折原奈留は、くねくねと蠢くおぞましいものを性器に宛がう。
思わず舌打ちが出てしまう。自分のやっていることに疑問を感じなければ、こんなことが真顔でできるはずがない。何者かに、強制されているという感覚がなければ、単なる変態ということになってしまう。
「なんだっていうのよ!?ウウ・・・」
ミミズのちょっとした動きが性器に計算外の刺激を与える。もっとも強い性的な刺激とは、第一に予想外であること、そして、第二に強すぎない、適度な刺激であること、それらが総合すると最高の官能が訪れる。自慰ではけっして味わえない性的な快楽が、性交によって与えられるいい証左だろう。
このおぞましい軟体動物の動きは、まさにその二原則に忠実なのである。
「家族のみんながどうして、こんな態度を取るようになったのか、よく考えてごらんなさい。あなたに言いたいことはそれだけよ」
早朝に、母親に言われた言葉が頭に木霊する。情けないものを見る目で自分を見ていた。「どうして、私があんな目で見られなきゃ・・・アウウウゥ・・・あヒ」
必死の思いで最後まで入れ込む。ちなみにすでにアルコール消毒は済んでいる。熱を急激に奪う、その薬品の効力が性的な刺激に拍車をかける。
「あぅう・・こんな状態で学校に行け・・・なんて・・・ひどすぎる!」
まるで、いじめられっ子の体験を聞いているような気分になった。別にそのような立場にいたことはないが、もしも、そうならそれは親しい友人同士だったということができるだろう、書籍だったが、新聞の片隅に忘れ去られたような記事だったのか、忘れたが、とにかくそこで読んだ記憶があるのだ。
あまりにも真に迫った表現だったので、文章に没入してしまい、いじめられていた少女をカウンセリングする校医の立場になってしまったのだ。ついでに言うと、そのとき、ななぜか、性器が濡れてしまったのである。
昂奮を抑えるために、すぐに自室にこもると自慰をした。
あのときは、どうしてそんな気分になってしまったのかわからなかったが、今、思うと加害者の立場に自分を立たせていたのかもしれない。
人をいじめる人間を想像して、性的な興奮を得る。自分は最低の人間だろうか。ならば、いま、自分に起こっていることは自業自得だろうか。
ちなみに、けっして、自分をいじめられる立場に立たせなかったことからもわかるとおり、奈留は今までの生涯においていちどもいじめられたことはないし、そんな状態に陥ることを恐れたこともなかった、のである。
時計を見ると、午前6時。まだ一睡もしていない。
だが、すぐに家を出ないといけない。
まだ早朝に特有である、藍色の空気が漂っている。廊下から玄関に向かう間になぜかキッチンに寄るべきだと、心の声が言っている。
はたして、ドアを開けてみると二つ分の弁当が並んでいた。
「家族のみんながどうして、こんな態度を取るようになったのか、よく考えてごらんなさい。あなたに言いたいことはそれだけよ」
母親の声がまた木霊する。涙が頬を伝う。
「なにも悪いことしてないのに」
やるせない思いがさらに多量の涙をやや釣り目がちな瞳に要求する。
「はぁ、はぁ・・・」
弁当を持つ手が震える。ちょっとした身体の動きが、股間に影響する。こんなとき、自分はどれほどみっともないだろうか?と思う。家族、そのなかでも、けっして、奈々には見られたくない。
「うう・・・」
やりたくはないが、スカートのポケットから手を入れて下着を上げる。
「うぐぐ・・ぅ!?」
そうしないと、ミミズが落ちそうに思われたからだ。
「ぁ・・・」
弁当を鞄に入れ込むと、気を取り直して玄関に向かう。革靴がいつもよりもきらきらしている。まるで黒曜石のようだ。それは涙のせいではないかと思える。
靴が主人の境遇を嘆いてくれているのか、それとも、涙で曇った網膜がそうみせるのか、どちらだろう。こんなばかばかしい妄想も、ひどい現実から逃げる手段でしかない。自分には味方がだれも、すくなくとも、この世界においてはいないのだから、せめて、靴のような無機物にそれを求めるより方法がなかった。
家から出ると、さわやかな青空が広がっていた。いつもならば、心の奥底から笑いたい気分になるだろう。だが、あの青は何処までも残酷に思えた。あるいは、とても非現実的だった。まったく無駄のないコンピューターグラフィックスが、完璧なはずなのに何処か不自然な印象を与えることはよくあることだが、今朝の空はそれに似ているかもしれない。
「空に堕ちていく」という歌詞は何処かのロックバンドのナンバーだったろうか、奈留は覚えていないが、そのフレーズと曲だけは頭に残っていた。
蒼天に落ちていく、引っ張られていく、とてもきれいな地獄に向って無理やりに移送される。そんな文章が続くような気がした。
奈留の心にあるのは、「はやくいかないと・・・」というただ一言だった。私立なので自転車通学も可能だが、汚らしい液体で汚したくなかった。
ブロック塀を伝いながらやっとのことで進んでいく。こんな調子で命令通りの時間に間にあうだろうか。
まだ早朝だとはいえ、公道で性的な興奮を得ている。そのことが、奈留に強烈な羞恥心以外のものを与えていた。それは、自分がおぞましい、汚らわしい、という感覚である。
自分が触れるもの、すべてを汚しているような気がする。スカンクのような臭いを発しているように思えるのだ。
今、たまたますれちがった赤い自転車の高校生。顔をしかめていた。きっと、奈留の臭いが耐え切れなかったんだ。
ごめんなさいね、朝ご飯を食べたばかりなのに、大切な一日がはじまるというのに、しょっぱなからこんな不快な目にあわせて、奈留はとても臭いでしょう?
