どうして、女性は、男性が持たない快感を愉しんでいるのか。しかも、その快楽に、自分たちは必要ないのだ。それが、嫉妬を呼び起こし、絶えざるドメスティックヴァイオレンスを呼ぶのだ。
閑話休題。話しを元に戻そう。
あおいは、その感覚に、逃げることに、本能的な嫌悪と悦楽を感じていた。その二律背反な気持は、少女の小さな躯をまっぷたつに、切り裂き、哀しみの涙を流させる。
彼女が皇帝のように座っている、いや、縛り付けられている椅子は、肉体だった、何と、自分の姉なのである。あおいは、姉の膝に乗せられ、まるで幼女の時のように、あらゆる権利を奪われ、欲しいままにされている。
「グア・・・・は・・アァ! あ、あたしの、何がグ・・・・いけなかったの?」
「お姉さんの言うこと、何でも聞く?」
有希江は、畳み掛けるように、奴隷になることを迫る。あおいの答えは決まっている。
「わ、わかったから、ハア・・・・ああ、聞くから、あ、あおいを、み・・・はあァ・・、見捨てないで・・・アアア」
哀しい歌。これほどまでに、哀しい歌が、この世にあろうか。いささか、鼻声がかかったヴォーカルは、少しばかりハスキーだった。それが有希江の耳を、やけに刺激する。
「見捨てたりしないわよ、あおいが可愛い限りはね」
可愛いという形容詞が、あおいに重くのしかかる。それは、姉に握られた鎖であり、その鎖は、あおいの首に連結しているのだ。しかし、あくまで、首輪を外す権利は、奪わないという。好きなときに、何処にでも行って良いというのである。それは、「死ね」と言われるよりも、はるかに残酷だ。
「そうなら、あなたは犬よね、お姉さんが言う限り」
「ウッゥゥァ、は、はい」
有希江が言っていることを理解もせずに、肯いた。しかし、それが、彼女が予期もしない仕打ちを蒙ることになる。
「なら、どうして、こんなところにいるの?!犬コロッが?!」
「ああう!?」
あおいは、とつぜん、素っ裸のまま、空の旅を迎えることになった。
「ぐあぃう!い、痛い!ィィィイィィ!!」
少女は、自分の体を抱きながら転がった。その行為は、あたかも、水中で、片栗粉の塊を探すようなものだ。触れども、触れども、いや、触れるほどに、それは失われていく。
「クウアア・・・う?!」
ほんとうに、畜生に成り下がってしまったのか、あおいは、子犬さながらの声を上げて、跪いた。
「ほら、お座り!」
「・・・・・?!」
不憫な身には、あいにくと、有希江が言っていることが理解できなかった。
「自分で、首輪の鎖を外すのね、それでもいいわよ、何処にでも行っちゃいなさい。もう二度と、お姉さんの視界から消えてちょうだい!」
「ゥあゥッツ!?クアウエあ!? それだけはゆ、許して!」
「だったら、言うこと聞きなさい!?」
「はい、はい!?」
あおいは、命じられたままの恰好をするために、大腿筋に、グリコーゲンを注入しはじめた。その動作は、緩慢で、ぶざまだった。そのために、有希江の笑いを大いに、誘った。
少女は、記憶に残っている「お座り」を真似ている。その過程は、想像を絶するほどに、屈辱的で、息苦しいものだったが、何故か、何も感じない。強烈な苦痛は、人に、それを感じなくさせるという。脳内麻薬のせいだ。これは、瀕死の人間が、苦痛を感じていない証左だろう。
しかし、今、あおい自身は、瀕死の状態ではない。そうなのは、彼女のプライドと自我だった。
「ふふ・・・・」
勝ち誇ったように、有希江は、妹を見下ろす。正座をして、上体を前方に突き出すその恰好は、けっして、犬ができるものではなかったが、確かに、絶対的屈従を意味している。そのことは確かだった。
「お姉さんに話してご覧なさい、何をしていたの?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
有希江は、あおいの意図を探るように、針を密かに刺してくる。あおいは、それにどのように対処していいのか、わからずに、黙りこくってしまった。そこで、貝殻に籠もってしまった貝をどうやって吸い出すのか、有希江は、言葉の手練手管を使って、おびき出すことにした。
「ほら、別に恥ずかしいことじゃないからさ ――」
あおいは、有希江の首筋を頭で感じた。仄かな肌の温かみが空気を伝わってくる。それは情愛なのだろうか。あおいは、それに酔ってしまったのか。顔の表面が、熱を帯びてくる。かすかな痒みを感じるほどに、突っ張ってきた。
彼女は初恋の経験はまだないのだが、もしも、そのような体験が存在するとすれば、どのようなものなのか。それは、最近読み始めた小説や、歌詞から、一定の想像は可能だった。
ちなみに、親友である赤木啓子に、読むように誘われたのである。高い知性を有していながら、無駄に遊ばせている親友を見ていて、啓子は歯がゆくなったのだろう。
それはともかく、あおいは初恋なるものに、興味を持ち始めていたころである。もしも、理想的な男の子が側にいたら、心臓がドキドキするのだろうか。顔が真っ赤になるのだろうか。少女は、さきほどの参考文献から、そのような情報を得ていた。
しかし、それが姉によってもたされるなどと、想像だにしなかった。
「ねえ、言っちゃいなさいよ ―――」
「・・・・・・・・・」
有希江の吐息が、あおいの首筋を走っていく。そのいたずらな小人たちは、少女の産毛を逆立てながら、頭へと駈け込む。
「誰にも言わない?」
「うん、大丈夫、口は堅いよ」
有希江は常套句を言ったが、あおいはそうとは受け取らなかった。それは、彼女の人生経験不足を証明しているのかもしれない。有希江は、そんなあおいを以前よりも、はるかにかわいいと感じていた。妹のうなじはほんのりと赤くなっていた。思わず、そこに触れたくなった。さらに口を近づける。
「ひ」
あおいは、予想もしなかった刺激に、驚いた顔を見せた。
「あら、私が嫌いなの?」
「そんな、違う!おどろいただけ!」
あおいは、有希江の反応に驚いた。このままでは、本当に孤立無援になってしまう。有希江は、もはや、この家での唯一の味方なのだ。それを失っては、本当に絶望の海に沈んでしまう。気が付かないうちに、頬が濡れていた。
「あ!?」
少女は、涙を拭こうしたが、有希江に阻止された。両手首を摑まれたのだ。妹を動けないようにしておいて、頬にキスをする。
「ひあ?!」
「アメリカじゃあたりまえのことよ、仲のいい家族ならね」
「家族・・・・・・?」
あおいは、改めてその言葉を噛みしめた。何故か、苦い味が滲んでくる。これまでなら、それは彼女にとって、この世でもっとも美味な存在のはずだった。誰が敵になっても、家族だけは、彼女の味方になってくれるはずだった。
しかし、今、そのことばを改めて、口に含んでみると、その痛い苦みにおもわず顔を歪めてしまう。
「あおいちゃん、可愛いいんだから、そんな顔しちゃだめだよ。台無しじゃない。有希江は、そんなあおいちゃんが大好きだな ―――」
「ぅうああぅ・・・・・」
巧妙にことばで誘い出してみる。
かわいいとは、あおいが小さいころから、言われ続けたことばだ。だから、耳に蛸ができてしまって、その本当の価値を忘れてしまっていた。人間は、甘いものも慣れすぎると、甘く感じなくなるものだ。愛情もそれに似ているかもしれない。
あるいは、そういうあおいに、有希江は知らず知らずのうちに嫉妬していた可能性もある。
有希江は、妹の涙を舐めてみた。当たり前のことだが、それは海の味がした。彼女は海に囲まれた国に住んでいる上に、車を使えば、20分ほどで海に辿り着くことができる。そんな場所に住んできた。しかし、有希江は、何故か、海という言葉が、縁遠い気がするのだ。その字に親しみがわかない。だからと言って、海に嫌な記憶があるというのではない。むしろ、泳ぎは得意であるし、むしろ親しんできたほうだ。
海は、自分の大事なものを阻んでしまうような気がする。その言葉から、いいイメージがわかないのだ。それは、実体験からもたらされたイメージではないような気がする。何やら夢の世界での出来事が元になっているような気がする。
そう言えば、海で何かを無くしたかのような夢を見る。詳しい内容は憶えていないが、意味不明の 喪失感と海という言葉は、常に同居しているのである。
有希江は、あおいにそれを感じていた。
「ここを触っていたんじゃなくて?」
「ひい!いやぁあ・・・・ぁ!」
有希江の手が、あおいの股間を捕まえていた。あおいは、抵抗しようとするが、両手首を奪われているために、身動きひとつできない。できるのは、無駄に蠢くばかりだ。有希江の目には、それは、蜘蛛の巣にかかった可憐な蝶にみえた。可愛いということは、対象をどのように扱っても、自分に害がかえってこないことを意味する。だから、嗜虐の心が起こってくるのだ。本人が意識していようと、していまいと・・・・・・・・・・。
有希江は、さらに質問を続ける。
「言いなさい、何をしていたの?」
「ウウ・・ウ・ウ、こ、ここをさ、触ってると・・・・・・・・・・」
小さな孔に押し込まれたような声。有希江は、さっそく、それを現実世界に引き戻したくなった。
「触ってると?」
「ッ・・・・・ウウ・・・き、気持、気持ちよくなって ――――」
「気持ちよくなって?」
有希江は、まるで被疑者を追いつめる刑事のように、追求の手を休めない。
その顔にはいやらしい笑みが浮かんでいる。しかし、あおいはその顔を拝むことはできない。
少女は、顔を真っ赤にして、背中に迫ってくるプレッシャーに耐えていた。いったい、どんな態度を取れば有希江に嫌われずにすむのだろう。
有希江に嫌われずにすむのだろう。あおいは、今まで使ってこなかった脳のある部分をフル回転させなくてはならなかった。それは、今まで彼女がほとんどしなかったことである。あるいは、しなくてもすんでいたことである。
「ウグググ・・・・・ウウ」
しかし、そんなことを考えている間にも、有希江の手は、あおいの局所を蹂躙する。下着の上から、膣の中にまで侵入されている。
この時、あおいは、その刺激の意味を理解していない。そして、その刺激からくる反作用については、ほとんど知識ゼロのネンネにすぎない。だからこそ、とまどいを隠せないのだ。いったい、自分が何処にいるのかわからない。しかし、それは、いきなり家族から冷水を浴びせかけられた時とは違う。
いま、あおいが弄られているばしょは、彼女にとってみれば、唯一排泄だけの道具だった。それ以外の機能があるとは夢にも思わなかった。だが、今、それ以外の方法で使われようとしている。しかも、自分以外の人間の手によって、無理矢理にその扉をこじ開けられようとしているのだ。これは我慢ができない。しかし、縛りがあるために、抵抗できない。よもや抵抗しようとするが、それは、ほとんど本能的な反射作用にすぎない。
「ここを弄って、どう思ったの?」
「もう、いや!いや!いやああ!ママ!?」
あおいは、激しく抵抗した。それは、有希江の予想を裏切るほどだった。だから ――――。
びしっ!!
