「いつまで、入っているつもり?由加里、五時には出かけるからね」
春子の声が、シャワーごしに聞こえる。由加里は、いじめられた跡を、洗い流すように、全身に熱いシャワーを浴びせる。それで、その日にされたひどいことが記憶から消去されるのだろうか?
由加里は、その問いに、簡単に答えるこができるはずだった。しかし、あえて、答えようとしない。とにかく、流すのだ。ぬぐえなくても、ぬぐおうとしたという事実ぐらいは、記しておきたい。それは、少女にとってはあまりに残酷な体験だった。それはその日だけではない。今日は大切な日なのだ。7月14日は、少女の14回目の誕生日だ。家族のみんなが祝ってくれようとしている。姉の冴子なぞは、わざわざ下宿からやってきてくれたのだ。今時の女子大生が、である。
―――――― 嫌な記憶は、全部、全部、水に流してしまいたい。中2になってから、少女が舐めた艱難辛苦は、まさに筆舌に尽くしがたい痛みだった。
その日も、日曜日だというのに、さんざんいじめられた。いつもの五人に、心身両面に渡って、由加里は攻め抜かれた。土曜日に、約束を守らなかったことも相まって、いじめは、残酷を極めた。
しかし、一番辛かったのは借りを作ったことだ。
同じ小学校出身である原崎有紀が、由加里の誕生日を知っていたのである。同じクラスだったこともある有紀は、由加里の家に招かれたことがあったのだ。そのために、7月14日のことを知っていた。
「お。オネガイです!もう帰してくださぃ!!」
午後3時なって、必死に哀願する理由を知っていた。
「ふうん、そういう理由があったんだ。あなたみたいな人間でも、家族から愛されてるんだ」
「・・・・・!!」
照美は酷薄に言ったものだ。
「わからないよ、あなた去年まで、嘘でも友達がいたんでしょう?去年の今ごろは、誕生日パーティで祝ってもらったんじゃないノ?」
「・・・・・?!」
何処までも残酷な照美である。頭がいいだけ、有紀やぴあのや、他のいじめっ子たちの残酷さとも一線を画す。
「ゥウ・・・おね、オネガイです!」
「わかったわ、帰してあげる」
「あ、ありがとう、ございます」
由加里は、心底ありがたいという気持にさせられた。かなり、心の奴隷化は進行しているのだ。
「・・・だけど、これは仮だからね。いずれ、その分は払ってもらうよ、体でね」
「・・・・・・」
由加里は、照美に、何とも言えない恐怖を感じた。
「ま、後でメールするからさ、せいぜい家族に愛してもらいな、例え、それが偽りでもネ」
―――違う!そんなことない!
照美に心の中で、反論しながら、由加里は帰宅した。
「由加里!」
母親の声。
「わかった!」
由加里は、水滴が自分の体を伝っていくのを見た。それらはキラキラと美しく光っていたが、それは、自分の涙のように思えた。
―――これから芝居をするんだ。私は女優。学校では、友達がいっぱいいるし、何の問題もない。みんなの祝福にふさわしく幸せでいないと!