急がなくてはいけないと足にいくら言い聞かせても、なかなか進まない。風景が動いてくれないのだ。まるで、ウォーキングマシンに乗っているかのようだ。
しかし、奈留に選択肢があるわけがなかった。足は動きはじめる、学校などに行きたくないのに。この身体は、これまで彼女がどれほどひどい目にあったのか知っている。もしも、奴隷として主人の命令に従わなかったら、さらにひどいことをされるのが必定なのだ。
流れ込んでくる、この世界の奈留の記憶。
よそ者のはずである奈留にとってみれば、それと同化することはまさに恐怖である。
今井真美の姿はなかなか見えてこない。あくまでも、よそものである奈留が知っているはずのおとなしい今井真美が・・・いや、それは奈留にとってみればいささか感想がちがう。確かに、あの時、自分に対して敵意を抱いていた。しかし、それにしてもこの世界における彼女と、どうしてもつながらないのだ。まるで見えない何者かに支配されているような気がする。
最寄りの駅に特徴的な塔が見えたところで、携帯が鳴った。奈留の主人であり、所有者でもある、今井真美だった。とたんに、心臓をえぐられるような衝撃を受けた。携帯の液晶に表示された、その名前を見ただけで、この身体は銅像のようになってしまう。
あきらかに、この世界の奈留は彼女に対して尋常ではない恐怖を抱いていている。このようなおぞましい行為を強制することからも、それは簡単に理解できるだろうが、じっさいに、体験したものでしかわからないこともある。
「折原?ちょっと、気が変わってさ。駅前でやろうよ、検査」
「・・・・!?」
まさか、通勤通学の客が押し合いへし合いするところで、検査をしようというのか。背中に冷たい汗が流れる。
どうやら、検査という言葉に敏感に反応するようだ。
思わず絶望的な吐息が唇を震わせる。
「そ、そんな・・・!?い、今井さま・・・」
この世界の奈留が口走った。さま付には驚く。彼女と今井真美との関係を端的に現している。
「ふふふ、本気にした?それとも露出狂の折原にとってみれば夢のようなことかしら?」
「・・・・!?」
「どうなの?したいんでしょう?!」
「ハイ・・・」
力なく、真美の望む答えを返す奈留。かなり奴隷化が進んでいるらしい。奈留はぞっとした。しかし、よくよく彼女の気持ちを慮ってみると、その裏にはかなり深い物があるらしい。気が付かないうちに唇をかみしめていたからだ。それはすこしばかり温かかった。触れてみると出血していることがわかった。
真美は駅前にあるトイレにまで来るように命じた。その猶予はわずか5分である。間に合うだろうか、だが、考えている暇はない。奈留はよたよたともたつく脚をひっしに動かしながら歩を進めた。
「おはよう、折原」
駅前の雑踏の前には、今井真美の悪魔的な笑顔があった。その背後には数名のクラスメートたちが控えている。彼女たちは同じように微笑を浮かべているようだが、何処かちがう。それが人間としての品の問題なのか、その他の要因が働いているのか、奈留には想像すらできない。
悪魔的と言ったが、このサラリーンマンたちや、学生たちの目から見ればごく普通の女子中学生にしか見えないにちがいない。
彼女は、その笑顔を崩すことなく近づいてくると、おもむろにネクタイに手を伸ばした。
思わず、身体をのけ反らせる。整った顔が引きつる。
「ヒ!?」
「何よ、その眼は・・それがやさしいご主人さまに対する忠実な奴隷の立場なの?」
真美の笑顔が、しかし、ほころびをみせることはない、他のクラスメートたちはすでにいじめっ子の本性を顕わにして、眉間にしわを寄せているのにかかわらずだ。
「さあ、時間がないからこちらに来るのよ」
「・・・・!?」
手首を摑まれると、強引に障害者用のトイレに連れ込まれ。平静を装っているようで、サディスティックな欲望を満足させたくなったのである。いわば、腹ペコの肉食動物がインパラを目の前にいて寝転んでいられるだろうが、真美たちはそういう心持だったのである。
障害者用のトイレの個室は、がらんとしている。四畳ほどの広さはないだろうが、空間的な理由か、あるいは、奈留の気分のせいか、大げさに言うと地平線が見えるほどの広さに思えた。
真美は、すこしばかり屈むと奈留の整った美貌を上目使いで睨んだ。早朝の青い光はまだ残っている。そのせいか、血の色を失っている。しかし、そうであってもかなり可愛らしく見えた。少女はぞくぞくと全身の血管をとおって全身に広がっていく、サディスティックな欲望に武者震いに似たものを感じた。
「折原、ここまで聞て、あえて言わないけど、よもやとは思ないけど、ちゃんと言いつけどおりの、おしゃれな格好をしてきたんでしょうね?」
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