一瞬、その場の空気が凍り付いた。
有希江の平手打ちが、あおいに炸裂したのだ。赤い稲妻が走った。
「あ ――――」
あおいは、何が起こったのか分からずに、痴呆老人のように、小さな口を開けたまま、空気を摑もうとした。
「何言ってるのよ! ママだって? もうあんたにはママなんていないのよ! まだわかってないの!?」
「ひい!いやあああ!!」
有希江は、あおいの髪を摑むと乱暴な手つきで、引きずり倒した。しかる後に、彼女の衣服を引っ剥がしはじめたのである。まるで、宇宙服なしで、宇宙空間に放り出されたように思えた。
「やめてぇええええ!! ママあ! 助けて!!ぇええ!!」
ここに来て、なお母親を求めるあおい。その姿に、怒りを憶えると、激しく怒鳴りつけた。
「うるさいわねえ!!」
そして、激しく殴りつける。抵抗が見えなくなったところで、さらに服を脱がし、全裸にしてしまう。
「いやああ!! 有希江姉さん ――――!?」
「ほら、出て行きなさい!」
有希江は、あられもない姿になった妹の腕を摑むと、ベランダに放り投げた。無毛の股間が、有希江の視界に入った。
あおいは、野球のボールのように飛んでいく。投げられた少女は、暗闇を感じた。それは、とても小さく、そして冷たかった。
時間が時間だけに、断崖絶壁に投じられたかのような恐怖を感じる。しかも、真冬の寒さが骨に浸みる。広いベランダは、5センチほども雪で埋まっている。
「ひ!つ、めたい!」
あおいに息をつかせる暇も与えなかった。ふいに、扉が閉まって、おそるべき音が聞こえた。施錠の音である。それは、あおいにとってみれば、ギロチンの刃が落ちる音にも似ていたかもしれない。
「いやあああ!!」
広い榊家の敷地のこと、その上、大樹が外界から家を護っている。他人から、見られることはないかもしれない。
しかし、少女は本能的に胸と股間を隠した。この世のものとは思えない寒さが襲う。それに加えて、全身に羞恥の熱が起きているために、より、寒さを感じるのだ。がちがちと歯が鳴る。
「お、お願い!姉さん、開けて、開けて!寒いよぉ!いうことなんでも聞くから!おねがいぃ!!」
あおいの絶叫が響くが、夜の闇も、降り積もった雪も、答えてはくれない。よもや、有希江は、厚いガラスの向こうにいる。哀れな妹の懇願に耳ひとつ傾けようとしない。
――――あ、有希江姉さん!
しかし、有希江は、こちらに向けて歩み寄ってきた。はたして、開けてくれるのだろうか。まるで、10年も待ち望んできた援軍が来てくれるかのように思った。
「有希江姉さん!」
ダンダンと再び、窓をたたく。手が割れるほどに痛い。息まで凍ってしまいそうな寒さとあいまって、苦痛を二倍にも、三倍にも増加させていた。
「有希江姉さん! あ?!」
そのとき、あおいの目の前で信じられないことが起こった。カーテンが閉められたのである。ガラスごしのために、その音は、よく聞こえないはずだったが、少女の耳ははっきりと、聞こえた。それは少女の両耳を切断する音だった。そして、それは、最後の希望が断ち切れる音だった。
「ウウ・・ウ・ウ・・ウウウ! 」
激しく泣き崩れるあおい。もはや、両足が切断されるような冷たさも痛さも、あまり意味をなさない。 その足指は、真っ赤に晴れて、はたして霜焼けですむのかわからない。
しかし、そんなことも忘れて、窓にすがりついて泣いた。あたかも、それが、彼女の飢えた情愛を満足させてくれるかのように、すがりつづける。
「なんでもする! なんでもするから! 有希江姉さああん! 許して! 許してェエ!大願!ィイイイイ!」
一方、有希江も無傷だったわけではない。その心は、ささくれ立って、よく見るとわずかに血が滲んでいる。
彼女の心は、今や、ふたつに引き裂かれ、路傍を彷徨っていた。あおいと同じように、裸足で真冬の廃墟を、家族の愛を求めて、すがり歩いていたのだ。
「はやく、おはいり・・・・・」
「アア・・アアああ・・あ? ゆ、有希江姉さん?」
有希江は、全裸のあおいを引き入れると、即座に抱きしめた。
―――熱い!熱いヨォオ!
あおいは、一瞬、火傷がするかと思った。彼女の愛撫は、それほどに激しく、今の今まで晒されていた凍土とは、あまりに、温度の差が激しかったのだ。
姉の吐息は、地獄の熱風を思わせた。しかし、それはすぐに、人肌の温かさだとわかった。それにほだされて、さらに涙があふれてくる。
「ごめんね、悪かったわ。だけど、あおいに分かってほしかったの。私は別に、あなたをいじめたいと思ってやったわけじゃないのよ」
「うん、うん、うん、うん、わかる!」
あおいは、あたかも、自分に言い聞かせるように、頷いた。
「じゃあ、わかってくれるよね、さっきのことは別に恥ずかしいことじゃないのよ」
「・・・・・・・・・・ハイ」
少女は、ためらいながらもさらに頷いた。
「わかってくれるのね」
「・・・・・・・・・」
さらに頷くと涙が、床に零れた。
「あ」
「どうしたの? あおいちゃん」
とてつもなく優しい声で、有希江は聞いた。
「き、汚いから、あおいの涙は」
「そ、そんなことないよ!」
有希江は、その涙を小指ですくうと舐めてみせた。そして、その手を、あおいの股間に持って行った。ふいをつかれた少女は、ピンと小さな肢体を浮かせた。その様子が、あまりに可愛らしいので、 有希江は、よりいっそう食欲を感じた。
あおいの小さな肢体は、姉の指が胎内に、入っていく度に、弓なりになり、幼児のようになった。
「本当は、あおいは人魚だったのね」
「あぁぁぁぅ・・・・・・ウウ」
自分の思うとおりに、楽器が音楽を奏でてくれる。これほど、演奏者冥利なことはない。妹は、姉にとって例えようもなく可愛らしい楽器だった。
「うふふ、これを一人でやっていたのね、いけない子」
「そ、そんあ!ぁあううあう!!」
動いたために、よりいっそう、あおいの内奥に、指が侵入することになった。
「そんな、恥ずかしくないって・・・・・・」
「そう? 違うわよ、それは大人の許可を得てからのことよ。まだあなたは赤飯を炊いてもらってないでしょう?だからだめなの。それなのに、こんなことをしたから、嫌われちゃったの」
「そんなあ・・・・・・・・・・・・・」
無知とははたして、罪なのだろうか。あおいの顔は、再び絶望色に染められてしまった。
「でも、お赤飯って食べたことあるよ」
「違うわよ、特別な日のことなの、あなたの体の変化のことよ。まだなのよ」
「ウウ・・ウ・ウ・ウ、じゃあ、どうしたらいいの?有希江姉さん!?」
「だったら、お姉さんのこと、何でも聞く?」
「・・・・・・・・」
言うまでもなく、あおいの返事は決まっている。イエスである。
「私がママたちにとりなしてあげるから、もしも、このままじゃ、一生精神病院に入れられるわよ、それでもいいの?」
「いやだ! そんなの! いや!」
「伯母さんみたいになっちゃうよ」
「え? 伯母さん、もう出て来れないの?」
「かもね ―――」
有希江はかぶりを振った。その態度はあまりにわざとらしかったが、幼年のあおいには、それが理解できなかった。とてつもない不安な状況に、追いやられているとあおいは理解した。もう二度と、あの家族にはもどれない。楽しかった日々は戻らない。さらなる絶望は、あおいを生きながらの地獄を体験させた。
その地獄から這い出るためには、何が必要か。小さい頭ながらに、あおいは、救いを自分の手で求めはじめていた。
「そうならないように、姉さんがとりなしてあげる。実はね ―――」
有希江は、そうやってこれ見よがしに、秘密を、いや、秘密らしきものを明かしはじめた。
夜は全裸の妹と姉という、不思議な絵をどのように見ていたのだろうか。
降り積もった雪は、両者を既視感を以て、見ていたかもしれない。
「・・・・・・・・・・・・・・」
有希江は、あおいの意図を探るように、針を密かに刺してくる。あおいは、それにどのように対処していいのか、わからずに、黙りこくってしまった。そこで、貝殻に籠もってしまった貝をどうやって吸い出すのか、有希江は、言葉の手練手管を使って、おびき出すことにした。
「ほら、別に恥ずかしいことじゃないからさ ――」
あおいは、有希江の首筋を頭で感じた。仄かな肌の温かみが空気を伝わってくる。それは情愛なのだろうか。あおいは、それに酔ってしまったのか。顔の表面が、熱を帯びてくる。かすかな痒みを感じるほどに、突っ張ってきた。
彼女は初恋の経験はまだないのだが、もしも、そのような体験が存在するとすれば、どのようなものなのか。それは、最近読み始めた小説や、歌詞から、一定の想像は可能だった。
ちなみに、親友である赤木啓子に、読むように誘われたのである。高い知性を有していながら、無駄に遊ばせている親友を見ていて、啓子は歯がゆくなったのだろう。
それはともかく、あおいは初恋なるものに、興味を持ち始めていたころである。もしも、理想的な男の子が側にいたら、心臓がドキドキするのだろうか。顔が真っ赤になるのだろうか。少女は、さきほどの参考文献から、そのような情報を得ていた。
しかし、それが姉によってもたされるなどと、想像だにしなかった。
「ねえ、言っちゃいなさいよ ―――」
「・・・・・・・・・」
有希江の吐息が、あおいの首筋を走っていく。そのいたずらな小人たちは、少女の産毛を逆立てながら、頭へと駈け込む。
「誰にも言わない?」
「うん、大丈夫、口は堅いよ」