由加里は、洗面台に設えてある鏡に、自分を映して思った。しかし、その顔は、彼女自身から発する湯気によって、歪んで、消えてしまった。それは、彼女自身の運命、あるいは、はかない期待や、それに基づく未来を暗示していた。
誕生日の夜は、家族で外食をすることになっている。由加里が選んだのは中華だった。車で、20分ほど、国道沿いに、その店はある。
由加里の目に入ってきた電光掲示板。『頤和園』
西宮家が、行きつけにしている中華料理店である。少女は、心が緊張するのをひしひしと感じた。
―――これから女優になるのだ、という意気込みだ。下の妹である郁子と春子が笑い合っている。
「どうしたの?由加里お姉さん、今日の主人公なのに、そんな顔しちゃって」
「子供が生意気言うんじゃないの」
「由加里がこんなこと言うなんてね」
姉である冴子が笑った。
「どういうこと?」
由加里が笑いながらも、かすかに、頬をこわばらせて聞いた。
「あんたも、少しは大人になったのカナと
「冴姉さんったら!」
「ハハハッ」
「早く行こうよ、お腹空いちゃった」
郁子が足早に、走っていく。
父親が笑う。母親も続く。
――――大丈夫だ。芝居できる。私は幸せなんだ。由加里は密かに、独語した。しかし、そのとたんに、照美やはるかの怖い顔、そして、その背後のいじめっ子たちの顔が見えた。そして、地獄のような教室、無関心な担任。すべてが、走馬燈のように見える。
「どうしたの?由加里?」
「・・・・ううん、なんでもない、はやくいこよ、私もお腹空いちゃった!」
「・・・・そう」
春子は、娘のようすに少し不安になった。なぜならば、自分のことを私と呼んだことだ。家族の間では、由加里と呼ぶのに・・・・。
しかも、あの時の由加里が気になる。彼女のムネで、まるで赤子のように泣きじゃくったあの日のことを・・・・・・。
「由加里、誕生日、おめでとう!」
まるで絵で描いたかのような、幸せな家庭がここに現出した。由加里は、女優然とにこやかに笑ってみせる。みんなからもらったプレゼントの包装紙を破る。卵のように孵化したプレゼントを満面の笑顔で迎える。
郁子のプレゼントは、黄金のカップだ、きっと、小学生の小遣いで、指折りながら選んだにちがいない。
冴子は、由加里が好きなバンド、Purple Acidのライブのチケット。
「冴姉さんありがとう!」
由加里は、精一杯喜んでみせる。
――――このステキな空気を壊しては、絶対に・・・・・・いけない。
このとき、父親である卓司の表情が、一瞬だけ曇ったのを、春子と冴子は、見逃さなかった。密かに舌を出した冴子。はらはらする気持を押し隠す春子。ここに、家族間の隠れた戦争が勃発していることを知っているのはこの三人だけである。
「パパ、ありがとう!」
「これで、好きなモノを買いなさい、由加里も、もう大人なんだから」
由加里がもらったのは、五千円ぶんの商品券だった。
「いいの?パパ、ビールに変わったたりして」
「お前と一緒にするなって・・・・・ハハハハ」
卓司は、見えない弾丸を撃った。
「ねえ、ママのプレゼントは?」
しかし、冴子は意に介すようすはない。ダテに、パパの娘はやってないという顔ですましている。
――――お父さんは音楽なんて、許さないからな!
――――いいの?あまり脅すと本当にやっちゃうよ、私たち人気あるんだからね。その手の人たちから声がかかってるんだから。白衣、脱いじゃうよ!いいの?
「ママは、これ」
「あ!Happy turnだ!」
それは、ジュニアには人気一番のブランドだ。
「ありがとう、ママ、誕生日とお正月が一度に来たみたい」
「ふふ、いいのよ、みたいじゃなくて・・・本当だから」
「へー?」
おおげさに、舌を出して見せる由加里。お互いに火花が散る。しかし、それは卓司と冴子の間でカワされた火花のように熾烈で、陰惨なものではなかった。あくまで、仲の良い母娘の和やかな会話だ。
「え!そんなにするの?」
郁子が不平の表情を見せる。自分がもらうのと大幅に違うことを怖れているのだ。しかし、そんな不平も、その場を和やかにする材料にしかならない。しかし、次ぎに、冴子が示した弾丸は、それどころではなかった。
「そうだ、これ、忘れてたわ」
「え?まだあるの!?」
「コレ」
卓司と春子が一瞬で、凍り付く。それは一枚のCDだった。Assemble Nightと銘打っている。しかし、問題は、文字ではない。映っているメンバー。その真ん中に冴子が過激な恰好で、座を占めている。
「冴姉さんのバンド!ついにCD出したんだ!」
何も知らない由加里は、驚きと喜びのない交ぜになった声をだした。
「よかったネ、よかったネ・・・・・・ありがとう!ありがとう!・・・・・・アリガトウ・・・・アリガ・・・・」
ふいに、黙ってしまった由加里。四人は、不思議に思って、愛する家族に注目する。それはとてもアタタカで、甘い匂いがした。それが、由加里の芝居を、いとも簡単に壊してしまう。
「・・・・・ウウウウ・・・・ツツ・・・・・!!」
もらったプレゼントを抱きしめて、しゃっくりを上げる由加里。四人は、すでにただごとではないことを理解していた。
「由加里!」
母親の一声が、合図になった。
「アアアア・・・・アアあ!!」
由加里は、隣の席に座っている春子の膝にしがみつくと、号泣をはじめた。
「由加里姉さん!」
「由加里!」
「由加里!!」
四人、四色に由加里を声で、抱きしめる。
―――ただことではない。それが食事前の家族の同意だった。
春子の声が、シャワーごしに聞こえる。由加里は、いじめられた跡を、洗い流すように、全身に熱いシャワーを浴びせる。それで、その日にされたひどいことが記憶から消去されるのだろうか?