有希江は常套句を言ったが、あおいはそうとは受け取らなかった。それは、彼女の人生経験不足を証明しているのかもしれない。有希江は、そんなあおいを以前よりも、はるかにかわいいと感じていた。妹のうなじはほんのりと赤くなっていた。思わず、そこに触れたくなった。さらに口を近づける。
「ひ」
あおいは、予想もしなかった刺激に、驚いた顔を見せた。
「あら、私が嫌いなの?」
「そんな、違う!おどろいただけ!」
あおいは、有希江の反応に驚いた。このままでは、本当に孤立無援になってしまう。有希江は、もはや、この家での唯一の味方なのだ。それを失っては、本当に絶望の海に沈んでしまう。気が付かないうちに、頬が濡れていた。
「あ!?」
少女は、涙を拭こうしたが、有希江に阻止された。両手首を摑まれたのだ。妹を動けないようにしておいて、頬にキスをする。
「ひあ?!」
「アメリカじゃあたりまえのことよ、仲のいい家族ならね」
「家族・・・・・・?」
あおいは、改めてその言葉を噛みしめた。何故か、苦い味が滲んでくる。これまでなら、それは彼女にとって、この世でもっとも美味な存在のはずだった。誰が敵になっても、家族だけは、彼女の味方になってくれるはずだった。
しかし、今、そのことばを改めて、口に含んでみると、その痛い苦みにおもわず顔を歪めてしまう。
「あおいちゃん、可愛いいんだから、そんな顔しちゃだめだよ。台無しじゃない。有希江は、そんなあおいちゃんが大好きだな ―――」
「ぅうああぅ・・・・・」
巧妙にことばで誘い出してみる。
かわいいとは、あおいが小さいころから、言われ続けたことばだ。だから、耳に蛸ができてしまって、その本当の価値を忘れてしまっていた。人間は、甘いものも慣れすぎると、甘く感じなくなるものだ。愛情もそれに似ているかもしれない。
あるいは、そういうあおいに、有希江は知らず知らずのうちに嫉妬していた可能性もある。
有希江は、妹の涙を舐めてみた。当たり前のことだが、それは海の味がした。彼女は海に囲まれた国に住んでいる上に、車を使えば、20分ほどで海に辿り着くことができる。そんな場所に住んできた。しかし、有希江は、何故か、海という言葉が、縁遠い気がするのだ。その字に親しみがわかない。だからと言って、海に嫌な記憶があるというのではない。むしろ、泳ぎは得意であるし、むしろ親しんできたほうだ。
海は、自分の大事なものを阻んでしまうような気がする。その言葉から、いいイメージがわかないのだ。それは、実体験からもたらされたイメージではないような気がする。何やら夢の世界での出来事が元になっているような気がする。
そう言えば、海で何かを無くしたかのような夢を見る。詳しい内容は憶えていないが、意味不明の 喪失感と海という言葉は、常に同居しているのである。
有希江は、あおいにそれを感じていた。
「ここを触っていたんじゃなくて?」
「ひい!いやぁあ・・・・ぁ!」
有希江の手が、あおいの股間を捕まえていた。あおいは、抵抗しようとするが、両手首を奪われているために、身動きひとつできない。できるのは、無駄に蠢くばかりだ。有希江の目には、それは、蜘蛛の巣にかかった可憐な蝶にみえた。可愛いということは、対象をどのように扱っても、自分に害がかえってこないことを意味する。だから、嗜虐の心が起こってくるのだ。本人が意識していようと、していまいと・・・・・・・・・・。
有希江は、さらに質問を続ける。
「言いなさい、何をしていたの?」
「ウウ・・ウ・ウ、こ、ここをさ、触ってると・・・・・・・・・・」
小さな孔に押し込まれたような声。有希江は、さっそく、それを現実世界に引き戻したくなった。
「触ってると?」
「ッ・・・・・ウウ・・・き、気持、気持ちよくなって ――――」
「気持ちよくなって?」
有希江は、まるで被疑者を追いつめる刑事のように、追求の手を休めない。
その顔にはいやらしい笑みが浮かんでいる。しかし、あおいはその顔を拝むことはできない。
少女は、顔を真っ赤にして、背中に迫ってくるプレッシャーに耐えていた。いったい、どんな態度を取れば有希江に嫌われずにすむのだろう。
有希江に嫌われずにすむのだろう。あおいは、今まで使ってこなかった脳のある部分をフル回転させなくてはならなかった。それは、今まで彼女がほとんどしなかったことである。あるいは、しなくてもすんでいたことである。
「ウグググ・・・・・ウウ」
しかし、そんなことを考えている間にも、有希江の手は、あおいの局所を蹂躙する。下着の上から、膣の中にまで侵入されている。
この時、あおいは、その刺激の意味を理解していない。そして、その刺激からくる反作用については、ほとんど知識ゼロのネンネにすぎない。だからこそ、とまどいを隠せないのだ。いったい、自分が何処にいるのかわからない。しかし、それは、いきなり家族から冷水を浴びせかけられた時とは違う。
いま、あおいが弄られているばしょは、彼女にとってみれば、唯一排泄だけの道具だった。それ以外の機能があるとは夢にも思わなかった。だが、今、それ以外の方法で使われようとしている。しかも、自分以外の人間の手によって、無理矢理にその扉をこじ開けられようとしているのだ。これは我慢ができない。しかし、縛りがあるために、抵抗できない。よもや抵抗しようとするが、それは、ほとんど本能的な反射作用にすぎない。
「ここを弄って、どう思ったの?」
「もう、いや!いや!いやああ!ママ!?」
あおいは、激しく抵抗した。それは、有希江の予想を裏切るほどだった。だから ――――。
びしっ!!
一瞬、その場の空気が凍り付いた。
有希江の平手打ちが、あおいに炸裂したのだ。赤い稲妻が走った。
「あ ――――」
あおいは、何が起こったのか分からずに、痴呆老人のように、小さな口を開けたまま、空気を摑もうとした。
「何言ってるのよ! ママだって? もうあんたにはママなんていないのよ! まだわかってないの!?」
「ひい!いやあああ!!」
有希江は、あおいの髪を摑むと乱暴な手つきで、引きずり倒した。しかる後に、彼女の衣服を引っ剥がしはじめたのである。まるで、宇宙服なしで、宇宙空間に放り出されたように思えた。
「やめてぇええええ!! ママあ! 助けて!!ぇええ!!」
ここに来て、なお母親を求めるあおい。その姿に、怒りを憶えると、激しく怒鳴りつけた。
「うるさいわねえ!!」
そして、激しく殴りつける。抵抗が見えなくなったところで、さらに服を脱がし、全裸にしてしまう。
「いやああ!! 有希江姉さん ――――!?」
「ほら、出て行きなさい!」
有希江は、あられもない姿になった妹の腕を摑むと、ベランダに放り投げた。無毛の股間が、有希江の視界に入った。
あおいは、野球のボールのように飛んでいく。投げられた少女は、暗闇を感じた。それは、とても小さく、そして冷たかった。
時間が時間だけに、断崖絶壁に投じられたかのような恐怖を感じる。しかも、真冬の寒さが骨に浸みる。広いベランダは、5センチほども雪で埋まっている。
「ひ!つ、めたい!」
あおいに息をつかせる暇も与えなかった。ふいに、扉が閉まって、おそるべき音が聞こえた。施錠の音である。それは、あおいにとってみれば、ギロチンの刃が落ちる音にも似ていたかもしれない。
「いやあああ!!」
広い榊家の敷地のこと、その上、大樹が外界から家を護っている。他人から、見られることはないかもしれない。
しかし、少女は本能的に胸と股間を隠した。この世のものとは思えない寒さが襲う。それに加えて、全身に羞恥の熱が起きているために、より、寒さを感じるのだ。がちがちと歯が鳴る。
「お、お願い!姉さん、開けて、開けて!寒いよぉ!いうことなんでも聞くから!おねがいぃ!!」
あおいの絶叫が響くが、夜の闇も、降り積もった雪も、答えてはくれない。よもや、有希江は、厚いガラスの向こうにいる。哀れな妹の懇願に耳ひとつ傾けようとしない。
――――あ、有希江姉さん!
しかし、有希江は、こちらに向けて歩み寄ってきた。はたして、開けてくれるのだろうか。まるで、10年も待ち望んできた援軍が来てくれるかのように思った。
「有希江姉さん!」
ダンダンと再び、窓をたたく。手が割れるほどに痛い。息まで凍ってしまいそうな寒さとあいまって、苦痛を二倍にも、三倍にも増加させていた。
「有希江姉さん! あ?!」
そのとき、あおいの目の前で信じられないことが起こった。カーテンが閉められたのである。ガラスごしのために、その音は、よく聞こえないはずだったが、少女の耳ははっきりと、聞こえた。それは少女の両耳を切断する音だった。そして、それは、最後の希望が断ち切れる音だった。
「ウウ・・ウ・ウ・・ウウウ! 」
激しく泣き崩れるあおい。もはや、両足が切断されるような冷たさも痛さも、あまり意味をなさない。 その足指は、真っ赤に晴れて、はたして霜焼けですむのかわからない。
しかし、そんなことも忘れて、窓にすがりついて泣いた。あたかも、それが、彼女の飢えた情愛を満足させてくれるかのように、すがりつづける。
「なんでもする! なんでもするから! 有希江姉さああん! 許して! 許してェエ!大願!ィイイイイ!」
一方、有希江も無傷だったわけではない。その心は、ささくれ立って、よく見るとわずかに血が滲んでいる。
彼女の心は、今や、ふたつに引き裂かれ、路傍を彷徨っていた。あおいと同じように、裸足で真冬の廃墟を、家族の愛を求めて、すがり歩いていたのだ。
「はやく、おはいり・・・・・」
「アア・・アアああ・・あ? ゆ、有希江姉さん?」
有希江は、全裸のあおいを引き入れると、即座に抱きしめた。
―――熱い!熱いヨォオ!
あおいは、一瞬、火傷がするかと思った。彼女の愛撫は、それほどに激しく、今の今まで晒されていた凍土とは、あまりに、温度の差が激しかったのだ。
姉の吐息は、地獄の熱風を思わせた。しかし、それはすぐに、人肌の温かさだとわかった。それにほだされて、さらに涙があふれてくる。
「ごめんね、悪かったわ。だけど、あおいに分かってほしかったの。私は別に、あなたをいじめたいと思ってやったわけじゃないのよ」
「うん、うん、うん、うん、わかる!」
あおいは、あたかも、自分に言い聞かせるように、頷いた。
「じゃあ、わかってくれるよね、さっきのことは別に恥ずかしいことじゃないのよ」
「・・・・・・・・・・ハイ」
少女は、ためらいながらもさらに頷いた。
「わかってくれるのね」
「・・・・・・・・・」
さらに頷くと涙が、床に零れた。
「あ」
「どうしたの? あおいちゃん」
とてつもなく優しい声で、有希江は聞いた。
「き、汚いから、あおいの涙は」
「そ、そんなことないよ!」
有希江は、その涙を小指ですくうと舐めてみせた。そして、その手を、あおいの股間に持って行った。ふいをつかれた少女は、ピンと小さな肢体を浮かせた。その様子が、あまりに可愛らしいので、 有希江は、よりいっそう食欲を感じた。
あおいの小さな肢体は、姉の指が胎内に、入っていく度に、弓なりになり、幼児のようになった。
「本当は、あおいは人魚だったのね」
「あぁぁぁぅ・・・・・・ウウ」
自分の思うとおりに、楽器が音楽を奏でてくれる。これほど、演奏者冥利なことはない。妹は、姉にとって例えようもなく可愛らしい楽器だった。
「うふふ、これを一人でやっていたのね、いけない子」
「そ、そんあ!ぁあううあう!!」
動いたために、よりいっそう、あおいの内奥に、指が侵入することになった。
「そんな、恥ずかしくないって・・・・・・」
「そう? 違うわよ、それは大人の許可を得てからのことよ。まだあなたは赤飯を炊いてもらってないでしょう?だからだめなの。それなのに、こんなことをしたから、嫌われちゃったの」
「そんなあ・・・・・・・・・・・・・」
無知とははたして、罪なのだろうか。あおいの顔は、再び絶望色に染められてしまった。
「でも、お赤飯って食べたことあるよ」
「違うわよ、特別な日のことなの、あなたの体の変化のことよ。まだなのよ」
「ウウ・・ウ・ウ・ウ、じゃあ、どうしたらいいの?有希江姉さん!?」
「だったら、お姉さんのこと、何でも聞く?」
「・・・・・・・・」
言うまでもなく、あおいの返事は決まっている。イエスである。
「私がママたちにとりなしてあげるから、もしも、このままじゃ、一生精神病院に入れられるわよ、それでもいいの?」
「いやだ! そんなの! いや!」
「伯母さんみたいになっちゃうよ」
「え? 伯母さん、もう出て来れないの?」
「かもね ―――」
有希江はかぶりを振った。その態度はあまりにわざとらしかったが、幼年のあおいには、それが理解できなかった。とてつもない不安な状況に、追いやられているとあおいは理解した。もう二度と、あの家族にはもどれない。楽しかった日々は戻らない。さらなる絶望は、あおいを生きながらの地獄を体験させた。
その地獄から這い出るためには、何が必要か。小さい頭ながらに、あおいは、救いを自分の手で求めはじめていた。
「そうならないように、姉さんがとりなしてあげる。実はね ―――」
有希江は、そうやってこれ見よがしに、秘密を、いや、秘密らしきものを明かしはじめた。
夜は全裸の妹と姉という、不思議な絵をどのように見ていたのだろうか。
降り積もった雪は、両者を既視感を以て、見ていたかもしれない。
「ウウ・ウ・・ウ・ウウ・・・・うう!」
あおいは、涙の粒が食器の上に、落ちるのを幾つも確認した。しかし、もうどうしようもない。彼等は、何かしら少女に訴えかけているのだが、その真意を知ることはできない。いや、探ろうとする。
今、自分の脳はどのようになっているだろう。身を裂かれそうな悲しみのなかで、ふと、あおいはそう想像してみた。
CT―スキャンしたら、きっと、アルツハイマー患者よろしく、空の脳が見えることだろう。いつか、家族で見たドキュメンタリー番組で仕入れた知識だ。勉強はそれほど好きでないし、積極的に取り組むことはないが、憶えはいい。
いや、本人の自覚はないが、大人たちはそう言って誉めてくれる。いや、それは過去形だろう。いや、高得点の答案を見せても、「ずるしたんでしょう?」と言われかねない。そんな経験など、全くないのに、どうしてこんな想像が浮かんでくるのだろう。いや。想像しなければならないのだろう。
「うう・う・う・う・・ううう!」
裾で涙を拭う。
「あおいちゃんは、頭がいいのね、勉強しなくても良い点がとれるんだから、でももう少し努力してほしいな ―――」
いたずらっぽく笑った母親は、年齢よりも若く見えた。お姉さんのような母親。あおいは、大好きだった。いや、今でもその気持は焦ることはない。かえって、失ったいまこそ、その愛情を余計に感じる。どれだけ、母親に愛されたことがよくわかる。
―――ちがう! 今でもママに嫌われてなんかない!!
自分の内面に存在する、何者かに、牙をむいた。
しかしながら、実在しない猛獣を怒鳴りつけても、誰も誉めてくれないだろう。今まで、たいした努力をしなくてもチヤホヤされた“あおいちゃん”はもう何処にもいないのだ。
「そんなところで、拭いたら、せっかくのいっちょうらが台無しよ、ほらおいで、拭いてあげるから。あおいちゃん! 笑って! 折角の可愛い顔が台無しよ!」
久子は、そう言って涙で濡れた頬を脱ぐってくれた。その手は、お日様と同じように温かかった。大好きだった。いや、今でも大好きだ。そして、家族は彼女のいちばん、大切なもののはずだった。
しかし、今は ――――――――。
彼女の涙を拭ってくれるママはもういない。
有希江も久子に促されて、キッチンを去っていった。彼女の最後の言葉が、いまでも耳にこびりついている。
「ちゃんと、後始末するのよ! 一枚でも割ったら許さないからね、お給金から抜きますから」
―――お給金って何だっけ?
確か、国語の授業で、読まされた小説にそんな言葉があった。
あおいは、小学生の未経験な頭をフル稼働させて、今、自分が置かれた状況を理解しようとした。しかし、何も浮かばない。思いつかない。目の前で、ぞうきんが動いている。
いったい、誰が動かしているのだろう? 何のために動いているのだろう?
茉莉にされたいじめのせいで、ハンガリアチキンが零れたのだ。妹は、あおいが全部食べ終わるまで、許してくれなかった。まるで犬のように、いや、犬になってエサをもらった。
―――え?いじめ? あたし、いじめられたの? 家族に? 妹に? そんなこと?!
姉としての自尊心が、少女にそう思わせていた。こんな小さな、まだ初潮も迎えていない少女の、華奢な身体の中に、たしかに確としたものが芽生えていた。
だが、あらためて、それを自覚するほど、少女は精神的に成長しておらず、ただ戸惑う能力があるだけだ。目の前のぞうきんは、なおも動いている。一体、誰が動かしているのだろう。
―――え?私? 本当に、私が動かしているの?!
あおいは、自分の視覚が信じられなかった。いや、五感、すべてが信じられないと言っていい。床のゴム臭は、フローリングのコーティングのせいか、ワックスのせいか。
そして、加えて、全身の痛みは何なのだろう? 何処かにぶつけたのだろうか。
よもや、自分が、誰からも愛される自分が、暴力をふるわれることなんて、ありえない。
だから、何か硬い物に身体を打ち付けたのだ。
だけど、それにしては、おかしい。背中が痛いのだ、どうやって、そんな場所を打つというのだろうか。寝返りが悪かったせいだろうか。
頭や顔までが、痛い。どんな寝方をすれば、こんなことになるのだろう。しずちゃんに聞いてみたいものだ、ちなみに、それは、あおいが小さいころから気に入っているぬいぐるみのことだ。この狸のぬいぐるみは、少女の寵愛をたいそう、賜ったものだ。
あくまでも、先ほどまで、自分に起こったことを認めたくない。そんな思いが、あらぬ妄想を掻き立てる。手を動かす。ひたすらにぞうきんを動かす。あたかも、この世の始まりから、終わりまで、ずっとそうし続けるかのようにすら思える。時間の間隔が全くない。誰かに止めてほしい。自分では、もはや止められない。ありえないはずの永久機関が、悲しみをひたすらに増刷し続ける。
しかし、そんな少女を止めた者がいた。
「あおい!」
「ウ・・ウ・うう?!」
もはや、人間としての言葉は出てこない。
「もういいよ、そこで休んでな、後は私がやるから ――――」
言うまでもなく、有希江だった。あおいは、その優しい手に誘導されるまま、椅子に座った。姉は、何も言わずに、休むように促してくれる。
「・・・・・・・・・・」
もはや、涙も出ないという様子で、机の表面を見つめる。
――あ、こんなところに傷があったんだ。
今まで、気付きもしなかったへこみを見つけた。マホガニーの机とはいえ、長く使っていれば、傷の一つも走るというものだ。ちなみに、あおいが生まれる遥か前、この机が、榊家にやってきたのは、徳子が赤子の有希江をあやしていたころだ。
少女は放心状態のまま、数分を過ごした。その間、有希江はてきぱきとした手つきで、後始末をこなしたが、あおいはそれをよく憶えていない。ただ、いきなりやってきた精霊が、光のスピードで、あっという間に終えてしまった ―――――そんな認識しかない。
「あ、有希江姉さん ――」
だから、後始末を終えた有希江に、肩を触れられたとき、まったく反応できなかった。まるで人形のような感触に、有希江も凍り付いた。
「お腹、空いただろう、用意しておいたから、私の部屋で食べなさい」
「・・・・・・・・・」
かすかに俯いただけで、あおいは、小刻みに震えるようだ。有希江は妹を立たせると、まるで老人を介護するように、自分の部屋へと誘う。
あおいが、意識を取り戻したのは、栄養がその身体に、生気を蘇らせて後のことだった。
その様子は、命の保証を得た傷病兵が、改めて苦痛で呻きだすのに似ていた。皮肉なことに、虎口を逃れた傷病兵は、命の保証を得て、はじめて自分が痛みを感じていることを思い出すそうである。
「ウウ・ウ・ウ・・ウ・ウウウ・・うううう!!」
あおいは、有希江の部屋で、与えられたサンドウイッチを頬張りながら、泣き出した。それには、有希江の手のぬくもりが残っていた。
それは、彼女にとってみれば薬だったのかもしれない。妹を気遣う気持があったのなら、薬にちがいはない。
薬は、時に毒になる。
その微かな優しさであっても、今のあおいには毒薬だった。少女の焼き爛れた喉と消化器にとってみれば、ごく微少の薬物でさえも受け入れることはできなかった。その反応が、激しい嗚咽と涙だった。
口に入れたとたんに、息が出来なくなった。
そのかけらに、有希江の優しさを感じたからこそ、である。
かつて、家族から受けた愛情の片鱗を呼び覚ましたのかもしれない。
たった1日前のことなのである。まるで、悪い病気に感染したかのように、家族の態度は一変してしまった。
その極寒の中で、唯一の温もりと思われたのは、有希江だった。あおいにとってみれば、それが目に眩しく、肌には火傷すると思われるほどに熱かったのである。
「有希江姉さん ――――どうして、こんなことになったのかしら」
まだ嗚咽を残した口調で、言葉を紡ぎはじめた。サンドウィッチを食べ終えて、温かい紅茶を煤って、一息入れたのである。時刻はすでに午前0時を超えていた。
「たしか、茉莉のこと言ってたわ、心当たりはないの?」
「・・・・・わからない ―――」
あおいは頭を抱えて、苦悩を表す。
それも仕方ないと思う。どのような理由があろうとも、妹が、あのような仕打ちを受ける筋合いはない。しかし、何故か、それを強弁する気にならない。
「私、何も悪いコトしてない!」
「・・・・・・・?!」
有希江は、ふと、今までになかった感覚が身の内に起こるのを感じた。
―――――それは違う!