由加里は、その問いに、簡単に答えるこができるはずだった。しかし、あえて、答えようとしない。とにかく、流すのだ。ぬぐえなくても、ぬぐおうとしたという事実ぐらいは、記しておきたい。それは、少女にとってはあまりに残酷な体験だった。それはその日だけではない。今日は大切な日なのだ。7月14日は、少女の14回目の誕生日だ。家族のみんなが祝ってくれようとしている。姉の冴子なぞは、わざわざ下宿からやってきてくれたのだ。今時の女子大生が、である。
―――――― 嫌な記憶は、全部、全部、水に流してしまいたい。中2になってから、少女が舐めた艱難辛苦は、まさに筆舌に尽くしがたい痛みだった。
その日も、日曜日だというのに、さんざんいじめられた。いつもの五人に、心身両面に渡って、由加里は攻め抜かれた。土曜日に、約束を守らなかったことも相まって、いじめは、残酷を極めた。
しかし、一番辛かったのは借りを作ったことだ。
同じ小学校出身である原崎有紀が、由加里の誕生日を知っていたのである。同じクラスだったこともある有紀は、由加里の家に招かれたことがあったのだ。そのために、7月14日のことを知っていた。
「お。オネガイです!もう帰してくださぃ!!」
午後3時なって、必死に哀願する理由を知っていた。
「ふうん、そういう理由があったんだ。あなたみたいな人間でも、家族から愛されてるんだ」
「・・・・・!!」
照美は酷薄に言ったものだ。
「わからないよ、あなた去年まで、嘘でも友達がいたんでしょう?去年の今ごろは、誕生日パーティで祝ってもらったんじゃないノ?」
「・・・・・?!」
何処までも残酷な照美である。頭がいいだけ、有紀やぴあのや、他のいじめっ子たちの残酷さとも一線を画す。
「ゥウ・・・おね、オネガイです!」
「わかったわ、帰してあげる」
「あ、ありがとう、ございます」
由加里は、心底ありがたいという気持にさせられた。かなり、心の奴隷化は進行しているのだ。
「・・・だけど、これは仮だからね。いずれ、その分は払ってもらうよ、体でね」
「・・・・・・」
由加里は、照美に、何とも言えない恐怖を感じた。
「ま、後でメールするからさ、せいぜい家族に愛してもらいな、例え、それが偽りでもネ」
―――違う!そんなことない!
照美に心の中で、反論しながら、由加里は帰宅した。
「由加里!」
母親の声。
「わかった!」
由加里は、水滴が自分の体を伝っていくのを見た。それらはキラキラと美しく光っていたが、それは、自分の涙のように思えた。
―――これから芝居をするんだ。私は女優。学校では、友達がいっぱいいるし、何の問題もない。みんなの祝福にふさわしく幸せでいないと!
由加里は、洗面台に設えてある鏡に、自分を映して思った。しかし、その顔は、彼女自身から発する湯気によって、歪んで、消えてしまった。それは、彼女自身の運命、あるいは、はかない期待や、それに基づく未来を暗示していた。
誕生日の夜は、家族で外食をすることになっている。由加里が選んだのは中華だった。車で、20分ほど、国道沿いに、その店はある。
由加里の目に入ってきた電光掲示板。『頤和園』
西宮家が、行きつけにしている中華料理店である。少女は、心が緊張するのをひしひしと感じた。
―――これから女優になるのだ、という意気込みだ。下の妹である郁子と春子が笑い合っている。
「どうしたの?由加里お姉さん、今日の主人公なのに、そんな顔しちゃって」
「子供が生意気言うんじゃないの」
「由加里がこんなこと言うなんてね」
姉である冴子が笑った。
「どういうこと?」
由加里が笑いながらも、かすかに、頬をこわばらせて聞いた。
「あんたも、少しは大人になったのカナと
「冴姉さんったら!」
「ハハハッ」
「早く行こうよ、お腹空いちゃった」
郁子が足早に、走っていく。
父親が笑う。母親も続く。
――――大丈夫だ。芝居できる。私は幸せなんだ。由加里は密かに、独語した。しかし、そのとたんに、照美やはるかの怖い顔、そして、その背後のいじめっ子たちの顔が見えた。そして、地獄のような教室、無関心な担任。すべてが、走馬燈のように見える。
「どうしたの?由加里?」