具体的に、何を指すのかわからないが、確かに何かを感じる。ちょうど、それは、料理の隠し味のようで、味の鍵を握っているのだが、その正体がようと知れないということは、よくあることだ。
「ねえ、そうでしょう?!」
口調は、勢いをまして、いつの間にか抗議になっていた。
――――どうして、私にぶつけるのよ。
あおいに対する憐憫とふつふつと沸いてきた不満。
両者の葛藤は、常に、有希江にまとわりつき、彼女を悩ませてきたことだった。ただ、一つだけ違うことがある。
それは憐憫でなくて、愛情だった。
いつも笑っていて、家族に黄金の光と福をもたらすニンフ。
彼女は、いわば、榊家に咲いた一輪の花だった。家族にとって、アイドルそのものだったことは、もう書いた。有希江も当然のように、妹を愛した。口では、彼女の天性のものである口癖の悪さが頭をもたげたが、それは決して本心ではなかった。それは、あおいも承知していた。互いの間には、他の家族同士とは、また違う信頼感があった ―――はずだった。
しかし、その半面、敵意を抱いていたことは否定できない事実である。それが、今、この時に蘇ってきたのである。あおいが、絶体絶命のこのときに、頭をもたげてきたのは、皮肉中の皮肉だった。
あおいは、回転椅子に座りながら、足を組んでいる。その伸ばしている足の細さに、わけのわからない感情を憶えた。しかし、細いとは言っても、大人のようにくびれがはっきりとしているわけではない。その不完全さが、いささか哀れみをも憶えた。
感情の冷却や、自動的にその身体に影響した。
「あ、有希江姉さん・・・・・・・・・・」
あおいは、その温度差から、熱いと感じ、有希江はその逆に感じた
――なんて、冷たい。こんなに冷え切っているの?
その熱は、有希江の怒りを、一時的にしろ、冷ます役割をしたのかもしれない。
「ああ、ゆ、有希江姉さん?」
あおいは、姉の不自然な手の動きに、動揺したのか、ぷるぷると震えた。怯えた目で、姉を見上げる。
「きゃ ――――――」
思わず、回転椅子から、転がり落ちる。
あおいは、目をシロクロさせて、姉の様子を観察した。
「どうして、こんなことになったと、あおいは思うの?」
「・・・・・何か悪いことしたから?」
まるで誰かに質問するような答えだ。
「・・・・・・・・・」
有希江は喉の渇きを覚えた。
炎天下の砂漠を、何時間も歩き通した旅人。彼等は、食糧も水すらなしで、歩き通したのだ。そして、やっと、辿りついたオアシスでは、美味しそうな料理が、湯気を立てていた。
――――どうしてだろう?
彼女は、自分の気持ちを訝しく思った。あおいは、同性、しかも妹なのだ。それなのに、あらぬ感情を抱いている自分を不思議に思った。
――――私に、こんな趣味があったなんて・・・・・・・。
それは、今まで、茉莉やあおいに感じていた感情とは、性格を異にするものだった。有希江は、密かに舌なめずりをした。
確かに、可愛い女の子は、そばにいて気持ちいいとは思う。後輩は、有希江を姉のように慕っているし、バレンタインの日には、鼻血が大変だと、同級生から大量の鼻紙をプレゼントされるほどだ。大変、手の込んだ皮肉だが、同じ日、下駄箱にはチョコレートが置いてあり、同級生の名前が書いてあって、うんざりしたものだ。
それはともかく、彼女たちを可愛いと思うのは事実である。面倒見のいい有希江は、後輩に限らず、同級生の女の子にも好かれている。
しかし、それはネコを愛おしく思う、それ以上でもそれ以下でもなかったはずだ。間違っても性的な好奇心の対象ではなかったはずだ。それなのに、今、有希江は、あおいに飛びかかろうとしている。
「ゆ、有希江姉さん ――――」
「ふふ、知ってるのよ、お風呂場でヘンな声あげてたでしょう?」
あおいは、有希江が想像したような顔はしなかった。その可愛らしい顔に、羞恥の色は見えない。
「有希江姉さん、私、病気かもしれない。こんな」
「ふうん、あんな声だして、何をしていたの? あおいちゃんは?!」
有希江は重々承知のくせに、あえて聞いた。あおいは気づかなかったが、彼女の切れながらの瞳は、慧眼よろしく輝いていたのである。そこには、有希江自身気づかない悪魔が、寝そべって酒盛りをしていた。
「うん ――――」
はじめて、あおいは羞恥心を顕わにした。しかし、彼女じしん、どうして自分の顔から火が出そうになるのかわかっていない。なんと言っても、彼女はまだ10歳の小学生にすぎないのだ。
あおいは、涙の粒が食器の上に、落ちるのを幾つも確認した。しかし、もうどうしようもない。彼等は、何かしら少女に訴えかけているのだが、その真意を知ることはできない。いや、探ろうとする。
今、自分の脳はどのようになっているだろう。身を裂かれそうな悲しみのなかで、ふと、あおいはそう想像してみた。
CT―スキャンしたら、きっと、アルツハイマー患者よろしく、空の脳が見えることだろう。いつか、家族で見たドキュメンタリー番組で仕入れた知識だ。勉強はそれほど好きでないし、積極的に取り組むことはないが、憶えはいい。
いや、本人の自覚はないが、大人たちはそう言って誉めてくれる。いや、それは過去形だろう。いや、高得点の答案を見せても、「ずるしたんでしょう?」と言われかねない。そんな経験など、全くないのに、どうしてこんな想像が浮かんでくるのだろう。いや。想像しなければならないのだろう。
「うう・う・う・う・・ううう!」
裾で涙を拭う。
「あおいちゃんは、頭がいいのね、勉強しなくても良い点がとれるんだから、でももう少し努力してほしいな ―――」
いたずらっぽく笑った母親は、年齢よりも若く見えた。お姉さんのような母親。あおいは、大好きだった。いや、今でもその気持は焦ることはない。かえって、失ったいまこそ、その愛情を余計に感じる。どれだけ、母親に愛されたことがよくわかる。
―――ちがう! 今でもママに嫌われてなんかない!!
自分の内面に存在する、何者かに、牙をむいた。
しかしながら、実在しない猛獣を怒鳴りつけても、誰も誉めてくれないだろう。今まで、たいした努力をしなくてもチヤホヤされた“あおいちゃん”はもう何処にもいないのだ。
「そんなところで、拭いたら、せっかくのいっちょうらが台無しよ、ほらおいで、拭いてあげるから。あおいちゃん! 笑って! 折角の可愛い顔が台無しよ!」
久子は、そう言って涙で濡れた頬を脱ぐってくれた。その手は、お日様と同じように温かかった。大好きだった。いや、今でも大好きだ。そして、家族は彼女のいちばん、大切なもののはずだった。
しかし、今は ――――――――。
彼女の涙を拭ってくれるママはもういない。
有希江も久子に促されて、キッチンを去っていった。彼女の最後の言葉が、いまでも耳にこびりついている。
「ちゃんと、後始末するのよ! 一枚でも割ったら許さないからね、お給金から抜きますから」
―――お給金って何だっけ?
確か、国語の授業で、読まされた小説にそんな言葉があった。
あおいは、小学生の未経験な頭をフル稼働させて、今、自分が置かれた状況を理解しようとした。しかし、何も浮かばない。思いつかない。目の前で、ぞうきんが動いている。
いったい、誰が動かしているのだろう? 何のために動いているのだろう?
茉莉にされたいじめのせいで、ハンガリアチキンが零れたのだ。妹は、あおいが全部食べ終わるまで、許してくれなかった。まるで犬のように、いや、犬になってエサをもらった。
―――え?いじめ? あたし、いじめられたの? 家族に? 妹に? そんなこと?!
姉としての自尊心が、少女にそう思わせていた。こんな小さな、まだ初潮も迎えていない少女の、華奢な身体の中に、たしかに確としたものが芽生えていた。
だが、あらためて、それを自覚するほど、少女は精神的に成長しておらず、ただ戸惑う能力があるだけだ。目の前のぞうきんは、なおも動いている。一体、誰が動かしているのだろう。
―――え?私? 本当に、私が動かしているの?!
あおいは、自分の視覚が信じられなかった。いや、五感、すべてが信じられないと言っていい。床のゴム臭は、フローリングのコーティングのせいか、ワックスのせいか。
そして、加えて、全身の痛みは何なのだろう? 何処かにぶつけたのだろうか。
よもや、自分が、誰からも愛される自分が、暴力をふるわれることなんて、ありえない。
だから、何か硬い物に身体を打ち付けたのだ。
だけど、それにしては、おかしい。背中が痛いのだ、どうやって、そんな場所を打つというのだろうか。寝返りが悪かったせいだろうか。
頭や顔までが、痛い。どんな寝方をすれば、こんなことになるのだろう。しずちゃんに聞いてみたいものだ、ちなみに、それは、あおいが小さいころから気に入っているぬいぐるみのことだ。この狸のぬいぐるみは、少女の寵愛をたいそう、賜ったものだ。
あくまでも、先ほどまで、自分に起こったことを認めたくない。そんな思いが、あらぬ妄想を掻き立てる。手を動かす。ひたすらにぞうきんを動かす。あたかも、この世の始まりから、終わりまで、ずっとそうし続けるかのようにすら思える。時間の間隔が全くない。誰かに止めてほしい。自分では、もはや止められない。ありえないはずの永久機関が、悲しみをひたすらに増刷し続ける。
しかし、そんな少女を止めた者がいた。
「あおい!」
「ウ・・ウ・うう?!」
もはや、人間としての言葉は出てこない。
「もういいよ、そこで休んでな、後は私がやるから ――――」
言うまでもなく、有希江だった。あおいは、その優しい手に誘導されるまま、椅子に座った。姉は、何も言わずに、休むように促してくれる。
「・・・・・・・・・・」
もはや、涙も出ないという様子で、机の表面を見つめる。
――あ、こんなところに傷があったんだ。
今まで、気付きもしなかったへこみを見つけた。マホガニーの机とはいえ、長く使っていれば、傷の一つも走るというものだ。ちなみに、あおいが生まれる遥か前、この机が、榊家にやってきたのは、徳子が赤子の有希江をあやしていたころだ。
少女は放心状態のまま、数分を過ごした。その間、有希江はてきぱきとした手つきで、後始末をこなしたが、あおいはそれをよく憶えていない。ただ、いきなりやってきた精霊が、光のスピードで、あっという間に終えてしまった ―――――そんな認識しかない。
「あ、有希江姉さん ――」
だから、後始末を終えた有希江に、肩を触れられたとき、まったく反応できなかった。まるで人形のような感触に、有希江も凍り付いた。
「お腹、空いただろう、用意しておいたから、私の部屋で食べなさい」
「・・・・・・・・・」
かすかに俯いただけで、あおいは、小刻みに震えるようだ。有希江は妹を立たせると、まるで老人を介護するように、自分の部屋へと誘う。
あおいが、意識を取り戻したのは、栄養がその身体に、生気を蘇らせて後のことだった。
その様子は、命の保証を得た傷病兵が、改めて苦痛で呻きだすのに似ていた。皮肉なことに、虎口を逃れた傷病兵は、命の保証を得て、はじめて自分が痛みを感じていることを思い出すそうである。
「ウウ・ウ・ウ・・ウ・ウウウ・・うううう!!」
あおいは、有希江の部屋で、与えられたサンドウイッチを頬張りながら、泣き出した。それには、有希江の手のぬくもりが残っていた。
それは、彼女にとってみれば薬だったのかもしれない。妹を気遣う気持があったのなら、薬にちがいはない。
薬は、時に毒になる。
その微かな優しさであっても、今のあおいには毒薬だった。少女の焼き爛れた喉と消化器にとってみれば、ごく微少の薬物でさえも受け入れることはできなかった。その反応が、激しい嗚咽と涙だった。
口に入れたとたんに、息が出来なくなった。
そのかけらに、有希江の優しさを感じたからこそ、である。
かつて、家族から受けた愛情の片鱗を呼び覚ましたのかもしれない。
たった1日前のことなのである。まるで、悪い病気に感染したかのように、家族の態度は一変してしまった。
その極寒の中で、唯一の温もりと思われたのは、有希江だった。あおいにとってみれば、それが目に眩しく、肌には火傷すると思われるほどに熱かったのである。
「有希江姉さん ――――どうして、こんなことになったのかしら」
まだ嗚咽を残した口調で、言葉を紡ぎはじめた。サンドウィッチを食べ終えて、温かい紅茶を煤って、一息入れたのである。時刻はすでに午前0時を超えていた。
「たしか、茉莉のこと言ってたわ、心当たりはないの?」
「・・・・・わからない ―――」
あおいは頭を抱えて、苦悩を表す。
それも仕方ないと思う。どのような理由があろうとも、妹が、あのような仕打ちを受ける筋合いはない。しかし、何故か、それを強弁する気にならない。
「私、何も悪いコトしてない!」
「・・・・・・・?!」
有希江は、ふと、今までになかった感覚が身の内に起こるのを感じた。
―――――それは違う!