「・・・・ううん、なんでもない、はやくいこよ、私もお腹空いちゃった!」
「・・・・そう」
春子は、娘のようすに少し不安になった。なぜならば、自分のことを私と呼んだことだ。家族の間では、由加里と呼ぶのに・・・・。
しかも、あの時の由加里が気になる。彼女のムネで、まるで赤子のように泣きじゃくったあの日のことを・・・・・・。
「由加里、誕生日、おめでとう!」
まるで絵で描いたかのような、幸せな家庭がここに現出した。由加里は、女優然とにこやかに笑ってみせる。みんなからもらったプレゼントの包装紙を破る。卵のように孵化したプレゼントを満面の笑顔で迎える。
郁子のプレゼントは、黄金のカップだ、きっと、小学生の小遣いで、指折りながら選んだにちがいない。
冴子は、由加里が好きなバンド、Purple Acidのライブのチケット。
「冴姉さんありがとう!」
由加里は、精一杯喜んでみせる。
――――このステキな空気を壊しては、絶対に・・・・・・いけない。
このとき、父親である卓司の表情が、一瞬だけ曇ったのを、春子と冴子は、見逃さなかった。密かに舌を出した冴子。はらはらする気持を押し隠す春子。ここに、家族間の隠れた戦争が勃発していることを知っているのはこの三人だけである。
「パパ、ありがとう!」
「これで、好きなモノを買いなさい、由加里も、もう大人なんだから」
由加里がもらったのは、五千円ぶんの商品券だった。
「いいの?パパ、ビールに変わったたりして」
「お前と一緒にするなって・・・・・ハハハハ」
卓司は、見えない弾丸を撃った。
「ねえ、ママのプレゼントは?」
しかし、冴子は意に介すようすはない。ダテに、パパの娘はやってないという顔ですましている。
――――お父さんは音楽なんて、許さないからな!
――――いいの?あまり脅すと本当にやっちゃうよ、私たち人気あるんだからね。その手の人たちから声がかかってるんだから。白衣、脱いじゃうよ!いいの?
「ママは、これ」
「あ!Happy turnだ!」
それは、ジュニアには人気一番のブランドだ。
「ありがとう、ママ、誕生日とお正月が一度に来たみたい」
「ふふ、いいのよ、みたいじゃなくて・・・本当だから」
「へー?」
おおげさに、舌を出して見せる由加里。お互いに火花が散る。しかし、それは卓司と冴子の間でカワされた火花のように熾烈で、陰惨なものではなかった。あくまで、仲の良い母娘の和やかな会話だ。
「え!そんなにするの?」
郁子が不平の表情を見せる。自分がもらうのと大幅に違うことを怖れているのだ。しかし、そんな不平も、その場を和やかにする材料にしかならない。しかし、次ぎに、冴子が示した弾丸は、それどころではなかった。
「そうだ、これ、忘れてたわ」
「え?まだあるの!?」
「コレ」
卓司と春子が一瞬で、凍り付く。それは一枚のCDだった。Assemble Nightと銘打っている。しかし、問題は、文字ではない。映っているメンバー。その真ん中に冴子が過激な恰好で、座を占めている。
「冴姉さんのバンド!ついにCD出したんだ!」
何も知らない由加里は、驚きと喜びのない交ぜになった声をだした。
「よかったネ、よかったネ・・・・・・ありがとう!ありがとう!・・・・・・アリガトウ・・・・アリガ・・・・」
ふいに、黙ってしまった由加里。四人は、不思議に思って、愛する家族に注目する。それはとてもアタタカで、甘い匂いがした。それが、由加里の芝居を、いとも簡単に壊してしまう。
「・・・・・ウウウウ・・・・ツツ・・・・・!!」
もらったプレゼントを抱きしめて、しゃっくりを上げる由加里。四人は、すでにただごとではないことを理解していた。
「由加里!」
母親の一声が、合図になった。
「アアアア・・・・アアあ!!」
由加里は、隣の席に座っている春子の膝にしがみつくと、号泣をはじめた。
「由加里姉さん!」
「由加里!」
「由加里!!」
四人、四色に由加里を声で、抱きしめる。
―――ただことではない。それが食事前の家族の同意だった。
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