具体的に、何を指すのかわからないが、確かに何かを感じる。ちょうど、それは、料理の隠し味のようで、味の鍵を握っているのだが、その正体がようと知れないということは、よくあることだ。
「ねえ、そうでしょう?!」
口調は、勢いをまして、いつの間にか抗議になっていた。
――――どうして、私にぶつけるのよ。
あおいに対する憐憫とふつふつと沸いてきた不満。
両者の葛藤は、常に、有希江にまとわりつき、彼女を悩ませてきたことだった。ただ、一つだけ違うことがある。
それは憐憫でなくて、愛情だった。
いつも笑っていて、家族に黄金の光と福をもたらすニンフ。
彼女は、いわば、榊家に咲いた一輪の花だった。家族にとって、アイドルそのものだったことは、もう書いた。有希江も当然のように、妹を愛した。口では、彼女の天性のものである口癖の悪さが頭をもたげたが、それは決して本心ではなかった。それは、あおいも承知していた。互いの間には、他の家族同士とは、また違う信頼感があった ―――はずだった。
しかし、その半面、敵意を抱いていたことは否定できない事実である。それが、今、この時に蘇ってきたのである。あおいが、絶体絶命のこのときに、頭をもたげてきたのは、皮肉中の皮肉だった。
あおいは、回転椅子に座りながら、足を組んでいる。その伸ばしている足の細さに、わけのわからない感情を憶えた。しかし、細いとは言っても、大人のようにくびれがはっきりとしているわけではない。その不完全さが、いささか哀れみをも憶えた。
感情の冷却や、自動的にその身体に影響した。
「あ、有希江姉さん・・・・・・・・・・」
あおいは、その温度差から、熱いと感じ、有希江はその逆に感じた
――なんて、冷たい。こんなに冷え切っているの?
その熱は、有希江の怒りを、一時的にしろ、冷ます役割をしたのかもしれない。
「ああ、ゆ、有希江姉さん?」
あおいは、姉の不自然な手の動きに、動揺したのか、ぷるぷると震えた。怯えた目で、姉を見上げる。
「きゃ ――――――」
思わず、回転椅子から、転がり落ちる。
あおいは、目をシロクロさせて、姉の様子を観察した。
「どうして、こんなことになったと、あおいは思うの?」
「・・・・・何か悪いことしたから?」
まるで誰かに質問するような答えだ。
「・・・・・・・・・」
有希江は喉の渇きを覚えた。
炎天下の砂漠を、何時間も歩き通した旅人。彼等は、食糧も水すらなしで、歩き通したのだ。そして、やっと、辿りついたオアシスでは、美味しそうな料理が、湯気を立てていた。
――――どうしてだろう?
彼女は、自分の気持ちを訝しく思った。あおいは、同性、しかも妹なのだ。それなのに、あらぬ感情を抱いている自分を不思議に思った。
――――私に、こんな趣味があったなんて・・・・・・・。
それは、今まで、茉莉やあおいに感じていた感情とは、性格を異にするものだった。有希江は、密かに舌なめずりをした。
確かに、可愛い女の子は、そばにいて気持ちいいとは思う。後輩は、有希江を姉のように慕っているし、バレンタインの日には、鼻血が大変だと、同級生から大量の鼻紙をプレゼントされるほどだ。大変、手の込んだ皮肉だが、同じ日、下駄箱にはチョコレートが置いてあり、同級生の名前が書いてあって、うんざりしたものだ。
それはともかく、彼女たちを可愛いと思うのは事実である。面倒見のいい有希江は、後輩に限らず、同級生の女の子にも好かれている。
しかし、それはネコを愛おしく思う、それ以上でもそれ以下でもなかったはずだ。間違っても性的な好奇心の対象ではなかったはずだ。それなのに、今、有希江は、あおいに飛びかかろうとしている。
「ゆ、有希江姉さん ――――」
「ふふ、知ってるのよ、お風呂場でヘンな声あげてたでしょう?」
あおいは、有希江が想像したような顔はしなかった。その可愛らしい顔に、羞恥の色は見えない。
「有希江姉さん、私、病気かもしれない。こんな」
「ふうん、あんな声だして、何をしていたの? あおいちゃんは?!」
有希江は重々承知のくせに、あえて聞いた。あおいは気づかなかったが、彼女の切れながらの瞳は、慧眼よろしく輝いていたのである。そこには、有希江自身気づかない悪魔が、寝そべって酒盛りをしていた。
「うん ――――」
はじめて、あおいは羞恥心を顕わにした。しかし、彼女じしん、どうして自分の顔から火が出そうになるのかわかっていない。なんと言っても、彼女はまだ10歳の小学生にすぎないのだ。
あおいは祈るような気持で、鉄格子の向こうにある満月を見つめていた。しかし、そうは言っても、別に、少女は牢獄に閉じこめられているわけではない。これまで使っている部屋を追い出されるということはなかった。
しかし、少女を取り巻く空気は、悪化の一途を辿っている。薄めた毒ガスを絶え間なく、注入されるような状況は、じきに彼女を追いつめていった。当然のことながら、それは、精神状態にも影響を与えていた。
彼女の部屋は、ヨーロッパ風建築によくあるような、鋼鉄の格子が入っているのだ。
混乱し、停滞した精神は、見慣れているはずの部屋を、牢獄にしてしまったのだ。
しかし、部屋の様子は、いままでとだいぶ違う。まだ午後9時を少しだけ回っただけだというのに、真っ暗なのだ。停電したとでもいうのだろうか。
だが、この息苦しい雰囲気は、なんだろう。
8畳ほどの部屋に、所狭しと、巨大な荷物が鼻歌を歌っている。それほど低くはない天井に、達するほどの大荷物も存在する。その中で、あおいは、放心したように、鉄格子の間から満月を眺めている。その目はうつろで、はたして、満月の明るさを感じているのか、疑わしい。
両手は、まるでマリオネットのように、垂れている。一生分に働くべき労力をたった数時間で、使ってしまったかのように、うなだれている。
少女をここまで疲弊させたという。殺人的な労働とは、いったい、どのようなものだったのだろうか。
これらは、その日の内に、運び込まれたのである。いや、正しくは、あおいが自身で運んだのだ。もっと正確を期せば、その小さな躯で、自分の背丈よりもはるかに大きく重い荷物を、運ぶことを強要されたのである。
全身の筋肉が悲鳴を上げている。もう、限界だ。もう動けないと、泣き声を上げている。まだ小学生なのに、老人のように節々が痛い。祖父や祖母がそのように嘆いていたのだが、こういうことかと、ヘンな納得のさせられ方をした。
有希江は、手助けしてやろうと食指を動かしたが、久子によって阻まれた。甘やかすなというである。彼女によれば、今まで、さんざん甘やかしてきた。そのために増長し、わがままになってしまった。そのあおいにお灸を据えようというのである。
「これは、あおいちゃんのためなのよ ―――」
それは、久子が強調したことだった。家族はみんな、彼女の言うことに納得している。しかし、ことに、茉莉は進んで、母親の考えに賛同している。どうしてなのか、あんなにおとなしく、自分から何かを主張するということがなかった。そんな茉莉の変容は、有希江には訝しいことだった。
徳子と久子は、彫像のように立ち尽くしているだけだ。
「なにも、ここまですることないじゃない! これって虐待よ!」
今まで、セーブしていた感情を、露出してみせた。
「有希江、あなた、茉莉がどれほど傷ついていると思っているの?」
徳子が逆に抗議する。有希江の抗議は、まったく意に介されない。
「あおいが、茉莉に何かしたの?」
有希江は、テーブルの上を拭きながら、言った。ここは、ダイニング。今、夕食が終わったところである。しかし、メインディッシュが盛られていた皿は、四枚しかなかった。現在、榊家の家族は五人構成にもかかわらず、その数である。
しかも、普段なら汚れているはずの席は、キレイなままだった。ご飯粒、ひとつ残っていなかった。あおいは、年甲斐もなく、食べ物を零すので、久子や徳子に叱られ、有希江には嫌みを言われていたものだ。
しかし、外では誰よりも上品に、マナーを守って見せるので、その内弁慶ぶりに、家族は開いた口がふさがらないのだった。
こと、あおいのことになると、興味深いエピソードに事欠かない家族である。笑い話とともに、いつも思いだしていたものだが、今回は違う。
そもそも、みんなあおいには甘かった。これは確かなことである。しかし、このような挙に出るほど、ひどかったわけではない。あるいは陰険な非行を働くわけでもない。
だから、みんな、あおいを笑って許していたのである。
それは彼女の性格ゆえだった。みんな罪のない、彼女の笑顔が大好きだったはずである。裏表のない性格は、家族のみならず、誰にも好かれている ――――はずであった。今、茉莉がそれを否定するというのである。
有希江はその理由は訊くことにした。この際、それをあきらかにしない限り、何も始まらない。
「言ってみなさいよ、茉莉、いったい、何があったのよ!?」
「ちょっと、有希江、この子は被害者なのよ!」
徳子が激しくテーブルを叩きつけた。銀食器がぐらぐらと、悲鳴をあげる。それと呼応するように、ドアがノックされた。その音は弱々しく、まるで空気を摑むような仕草である。
「誰かしら?」
久子が冷たく言い放つ。おそらく相手が誰かわかっているのだ。有希江が知っている限り、誰構わず冷たい態度を取る人間ではない。
「あおいです ・・・・・・・・」
震える声が、ドアの向こうから聞こえる。一枚の板を隔てても、彼女の顔が恐怖のあまり引きつっているのがわかる。
たった一枚の板で、彼女と家族は引き裂かれてしまったのだろうか。有希江は思った。
もっとも、彼女こそ、それを実感していることだろう。しかし、何があっても解決しなければという意気込みがないのは、どういうわけだろう。
壁に掛けられている絵画は、東郷青児という戦後まもなく活躍した画家の作品である。
一見して、マネキンを思わせる人物群が、絵の中を占める。とてつもなくシュールな画風。彼女らの視線を追っても、何処を、そして、何を見ているのかわからない、さながら、今の久子を彷彿とさせる。いや、ここにいる四人を象徴しているのかもしれない。
「どうして、こんなに遅れるの!?」
「・・・・・・・・に、荷物を・・・・・・」
「いい訳しない」
バシッッ!!
空気を切り裂くような音がした。有希江が絵画とにらめっこしていう間に、事態は進行しているようだ。なんと、久子が平手打ちを喰わせたのだ。あおいは、凍り付いて佇立している。
しかし、理性を完全に失ったあおいは、こんな状況になってもその言葉を発した。
「ママ?!」
その一言は、久子を完全に、怒りのために凍り付かせた。
あおいは、ほとんど、母親に暴力をふるわれたことがない。だから、その思考は停止してしまったにちがいない。未体験の出来事に、人は、ただ直立するしかないだろう。
あおいは、頬を震える手で、触りながら、母親を見上げている。彼女は、この世でもっとも信頼しているはずの人間である。しかし、今、あおいにしてみれば、まさに悪鬼にしか見えないにちがいない。
「いやあ! ママ! 許してぇええ!!」
久子は、あおいの髪を鷲摑みにすると、その力をもって、床に這わせた。そして、娘の背中に馬乗りになって、その頭を何度も平手打ちしはじめた。唖然となる有希江。恐る恐る茉莉と徳子に視線を移す。
何と、二人はマネキン人形のように、無表情のまま立ち尽くしている。この二人は、10何年も家族と呼んできたひとたちなのだろうか。そして、あおいを叩きのめしている鬼母は、本当に、自分の母親なのだろうか。
有希江は、あたかも白昼夢を見ているような錯覚に陥った。
ひとしきり殴りつけた久子は、次ぎのように短く命じて、ダイニングを去っていった。
「この後始末をお願いね、お手伝いさん」
あおいの黄色い泣き声が、部屋中が響いていた。しかし、茉莉は傷口に塩を塗るような行動に出ていた。
「あおいさん、ごはん、まだなんでしょう? 有希江姉さんたら、お腹すいてなかったみたいで、こんなに残しちゃったんだよ、あなたにエサをあげる ―――」
そう言うと、茉莉は薄笑いを浮かべながら、その皿を手摑みにした。いたのである。あたかも、UFOのように、弧を描いて飛ぶ料理。そして、恭しい手つきで、それを泣きじゃくるあおいの目の前に置いたのである。
コト。
皿が床に置かれる音。それは、やけに嘘らしく聞こえた。あたかも、ドラマの演出のように、作り物めいていた。
あおいは、涙で濡れる顔を、妹に向けることでしか、答えることはできない。声は一切でない。泣き声すら立てることができなかった。声帯はその機能を忘れ、喉は単なる筒と化した。
「?」
あおいは、まるで赤子のような声を出すと、ただ、意識を茉莉に向けた。おびただしく流れる涙を拭くことも忘れて、妹に意識を集中させようと努力をする。もしかしたら、涙が流れていることにも、気づいていないのかもしれない。
ただ、目の前に起こっていること、自分の身にふりかかっていることが信じられないのだろう。有希江は、ただ大道芸人が突如として出現したときのように、意識を中空へと放散させた。そうすることで、意識が集中しすぎて、過熱することを避けているのである。
「どう? 感謝しなさいよ、あなたみたいなドロボウネコには、もったいないくらいのごちそうよ」
恩着せがましく、茉莉は、あおいにそれをたべるように促す。
しかも、それはあおいが小さいころから好きだった料理だった。ハンガリアチキン。有希江の脳裏に残っているのは、まさ5歳当時の、あおいが、ナイフとフォークを握っている場面である。当然のように、彼女はそれをどのように使うのか、よくわかっていない。ただ、振り上げて怪獣遊びをするだけだ。
「ほら、ほら、あおいちゃん、それは遊び道具じゃないのよ」
それは、この世のものとは思えない優しい声だった。聖母マリアのようだという形容が、これほど相応しい場面は、これまでもこれからも、ないだろうと思われる。
久子は、あおいの両手に触れると、チキンを切り分けて見せたのである。
「ナイフとフォークはこう使うのよ、言ってご覧なさい、これとこれは何ていうの?」
「ないふとふぉーく!」
「はーい、よくできました。ほら、お口を開けて ―――」
「ああー、おいしいぃ!」
久子の手を介して、チキンが、あおいの口に入ると、彼女は歓声を上げた。
「ほら、お食事中は騒いじゃだめでしょう、ほら、お姉ちゃんたちは、ちゃんと食べているでしょう」
「 ふふ――――」
「――――」
当時、自分がどんな目つきを妹に向けたのか、よく憶えていないが、徳子が見せた笑顔は、とてもすてきな表情だった。決して、自分には見せたことのないほどの笑顔がこぼれていた。有希江は自分だけが、家族から取り残されたような気がした。
今、目の前では、あおいがそのような境遇を辿っている。いや、それどころではない。まさに家族からつまはじきにされてしまったほどだ。そして、家政婦として、家に残ることを許されたことを感謝しろと強要されているほどなのだ。
あおいは、犬のように、よつんばいにされていた。そして、頭を摑まれると、無理矢理に有希江の残飯に、顔を突っ込まされている。
「ほら、食べなさいよ、あおい姉 ―――いや、あんたの大好物でしょう?!」
「ひぎぃ・・・・ウウ!!」
家政婦と言うべきところを『あおい姉さん』と言い間違えたことは、有希江の涙を誘った。それはあおいもそうだったかもしれない。もっとも、自分にふりかかっている陵辱行為のために、そんなことに耳を傾ける余裕はなかったかもしれない。
「ほら!」
「ウグググギエ!」
茉莉は、間違った自分に対する、気持を整理するためか、余計に乱暴になる。それは折檻と言うほかに表現方法が見付からないほど、ひどいものになった。
一体、自分たちの家族に何が起こったのだろう。起こっているのだろう。有希江は、何か見えない風圧を受けて、後ずさった。このとき、何かしら手を出していたら、事態はあれほど深刻にならずにすんだろうか。
その答えは、誰も知らない。榊家の家族の誰も答えられないだろう。明かに見えない力に突き動かされていたのである。
有希江が、手をこまねいている先で、事態は、さらに悪化の途をたどっていた。
あおいは、泣き叫びながらも、元ハンガリアキチンだったものを銜えている。茉莉から受ける折檻に耐えかねて、従ったのであろう。
おそらくは、有希江の唾液が残っていると思われる。他人の唾液には味があるんだろうか? たしか、哺乳動物の唾というものは、それを分泌した本人以外にとって、みれば毒にしかならないという。すると、接吻というのは、毒の交換を意味するのだろうか。
あおいにとってみれば、その残骸は、かつて好物だったものを彷彿とさせる。それは、単に、物質的な意味だけに限ったことではあるまい。楽しかった家族との記憶をも、蘇らせていることだろう。
きっと、その記憶と、現在、彼女が置かれている境遇を比較しているにちがいない。
有希江は、それを思うと、胸が痛んだ。
「あははは、お前はまるで犬ね、家政婦じゃなくて、いっそのこと飼い犬になってみる? そうしたら働かなくてもいいわよ、その代わりに学校もいけないし、一日中裸でいてもららわないとね」
徳子が、酷薄に言い放つ。
あおいは、もうハンガリアチキンの味を忘れてしまったらしい。「ただ、塩の味しかわからなかった」と後から述懐している。
――――私も、この空気になるしかないのかしら。
有希江は、いつしかそう思うようになっていた。
誰の戯れか、ここに掛けられた東郷青児は、不気味に笑っていた。
「私の姿は、未来の、いや、すぐ先の現実そのものだよ」
絵画が、そのように笑っている。
有希江は、とてつもなく高価な、その絵を破ってしまいたい衝動に駆られた。
しかし、少女を取り巻く空気は、悪化の一途を辿っている。薄めた毒ガスを絶え間なく、注入されるような状況は、じきに彼女を追いつめていった。当然のことながら、それは、精神状態にも影響を与えていた。
彼女の部屋は、ヨーロッパ風建築によくあるような、鋼鉄の格子が入っているのだ。
混乱し、停滞した精神は、見慣れているはずの部屋を、牢獄にしてしまったのだ。
しかし、部屋の様子は、いままでとだいぶ違う。まだ午後9時を少しだけ回っただけだというのに、真っ暗なのだ。停電したとでもいうのだろうか。
だが、この息苦しい雰囲気は、なんだろう。
8畳ほどの部屋に、所狭しと、巨大な荷物が鼻歌を歌っている。それほど低くはない天井に、達するほどの大荷物も存在する。その中で、あおいは、放心したように、鉄格子の間から満月を眺めている。その目はうつろで、はたして、満月の明るさを感じているのか、疑わしい。
両手は、まるでマリオネットのように、垂れている。一生分に働くべき労力をたった数時間で、使ってしまったかのように、うなだれている。
少女をここまで疲弊させたという。殺人的な労働とは、いったい、どのようなものだったのだろうか。
これらは、その日の内に、運び込まれたのである。いや、正しくは、あおいが自身で運んだのだ。もっと正確を期せば、その小さな躯で、自分の背丈よりもはるかに大きく重い荷物を、運ぶことを強要されたのである。
全身の筋肉が悲鳴を上げている。もう、限界だ。もう動けないと、泣き声を上げている。まだ小学生なのに、老人のように節々が痛い。祖父や祖母がそのように嘆いていたのだが、こういうことかと、ヘンな納得のさせられ方をした。
有希江は、手助けしてやろうと食指を動かしたが、久子によって阻まれた。甘やかすなというである。彼女によれば、今まで、さんざん甘やかしてきた。そのために増長し、わがままになってしまった。そのあおいにお灸を据えようというのである。
「これは、あおいちゃんのためなのよ ―――」
それは、久子が強調したことだった。家族はみんな、彼女の言うことに納得している。しかし、ことに、茉莉は進んで、母親の考えに賛同している。どうしてなのか、あんなにおとなしく、自分から何かを主張するということがなかった。そんな茉莉の変容は、有希江には訝しいことだった。
徳子と久子は、彫像のように立ち尽くしているだけだ。
「なにも、ここまですることないじゃない! これって虐待よ!」
今まで、セーブしていた感情を、露出してみせた。
「有希江、あなた、茉莉がどれほど傷ついていると思っているの?」
徳子が逆に抗議する。有希江の抗議は、まったく意に介されない。
「あおいが、茉莉に何かしたの?」
有希江は、テーブルの上を拭きながら、言った。ここは、ダイニング。今、夕食が終わったところである。しかし、メインディッシュが盛られていた皿は、四枚しかなかった。現在、榊家の家族は五人構成にもかかわらず、その数である。
しかも、普段なら汚れているはずの席は、キレイなままだった。ご飯粒、ひとつ残っていなかった。あおいは、年甲斐もなく、食べ物を零すので、久子や徳子に叱られ、有希江には嫌みを言われていたものだ。
しかし、外では誰よりも上品に、マナーを守って見せるので、その内弁慶ぶりに、家族は開いた口がふさがらないのだった。
こと、あおいのことになると、興味深いエピソードに事欠かない家族である。笑い話とともに、いつも思いだしていたものだが、今回は違う。
そもそも、みんなあおいには甘かった。これは確かなことである。しかし、このような挙に出るほど、ひどかったわけではない。あるいは陰険な非行を働くわけでもない。
だから、みんな、あおいを笑って許していたのである。
それは彼女の性格ゆえだった。みんな罪のない、彼女の笑顔が大好きだったはずである。裏表のない性格は、家族のみならず、誰にも好かれている ――――はずであった。今、茉莉がそれを否定するというのである。
有希江はその理由は訊くことにした。この際、それをあきらかにしない限り、何も始まらない。
「言ってみなさいよ、茉莉、いったい、何があったのよ!?」
「ちょっと、有希江、この子は被害者なのよ!」
徳子が激しくテーブルを叩きつけた。銀食器がぐらぐらと、悲鳴をあげる。それと呼応するように、ドアがノックされた。その音は弱々しく、まるで空気を摑むような仕草である。
「誰かしら?」
久子が冷たく言い放つ。おそらく相手が誰かわかっているのだ。有希江が知っている限り、誰構わず冷たい態度を取る人間ではない。
「あおいです ・・・・・・・・」
震える声が、ドアの向こうから聞こえる。一枚の板を隔てても、彼女の顔が恐怖のあまり引きつっているのがわかる。
たった一枚の板で、彼女と家族は引き裂かれてしまったのだろうか。有希江は思った。
もっとも、彼女こそ、それを実感していることだろう。しかし、何があっても解決しなければという意気込みがないのは、どういうわけだろう。
壁に掛けられている絵画は、東郷青児という戦後まもなく活躍した画家の作品である。
一見して、マネキンを思わせる人物群が、絵の中を占める。とてつもなくシュールな画風。彼女らの視線を追っても、何処を、そして、何を見ているのかわからない、さながら、今の久子を彷彿とさせる。いや、ここにいる四人を象徴しているのかもしれない。
「どうして、こんなに遅れるの!?」
「・・・・・・・・に、荷物を・・・・・・」
「いい訳しない」
バシッッ!!
空気を切り裂くような音がした。有希江が絵画とにらめっこしていう間に、事態は進行しているようだ。なんと、久子が平手打ちを喰わせたのだ。あおいは、凍り付いて佇立している。
しかし、理性を完全に失ったあおいは、こんな状況になってもその言葉を発した。
「ママ?!」
その一言は、久子を完全に、怒りのために凍り付かせた。
あおいは、ほとんど、母親に暴力をふるわれたことがない。だから、その思考は停止してしまったにちがいない。未体験の出来事に、人は、ただ直立するしかないだろう。
あおいは、頬を震える手で、触りながら、母親を見上げている。彼女は、この世でもっとも信頼しているはずの人間である。しかし、今、あおいにしてみれば、まさに悪鬼にしか見えないにちがいない。
「いやあ! ママ! 許してぇええ!!」
久子は、あおいの髪を鷲摑みにすると、その力をもって、床に這わせた。そして、娘の背中に馬乗りになって、その頭を何度も平手打ちしはじめた。唖然となる有希江。恐る恐る茉莉と徳子に視線を移す。
何と、二人はマネキン人形のように、無表情のまま立ち尽くしている。この二人は、10何年も家族と呼んできたひとたちなのだろうか。そして、あおいを叩きのめしている鬼母は、本当に、自分の母親なのだろうか。
有希江は、あたかも白昼夢を見ているような錯覚に陥った。
ひとしきり殴りつけた久子は、次ぎのように短く命じて、ダイニングを去っていった。
「この後始末をお願いね、お手伝いさん」
あおいの黄色い泣き声が、部屋中が響いていた。しかし、茉莉は傷口に塩を塗るような行動に出ていた。
「あおいさん、ごはん、まだなんでしょう? 有希江姉さんたら、お腹すいてなかったみたいで、こんなに残しちゃったんだよ、あなたにエサをあげる ―――」
そう言うと、茉莉は薄笑いを浮かべながら、その皿を手摑みにした。いたのである。あたかも、UFOのように、弧を描いて飛ぶ料理。そして、恭しい手つきで、それを泣きじゃくるあおいの目の前に置いたのである。
コト。
皿が床に置かれる音。それは、やけに嘘らしく聞こえた。あたかも、ドラマの演出のように、作り物めいていた。
あおいは、涙で濡れる顔を、妹に向けることでしか、答えることはできない。声は一切でない。泣き声すら立てることができなかった。声帯はその機能を忘れ、喉は単なる筒と化した。
「?」
あおいは、まるで赤子のような声を出すと、ただ、意識を茉莉に向けた。おびただしく流れる涙を拭くことも忘れて、妹に意識を集中させようと努力をする。もしかしたら、涙が流れていることにも、気づいていないのかもしれない。
ただ、目の前に起こっていること、自分の身にふりかかっていることが信じられないのだろう。有希江は、ただ大道芸人が突如として出現したときのように、意識を中空へと放散させた。そうすることで、意識が集中しすぎて、過熱することを避けているのである。
「どう? 感謝しなさいよ、あなたみたいなドロボウネコには、もったいないくらいのごちそうよ」
恩着せがましく、茉莉は、あおいにそれをたべるように促す。
しかも、それはあおいが小さいころから好きだった料理だった。ハンガリアチキン。有希江の脳裏に残っているのは、まさ5歳当時の、あおいが、ナイフとフォークを握っている場面である。当然のように、彼女はそれをどのように使うのか、よくわかっていない。ただ、振り上げて怪獣遊びをするだけだ。
「ほら、ほら、あおいちゃん、それは遊び道具じゃないのよ」
それは、この世のものとは思えない優しい声だった。聖母マリアのようだという形容が、これほど相応しい場面は、これまでもこれからも、ないだろうと思われる。
久子は、あおいの両手に触れると、チキンを切り分けて見せたのである。
「ナイフとフォークはこう使うのよ、言ってご覧なさい、これとこれは何ていうの?」
「ないふとふぉーく!」
「はーい、よくできました。ほら、お口を開けて ―――」
「ああー、おいしいぃ!」
久子の手を介して、チキンが、あおいの口に入ると、彼女は歓声を上げた。
「ほら、お食事中は騒いじゃだめでしょう、ほら、お姉ちゃんたちは、ちゃんと食べているでしょう」
「 ふふ――――」
「――――」
当時、自分がどんな目つきを妹に向けたのか、よく憶えていないが、徳子が見せた笑顔は、とてもすてきな表情だった。決して、自分には見せたことのないほどの笑顔がこぼれていた。有希江は自分だけが、家族から取り残されたような気がした。
今、目の前では、あおいがそのような境遇を辿っている。いや、それどころではない。まさに家族からつまはじきにされてしまったほどだ。そして、家政婦として、家に残ることを許されたことを感謝しろと強要されているほどなのだ。
あおいは、犬のように、よつんばいにされていた。そして、頭を摑まれると、無理矢理に有希江の残飯に、顔を突っ込まされている。
「ほら、食べなさいよ、あおい姉 ―――いや、あんたの大好物でしょう?!」
「ひぎぃ・・・・ウウ!!」
家政婦と言うべきところを『あおい姉さん』と言い間違えたことは、有希江の涙を誘った。それはあおいもそうだったかもしれない。もっとも、自分にふりかかっている陵辱行為のために、そんなことに耳を傾ける余裕はなかったかもしれない。
「ほら!」
「ウグググギエ!」
茉莉は、間違った自分に対する、気持を整理するためか、余計に乱暴になる。それは折檻と言うほかに表現方法が見付からないほど、ひどいものになった。
一体、自分たちの家族に何が起こったのだろう。起こっているのだろう。有希江は、何か見えない風圧を受けて、後ずさった。このとき、何かしら手を出していたら、事態はあれほど深刻にならずにすんだろうか。
その答えは、誰も知らない。榊家の家族の誰も答えられないだろう。明かに見えない力に突き動かされていたのである。
有希江が、手をこまねいている先で、事態は、さらに悪化の途をたどっていた。
あおいは、泣き叫びながらも、元ハンガリアキチンだったものを銜えている。茉莉から受ける折檻に耐えかねて、従ったのであろう。
おそらくは、有希江の唾液が残っていると思われる。他人の唾液には味があるんだろうか? たしか、哺乳動物の唾というものは、それを分泌した本人以外にとって、みれば毒にしかならないという。すると、接吻というのは、毒の交換を意味するのだろうか。
あおいにとってみれば、その残骸は、かつて好物だったものを彷彿とさせる。それは、単に、物質的な意味だけに限ったことではあるまい。楽しかった家族との記憶をも、蘇らせていることだろう。
きっと、その記憶と、現在、彼女が置かれている境遇を比較しているにちがいない。
有希江は、それを思うと、胸が痛んだ。
「あははは、お前はまるで犬ね、家政婦じゃなくて、いっそのこと飼い犬になってみる? そうしたら働かなくてもいいわよ、その代わりに学校もいけないし、一日中裸でいてもららわないとね」
徳子が、酷薄に言い放つ。
あおいは、もうハンガリアチキンの味を忘れてしまったらしい。「ただ、塩の味しかわからなかった」と後から述懐している。
――――私も、この空気になるしかないのかしら。
有希江は、いつしかそう思うようになっていた。
誰の戯れか、ここに掛けられた東郷青児は、不気味に笑っていた。
「私の姿は、未来の、いや、すぐ先の現実そのものだよ」
絵画が、そのように笑っている。
有希江は、とてつもなく高価な、その絵を破ってしまいたい衝動に駆られた。